533. 認められない
「ふむ」
その身長は二メートルほどもあるだろうか。とんでもなく大柄な青年だった。
開いているのか閉じているのか分からないほど細い糸目。誠実そうな、飾らない印象の巨漢。
「見てのとおりだよ、ダイゴス……。アヤカさんが、お目覚めになられました……!」
ミアが声を潜めつつ、やってきた大男にそう報告する。
「これは驚いたの」
ダイゴスと呼ばれた巨漢は、とてもそうとは思えない冷静な表情と口ぶりで「ニィ……」と口の端だけを吊り上げた。
「お初にお目に掛かる。ワシはダイゴス・アケローン。このミアとは級友の間柄じゃ」
ハッとした彩花は、反射的に頭を下げる。
「あ、えっと、蓮城彩花です……」
大吾さん? 日本の方ですか? なんか九州男児っぽいし。見た目も喋りも。あけろーん? あれ、でもミアちゃんと級友って? ミアちゃん中学生だよね? この人どう見ても大人だよね。でも制服っぽいの着てるけど……。それよりミアちゃん、さっきの手品どうやったの? いや、あれ手品なんかじゃなくない? あれ? 私は何に巻き込まれてんの……?
彩花の脳内には、もはや混乱の嵐が吹き荒れていた。
「して、どういう経緯じゃ」
「いつもどおり、アヤカさんのお世話をしようと思って部屋に行ったの! そしたら、アヤカさんがふつーに起きてて、ベッドに腰かけてて……! びっくりしたよ!」
ミアとダイゴスはどう見ても十歳以上は離れていそうだが、まるで気兼ねなく話している。
「事情の説明はしたか」
「うー、いちおうは話したけど……あたし、神詠術のこともすっかり忘れてたし、あんまり自信ないよ」
そこまで聞いて、ダイゴスがこちらに向き直る。
「大丈夫か」
一拍遅れて自分が話しかけられたと気付いた彩花は、反射的に背筋を伸ばして「は、はい」と頷いた。
「して……何と呼ばせてもらうかの。レンジョーか、もしくはアヤカか」
「あっ。いや、えっと、どちらでも……彩花で、大丈夫です……」
「うむ、ではアヤカよ。今のお主の心情は、少なからず理解できる。同じ境遇を抱えた女子を知っとるからの」
「あ、そっか! ダイゴスって、『神域の巫女』さまと仲いいんだもんね。じゃあ、アヤカさんに詳しい話をお願い!」
「うむ。では、改めてワシからも説明しよう――」
ダイゴスの理知的な解説により、改めて様々なことが語られた。
怨魔と呼ばれる怪物が蔓延り、神詠術なる異能を授かった人々が暮らす世界。その名をグリムクロウズ。
このミディール学院はまさにその神詠術をより深く身につけるための学校で、年齢や身分の別なく多数の少年少女が集まっている。
流護も普段はここで暮らしているが、なぜか常識を超えた身体能力を獲得するに至った彼は、その活躍によってレインディール王国擁する遊撃兵となった。今は所用により学院を留守にしている。
そして流護のみならず、隣国のレフェ巫術神国には雪崎桜枝里という日本人の少女が転移してきている。
「…………」
自分より年上の真面目そうな男性に理路整然と説かれたことによって、彩花の中で「そんな馬鹿な」という気持ちは消えそうになっていた。
何より、先ほど実際に目撃した神詠術なる力。
トリックや手品を疑う彩花に対し、ダイゴスもこの技術をいとも容易く操ってみせた。
彼の太い指先でバチバチと弾ける白紫の電光。その手には明らかに何も持ってはいない。種や仕掛けが存在しない。
個人によって授かる属性は異なり、ミアとダイゴスはともに雷属性なのだという。
まさにこの魔法めいた力が、異世界なんてありえないと考える彩花を否定する。
(……でも……でも百歩譲って、ここが本物の異世界だとして)
なぜ、流護や自分が迷い込まなければならないのか?
「……わ、分かりました、話は……」
とにかく一旦、認める。衝撃のあまり現実感が失われ、眩暈すら起こしかけているが。
そのうえで、蓮城彩花は現代日本人として当たり前の願望を口にするのだ。
「……それで、私は……私たちは、どうやったら元いた場所に帰れるんでしょうか……?」
おずおずと切り出した彩花の言葉に、ミアとダイゴスは揃って黙り込んだ。
……何だろう。とてつもなく嫌な予感が、彩花の心を包み込む。
いや、考えるまでもない。
いかにも言いづらそうな二人の反応を見れば。
「えと……もしかして……帰れ、なかったり……とか?」
否定してほしい問いかけに対し。
一拍置いて、観念したようにダイゴスが告げた。
「……そのように聞いている」
巨漢の真剣な面持ち。わずかに視線を落としたミアの悲しげな顔。耳が痛くなるほどの静寂。
「………………帰れ、ない?」
そう発した自分の声が、彩花にはひどく遠く感じられた。
と、そこでハッとする。
「い、いやでも! 流護は、一度は帰ってきてるはずで……!」
そうだ。あの公園で、実際にこの目で流護の姿を見たのだ。それはつまり、グリムクロウズから現代日本へ戻る方法があるということではないのか。しかし、
「ワシも詳しくは知らんが……その帰還は、言うなれば予期せぬ事故のようなものだったと聞く。意図的に再現できるようなものではないそうじゃ」
「……! で、でも、そんな……」
「戻る方法が存在しないからこそ、アリウミはこの世界で生きていくため遊撃兵となった。先ほど話したユキザキ・サエリは、巫女として生きていく覚悟を決めた」
「………………」
「酷なようじゃが……」
「…………そう、ですか……」
色んな衝撃が頭の中で反響している。
(……帰れない? じゃ、どう……しよ……? 私、どうしたらいいの……?)
もう何も考えがまとまらない。
ただ他人事のように、彩花は呆けていた。
気がついたら、またミアに肩を貸してもらって歩いていた。
(…………ああ、とりあえず部屋に戻るんだっけ)
いけない。ぼうっとしすぎだ。
「あ、ミアちゃん……私、そろそろ大丈夫だから」
「ふえ?」
「さすがに、そろそろ歩けるから……」
「で、でも……無理しないほうがいいよ」
「いやその……実は、トイレに行きたいんだけど」
「じゃあ、連れていくよ……!」
その献身はどこから来るのだろう。帰る場所を失った者に対する同情なのだろうか。
「ここだよ……」
やがて到着したトイレ。その入り口などは、さして彩花が知る造形と違いはないらしい。
「じゃああたし、ここで待ってるね」
ふすと鼻を鳴らし、ミアはトイレの外に居座ろうとする。番を命じられた子犬のようだ。
「いや、大丈夫だよそこまでしなくても……。私一人でも、あの部屋に戻るぐらいは」
「うーでも、一人にはできないよ……」
「……じゃあミアちゃん、今のうちに他の上着取ってきなよ。これ、私が借りちゃってるし……また、外に出るんであれば」
「ううーん……」
「……ごめんミアちゃん。正直言うと、トイレ待たれると出なくなっちゃうタイプなんだよ私……」
「ああっ、そうなんだ……。じゃあ、分かったよ。あたし、上着取ってくるね」
渋々といった感じで納得したミアは、とてとてと廊下を駆けていった。
彩花は溜息をつきつつ、自分の頬をきゅっとつねる。
「……痛い」
夢ではない。
――けれど。だからといってこんな現実、あるはずがない。




