524. 少年の目指す先
ハルシュヴァルト行きの馬車に揺られながら、流護は何となしに窓の外を眺めていた。
レノーレを無事救い、事件は決着し、ようやくの凱旋。
そんな勝利を掴み取った活気が車内に満ちている――、ということはなかった。
ベルグレッテとエドヴィンも、それぞれ静かに外の景色を見つめている。
(……。……勝ってねえ……)
確かに、レノーレは助かった。確かに、流護たちはあの戦いを生き延びた。こうして皆で無事、帰路につくことができている。
しかし、である。
(……キンゾル、メルコーシア……)
オームゾルフを追ったその先で待ち構えていたその二人。
あの時、キンゾルに緊急の通信が入ってこなければ。あの戦闘が続いていたらどうなっていたか。
(俺は……メルコーシアに、確実に負けてた……)
さらには事件こそひとまず片付いたが、あの時、逃走したオームゾルフに追いつくこともできなかった。彼女が事故死してしまったことで、結果的に終わっただけ。
もし仮に、彼女が逃げ延びていたなら。あのまま、メルコーシアと戦闘を続けていたら。『雪嵐白騎士隊』が帰還していなかったら。
いくつもの仮定が浮かぶ。
(たまたま、だ……)
全てが紙一重。
運よく、偶然生き延びることができただけ。
意気揚々と宮殿に乗り込んでおきながら、勝ち切ることはできなかったのだ。
ベルグレッテもエドヴィンも、そこを理解している。ゆえに、やり遂げた達成感などありはしない。残されたのは、辛くも首の皮一枚が繋がったゾッとするような感覚だけ。
「……」
ベルグレッテに関しては、それに加えてオームゾルフの命を救えなかったことが尾を引いているのだろう。飽くまであの聖女を『止める』ことが目的だったのだ。
さらには、バダルノイスの視点から考えれば、事態は決していい方向には転がっていない。根本の問題は何も解決していないのだから。
むしろ流護たちはある意味、その『改善案』を妨害して潰しただけ。もちろん、自分や仲間を巻き込み、メルティナの死を前提としたその『改善案』を是とすることなど容認できようはずもなかった。
ひとまず自分たちの問題を解決し、これからさらなる苦境に陥っていくであろうバダルノイスを尻目に帰ろうとしているだけだ。あとのことは知らないとばかりに。
(つか、俺は実際知らん。そこまで聖人じゃねえ)
もちろん今後、レノーレやメルティナが何か困るようであれば力になりたいとの気持ちはある。が、あくまで友人に協力したいといった程度の話だ。
しかしそこを自分のことのように気にかけるのが、ベルグレッテという少女騎士なのだ。
そして流護は、そんな彼女のために全ての障害を排除する存在になると決意したはずだった。
(このままじゃダメだ……って、何回思えば気が済むんだよ、俺は……)
国だろうと、神だろうと殴り倒してみせると決めた大仰なその覚悟は――たった一人のシステマ使いに阻まれるものでしかなく。
それ以前に、メルティナには初戦で地べたを舐めさせられている。
ミュッティとの一戦でも意識を飛ばされた。一対一で闘っていたらどうなっていたか。
オームゾルフに対しても同じこと。
仲間たちの協力がなければ……流護だけでは、あの猛吹雪を突破することはできなかった。
「……ッ」
ぐっと握り締めた自分の拳が、やけに小さく見える気がした。
「それにしてもよー、忙しねーよな」
重苦しい空気を変えたいようで、やにわにエドヴィンが明るい声で切り出す。
「俺としちゃ、もーちっとゆっくりしてもよかったんだけどよ」
確かに、あれから今日で五日。事件の規模の大きさを考えたなら、もう少し滞在して手伝えることもあったろう。
しかし、である。
ベルグレッテが男二人の顔を見渡した。
「私もそう思うけど……。ただ、さすがにね……」
彼女が言いづらそうにしているその理由。
つい先日、ハルシュヴァルト駐在よりバダルノイス王宮に連絡が届いたのだ。
『街にレインディールの兵団が押し寄せている。至急、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードの状況を伝えられたし』、と。
数十のレインディール兵を引き連れてやってきたというその人物の名は――
「まさかポミエ殿がハルシュヴァルトまでいらっしゃるなんて、私もまったく想定してなかったわ……」
ポミエ・ド・ポミエー。レインディールにおける準最高権力者、聖妃エリーザヴェッタのロイヤルガードを務める女騎士である。
流護としてはほとんど面識のない人物だが、実は当人と知らず城内で遭遇していたことがあった。その特徴は鮮烈な印象として残っている。
アマンダやオルエッタと同年代だそうだが、どう見ても外見年齢は十三、四歳ぐらい。クレアリアはおろか、下手をすればミアよりも幼く見える。声も凄まじいまでのいわゆるアニメ声をしており、流護は初見でビビリ散らかしたものである。
そもそも今回――丸二ヶ月近くもの期間、流護たちは旅立ったまま音信不通となってしまった。ベルグレッテとしては長引くようなら手紙を出すつもりでいたようだが、あの状況で文を飛ばしたとて、オームゾルフ派に文字通り握り潰されていただろう。
オームゾルフは流護たちを賞金首に指定して以降、一般兵や平民でも違和感を覚えるほど強引に事を進めようとした感があったが、『これ』を懸念してなのだろうとベルグレッテは推測した。
長引けば長引くほど、ベルグレッテが帰還しないことをレインディール本国に怪しまれる。
彼女が死んでしまえば、まさに死人に口なし。我々は何も知らない、バダルノイス国家は関知していないと突っぱねることもできるが、生き延びて報告でもされたら終わるのだ。
(向こうにしてみりゃベル子を敵に回した時点で、時限爆弾を抱えたようなもんだったな……)
そんな訳でこの急な帰還に合わせる形で、ならついでにと皆もそれぞれ本来の旅路へと戻っていったのだ。
「ポミエ殿に抜かりなく説明できるよう、話をまとめておかなくちゃ……」
密かな緊張感とともに奮起する少女騎士。ポミエはその外見からは想像もできぬ厳格な人物だったりする。貴族らしい貴族ともいえる。
「特にオルケスターの説明が面倒そうだなー。話すこといっぱいあるだろ。ありすぎるだろ」
「そうね……」
やはりレインディールから抜け出していたキンゾル。その怪老人が使用した、携帯電話によく似た機器。同じ地球出身の武人、システマ使いメルコーシア。そして、流護やメルティナをも寄せつけなかったミュッティなる強力な詠術士の存在。
そしてそれほど大きな力を持つ組織が、急遽あっさりと撤退してしまったその原因。『カヒネが消えた』。カヒネとは? 消えたとは?
(分からんことばっかだけど、調べられそうなこともある)
メルティナとの対決の最中、馬鹿正直に名を明かしたヴァルツマンという男。ここを切っ掛けに何か得られるものもあるはず。
――そして。
ずっと、少年の中で靄のようにまとわりつく思いがある。
(……あのディノが……殺られた……?)
キンゾルが発したその妄言。
そう、妄言であるはずだ。
(負ける訳ねぇだろ、あいつが……)
あの男の強さは、流護自身が誰よりも身に染みて理解している。
だが。
ミュッティやメルコーシアの実力を目の当たりにした今、一抹の不安がよぎることもまた事実。
「なぁ、ところでよー」
と、そこでエドヴィンが呼びかけてくる。流護とベルグレッテを交互に見比べるように。
「……本当に死んだと思うか? あのディノのヤツがよ」
奇遇にも、同じようなことを考えていたらしい。
あの『ペンタ』の話題が出ると不機嫌になることの多いベルグレッテだが、今は顎先に指を添えて思案するように呟いた。
「……そうね。あの男がそう簡単に斃されるとは、到底思えないけれど……」
美しい薄氷色の瞳を細めて。
「それに関連して、あのときのキンゾルの口ぶりが少し気になっているのよね。二人とも、覚えてる? ディノの話に言及したキンゾルが――」
『あれも死んだとよ。オルケスターのナインテイルに殺されよったそうじゃ』
無論、忘れるはずがない。流護は、その言葉に衝撃を受け隙を晒してしまったのだ。
「この言いかた、ちょっと引っかかってるの。どこか、他人事のように聞こえない? キンゾル自身、オルケスターの人員のはずよね。それなら、『我が組織の』とか『うちの』ナインテイルに殺された――と言うほうが自然じゃないかしら」
「……そういや何か、そんな風に言ってたっけか……」
とにかくディノが死んだと告げられた驚きで、そこまで気が回らなかった。
「もしかするとキンゾルは、オルケスターの正式な構成員ではないのかもね。あくまで協力している立場とか……。あとは……そうね。やっぱり少なくとも、オルケスターがあの天轟闘宴の場にいたことは間違いなさそう。あの武祭の後、ディノとナインテイルが争った……といったようなことを言ってたから。全てが終わって、レフェを経つ前に接触した……と捉えるのが自然でしょうね」
「にしてもだぜ。ディノの野郎は、何でオルケスターとモメたんだろーな?」
エドヴィンがそう呈する疑問の答えは、もちろん誰にも分からない。
ただ、流護でも何となく予想を立てることはできる。
「天轟闘宴の闘いぶりで、メルティナの姉ちゃんみたいに目を付けられたか……それか、グリーフットさんみたいに勧誘か。ま、どっちにしても……」
あの傲慢極まる獄炎の超越者が、それを受け入れる訳がない。
そして。
(ナインテイル、か……)
ディノを殺したという張本人の名前。
(ナイン、ってまんま『九』? テイル、は『尻尾』って意味か? よく分からん。なんかあんま人の名前っぽくねぇけど……)
キンゾルは、その存在を『オルケスター最強の双璧、その一角』と表現した。つまり、最低でも同等の実力を持つ人間がもう一人いるはずなのだ。それがあのミュッティなのだろうか。もし違うのであれば、それほどのレベルの敵が他にもいることになる。
(きな臭くなってきやがった……)
このままではいられない。
もっと、もっと強くならなければ。
(………………いや)
――否。
ただ強くなる、ではない。
有海流護が目指さなければいけない境地は、今回の一件で明確に定まった――
改めての決意とともに顔を上げると、こちらを見ていたエドヴィンと視線が合った。
「……? どした、エドヴィン」
「イヤ……」
複雑そうな表情を浮かべた彼が、言いづらそうに切り出す。
「俺ぁよ、アリウミ……お前こそが最強だと思ってる。それは今でも変わらねー。今回は、たまたま条件やら状況やらが悪かったりしただけでよ」
「ちょ、何なん急に」
「でもよ、アイツらも間違いなく強ぇ。ミュッティに……メルコーシア、とか言ったか。世の中は広ぇな。あんな奴らがいるとはよ……」
「……」
強い、どころではない。
流護は事実上、彼らに敗北している。
「俺はお前をガイセリウスみてーなモンだと思ってたからよ、あんな風に……奴らを倒せず悔しそうにしてるお前を見て……」
「……はは、ガッカリしたか?」
「イヤ。お前も人間なんだなってよ。……悩んだり悔しがったりしても、いーんだよな。そーゆーモン、だよな……」
「……?」
この時、理解できなかった。
エドヴィンが見せた、その表情が。何かを悟ったような、決意を秘めたようなその眼差しの意味が。
ともあれ彼なりに、何か思うところがあったのだろう。
――そんな様子に後押しされた訳でもないが。
有海流護は、自然に言葉を発していた。
「あの、俺さ。真面目な話すると」
妙に改まった雰囲気を感じてか、ベルグレッテとエドヴィンが何事かと視線を向けてくる。
「……この世界に来て、みんなと適当にワイワイやってんのが楽しくてさ。いつの間にか、それがずっと続けばいいって思うようになってて」
ミアが元気いっぱいに飛び回って。クレアリアが呆れたようにクールぶりつつも巻き込まれて。レノーレも無言かつ無表情ながらノリノリで交ざったりして。悪態をつくエドヴィンがお決まりのようにイジられて。ベルグレッテが委員長キャラを発揮し騒ぎを収めようとして。ダイゴスがそんな皆を不敵な笑みで見守って。
そんな毎日が、これからも続いていけばいいと。
「でも、何つーか……それを邪魔するよーな奴が出てくるんだよな。次から次へとさ」
ベルグレッテとクレアリアが命を狙われたことがあった。ミアが失われそうになったこともあった。ダイゴスが全てを捨てるほどの覚悟を固めたことまであった。
今回の事件にしても同じ。危うく、レノーレが自分たちの前から消えてしまうところだった。
「だから、別に有名になんてならなくてもいい。チヤホヤなんてされなくていい。最強とかじゃなくていい。せめて邪魔してくる敵を倒せるように。みんなを……平和な毎日を守れるように、俺は最低限それだけの力があればいい、って思ってたんだけど」
言い放つ。
「どうでもよくなった」
「……、え?」
「…………アリウミ?」
二人の困惑した声を受けて。
「俺はもう、みんなを守れるだけの力があればいい……とは言わない。そんな小さなことは言わない。これから先、今回みたいにどんな強い敵が出てくるかも分からない。だからさ」
大真面目な顔で、少年は宣言をぶち上げる。
「――――俺は、この世界で最強の人間になる」
馬車の騒音に紛れたりしないよう。はっきりと。
「いや、今までも俺は最強だしとか、最強を目指してーとかは言ってたんだ。でも、結局は口先で言ってるだけだったっていうか……実際は、ガチじゃなかった。今の暮らしができればそれでいいって思ってたんだ、やっぱ」
最強と吹きつつ、そう自分に言い聞かせていた。薄々、それが現実的でないと認めていた。でも何事もなく暮らしていけるならそれでもいいかと、無意識の甘えがあった。
「でも、もうめんどくせえ。周りを守れるだけの力があればいい、なんてケンキョなことは言わねえ。俺たちに手を出してきた奴は、何者だろうとブッ潰せるように。どんな敵だろうと、返り討ちにできるように。最終的に、それで手出ししてくる奴がいなくなるぐらいに。リューゴ・アリウミを敵に回したら終わりだ、って誰からも思われるぐらいに。もう、名声とかあんま目立ちたくないとかマジどうでもいい。とにかく俺は、この世界で一番強い奴になってやろうと思う。これから、安定してみんなとやってくためにさ」
十秒ほども間があっただろうか。
「…………リューゴ」
しばし目を丸くしていたベルグレッテが、何か確信したかのように胸に手を当てて。
「……ん、なれるわ。あなたなら」
そして、エドヴィンも悪そうに喉を鳴らす。
「……オウ。そんじゃ、最強になったお前をいつか俺がブッ倒す! で、この俺が真の最強になってやるからよー」
「ああ。そん時を楽しみにしてらぁ」
彼が突き出してきた拳に、流護は自分の拳を握ってかち合わせた。誓いのように。
そんなやり取りで、三人の間に笑顔が生まれる。
空気も明るくなり、その雰囲気を保ちながらエドヴィンがふんぞり返った。
「ったく、にしてもかったりーぜ。帰ったら、また学院生活かよー」
「当たり前でしょ、もうっ」
そこですかさず言い募ってくるのは学級長ベルグレッテさんである。
「だいたいエドヴィン、年明けからまともに講義受けてないでしょ。二ヶ月分の遅れ、みっちり取り戻すからねっ」
「うへー」
学院では当たり前だった平和なやり取りに、流護の頬も自然と綻ぶ。
「帰ったらって言えばさ、ミア大丈夫かな。またレフェん時みたいに、鼻水どばどば流して泣いてないだろうな……」
「あ、出た。過保護なリューゴお父さんっ」
「な、何だよベル子。だって心配じゃろ。今回なんて、俺もベル子もエドヴィンもレノーレもいなかったんだぞ。ダイゴスは戻ってきたんかな」
「戻ってるはずよ。けれど大丈夫よ。ミアも強くなっているから。……でも、そうね。私もさすがに、そろそろみんなの顔が見たいわ……」
「おー。皆のカオつったらよー、アリウミは誰よりも心配だよなー」
「何が?」
「コレだよコレ」
いやらしく笑ったエドヴィンが、これ見よがしに小指を立てる。
「『眠り姫』に決まってんだろー? お前のオサナナジミ? お前のコレなんだろ? あの女ぁよー」
「おりゃ」
べき。
流護はすかさず、エドヴィンのその小指を掴んで捻り曲げた。慈悲はない。
「アギャアアアアアアァァァァァァアアアアアア!」
「ちょっ!? ふ、ふたりとも!? なにしてるのよ、もうっ」
賑やかに、和やかに。一行は帰りの旅路を行く。懐かしのレインディール王国へ向けて。