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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
13. 凍氷のロタシオン
529/672

529. 夢は続く

「だいじょうぶだ。おまえのことは、ぜったいにおれがまもってやる」

「……うん」

「だからなくなよ。ほら、いこうぜ」

「うん」


 きっと、生涯忘れることはないだろう。

 幼かったその日、誓いとともに繋いだ手の温もりを。

 例えこの先、何があろうとも。






 心地いい揺れを感じながら、まぶた越しに感じるのは窓から差し込んでくる昼神の恵み。


(ん……寝ちまってたか)


 サベル・アルハーノは意識の覚醒と同時、左肩にかかってくる重みを自覚した。


 目を向ければ――数舜前の自分と同じようにまどろみ、静かな寝息を立てるジュリー・ミケウスの顔があった。

 微笑ましく思いながら、彼女の肩を抱き寄せ、目線を窓の外へと転じる。


 そこには、雄大な自然が広がっていた。

 遠く連なる青い山々、どこまでも続く緑草の絨毯。空は抜けるように澄み渡り、雲ひとつ浮かんでいない。

 ちらほらと散見する岩山の形状は独特で、切り立って刺々しい印象を受ける。まるで地表から飛び出した巨獣の牙のよう。これはこの地方特有の岩の成分によるものだそうで、雨風によって削れやすい性質を持っているらしい。先日、近隣地域を行き来している旅の商人からそう聞いた。


 このように一見同じような景色であっても、その地域ならではの特色が見られるのが興味深い。これだから、旅は飽きないのだ。


「あの雪景色が嘘みたいよね」


 傍らから聞こえた声に顔を向けると、いつの間にか目を覚ましたジュリーが同じように窓の外を眺めていた。


「あァ。全くだ」


 サベルも短く同意する。

 この一帯もそれなりに肌寒いが、あの白い彩りは影も形もない。

 まさに氷神の支配下に置かれていたかのようなあの極寒と豪雪も、今では夢か幻だったのではと思うほどだ。


 ――その日、サベルとジュリーは馬車に乗って北方辺境の街道を進んでいた。


 先のカダンカティアでは、存分に滞在を楽しんだ。

 光神エーオディッシスの信仰が深いこの国は治安に優れており、サベルらが訪れた中でも有数といえる安全な地域だった。ここに住まう人々は間違いなく恵まれている。

 それでも少し前には『殺さずの殺人鬼』と呼ばれる怪人によって、世間が恐怖のどん底に落とされた時期もあったらしい。

 しかしそれもいつの前にかパッタリと終息、他にも王宮抱えの死刑執行人が唐突に行方を眩ませたりといったこともあったそうだが、そもそもあれほど治安のいい国であれば処刑人の需要も少なそうだ。他に実入りのいい仕事を見つけてそっちに行ったのかもしれない。


 さて、次に訪れる街ではどんな物語や出会いが待っているのだろう。

 そうした思いを巡らせるのも、旅の醍醐味のひとつに違いなかった。そんないつも通りの生活を続ける中、このところ話題に上りがちな内容がある。


「みんな、今頃どうしてるかしらね~」

「何だジュリー。最近、その話ばっかりだな」


 しかし、その気持ちはサベルにも分かる。


 雪の舞う極寒の地で出会い、共闘を果たした少年少女たち。そして生ける伝説と名高い『ペンタ』、元山賊と撃墜王、実直な若き兵士。

 サベルたちはこれまでと同じ放浪生活に戻っただけだったが、そこに違和感を覚えるほど長い時間をともに過ごしたことは確かだ。

 彼らと手を結び、まさか国家にケンカを吹っ掛けることになるなど想像すらできなかった。しかも、それでどうにか無事に切り抜けることができたのだ。

 今後、これを上回る逸話などそうは生まれないだろう。


「リューゴたちなら、しっかりやってるさ。年の割にちゃんとしてるからな。メルティナ嬢は心配するだけ野暮ってもんだし、ラルッツたちも、どう考えたってしぶとそうだし……グリーフットの奴は、そろそろまた旅立ったのかなァ。ヘフネルは、あいつのことだ。間違いなく真面目にやってるだろう。目に浮かぶよ」

「ふふ、そうね」


 オルケスターなる組織と因縁を抱えることになったが、流護たちなら心配はいらないはずだ。若くとも、かの強国レインディールに所属する兵士や騎士なのだ。

 聡明なベルグレッテ、一騎当千の流護がいれば、エドヴィンやレノーレを始めとした周囲の者たちも心強いだろう。


 無論、サベルも気を緩めるつもりはない。

 大型馬車の乗車室内にそれとなく目線を巡らせる。自分たちと同じようにうたた寝している商人ら、談笑する同業者らしき旅人たち。他の乗客はざっと六人。こちらを監視している気配は感じない。

 もっとも皆と別れる前にも話したことではあるが、オルケスターが今後サベルに再びその食指を伸ばす可能性は低いはずだ。

 連中の目的を考えたなら、サベルはあくまで『ついで』に過ぎなかった。メルティナを狙う片手間、たまたま射程内に入ってきたから確保しようとしただけ。それが失敗に終わった以上、わざわざ人手を割いてまで再度やってくるセンはまず考えられない。

 カヒネと呼ばれる何かを失い撤退していった事情を鑑みれば尚更だ。


 そのまま馬車に揺られつつ、外の美しい景観を眺めながら、サベルは考えを変遷させていく。

 さて、今日の昼飯は何にしようか。宿はどうしようか。


 ――異変を感じたのは、その時だった。


「……?」


 窓の外。

 道沿いの草むらが、少しずつ迫ってくる。

 つまり――街道を進んでいるこの馬車の軌道が、少しずつ傾いている。


「……おいおい、どうした。草原に突っ込みそうだぞ、居眠りでもしてるんじゃ――」


 この型の乗車室からでは見えないのだが、サベルはつい前方――御者台のほうへと首を伸ばす。


 すぐさま、ガン、と大きな揺れが車両を襲った。地鳴りのような衝撃が馬車内を震わせ、驚いた乗客たちの悲鳴が木霊する。

 整備されていない自然の草地へと乗り上げ、乗車室が激しく揺さぶられた。

 ややあって、つっかえるような振動とともに馬車が停止する。


「っつぅ~……、大丈夫か?」

「ったく、何事だ!?」


 身を屈めるようにしていた乗客らが口々に騒ぎ始める。


「おい御者! 何やってるんだ! 居眠りでもしてたのか!?」


 サベルと同じように考えたらしい冒険者の男が、怒り心頭で乗車室の外へと飛び出していく。

 その様子を横目にしながら、サベルはすぐ隣に座る伴侶を気遣う。


「ジュリー、大丈夫か」

「ええ。あたしは平気よサベル」


 ほっとしつつ、何となしに口を開く。


「ったく、盛大に事故ってくれたもんだなァ」

「ほんとにね~。でも、どうしてこんな派手に? 御者が少しぐらいウトウトしちゃったって、この馬車大きいわよね。馬二頭で引いてたんだし。道を外れて乗り上げちゃうなんて、ちょっと考えられないんだけど――」


 そんなジュリーの疑問に被さる形だった。

 外から、男の絶叫が聞こえてきたのは。


「――ジュリー、行くぞ」

「ええ!」


 歴戦のトレジャーハンターたる二人は、突然の事態にいちいち狼狽しない。即座に切り替えて次の行動へ移ることができる。


 昇降口から飛び出すサベルたち。一拍遅れて、他の乗客数名も後に続く。

 自分たちが出てきた乗車室が少し傾いている様子を確認しつつ、前方の御者台へと回る。


「…………!」

「これ、って……!」


 サベルとジュリーは言葉を失う。


 そこに、目を覆いたくなる光景が広がっていた。


 御者は、手綱を握って椅子にきちんと座っていた。

 ただ異常だったのは、首から上が存在しないこと。出立前、気のよさそうな笑みを浮かべていた好々爺の顔が、丸ごと消失して赤黒い血を湧き水のように溢れさせている。

 そして、車両を牽引していた馬二頭も同様。太く逞しかった首から先が、まるで吹き飛ばされたかのごとく消失していた。

 それで制御を失い草原に乗り上げて、飛び出していた大岩へと激突、停止したらしい。

 そんな状況分析はともかく、


「おい、さっき出てった男はどこに――」


 おもむろに、サベルたちの目の前で小雨がぱらついた。


「――――」


 小雨? 雲ひとつないこの青空で?

 それにこの雫、妙に色が――


 結末まで考えるより早く、サベルとジュリーは身を翻してその場から飛び退く。


 直後、烈風がその場を薙ぎ払った。

 否。そうと錯覚する巨大な黒い影が、地表の草葉を根こそぎ散らしていく。


「く……!」

「きゃっ……!」


 あまりの風圧に目を細める。

 それは突風を纏いながら、悠々と大空へ舞い上がった。

 サベルとジュリー、草原にサッと黒い影がかかる。


「こいつぁ……」


 巨大な鳥だった。

 両翼を広げたその全長は、優に十マイレほどにも及ぶだろうか。暗灰色の短い体毛を生やした、馬車ほどもある大鷲。

 特徴的なのは、首の付け根部分のみを丸く囲ってなびく白の長毛。高貴な支配者が纏う襟巻のようだった。

 その両眼は濁った緑色。嘴は短くも鋭く、刺突剣さながらに尖っている。そして湾曲した長い爪を生やす両足。その片方には、先ほど外に飛び出していった男の生首だけが掴まれていた。その首下から滴った血が、小雨みたいに降り注いだのだ。

 鋭すぎる鉤爪に掴まれていたそれが、やにわにポトリと落とされる。興味をなくしたかのように打ち捨てられた男の首は、草場の陰に埋もれていった。


「何!? 何なのこいつ!?」


 その巨影を仰ぎ見て身構えるジュリーに、サベルは苦い声を吐き出す。


「…………イヤ、俺も信じられんが……怨魔補完書で、見た覚えがあるぜ」


 ここより遥か南方に広がる、前人未到の魔境――『北の地平線(ノース・グランダリア)』、その中心にそびえるという一本の超巨大樹、天頂聖樹エドン・エレファ。誰も目にしたことがないその樹高は数千、ないし数万マイレにまで及ぶと伝承において語られるが、そんな巨大樹の枝に棲みつくと伝わる怪鳥。


 ――通称、『首刈』。カテゴリーはA。

 識別名、ヴィゾフュール。


 秘境に眠りし十体の伝説の悪魔『拾天彩禍じってんさいか』、その一体である『残酷』のアクゼリュスが生み出したとされる先兵。


「ウソ!? そんなのが、こんな場所に出てくるワケ……!」

「俺だってそう思うさ。だが、特徴が一致し過ぎるぜ……!」


 その怨魔はとてつもなく巨大で、貴人がごとき純白の首巻きを纏い、悠然と大空を翔け、両眼に汚濁した緑光を宿し、恐ろしく狡知に長け、そして確実に標的の首を刈る――。

 知っているのだ。どんな生物であろうと、首を失えばそこで終わりだと。


「なっ、何だこいつはぁ!?」


 叫び声は、サベルたちに遅れて馬車から出てきた者たちだ。

 五人の冒険者や商人が、慄然とした面持ちで大空に滞空する怨魔を仰ぎ見た。


「あんたら、下がってろ! こいつは俺たちが――」


 ――それは全てを引き裂く颶風だった。

 その巨体から考えられぬ速度で急降下したヴィゾフュールは、低空飛行で地表すれすれの位置を一挙薙ぎ払う。


「……ッッ!」


 とっさに屈み込んだサベルとジュリーの上を、間一髪の差で黒い影が横切る。呼吸すら止まるほどの豪風が、二人の頭上で唸りを上げる。鼓膜をつんざく轟きに交じって聞こえたのは、ガラスが次々と粉砕する音。

 思わず倒れ込み、這いつくばりながらどうにか身を起こすと、


「……、!」


 その瞬きほどのわずかな間に、世界は一変していた。

 舞い散る飛沫、にわかな小雨かと感違う。しかし、その色彩は――赤。


「……野郎……」


 ほんの一呼吸。瞬く間に、五人。

 力をなくし、血潮を溢れさせながら吹き飛んでいく人体が五つ。

 蒼穹の高みを、球状の何かが放物線の軌道で飛んでいく。赤い尾をたなびかせながら。

 滑空の風圧によってか、それとも巨大な翼が激突したか、馬車の窓ガラスは全てが粉砕されていた。


 中空で旋回した大鷲が、制止してサベルとジュリーを俯瞰する。

 最後の獲物となった、残りの二人を。


「調子に乗るんじゃあないぜ、鳥野郎……。ジュリー、合わせろ」

「ええ」


 ピタリと寄り添った二人は、呼吸を合わせて並び立ち――


「――炎舞!」

「風雅っ――!」


 その調べは同期し。炎神と風神が、喚び声に応える。


『その一撃を以って――討ち滅ぼせ!』


 一直線に突き抜けた紫の竜巻が、中空で佇むヴィゾフュールへと躍りかかる。

 直撃、爆発、炎上。それら工程を一挙に終え、怪鳥の断末魔が蒼穹に響き渡り――


(……? 何だ、アイツ)


 紫炎に包まれ、絶叫を放つその口元。鋭いその嘴が。器用に、上向くように形を変えて――


(野郎、まるで……笑っ……?)


 それは威厳ある支配者が腕を振るかのごとき挙動だった。服の袖をたなびかせたかのように、ヴィゾフュールが大きな翼を横一閃。その動作に振り回される形で、大鷲は舞いを披露するみたいにその場でくるりと回って――


 その身を包んでいた紫の炎が、万物炎上の力を宿した攻撃術が、それだけで消失。

 そして、


 どつ、と。

 鈍く、濡れそぼった異音だった。


「…………、……」


 同時。

 サベルの視界の右半分が、消失した。


 何だ。

 急にどうした。


「…………、」


 目の前の地面に、何かが落ちて転がる。


「……………………」


 最初、それが何だか分からなかった。

 しかし、どこか見覚えがある。


「お、あ……」


 答えを得て、思わず笑みが漏れた。

 そこに、折れ曲がった草場の上にあったのは。



 薄赤色の眼球。

 物心ついてから、今朝に至るまで。長年。

 毎朝鏡の前で見慣れていた、己の目玉だった。



「サ……、ベル」


 かすれたジュリーのつぶやき。直後、その声が悲鳴に変わる。


「………………、………大丈夫さ、落ち着け……」


 残る左寄りの視界で、サベルは虚空の敵を睨めつける。


 失策だ。

 その巨体による滑空や嘴、鈎爪だけではない。

 何かを投擲してきたのだ。先程の挙動から推測するに、おそらくは羽根――。


「ったく、鳥野郎め……なかなか、芸達者じゃないか……」

 

 炎をかき消すと同時、遠距離攻撃をやり返してきた。

 さすがは『北の地平線(ノース・グランダリア)』の住人。そう簡単に打ち倒せる相手ではないらしい。


 手で触れると、右側頭部の肉がこそげ落ちている。かすっただけでこの様。あと数センタル内側にずれていれば、顔面を貫かれて終わっていた。むしろ、即死しなかったのが幸運だ。

 濁流さながらに漏れる血も無視はできない。速やかに措置を施さなければ失血死は目に見えている。 


「スマン、ジュリー。右側が見えない。補佐を頼むぜ」


 己は左に立ち。

 闇に覆われたもう半分を、伴侶へと任せる。


「……っ、分かったわ」


 押し問答は無駄と悟ったのだろう。右隣に、寄り添う気配。甘い芳香。


「……ふ」


 不思議なものだ。

 何も見えなくとも、自分の目で確認する以上に安心感を覚える。


「ったく、何度目かなァ……。冥府に転がり落ちる寸前の修羅場ってヤツもさ」


 もう、数えることすら諦めてしまった。

 だが――ただの一度とて、切り抜けることを諦めた覚えはない。


 思い知る。

 これまでだって、そうだったじゃないか。

 死は、いつもすぐそばに寄り添っている。


 先のバダルノイスでの一件が、あまりにも出来過ぎていた。だから、忘れかけていた。

 あれだけの規模の事件に発展しながら、味方に犠牲らしい犠牲が出ることもなく。サベル自身、何度も死の淵に立たされては間一髪のところで命を拾うことができた。


 まるで、誰かの筋書きみたいに……あるいは夢みたいに、上手くいきすぎたストーリーで。


 あまりに居心地がよくて。

 未だ、夢の中にいる。そんな感覚がある。

 あの気の合う連中との旅路や日々が楽しくて。いつかまた、共有できたらと。

 ジュリーのことは言えない。


 あの夢を、いつかまた。

 そう考えたなら、こんなところで終われはしない。


「!」


 そんなサベルの決意を嘲笑うかのように、高みに浮かぶヴィゾフュールの巨躯が闇へと消える。失った右目の側、死角へと移動したのだ。


「サベル、大丈夫。あたしがついてる」


 間近から聞こえるのは、愛しい女性の声。


「あなたのことは、絶対にあたしが守るわ。だから……」

「は、は。頼りになるなァ」


 子供の頃か。似たような言葉をジュリーにかけたことがあった。

 そんな彼女は今、対等な存在として自分を支えてくれる。

 こんなに心強いことはない。


 そうだ。

 こんな生き方を続けていれば、いつかきっと死に別れる。そんな思いから、互いにあの誓約を交わしたりもした。

 けれど。

 最初から最後まで一緒にいられるなら、それ以上のことはない。


 もちろん、ここで斃れるつもりなど毛頭ない。こんなところで終わりではない。

 トレジャーハンター・サベルとジュリーの冒険譚は、これからも続く。

 この怪物との激闘も今度、流護たちに聞かせてやろうじゃないか。


 ゆえにサベル・アルハーノは、まるで臆すことなく啖呵を切ることができた。


「よぉーし……どっからでも来いよ、クソデカ鳥野郎。お前みたいな奴が往来を飛んでたんじゃ、おちおち旅もできやしねーぜ。テメェみたいな『凶』は、俺たちがここで叩き潰す――!」






 ガタゴトと、眠気を誘うような馬車の振動が心地よい春の日。


「おっと、この先だって話だよ」

「ああ、例の」


 大型の乗り合い馬車で移動中の商人たちは、恐る恐るといった面持ちで窓の外を窺った。

 切り立った岩が地方特有の景観を作り出す、美しい緑に囲まれた街道。


 一見して何の変哲もない、ありふれた自然のその最中に、恐るべき怨魔が現れたのは一月ほど前のこと。


『首刈』、ヴィゾフュール。

 魔境と名高い『北の地平線(ノース・グランダリア)』から飛来してきたと思われるその怪物は、偶然通りかかった一台の不運な馬車を襲った。

 カテゴリーA――その中でも上位に君臨するこれに遭遇したなら、それはもう災害以外の何物でもない。

 運が悪かった、あるいは信奉する神に見捨てられた。そう考える以外にない。やり残したことや未練があるなら、来世に期待するしかない。


 当時の詳細は不明だが――ともあれ怪物は、その異名に違わず運に恵まれなかった人々の首を刈った。

 現場には人や馬問わず多数の首なし死体が転がっており、それは惨憺たる有様だったという。


 最終的にこのヴィゾフュールはカダンカティア中心地、ラダルカリアにまで飛来。前例のない怪物の襲撃に、城下町は一時騒然となったという。

 しかし騎士団や兵団が総出で対応に当たり、どうにかこれを撃滅することに成功。

 被害も想定より少なく済んだのだが、後の調査により、このヴィゾフュールはやってきた時点で深手を負っていたことが判明している。


 以前より、街道に施された魔除けは空中の対象に効果が薄いと指摘されてはいた。が、近隣に強力な飛翔型の怨魔が存在しないことから、見過ごされてきた部分でもあった。

 しかし今回の一件を受けて、カダンカティアは新たな魔除けの開発に着手し始めたという。


「……うわ、あれか。なんとまあ」


 緩やかな曲線の先に、それが見えてきた。

 縁が削れた街道の端。制御を失った馬車が乗り上げて激突したとされる岩。ヴィゾフュールが暴れたことで根こそぎ散らされた草葉。そして――


「すごいな、あれは……焼け焦げたのか?」

「突風でなぎ倒されたようなものも見えるぞ」


 居合わせた冒険者が抗戦したのだろうか。

 事故の痕跡だけに留まらず、誰かが戦った……命を燃やしたと思しき形跡を見ることができた。その状況を見るに、さぞや手練の詠術士メイジだったのだろう。


「しかし何だって、ヴィゾフュールなんていう伝説の怪物みたいなのが出てきたんだ……?」

「さてなぁ。けど最近、おかしいぜ。その場所にいるはずのない怨魔がいきなり出てきた……なんて話をよく聞くからな。しかもとびきりヤバイのがよ。レフェの天轟闘宴に乱入してきたプレディレッケもそうだし、ついこないだバルクフォルトで『封魔』が現れたなんて話もある。何でも、居合わせた『白夜の騎士』と、あとほら……何だっけ、風変わりなどっかの国の拳闘士? だかがどうにかしたみてぇではあるが……」

「『封魔』だと? まさか、あのガビム・ガヴジーンか!? いやいや、Sクラスに片足どころか両足突っ込んでるバケモンじゃねえか。いや……それをどうにかしちまう『白夜の騎士』様も流石、ってとこなのかねぇ……いやはや」

「とにかく、この場は祈ろうや。名前も知らない勇猛な戦士たちによ。おかげ様で、俺たちは何事もなく通れるんだ」


 惨劇の現場に黙祷を捧げながら通り過ぎ、商人らは前を向く。


 ここで犠牲になってしまった人々に思いを馳せるのもいいが、自分たちにも生活がある。

 目標や夢を叶えるため、商売に精を出さなければならない。



 今日も、馬車は過酷な世界を行く。

 そこに生きる人々の、思いや夢を乗せて。

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― 新着の感想 ―
あれ、最後の商人たちのやり取りって、修学旅行の後の話か? 風変わりな拳闘士ってリューゴのこと? てっきり桐畑さんも異世界転移して元気に空手やってるのかと思ってた
[一言] え?そんな!(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
[一言] 第十三部完結お疲れ様でございます。各メインキャラクター達の動乱その後が描かれていく中、あの二人の結末はただただ衝撃でした。読み進めるうちにすっかり好きになっていた彼らとのお別れは非常に悲しく…
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