549. 秘密
「うわ……これ、すご。なに……?」
洞窟内を流れる川に沿って進み始めた彩花は、すぐさまそれに目を奪われた。
かすかながら日光が届いていた漂着地点では気付かなかったが、土壁のそこかしこに、うっすらと青光を放つ何かがへばりついている。
「植物、ですね。こういう薄暗い場所で自生する種があるみたいです」
ユウラの言葉を聞きながら目を凝らせば、コケらしきものが点在しており、それらが弱々しい青を主張している。
「へー……まあ、でも助かるかも……これがなかったら真っ暗だよね」
「そう、ですね」
しかしいざ歩き出して、彩花は創作物とリアルの差をまざまざと体感することとなった。
まず、異常なまでの閉塞感。岩盤の中をくり抜いたかのような細長い道は思った以上に狭く、息苦しさがつきまとう。そのうえで、間近を流れる川に落ちないよう注意しなければならない。
そして、方向感覚の欠如。
ゲームと違い、親切なマップが目の前に表示されたりはしない。そもそもちゃんと出口はあるのか、迷って出られなくなったら……という恐怖感が徐々に込み上げてくる。
「……な、何かやばい生き物が出てきたりとか、しないよね……?」
それは不安を紛らわすために漏れた彩花の独り言だったが、
「さすがに王都の地下ですから、危険な生物や……まして、怨魔が出るようなことはないはずです……」
言いつつも断定はできないのか、ユウラがやはり浮かない声音でそう返答した。
「怨魔……」
それは、このグリムクロウズに蔓延るという怪物の総称。
彩花も先日、流護から怨魔補完書と呼ばれる資料を見せてもらっている。そこには、既存の常識の範疇を外れた生物のイラストが多く記載されていた。それこそゲームや漫画に出てきそうなドラゴンなどもいて、とても実在するとは思えない怪物ばかりだった。小型の個体であっても、どこか怖気立つ異様な風貌をしているものが多かった印象だ。
街や学院の外で遭遇することもあるそうだが、幸いというべきなのか、この王都へやってくる道中で見かけることはなかった。
実物をお目にかかっていないので何ともいえないが、あんなものが本当に自分の前に現れたらどうなるだろうか……。
(考えたくもないんですけど!)
もちろん、ただの女子高生である彩花に為す術なんてものはない。ここは年下とはいえ、旅慣れた冒険者であるこの少女だけが頼りだ。
「お、怨魔が出てきたら、よろしくね……ユウラちゃんっ」
「え?」
「え?」
互い、顔を見合わせる。
「いや、ほら……ユウラちゃんの神詠術で、こう、どばーんと……やっつけてくれちゃったりとか……」
「……、す、すみません。私、戦いに役立つような術は使えないんです……」
「え!? そ、そうなんだ……」
「ご、ごめんなさい」
「いやいや! 私だって、なにもできないし。気にしないで」
……とにかく、怪物が出てこないことを祈るしかなくなった。
そんな不安や焦りを押し殺し、黙々と進むことしばらく。
「だいじょうぶだよ、怖くないからね……」
時折、怯えたような声を漏らすネコを慰めながら。それにしても、
「はぁー……全身びしょ濡れだから、めちゃくちゃ気持ち悪い……すごく重いし……」
水を含んだ服や靴の感触、重量感もさることながら、時折パラパラと振り落ちてくる土埃などが、そのまま直に身体や服へ付着して泥みたいになってしまう。
「もう……早く出たいね、ユウラちゃん」
「……」
「ユウラちゃん?」
「え、あ、はい」
「あ、いや。早くここから出たいねって」
「ええ……本当に、そうですね……」
「…………」
それからも心細さをごまかすため、子ネコに語りかけたりしながら進んでいく。
「あ、見てください! あれって……」
もはや何度目かも分からない角を曲がったところで、ユウラが珍しく声を弾ませた。
それは、通路を区切るように張られた鉄の柵。開けっ放しになっている錆びついた扉。
人工物。つまり、誰かがここに来て設置している。出られない奈落の底ではないということだ。どこかに出口があるはず。
「うーん……?」
その前まで進んだユウラが小首を傾げる。
「どうかした?」
追いついた彩花が尋ねると、旅人の少女はやや不思議そうに。
「あ、いえ……ここって、何なんでしょうか。地下通路……にしては整っていないというか、王都の地下にこんな広い空間があるなんて、ちょっと驚きで」
「うーん……」
彩花としてはこの世界の常識を知らないので、何とも言いがたいところだ。
抱きかかえた子ネコが、か細い鳴き声を上げる。異世界の住人もとい住猫たる彼(『ついてる』ことに気付いたのでオスで間違いない)も、何か思うところがあるのだろうか。
とにかく、ひたすら進んでいく。そのうち、直進する川の流れと直角に曲がった道が袂を分かち、水のせせらぎが聞こえなくなった。
道中、二手に枝分かれしている箇所がいくつかあったが、どちらが正解かも分からない。そこはユウラの提案で手近な石を転がしておくなどして、進んできた道が分かるようにしておいた。
基本的に控え目な性格のユウラではあるが、旅人だからか、こういった局面ではたくましさが感じられる。暗闇におっかなびっくりの彩花と違い、進む足取りにも怯えはない。戦闘は無理とのことだが、こうした探索の心得はあるのだろう。ど素人の日本人である彩花としては頼もしい限りで、こうなると小さくて可愛らしいユウラに対してであっても『業』が発動することはなかった。
(うん。やっぱ、こう……守ってあげたくなる系に弱いんだよね。私)
などと呑気に自己分析していると、ユウラが静かに声を発した。
「見てください。また、扉……」
大きな鉄の戸が、行く先に現れた。やはり錆や劣化による汚れが目立つが、今度はしっかりと閉まっている。
「開くのかな……?」
彩花の疑問に答える形で、ユウラがノブにそっと手をかけた。
「……鍵は、かかってないみたいです。罠も……なさそう」
重厚な鉄板が、ギギギと軋みを残しながら押し開けられる。
そっと中を覗き込んだ二人は、内部の光景に息をのんだ。
「これ、って……」
ここまでの岩窟とはまるで異なった空間だった。明らかに人の手によって造られた煉瓦の壁。火こそ灯されていないが、壁掛けの燭台らしきものが等間隔で設置されている。
先ほど見えなくなった川の流れがここへ来て合流しているのか、隅のほうから水の音が届いてきた。
横や縦の広さも段違いで、天井までかなりの高さがある。ということはつまり、
「……やば。もしかして私たち、地上から遠ざかってない?」
引き返して、他の道を行くべきか。
一方で、この通路を行けばどこかで地上に繋がっている可能性も充分にありうる。これだけの煉瓦や燭台が持ち込まれているのだから、どこかに外へ通じる近道があるのではないか。
「……ちょっとだけ、進んでみよっか」
「……はい」
これまでの岩の洞窟とは違い、足下には丈の高い草場や水溜まりが存在している。
人工物と自然がない交ぜになったような環境だ。閉塞感も薄れ、心なしか空気も澄んでいるように思われる。
彩花の胸に抱かれた子ネコもそういった変化を感じ取っているのか、周囲をキョロキョロと興味深そうに見渡していた。
「ねー、変わった場所だよねー、ネコちゃん」
ミャー、と同意なのか否定なのか分からない返事をする小さな動物をあやしつつ。
「ん、いいこいいこ。大人しくしててね」
ケガをしているせいもあるのだろうが、暴れずにいてくれるのは助かる。
「それにしても、結構歩いたよね……疲れてない?」
「……」
隣のユウラへ話を振ると、彼女は真剣な面持ちで周囲に気を配りながら歩いているようだった。
「ユウラちゃーん」
「…………」
「うおーい、ユウラちゃんってば」
つんつんと肩をつつくと、そこでようやく彼女は慌てて「あ、はい! 何でしょうか」とこちらへ向き直った。
「す、すみません。ずっと、ネコ相手にお話ししているのかと思いまして」
「それじゃ私が寂しい人みたいじゃん、もー」
苦笑しつつ、彩花の中でおぼろげだったその違和感が明確な形を帯びる。
(……。……この子、やっぱり……)
『これで何度目だろうか』。
このユウラという少女について、どうにも気にかかることがある。
こうなれば彩花としては、その疑問の答えを確かめずにはいられなかった。
「ねえ、ユウラちゃん」
『今度は』、肩を叩いて呼びかける。
「あ、はい。何でしょうか?」
「その、ちょっと訊きたいことがあるんだけど……もし違ったらごめんね。えっと……ユウラちゃんって、もしかしてさ――」
「アヤカちゃんたち、だいじょぶかな……」
インベレヌスの恵みが少し赤みを含んできた午後四時前。
広場のベンチにて、ミアはしょぼくれた気持ちでマデリーナとエメリンを見上げた。
「まぁ、あたいらにできることはしたしね……。もう、あとは待つしかないでしょ」
といっても、やったことは兵士への通報だけである。
『眠り姫』と旅人の少女が川に落ちた、と。
ちなみに詳細を話したところ、王都の下には天然の小さな岩窟があり、人の手も入っているとのこと。大事には至っていないだろう、との見解だったので一安心ではあるのだが……。
「王都の地下かー」
何やら意味ありげに呟くのはエメリンである。
「そういえばさー、知ってる? 王都の地下深くには、古の時代の迷宮があるらしいって噂ー」
「古の迷宮ぅ?」
うさんくさげなマデリーナの視線を受け、エメリンは得意げに頷く。
「そうー。ガイセリウスが活躍した頃……レインディール城に、地下迷宮の入り口があったんだってー。もう、この王都より広いぐらいの大迷宮。それが今もまだ残ってて、遥か昔に迷い込んで無念の死を遂げた人々の怨念がさまよっているんだそうなー。凶悪な囚人たちすら恐れる我が国の巨大地下牢獄こと『レインディール・アラーニェ』も、その一部を利用してるとかなんとか……」
「ふーん」
「うわ。信じてないでしょー」
「エリュベリムとドッコイドッコイぐらいの眉唾話ね。というかさ、ベルやクレアに訊けば分かるんじゃない? そんな地下迷宮が本当にあるんなら、あの二人が知らないはずないし」
「あー……それもそうだねー」
その気になれば簡単に真実が得られることに気付いたエメリンは、夢を失ったように落胆した。もっとも、本気で信じている訳でもないのだろう。
「第一、王都より広い迷宮はちょっと無理があるでしょ。この街がどんだけのデカさだと思ってんのよ」
何しろレインディール王国の中心地。言わずもがな、国内最大の都市である。ミアや学院生らはもちろん、この街で生まれ育ったマデリーナやエメリンも、そしてベルグレッテやクレアリアでさえも、未だ足を踏み入れたことのない区画は数多く存在するはず。
街中にいれば外壁など霞んで見えないほど遠いし、一生ここから出ることなく暮らし続ける人も相当数いるに違いない。
「うー。そんな話より、二人が心配だよ!」
現実味のない噂話はさておいて、である。どうにも危機感のない友人らに対し、ミアはプンスコと抗議した。
「ごめんごめんー。でも、大丈夫だよー。あの川、人が出られなくなるほど深いところまで流れてはいないはずだからー。何を隠そう私も子供の頃に、別の場所でうっかり流されたことがあるのだー」
「えぇ……、しかも何でちょっと得意げに言うのさ」
「えー!? だいじょうぶだったの?」
「大丈夫大丈夫、溺れるほど深くもないしー。街の地理に詳しい兵士の人たちなら、あの場所からどのあたりに続いてるか知ってるはずだしねー」
「うーん、そっかー」
ミアとしては心配なことに変わりはなかったが、しかし待つことしかできないのも事実。
「でも、あれだね。こんなことなら、ユウラちゃんと通信術できるようにしておけばよかったね……」
詠術士は互いの魂心力の波長を認識し合うことで、通信の術のやり取りが可能となる。
彩花は流護と同じ世界の人間のため無理としても、ユウラと交わしておけばこういった場合に連絡を取り合うことができたろう。まして今、この場には通信術を得意とするエメリンがいるのだ。
しかし、
「いや~、そいつはどうだろうね?」
ミアとしては冴えた意見のつもりだったが、マデリーナがなぜか懐疑的だ。
「なんでさー?」
「だってユウラ嬢、お兄さんと何日も合流できてないわけでしょ? 通信使えるなら、とっくに連絡取れてると思うんだよね」
「あ」
そうだ。その事実を完全に失念していたミアだった。
「何だろうねぇ。ユウラ嬢って、ちょっと変わってるよね」
腕を組んだマデリーナが、うーんと複雑そうに唸る。
「あたいらみたいな学生ならともかく、あの子は旅人じゃん。放浪生活するとなると、それなりに腕前がなきゃ野垂れ死ぬだけさ。でも聞けば、お兄さんとハグレて武器も外套も売っ払っちゃって、何日も野営生活……挙句には空腹で倒れちゃったと。どうにも旅人っぽくないっていうかさ。さっきも言ったけど……あたいらと出会ってなかったら、割と本気で笑えない事態になってたかもよ」
それは一理あるかもしれない。
「でも……悪い子とは、思えないよ」
「あたいも別に悪いようには思ってないさ。ちょっと変なコだよね、って話。それこそミアみたいに。きひひひ」
「な! あたしべつに変じゃないもん! ユウラちゃんだって変じゃないと思うよ! ちょっとスキだらけなだけで!」
「その評価も割と容赦ないと思うよー。確かに、ちょっとポヤーっとした子ではあるけどー」
「エメリンが言うんだ……」
「エメリンが言うんだ……」
「そこで息が合うのやめてねー」
ともあれ、今しばらくは落ち着かない時間が続きそうだ。
そんな中、ミアたちの前を数人の兵士たちが慌ただしく駆けていく。
「地下空洞に!? それは本当なのか!? 前代未聞だぞ!」
「俺も信じられんが……どうやら、本当らしい。判明したのも、つい数時間前だそうだ」
「だとしたら……何てことだ。討伐を急がねばならんな……!」
「ああ!」
少女たちは揃って、雑踏に消えていくその姿を見やる。
「……今、地下空洞がどうとかって言ってなかったー?」
エメリンの呟きに「だね」と同意したマデリーナが、その後を引き継ぐ。
「討伐、とか物騒な言葉も聞こえたけど……、いや、まさかね……」
彩花たちが落ちた場所と関係があるのだろうか。
胸騒ぎに駆られながら、不安な時間を過ごすことになりそうな三人だった。




