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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
14. 彩る季節、花々しく
543/667

543. 過酷な世界だから

「体調はどうだい?」


 朗らかな笑みでそう尋ねてくる白衣の研究者に対し、


「あ、はい……もうすっかりよくなって、生活するのに問題はないです……」


 蓮城彩花は、医者の診察を受ける気持ちで応答した。


「うん、ひとまずは後遺症もなさそうで安心したよ。けど、まだ油断は禁物だ。長いこと寝たきりで全身の筋力も落ちてるだろうし、そもそもキミが昏睡してしまった理由も分からないままだからね。とりあえず、無理はしないようにね」

「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 ペコリ、と彩花は座ったまま一礼した。

 うんうんと頷く目の前の人物は、岩波輝ことロック博士。前もって流護から聞いていた、もう一人の日本人である。白髪交じりの髪とメガネ、白衣姿が印象的な男性だった。

 彩花が目覚めた直後は不在だったが先日戻ってきて、顔合わせも済ませていたところだった。


「いやあ、それにしても彩花ちゃんは礼儀正しくていい子だねえ。まだ若いのにしっかりしてるし」

「いえ、そんな……」


 褒められた少女は照れくさく思いながら背筋を伸ばす。

 半目で口を開くのは、傍らでコーヒーカップを手にしている流護だ。


「博士、騙されちゃダメっすよー。そいつネコ被ってるんで。それも、めちゃくちゃ分厚いやつ」


 また余計なことを、と幼なじみを睨もうとする彩花だが、ロック博士は快活な笑い声を響かせる。


「はっはっは。相手によって対応を変えるなんて当たり前のことじゃないか。むしろ流護クンは、誰に対しても裏表がなさすぎるぐらいだと思うよ」

「えー? そっすかね……」

「ほんっとそれ。うちの流護がご迷惑をおかけしておりますー」

「誰がお前ん家のじゃい」


 やり返してやった気分で、少女はふふーんと鼻で笑ってやる。


「それにしてもやっぱり、転移についての手掛かりは得られないか……」


 唸った博士が、かけているメガネを外して目頭を揉んだ。

 先日、そして今もまた、彩花は自分がこのグリムクロウズへやってきた経緯についての質問を受けていたのだった。

 といっても、そもそも肝心なことは何も覚えていない。

 流護を追って必死に走って、笹鶴公園で座り込んでいた男の人に話を聞いて――それで気がつけば、この研究棟の一階に寝かされていたのだから。


「お役に立てなくてすみません……」

「ああ、気にしないでね。ボクも流護クンも、似たような状況でやってきてるんだから。むしろ皆、同じ手口で連れ去られたんだろうなと確信が深まるぐらいさ」


 異世界間の移動を可能とする何者かの存在。通称『彼』。


「その人は、どうして私たちをこの世界に連れてきたんでしょうか……」


 最たる疑問を彩花が無意識に呟くと、メガネをかけ直した博士が指先でフレームを押し上げる。


「それは分からない……けれど、流護クンとのメールのやり取りから察するに、『彼』には何か目的があるんだろうね」

「なら、その目的が終わったら帰してくれたりとかしないでしょうか……!?」


 彩花としては割と盲点を突いたつもりの発言だったが、苦い顔をするのは流護だ。


「んな訳ねーだろ。そうなったらなったで、『君たちはもう用なしだ』つって消されるに決まってんじゃん。どう考えても」

「そんなの分かんないじゃん」


 反射的に反論する彩花だったが、


「分かるよ」


 あまりにも迷いのない、即座の断言。加えて、今までの流護らしくない疲れたような笑みを目にして、つい言葉を失ってしまう。


「いいか彩花。今のうちに言っとくけど、このグリムクロウズで人の善意なんか絶対アテにするな。中二の頃だったか……お前、遊び行って財布落としたことあったろ」

「え? うん……」


 流護の言う通り、あれは中学二年生の時だ。月の小遣いをもらってすぐ、その全額が入った財布をどこかに落としてしまったのだ。

 ……が、幸いにもすぐに見つかった。拾って交番に届けてくれた人がいたのだ。ちゃんと中身も無事で、世の中捨てたものじゃない(偉そう)と思った覚えがある。


「この世界で財布なんか失くしたら二度と返って来ねーからな。つか、その程度なら平和なもんだ。指輪とか手首に巻いてるアクセ狙われて腕ごと切り落とされたとか、はした金のために殺されたとか当たり前だからな。王都なんかこの近辺ではかなり治安いい方だけど、そんでも少し裏路地入ればそういう話もザラにある」


 そんな言を聞いて、彩花は思わずロック博士の顔を窺った。流護を疑う訳ではないが、大人の意見を聞きたくなったのだ。


「そうだね。流護クンの話は、あながち大げさなものでもないよ。少なくともこの世界において、現代日本と同じ水準の治安は期待すべきじゃないかな。彩花ちゃんも外を歩く機会があれば、充分に気を付けるようにね」


 必要以上に強い言葉で脅かさない、大人ならではの言い回し。そこへ流儀がやや不満そうに口を出す。


「博士、もっとちゃんと言ってやってくださいよ。そんなんじゃコイツ、危機感持たないっす。ほら、自分の体験談を交えつつ」


 体験談? その彩花の疑問を正確に察したであろう流護が、いかにも悪そうな顔となる。


「博士な、前に暗殺されそうになったことあるんだってよ」


 目を見開いた彩花をよそに、当人が苦笑する。


「はは。それはほら、神詠術オラクルに関して色んな発言や発表をしたからであってだね……」

「にしたって、そんなんで刺客送り込まれるとか日本じゃあり得ないっすよ。それが原因で、都会から離れてこの学院に住むようになったんすよね」


 と、そこで彩花にジト目を送ってくる。


「でなくてもお前、何気にお人好しだしなー。外ヅラだけはいいし。街とか行ったら、コロッと騙されたりしそうで怖いわ」

「そんなことないですー」


 さも分かった風に言ってくる幼なじみにイラッときた少女は、ぷいっとそっぽを向いて反抗する。


「ほー、そーかそーか……んじゃ、そうだな」


 やや考え込む仕草を見せた流護は、


「一つ問題だ。試してやる。お前が街を歩いてたら、家の前でオロオロしてる姉ちゃんがいました。中からは赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。通り掛かったお前に気付いた姉ちゃんが急いで近付いてきて、こんな感じのことを言いました――」


『生まれたばかりのうちの子が、何をしても泣き止まないの。原因も分からないから医者を呼んできたいんだけど、旦那も仕事でいないから、赤ちゃんを一人残しては行けないわ。悪いんだけど、私が医者を連れて戻ってくるまでの間、中で赤ちゃんを見ててくれないかしら? すぐ帰ってくるし、お礼は必ずするから』


「――さ、お前ならどうする?」


 と、流護は試すように問いかけてくる。


「どうするって……」


 話の流れ的に、『助けてはいけない』と流護は言いたいのだろう。

 が、この底意地の悪い幼なじみのことだ。実は引っ掛け問題で、「助けない」と言った途端に冷血女だの何だのと小馬鹿にしてくる可能性もある。


「赤ちゃんの声が聞こえてるんでしょ?」

「ああ」

「中に入らないで、私がお医者さんを呼んでくるのはダメ?」

「かかりつけの医者がいるから自分で行った方がいいー、とか何とか言って急かしてきます。お願いだから助けて、とか言って泣きついてくるぞ。迷ってる時間はない」

「……そんな、うーん……。その人、若い女の人なんでしょ?」

「ああ」

「流護が好きそうな年上お姉さん?」

「その情報いる?」

「周りはどんな感じなの? 他に民家がないようなとこなのか、賑やかな場所なのかとかさ」

「その中間って感じかな。店が並ぶ繁華街からは離れた、まあ普通の住宅地だな。密集してる訳でもないけど、両隣には普通に家もある」

「……ん……実際にその場面に居合わせてみないと、何とも言えないけど……、その状況なら、助けちゃう……かも?」


 曖昧に、自信なくそう答えてみる。

 流護はというと、噛み締めるようにゆっくりと頷いて。


「はい。彩花さんは死にました」

「うっわ! 死ぬんかい!」


 渾身のツッコミが飛び出るのだった。


「なんでよー。女の人でしょ? 赤ちゃんだっているんでしょ?」

「真相はこうだ。何やかんやと言いくるめられた彩花さんが家の中に入ると、女が赤ちゃんのとこまで案内するとか言って誘導し始める。で、言われるままついてくと、そこには地下室の入り口が。赤ん坊の声も近付いてきて、ああここにいるんだと思った矢先――ピタッ、とその声が止まる」


 言うなり、少年は懐からそれを取り出した。小さな木枠にはめられた、緑色の石。小さなインテリアだろうか、お洒落に無頓着な流護が持っているには少し違和感がある代物。


「なにそれ? きれいじゃん」

「記録晶石つってな。ようは、録音と再生ができる魔法の道具みたいなもんだ。地下室の入り口にこれが置いてあって、こっからあらかじめ録音されてた赤ん坊の声が流されてたって訳だな」

「えぇ……」


 何だか怪談でも聞かされている心地になってきた彩花は、思わず唾をゴクリと飲み込む。


「ここまで来たらあとは強引に部屋に押し込まれて、中には屈強な男たちが待ち構えていました、って寸法だな」

「ひぇっ……薄い本展開ってこと……!?」

「いや、薄……、何言ってんだお前……。まあとにかく、そこでゲームオーバーよ。てかお前、大丈夫そうって高括ったろ? 相手は同じ女で、赤ん坊もいるからってんで油断したろ」

「いや、それは……。って、なんで? その女の人は、なんの得があってそんなことしてんのよっ」

「その女、街に下りてきた山賊だったんだよ。騙せそうな奴を物色して、そうやって引きずり込んで金品を奪ってたってこった」

「さ、山賊って……。でも、両隣とかにも家あるんでしょ? そんなこと繰り返してたらバレちゃわない?」

「そこに住んでる奴らも山賊仲間なんだよ」

「…………、」


 言葉を失う少女だった。が、すぐに抗議する。


「で、でもそんなの、流護が考えた例題みたいなものじゃん……。そんな、後出しばっかりしちゃってさ。ずるいじゃん」

「実話だぞ?」


 今度こそ、彩花は返す言葉もなく絶句した。


「俺が来るちょっと前くらいに、東の方の都市で実際に起きたことなんだとさ。地下室の隅っこには穴が掘られてて、そこに殺された人らの死体が山になって重なってたんだと。そらもうひでぇ有様だったみたいだな」

「うえぇ……」


 おぞましい光景が彩花の脳裏に浮かぶ。それだって、自分が考えられる範囲内の拙い想像の産物でしかない。実際には、どれほどの地獄の惨状が広がっていたことか。


「そこそこ手口も巧妙だったから、なかなか発覚しなかったらしい。でなくても、現代日本みたいに細かい捜査なんて基本的にないからな。解決までに、結構な人数がやられちまったみたいだぞ」

「ひぇー……、じゃあそれ、どうやって解決したの?」

「この国には、王様が選別した精鋭騎士団みたいのがいるんだけどさ。そのうちの一人が、たまたま私服でウロウロしてたら声掛けられたんだと。ようは普通に引っ掛かったんだな。で、釣られた先で犯人連中を返り討ちにして、発覚と同時に解決、って感じだったそうな」


 何というか、色々とツッコミが追いつかない。


「……じゃあさ。流護だったら、どうするの?」

「ん?」

「その状況にばったり遭遇しちゃったら。無視する? できる? 本当に困ってる人の可能性もなくはないよね?」


 そうだ。さも雄弁に語った流護本人は、この事態に直面したらどうするのか。


「俺? とりあえず助けようとするぞ?」

「なんでじゃーい!」


 反射的にツッコまずにはいられなかった。


「まあまあ落ち着け。お前は実感ないかもだけど、今の俺は一応兵士だからな。昔の俺ならシカトしたかもだけど、さすがにスルーできんわ。んで俺の場合、騙されたら騙されたでいいんだよ。その解決した人と同じで、相手をボッコにして終わらせるだけだから。そんだけの『力』があるんだよ」

「そんな、危ないじゃん……」

「正直、山賊なんぞこの世界の俺からしたら小学生レベルの集まりだからな。間違ってもやられるこたねーわ」


 相も変わらずの自信家ぶりだ。


「師匠がよく言ってたっけな。『力の伴わない正義は、ただの無。何もしないのと同じ』とかってさ」


 飄々とした、片山十河という名の自由人。おちゃらけていながら、時に息が詰まるほどの核心を突く。なるほど、あの老夫なら笑顔でそう言ってのけるに違いない。


「俺には自衛の力がある。でもお前とか一般の人とか、あとは博士なんかだって、自分の身を守る武力はないからな」


 と、そこで彩花はハッとして傍らの研究者を見やる。


「そ、そうです! じゃあロック博士なら、どうしますか? 流護の言った状況に出くわしたら……」


 勢い込んで質問すると、ここまで黙って聞き役に徹していた年長者は苦笑とともに口を開いた。


「うーん、そうだねえ。ボクの場合、一人で街をうろつくこともないから理想論になっちゃうけど……そんな風に助けを求められたなら、まず人を呼ぶ。そう言い切って、それ以上の議論には付き合わず速やかにその場を離れる。その人が本当に困ってるなら助けが来ることに異論はないだろうし、騙そうとしてる悪人なら焦るだろうしね。屋内に引き込んでの凶行が手口だから、そこで追ってきてまで家に連れ込もうとはしないだろうし」


 博士が自らの顎先を撫でながらそう言うと、


「さすが博士。百点の対応っす」


 流護が偉そうに採点した。


「はは。現役の遊撃兵さんにそう言ってもらえて光栄だよ」

「ってことで、ベストは誰かを呼ぶことだ。相手の言い分には付き合わない。走って離れて、一番いいのは兵士だけど……最悪、その辺の店のおっさんとかでもいい。自分のシマの近くで何かゴタついてるとなりゃ、大概の人はスルーしねぇから」

「ふぅーん……」


 理屈としては理解できる。しかし正直、釈然としない。

 助けを求める人がいるのに、応じずにそそくさとその場を去ってしまうのが正解だなんて。

 もちろん今回の例ではそれをしなければ自分の身が危ういのだろうが、何もそういう悪意ある人間ばかりではないはずだ。本当に困っている人に声をかけられる可能性だってあるだろう。自分がその場で何とかできるかもしれないのに、人を呼びに行っていては間に合わないケースだってありうる。

 厳しい世界だとはいうが、そんな風にしなければ生きていけないのだろうか。


「お前結構隙多いんだから、気を付けろよマジで」


 その評価もやや納得いかない少女だったが、ひとまずは「分かった」と不承ながら頷いた。口こそ悪いものの、流護なりに心配してくれていることは確かなのだろうから。






 彩花と連れ立って研究棟を出ると、暖かな日差しが二人を迎えた。

 冬の寒さも幾分か和らぎ、着実に春が近づいているのを実感する。


「ってかお前、明日から仕事だったな」

「……うん」


 体調もよくなった彩花は、いよいよ明日から食堂の厨房で働くことになっている。


「ま、気楽にやれ。俺もここ来たばっかの頃、ちょっと雑用とかやってたけど……結構いい加減ってか、大雑把で大丈夫だから」

「……うん」


 と、どうも彩花のテンションが低い。


「どした? 腹でも痛いのか?」

「べつに。どうもしなーい」

「さっきの話か? どうせ納得いってないんだろお前」


 図星だったようで、幼なじみの少女はわずかに唇を尖らせる。長い付き合いだ。察するのはそう難しくない。


「だってさぁ……」

「さっきのは実話っても、飽くまで特殊な例だよ。ただ、余計なことに首突っ込んだりすると、何らかの犯罪に巻き込まれる確率はぶっちゃけ低くない。博士も言ってたけど、日本と同じつもりでいるのは危ねえ。それぐらいの心構えでいた方がいい、って話だな」


 だからさ、と。流護は、校舎のほうへ顔を向けながら続ける。


「お前は何かあったら、まず俺に言え。俺はマジで一応そこそこの権力ってか権利みたいのあるから、お前が困る程度のことだったら簡単に解決できっから」


 彩花のほうを見ていないので、彼女がどんな顔をしているのか少年には分からない。ただ、ふふと息遣いが聞こえて。


「心配してくれてるんだ?」

「一応は兵士だから、国民の皆さんを心配する義務があるんだよ」

「私、ここの国民じゃないですけど」

「いいんだよ。今はここに住んでんだから」

「そっか」

「そうなんす」

「ふふ。えへへへへ」

「何だよ、怖っ」

「なんでもないでーす」


 急にやたら上機嫌な彩花と一緒に、いつもの中庭へと向かった。

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[一言] 私の財布は空っぽだったわ。 探した人が既に空っぽだったと言いました。 (´༎ຶོ≡༎ຶོ`)
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