54. 休暇の予定は?
「……それは……私の知らない間に、そんなことが……」
事の顛末を聞いたクレアリアは、さすがに唖然とした様子でそう呟いた。
王都の病院にある一室。
ミアが戻って、すでに三日。
流護、ベルグレッテ、ミアの三人は、もうすぐ退院を控えたクレアリアの下へ、今回の件についての報告をしに来ていた。
――土壇場で思いついた、やけくそ気味の最終手段。
流護もベルグレッテもエドヴィンたちも……皆、まず『売られる前に助ける』と考えていた。
すっかりそこに固執し、そして散々に悩み抜き、そんな手段はない……と悲嘆にくれていた。
あの瞬間までは。
流護が『売られたところを買ってしまえばいい』と閃いたのは、部屋の片隅で放置されていた五百万エスク入りの袋が目についたからだ。
一般に売り出される少女の値段は五十万から三百万前後。『サーキュラー』はそれなりに名の知れた組織であるため、売り出す前の『商品』を手荒く扱うような真似は決してしない。
そういった情報をエドヴィンから聞き、決意した。もう、競売に参加して競り落とすしかないと。
流護の五百万……さらにはベルグレッテの協力もあれば、確実にミアを落札できるはずと信じて。
「もー、あたしほんとびっくりしたんだから! 二人とももう物語の主役だったよ、あたしの中では! いえ今後も主役です! かっこよかった! そんなわけでクレアちゃんっ」
ミアは、ふかぶかーと擬音が聞こえてきそうなほど丁寧なおじぎを見せる。
「このたびあたしは、ベルちゃんに購入されてしまいましたので……身も心も、正式にベルちゃんのものになりました……」
苦笑いを浮かべるベルグレッテにぴったりと寄り添い、ミアは頬を染めてそんなことを言う。
「なっ……! 痛っ!」
クレアリアが勢いよくベッドから起き上がろうとし――傷に障ったのか、顔をしかめた。
「クレアちゃん、落ち着いて。……あたしのこと、お義姉さんって呼んでもいいよ?」
「呼ぶかッ! うぐっ!」
クレアリアも大変だなー、と流護が他人事のように同情の目を向けていると、
「大体、それを言うならアリウミ殿だって姉様と同じ金額を支払った訳でしょう? というより、実際に競り落としたのはアリウミ殿で、記録上ではミアは『アリウミリューゴの奴隷』となったんですよね。なら、ミアはアリウミ殿のものであるはずです。ほらアリウミ殿、男を見せてくださいな。どうぞミアを娶って、幸せにしてあげてください。祝福しますので」
「は!?」
いきなり火の粉が飛んできた。
流護は思わずミアの顔を見る。
頬を染めながら、唇を真一文字にきゅっと引き締めている表情の彼女と目が合った。
「…………、」
ミアは、何も言わずに目を逸らしてしまう。
えっ!? 何か言ってよ! いつもみたいにツッコんでよ! 何すっげえかわいらしく恥ずかしそうに目ぇ逸らしてんだよ!
……このミアが、奴隷。俺の、奴隷。
そうなのだ。あまり考えないようにしていたが、ミアは現在、『流護の所有する奴隷』という扱いになっている。
流護としては彼女を助けた結果そうなっただけであって、そこに他意はないし、やましいこともない。ないんだけど思考がついエロ方面へ向かってしまうのは健全な少年として致し方なかろう。
『奴隷』と一口に言っても、その扱いは多様だ。
それこそ流護がディアレーの街で目にした『エクスペンド』から、購入した人間の『家族』として幸せに暮らしている者まで存在するという。主によって、その在り様は大きく変化する。
流護としては無論、ミアには今まで通りでいてほしい。
ミア・アングレードではなくなり、ただのミアとなってしまったが、このまま学院に在籍、卒業した後、正式な手続きを踏んで『成人』として独立すれば、彼女は立派な人権を得た個人となれる。
流護は、それまでは少女の『主』でいるつもりだ。
余談だが、ミアは今のところ成績が優秀なため学費などの心配はない。しかし仮に百位以下へと落ちて学費を支払わなければならなくなった場合、その義務を負うのは流護となる。
そういった金銭面の問題を考えると、流護ではなくベルグレッテがミアを競り落として『主』になったほうがよかったようにも思えるのだが、やはり高名な貴族の家柄の人間であるベルグレッテが『奴隷を買う』という訳にはいかなかった。
競売が違法でなかったとしても、友人を助けるためという事情があったにしても、やはり名家には体裁というものがある。
――そんな訳で俺が『主』になっちゃったけど……ミア……勉強、頑張るんだぞ。いやほんとに。
まさしく貧乏な家のお父さんのように流護が一人で頷いていると、苦笑したままのベルグレッテが言いづらそうに切り出した。
「……ところでミア……」
「なぁに? ベルちゃん」
ベルグレッテにぴったり寄り添ったミアが、彼女の顔を見上げる。
「……ちょっと、離れてもらっていい? 暑くて……」
「え、あ、ごめん!」
少女はびくっと跳ねて、少女騎士から離れた。
ベルグレッテの額には汗が浮かんでいる。本当に暑いのだろう。いつも完璧で凛としたベルグレッテが、かすかにはーはー言っているぐらいだ。
六月中旬相当の季節。この世界にエアコンなんてものはない。病室も少し蒸し暑く、流護もすでに学ランの上は着ていないぐらいだった。
「ご、ごめんねベルちゃん……。ベルちゃん、暑がりだもんね。……き、嫌いにならないで」
ミアは泣きそうな顔で……捨てられた子猫のような表情で、ベルグレッテを仰ぎ見る。
「もう。なに深刻な顔してるの」
ベルグレッテは、つんと優しくミアの額をつつく。それで彼女は心からほっとしたような、弱々しい笑顔になった。
――恐れている。
ミアは無事に戻ってきて、一見、以前と変わらず明るく振る舞っているように見える。
だが。
嫌われるのではないか。必要とされないのではないか。捨てられるのではないか。
今の少女は、そんなことを常に気にかけて、過剰なほど恐れている。そう、流護には思えた。
ミアは無事に戻ってきて以来、ベルグレッテやレノーレたちと常に行動を共にしている。片時も離れずに。一人になることを、恐れているかのように。
無理もない。一人でいるところを突然さらわれ、そのまま数日間に渡って監禁されていたのだ。
今回の件は、少女の心に深く大きな傷痕を残しただろう。
「ところで姉様。姫様の下へ戻るのはいつ頃になりますか?」
「ん……数日中には戻るかな」
この件でベルグレッテはリリアーヌ姫から特別に休暇をもらっていたそうだが、それももうじき終わるようだった。流護としては内心、残念で仕方ない。
「そ、そっか。ベルちゃん、お城に戻らないとだもんね……」
当然ミアも同じようで、目に見えてしゅんとする。
「安心しなさいな。私がすぐに退院して、ミアのそばにいてあげますから。ええ、沢山こき使ってあげますとも」
クレアリアが何だか偉そうに腕組みをしながら言う。……しかしそんなポーズを取っても、姉と違って胸が全く強調されない。
――否。
そもそも。どう見ても。強調するようなモノが。存在していな
「何ですか? アリウミ殿」
「な、何でもありません! サーッ!」
最敬礼を見せる流護をよそに、頬を膨らませたミアが言い募る。
「あ、あたしはベルちゃんのものだもん。クレアちゃんにこき使う権利はないしー」
「――よろしい。なら姉様に、私が三百支払いましょう。すると姉様が二百。私が三百。ミアは額の多い私の言うことを聞かねばなりませんね。ふふふふ」
「そ、それなんかおかしくない!? だったら、五百万のリューゴくんの命令が最優先だもん! ねっ!」
「い、いや。んなこと言われても」
命令て。
「……あ、あんまり、変な命令はしないでね……? で、でも……立場的には、あたし、逆らえないんだけど……」
上目使いで見つめてくるミアから、流護はぐるんと回れ右をして顔を背けた。
「いいいいや何言ってんだよ」
ふー。死ぬところだった。
「……やれやれ。それで姉様。『蒼雷鳥の休息』の予定は決まってますか?」
「ん? ううん、まだ全然……」
「何だ? その『蒼雷鳥の休息』って」
『蒼雷鳥の休息』。どこかで聞いた覚えがある気もするが、どこだったか。
話の腰を折るな、といわんばかりに苦々しい顔をしたクレアリアとは対照的に、ベルグレッテが笑顔で説明する。
「星遼の月にある、約二週間の長期休暇のことよ。普段の安息日だと遠くて実家に帰れない人も多いから、そういった事情に配慮して設けられた休みなの。来月の三日からになるから……なんだかんだで、もうすぐね。もちろん、リューゴも休みになるわよ」
「ほうほう……」
約二週間の休み。夏休みみたいなものか。長さ的には冬休み程度だが。
もちろん流護としても、二週間もの休みとなれば嬉しいはずだが、それは日本にいたらの話だ。
テレビもゲームも漫画もインターネットもない、遠出も不便なこの世界で、二週間も休みをもらったところでどう過ごせというのか。身体を鍛え直すにはいい機会かもしれないが……。
「ま、一度は屋敷に戻ることになるでしょうね……」
クレアリアは、あまり気乗りしなさそうな口調で言う。
「みんな実家に戻るだろうし……あたしは、どーしよっかなぁ……」
苦笑いを浮かべて、ミアが自嘲気味に呟いた。
彼女はもう……実家には戻れない。もう、アングレード家の人間ではなくなってしまった。
そこでクレアリアが、さも当然のように言い放つ。
「何を言ってるんですか、ミア。私たちが実家に帰る場合、貴女も来るんですよ?」
「えっ?」
「当たり前です。貴女は姉様のものになったんでしょう? 姉様が帰るなら、貴女も一緒に来……、『帰る』のは当然のことです」
「…………」
そう言われた少女は、無言でクレアリアの顔を見つめる。
「な、何ですか」
ミアの瞳に、みるみる涙が溜まり始めた。
「ちょっ……な、何で泣くんですか」
「……だって……いいの?」
「良いも悪いもありません。……それに、まあ……ミアがいれば騒がしいですし、退屈することもないでしょう」
クレアリアは窓の外を眺めるふりをして目を逸らしながら、そんなことを言った。
「う、ぅう……ありがど……クレアぢゃん……」
「な、泣かないでください。もうっ」
不機嫌『そう』な声を出しながら目を逸らすクレアリアと、ミアの頭を優しく撫でるベルグレッテ。
うむ。ベル子はツンデレっぽい見た目ながら中身は素直でよくできた娘さんだけど、クレアリアはツンデレっぽい見た目で中身もツンデレだ。
流護も思わず頬が緩んでしまう。
「……あ、貴方は何をニヤニヤしてるんですか、気持ち悪い!」
少し顔を赤くして難癖をつけてくる、そんな様子も微笑ましく思える少年だった。
「いやー、それにしても二週間の休みか。俺はどうすっ――」
伸びをしながら言いかけた流護は、そのまま固まった。
二週間。休み? 仕事が?
「――――――――」
「……え、リューゴ……どうしたの? 顔色悪いわよ?」
「……いや……二週間も休みになったら、俺……メシどうしたらいい?」
「食堂はきちんとやってますからご心配なく。心おきなく、学院で過ごしてくださいな。お一人で」
「そ、そうじゃなくて! 俺、金……」
「あ」
ベルグレッテは気付いたようだ。
そう。流護は今回、全財産の五百万エスクを使い切った。
そんな訳で当然、学院での仕事が収入源となる生活に戻ったのだが、学院が二週間休みとなると、その間の収入がなくなってしまう。
二週間もの間、仕事をせずに過ごしていけるだけの蓄えなどない。
……というより、実をいえば流護の所持金は正確にはマイナスへ突入している。
競売には参加費が必要だったのだが、それが一人三十万エスク。さらには、その競売に参加するために必要だった黒い礼服。これも安いものではない。
これらの費用は、全てベルグレッテが払ってくれていた。彼女は返さなくていいと言っているが、やはり流護としてはきちんと返済したい。
そんな訳でもう借金生活へ突入だった。
「あ、そっか! ……リ、リューゴくん……あたしのせいで……」
「いや、ミアのせいじゃねえけ」
「ああぁあぁっ!」
そこで突然、ベルグレッテがらしからぬ大声を響かせた。
「こ、今度は姉様ですか。何事だっていうんです」
しかしベルグレッテはその言葉に答えず、眉根を寄せて深刻そうな顔をしている。
……と思ったら、ちらりと流護の顔を見た。何か、様子を伺うみたいな感じで。
「な、何だベル子」
その流護の言葉にも答えず、彼女は再び沈黙する。
やがて、意を決したように口を開いた。
「いや、実は……その……私も、忘れてたんだけど……」
らしくない。もごもごと言い渋っている。
「……こないだ、や、もう結構前なんだけど、お父さまから通信があって……」
すうっ、とベルグレッテは深呼吸した。
「お父さまが、今度、リューゴを家に連れてこいって……」
「なあぁああぁ!?」
「なああぁぁっ!?」
「えぇえぇぇぇ!?」
ベルグレッテ以外の三人が同時に叫んだ。
「は!? 何故ですか!? 父様は頭でも打ってしまったんですか!? それとももう痴呆が始まったんですか!?」
クレアリアが珍しく取り乱す。ひどい言いようだった。
「い、家イエイエイエイエ」
だが流護もガタガタせざるを得ない。
お義父さん、じゃなかったベル子の父親が俺を連れてこいってどういうことだ。そ、それはつまり、お父上公認のお、お、お付き合いを、
「い、いやほらえーと! ファーヴナールの件と『アウズィ』の件で、私もクレアも、リューゴに助けられてるでしょ? だから、お父さまがお礼をしたいって!」
ベルグレッテも焦ったみたいに、一気にまくし立てた。
「……む……」
「あ、ああ、なるほど」
「あーびっくりしたぁ」
低く唸るクレアリアと、心臓をバクバクいわせながらも納得する流護。溜息をつくミア。
「そ、それでほら。リューゴも、お金なくて学院に残れないんであれば、一緒にどうかなーと……いうことで……どうでしょうか、なんて」
「あ、ああ。そうだな」
「う、うん」
「じゃ、じゃあ、四人でお屋敷行けるんだね! 楽しみー!」
ミアが嬉しそうにぴょこんと跳ねる。
そこへギリガリゴリ、と何だかすごい音が聞こえてきた。
流護は音のしたほうに顔を向ける。
「……うわあ……」
クレアリアがギリギリと歯を食いしばりながら、地獄の鬼のような形相で睨んでいた……。
その、歯は大丈夫ですか。
「ク、クレア。リューゴは悪くないんだし……それどころか恩人で、ほら」
「……分かってます。分かって、いますけど」
クレアリアは拗ねた子供のような表情でうつむいた。
「……ふん。父様ったら……いつもは忙しさにかまけて、私たちのことなんて気にもしませんのに。……私の見舞いにだって来ないのに。こんな時だけ、父親らしいことを言って」
「もう。そんなこと言わないの、クレア」
ベルグレッテの言葉にも、珍しくクレアリアはぷいっと顔を背けた。
……そうだ。幼少時代、父親が忙しくて構ってくれなかったことも、クレアリアが男嫌いとなる要因の一つだったはずだ。
まして彼女は流護たちの一つ下で、まだ十四歳。
流護が悟ったように言うことではないが、まだ素直になれない部分もあるのだろう。
……父親、か。
この世界へ来て、すでに一ヶ月以上。
『向こう』はどうなっているのだろう……と、流護はふと思う。
父親は唐突に長期間の出稼ぎへ行ってしまうことがあるため、流護がこちらの世界へ来た夜、買い出しに出た流護を待っているうちに酔い潰れて寝てしまい、翌朝から突然に長期出張、一ヶ月経った今でも息子がいなくなったことに気付いていない――などという可能性もあるかもしれない。さすがにないと思いたいが。
そもそも、こちらの世界と地球は、時間の進み方は同じなのだろうか。体感的には同じとしか思えないが、ここで三日過ごしても地球では三秒しか経っていないとかないのだろうか。
ともかく確かめる術もなければ、戻る術もないのだ。
誰にも聞こえないほど小さく、流護は溜息をついた。




