530. 新たなる季節に
――風花の月、五日。
新たな年を迎えて、早三ヶ月が経過した。
まだまだ寒さは厳しいものの、じき春の息吹を感じられるようになるだろう。
そんな季節において、いつもと変わらぬレインディール王国はミディール学院。
一ヶ月後には最上級生は卒業、在校生は進級、そして新入生は入学を控える。一年に一度訪れる、学院の大きな変化の時期。
今日は安息日。
平時に比べれば、生徒の数は激減する。だが今時分は、三年生への進級を控え、来たる順位公表へ向けて教室で自習をしていた者も少なくない。
そんな二年生の教室にて。
「ほい、マデリーナ。これでいい?」
「ありがとさーん、ミア」
ミアは、今週の必要な提出物をまとめ役のマデリーナに手渡したところだった。
「ううーむ……」
派手で大人びた外見のマデリーナは、自分より小さな少女の幼げな顔をまじまじと眺め回した。
「なに、どしたのマデリーナ」
きょとんとなるミアへ、派手少女は感慨深そうな表情を浮かべて。
「……いやね。ミア、大人になったなーって」
「へ?」
「いやもうさ、ベルと遊撃兵の彼と、レノーレと、あとエドヴィンも……留守にしたままもう結構経つじゃんか。あたいはさ、不安だったわけ。あんたが寂しがってるんじゃないかって」
「それは……寂しいよ」
しゅんとなった少女に、しかしマデリーナは「そうなんだろうだけど」と付け加える。
「でもちょっと前のミアだったらさ、もうわんわん泣いてたんじゃない? ざびじいよー、ベルちゃーん、リューゴぐーん、って。それはもう、飼い主を恋しがる子猫とか子犬みたいに」
「そっ! そんなことないよ!」
「レフェの時そうだったじゃないのさ」
「うぐっ……」
指摘通りなので反論はできなかった。
「そう考えるとさ、今回はしっかり我慢して。大人になったじゃんて」
「それは……約束したから」
「約束?」
「ん。ベルちゃんもリューゴくんも、ぜったいに帰ってきてくれるって。今回だって、レノーレを助けてくれるって……」
「きひひ。そかそか」
くしゃり、と頭を撫でられる。大雑把な彼女らしい、豪快な手つきで。
「……しっかし、今回はレフェの時よりちょっと長いよね。あたいさ、こないだ実家に帰った時、父親から聞いたんだけど」
マデリーナの家は王都でも指折りの商家である。交流の多さから、自然と色々な情報が飛び込んでくるのだ。
「聞いたって、なにを?」
「城のほうにも、ベルから連絡来てないんだって。考えてもみな、レノーレを連れ戻しに行っただけのはずじゃん? あの子だったら、長くなりそうなら手紙の一つも寄越すでしょ。ここまで音沙汰なしだと、ちょいと不穏だなって話になるわけよ」
「それでも、ベルちゃんとリューゴくんなら大丈夫だもん!」
「どうどう、落ち着きなさい。まあそれでさ。先週ぐらいに、ポミエ様がハルシュヴァルトに向かったらしいよ。バダルノイスに話聞きに行ったみたいだけど、兵隊何十人も引き連れてるみたいだからね、向こうの対応次第じゃ……」
『何か』があれば、バダルノイスとの争いに発展しかねない。緊迫した事態ということだ。
「うう……だいじょうぶだもん」
「あーゴメンゴメン、別にあんたを不安がらせようと思ったんじゃないんだけど」
「ん……。ベルちゃんたちはぜったい大丈夫だよ! 二人とも強いんだから!」
先ほどからそれしか言っていない気もするが、ミアとしても偽らざる本心なので仕方がない。
「そだね……まあ、あたいもそう思うよ。……そいえばさ、エドヴィンはどこ行ったんだろね? 誰も見かけてないって言うし」
「うーん。あたしはどっちかっていうと、そっちのが心配だよ……本当に、どうしちゃったんだろ……」
かの『狂犬』として名高い悪童は、同時期にぱったりと姿を見せなくなってしまっている。いかに講義をサボりがちな彼とはいえ、ここまでの長期間に渡って顔を出さなかったことは過去にない。
ミアとしては何かといがみ合う仲とはいえ、ここまで音沙汰がないとさすがに心配だった。まして、来月には進級を控えている時期だというのに。
「でも……エドヴィンもなんだかんだで、たくましいもん」
「ん、そだね」
ただの少女でしかないミアにできるのは、いつも通りに過ごすこと。せめて皆がいつ帰ってきてもいいよう、日常を維持しておくのだ。
という訳で最近、その一端となっている大切な仕事がある。
「あっと。それじゃあたし、そろそろ行くね」
ミアがそう告げると、マデリーナは意味ありげにいやらしい笑みを浮かべた。
「きひひ。おっとおっと、『眠り姫』のところですか」
「そうだよ! なにさ!」
流護の幼なじみとなる少女、その名前は蓮城彩花。
去年の秋にやってきた……というより連れてこられた彼女は、あれから三ヶ月ほどが経過した今も、一度として目覚めることなく眠り続けている。
流護たちがバダルノイスへ発って以降、ミアは彼の代わりに毎日、彩花の様子を窺うようにしていた。
気になることは確かだ。
どんな人なんだろう。どんな性格なんだろう。顔はもう見慣れているのに、未だに話したことはおろか声を聞いたことすらない。流護からは明らかな照れが交じった紹介しかされていないので、あまり当てにはならない。
「きひひ。あたい好きだわー。あんたらのフクザツな関係、大好きだわー」
「な! なにもフクザツじゃないもん!」
彩花は流護にとって大切な人。流護はミアにとって大切な人。大切な人の大切な人である彩花をミアが世話する、という構図。三角形。そういう邪推である。
それはともかくとして、特に今日はロック博士が留守にしており、またシャロムもやってこない。
自分がしっかりしなきゃ、とミアは奮起した。
「それじゃ、あたしは行くから……」
「愛憎劇」
「うっせー! いい加減にしろおらー!」
キャーと逃げ出したマデリーナを追いかけようかとも思ったが、そんなことをしている暇があったらさっさと向かうべきだろう。
プンスコしつつ、ミアは彩花が眠る研究棟へと足を急がせるのだった。
寒い。
頭が痛い。
何だろう、すごくだるい気がする。
最初にあったのは、そんな違和感だった。
「…………………………ん」
ゆっくりと、意識が広がっていく。起きた、と自覚した。
まぶたがやけに重い。自分のものとは思えないほど、漏れた声はかすれていた。
「………………」
あれ。今日って学校だっけ、休みだっけ。今、何時だろ。
確認しようと身をよじる――
「……、……っ? ………………ぐ!?」
だけのことが、思うようにいかなかった。信じられないほど身体がついてこない。錆びついた機械を無理矢理動かしたみたいな違和感があった。
強烈な感覚の中、まずはどうにか目だけをしっかり開く。
(……………………は?)
そこでようやく気付いた。
見覚えのない石の天井が広がっている。明らかに、自分の部屋のものではない。
(……え?)
いや、天井だけではない。どうにか首に力を入れて周囲を見渡すと、目を疑う風景が待っていた。
やけに狭い部屋だった。素材剥き出しの石壁、古びた木製の机や椅子。窓はなく、今が昼なのか夜なのかも分からない。
が、今気にすべきはそんなことではない。
「…………ここ、どこ……?」
――穏やかな春の気配が近づいてきた、その日。
蓮城彩花は、異世界グリムクロウズにて目を覚ましたのだった。
第十三部 完




