522. 終雪
バダルノイスにやってきてからは、おそらく初めて。
目に眩しいほどの晴天だった。青空に輝く昼神インベレヌスの恵みが燦々と地上へ降り注ぎ、真冬らしからぬ温もりすら感じさせる。
場所は、皇都イステンリッヒ中央区に位置する馬車乗り場。
視線を少し横へ転じれば、流雪水路の制御塔が小高い丘にそびえ立っているのが確認できた。間近で見ると、バダルノイスの英知が詰まったそれもただの石の塔にしか思えない。こうした快晴の日には出番もなく、その姿は所在なげに佇んでいるようにも見える。
付近をわずかな人が行き交うそんな往来の中、一同は会していた。
「本当に、君たちには世話になったね」
いつもの純白ドレス姿で見送りにやってきたのは、北方の英雄こと『ペンタ』メルティナ・スノウ。身体の各所に巻かれている包帯がやや痛々しい。
そんな彼女の隣には、支えるようにレノーレが寄り添っている。
見慣れた無表情ではあるが、これまでのような思い詰めた雰囲気はなくなっていた。学院で目にしてきた、眠たげな落ち着いた表情。
「いや、そもそも元はと言えば、俺らはレノーレ連れ戻しに来ただけで……」
その当人を眺めながらの流護の返事も何度目か。
ここ数日、口を開けばそんな問答ばかり繰り返している気がする。
「動機や切っ掛けは何でもいいさ。結果として、我々が助けられたことは事実なんだ――」
かくして、事件は一応の終息を迎えた。
様々な思惑が複雑に絡み合った末に勃発した国家規模の騒乱、その全貌を正しく知る者は少ない。
だが蚊帳の外にいた平民たちであっても、感じ取るには充分だったろう。
過去最高額の賞金首に指定された、元・宮廷詠術士の少女。北方地域に突如として出没した、強力な怨魔たち。皇都で発生した大規模な捕物劇、直後次々に罪人認定された余所者たち。それから間を置かず通達された、出入国禁止命令。未曾有の雪崩れによる、『白の大渓谷』の封鎖。一夜にして皇都中に貼り出された、歴戦の将軍の偽造手配書。
そして最後に――氷輝宮殿での落雪事故によって、国家主導者オームゾルフが死亡。
傍目から見れば呪われているとしか思えないこの負の連鎖。清廉と名高かった女王によって引き起こされた此度の騒乱は、誰からともなくこう呼ばれるようになった。
『凍氷の巡鎖』と。
『滅死の抱擁』と内乱に続く、第三の試練であるとの認識だ。
(キュアレネーの試練……とかって考えるのは別に、この国の人らの勝手だけど……)
本筋は単純明快。
メルティナの臓器を欲したオルケスターが、オームゾルフを唆してバダルノイス中を引っ掻き回した。それだけの話。
ひとまずは一難去ったものの、バダルノイスの先行きは世辞にも明るいとはいえない。
この騒乱が収まっただけの話で、そもそも根本の問題――バダルノイスの国家存続にかかわる問題は何も解決していないのだから。
今回の一件の結果、オームゾルフ派の兵士たちは全員が一時拘束された。
そのほとんどは教団出身の元僧兵となるが、本来中立の立場でありながら協調したベンディスム将軍とその部下……ガミーハらも含まれる。
彼らの割合は全兵士から見ればごく一部でしかないものの、さすがに全員を処刑するような真似は難しい。
その人数から秘密裏に行うことは不可能で、となればまた世間を騒がせることは避けられない。さらには、単純にその実行に際し膨大な人員や時間が必要となる。加えて、彼らが消えたなら兵力も無視できない規模で減ってしまう。
余談だが、流護たちと敵対した兵士であっても中立に属していた者――つまり何も事情を知らされていなかった者たちは、当然ながら不問となっている。彼らは王の命令に従って職務を遂行しようとしただけなので、流護としてもそこに異存はない。
そもそも彼らまで裁くのであれば、バダルノイス兵のおよそ三分の一ほどが消えてしまうだろう。それほど多くの人々を巻き込んだ事件だった。
「……ったく、どうしてこんなことになったんだろうね。皆が目指すところは、同じだったはずなのに」
そんなメルティナの言葉通り。
確かにオームゾルフ一派は、レノーレや流護たちを無実と知りながら追い立てた。しかし、その根底にあったのはバダルノイス再興という目標。メルティナや『雪嵐白騎士隊』と何ら相違ない理想を持つはずの者たちなのだ。
ゆえに現在――彼らオームゾルフ派やベンディスム将軍たちは、研修との名目で西方の砦に収容されている。
スヴォールンが直々に彼らと接し面会を重ねたうえで、今後の処置を決める方針だそうだ。
「ま、それにしたってオームゾルフに協調した兵士どもについちゃ異例の措置だわな。あれだけの真似をやらかしてお縄にもならんなら、俺の過去なんざ清廉潔白にすら思えるね」
元山賊の経歴を持つラルッツが、タバコの煙をくゆらせて西の空を見やる。
「ですよねぇ! 兄貴の過去がセイレンケッパクなら、世の中から悪人なんていなくなっちまうよ! ぁいでっ! ぶたないでくれよぉ、兄貴ィ」
余計な一言のせいでポカリと拳骨をもらった弟分のガドガドは、涙目となって自分の丸々とした頭頂部をさする。
「無実の罪を着せられた俺たちとしちゃ、快く承服って心境じゃないのは確かだが……バダルノイスの現状を思うとなァ」
複雑そうな顔でボリボリと臙脂の短髪を掻くサベルが、物憂げに晴れた空を仰ぐ。
「そうねー……。例えば今回、サベルがいつまでも目覚めなくて……でも他の誰かを犠牲にしたら助かるかもしれない、なんてことがあったとしたら……あたしだって、きっとよからぬことを考えちゃってたかもしれないもの」
弱く呟いたジュリーが、不安げに彼の腕へ寄り添った。
「ケッ、俺は納得しちゃいねーがな」
苛立たしげに、足下の雪を流雪水路の金網上で踏み砕くのはエドヴィンである。
「俺らヨソ者はともかくよ、てめぇの国の元・宮廷詠術士すらあんな目に遭わせる奴らだぜ。またやらかすに決まってらぁ」
その怒りが自分を慮ってのことだと悟ったレノーレが、わずかにメガネ越しの目を見開いた。
「……エドヴィン」
「あ!? 何だよ、別にお前を庇って言ってるとかじゃねーよ、勘違いすんじゃねーよ」
「……ありがと」
「あ!? だ、だから違うっつってんだろーがよ……!」
自爆の見本市みたいになっているエドヴィンを微笑ましく思いながら、流護は傍らのベルグレッテの様子を窺う。
少女騎士は、浮かない表情で視線を落としていた。
(ベル子……)
――キンゾルとメルコーシアが去ったあの後。
意識を失ってしまった流護やサベルは与り知らないことだったが、満身創痍の一行の前に『雪嵐白騎士隊』の隊員たちがやってきたのだという。
北の地に隔離されたはずの、宮殿にいるはずのない彼らが。
思わず身構えるエドヴィンやジュリーを気にした風もなく、彼らは事務的に告げたのだそうだ。
『我々に貴殿らと争う意思はない。現況に至る事情は聞いている』
そして去り際に、思い出したように。
『念の為に知らせておこう。――オームゾルフ祀神長の死亡を確認した』
かの聖女を『止めたい』と願っていたベルグレッテにとって、無念の結末となってしまったことは間違いない。
「それにしてもよー、あのスヴォールンがオームゾルフ派の連中とナシつけんだろ? 大丈夫なのかよ?」
苦い顔のエドヴィンに答えたのは、
「大丈夫なんじゃね?」
他でもない、流護だった。
スヴォールン・シィア・グロースヴィッツ。
『雪嵐白騎士隊』の長にしてレノーレの異母兄、傲慢で居丈高な典型的貴族騎士。突如ミディール学院へ来訪し、不躾に振る舞った男。今でも、流護の中でその行いに対する反感は変わらない。
しかし、少しだけ変化した印象があった。
今回の一件の後、事後処理に奔走するスヴォールンの姿を幾度か宮殿内で見かける機会があった。傍目に見ても憔悴し切っていながら、抜かりなく対応するその仕事ぶり。
オームゾルフの策略によって国土北側に隔離されるも、違和感を抱いて南下。人工的な雪崩によって塞がれていた『白の大渓谷』を強引に掘削。三日三晩で貫通させ、即席のトンネルを造ってのけた。
そのまま不眠不休で皇都入り、街で発生していたベンディスム将軍の手配騒ぎの鎮圧を配下に任せながら、自らは氷輝宮殿へ。
事情を聞き出し、兵士たちを統率。
……しかしあと一歩及ばず、オームゾルフの死を止められなかった。
とはいえこのスヴォールンの迅速な行動がなければ、流護たちはオームゾルフをみすみす逃してしまっていたかもしれない。
『……あいつ……』
それは先日、ベルグレッテを待ってレノーレと一緒に吹き抜けの二階からロビーを眺めていた時のことだ。
宮殿から出ようとしている貴族の老人に対し、肩を貸すように寄り添って歩くスヴォールンを見かけた。
『……何でその気遣いが、ヨソの人間にできねーんだよ』
何気ないぼやき。隣で同じように一階を眺めていたレノーレが、不思議そうに小首を傾げた。
ここまで黙っていたが、何となくずっとモヤモヤを抱えていた流護は、やや迷ったがその出来事を今さらながら彼女に伝える。
『……いや、あの野郎さ。学院に来た時、ミアを……殺そうとしやがったんだ』
そもそもスヴォールンたちとの戦闘に発展したのは、それが理由だ。その一点に関してだけは、絶対に許すことができない。
流護の苦い独白を聞いたレノーレは、驚きに目を見開く――ようなこともなく。
いつもの表情で、ふるふるとわずかに首を横へ振って。
『……それはないと思う』
『いや……でも実際、野郎はミアに氷の槍を向けたんだ。で、俺が割って入って止めて……』
さすがに異母とはいえ、兄がそんなことをしたとは信じられないのだろうか。そう思った直後、レノーレは流護へと正対し、んんっと喉を湿した。
『? レノーレ?』
何をしようとしているのか。それを問いかけるより早く、
『ゲビっ。後で適当に支払っておけ』
妙なしかめっ面と演技感満載の声でいきなりそんなセリフを発したレノーレは、そのまま素早くピッと右手を突き出してきた。やたら大仰に、流護の顔の前へ。
『……、……レ、レノーレさん?』
目の前で止められた彼女の白く細い指先を見つめながら、流護はおずおずとその名を呼ぶ。
いきなりどうした。あっ。まさかそれ、スヴォールンの真似なのか。
『……こんな感じじゃなかった? ……その時』
またも、ちょこんと小首を傾げて。いつもの無表情に戻ったレノーレが、そんな風に尋ねてくる。
『…………、……いやまあ、確かに』
思い返してみればその通り。ミアに値段をつけたスヴォールンは、短くゲビに命じ、槍を突き出した。それを流護が割って入って止めたのだ。
『……私も、小さい頃にされたことがある』
『え!?』
驚く流護に反し、レノーレはどこか懐かしそうに。
『……子供に愛想よくできる人じゃないから。……叱ったり遠ざけたりしようとする時、そうやって』
槍を用いて、引っかけるように。
叱責される際、そのようにして放り投げられることがあったそうだ。ミアに対しても同じようにしようとしたのだ、とレノーレは確信を持ったように断じる。提示した金額は命の値段ではなく、そのぞんざいな行いの対価として。
『……私は、あの人が苦手。……仲もよくない。……性格も気難しくて、高圧的で。……でも、平民や子供を踏みにじるような人でないことは確か』
『…………、』
スヴォールンに真意を問い質したところで、素直に本当のことなど口にはしないだろう。
ちなみにこの一件についてメルティナにも尋ねてみたところ、彼女も「スヴォールンならそうなるよ。不器用だから」とのことだった。
流護個人の感情として、あの男はいけ好かない。性格的にも絶対にソリが合わないことは間違いない。
しかしともあれ――ミアに害意がなかったなら、それでいい。……などと言うと、ベルグレッテやレノーレにやや平坦な目を向けられてしまったのだが。
少なくとも今回の事件の後処理に奔走していた彼の様子を見る限り、極めて有能な人物であることは疑いようもなかった。
ちなみにほんの昨日、流護は宮殿の廊下でスヴォールンとばったり出くわしている。互い視線を交えつつも、特に会話はなく。そのまま無言ですれ違うかに思われた瞬間、
『……借りを作る趣味はない。いつか返す』
初めて出会った頃と何ら変わらぬ、無愛想な表情で。白騎士の長はただ、そう口にした。
「あちらは問題ないさ。スヴォールンに任せておけば」
西の空へ目をやりながら、メルティナが誰にともなく呟いた。
「バダルノイス兵の今後は知らんが……さて今後、奴らがどう動くかね」
タバコの煙とともにそう吐き出したラルッツの眉間には、深刻な皺が寄っている。
「……オルケスター……」
その名を、流護は噛み締めるように言葉にした。
「あいつら、どうして退いたんだろうな……」
今回の事件が幕引きとなった原因。
交戦中、突如としてキンゾルが応じた携帯電話らしき機械。それによる会話を経て、連中は迷うことなく撤退を選択した。
そして同時刻、メルティナと戦闘中だったミュッティも。
『ペンタ』の臓器を奪取することこそがオルケスターの目的だったはずだというのに、それを前にしておきながらあっさりと諦めた。
その話題を受けて、ようやくベルグレッテが口を開く。
「……『カヒネが消えた』、でしたね」
「ああ。確かにそう言っていたよ」
キンゾルやメルコーシアは手がかりになりそうなものも残さなかったが、ミュッティが漏らしたその一言をメルティナは聞き逃さなかった。
「聞き覚えのねぇ言葉だ」
少なからずかの組織を知るラルッツだが、残念そうに首を振る。
「人の名前か、何らかの物体の名称なのかは知らんが……。とにかく、オルケスターにとって大事な何かなのは間違いなさそうだな」
サベルが言う通り。
それが何なのかは見当もつかないが、オルケスターにとって極めて重要な存在であることは確かだ。当初からの目標であったはずのメルティナを前にしておきながら、それが『消えた』との報が入った途端、返す波のようにあっさりと引いてしまったのだから。
(タイミングからして、キンゾルが受けた連絡も同じ内容なのは間違いない。つかあの携帯みたいなのにしても、やっぱあいつらの技術はこの世界の水準のダントツ先を行ってる……)
あれが通信機械なのだとしたら、まさにこれからレインディールが作ろうとしていた代物なのだ。原初の溟渤から持ち帰った魂心力結晶の力を得て、ようやく。
通信術という連絡手段を持つはずの彼らがわざわざそんな道具を使っていた理由も明らかではないが、単純に神詠術では届かない遠方同士でやり取りをするためなのだろう。加えて、第三者による傍受を避ける意図もあるか。
そして、気になる点は他にもある。
「つーかさ、キンゾルは……どうやってこの国から出たんだろな?」
バダルノイスは出国禁止令が出されている真っ最中だった。
ミュッティに関しては、東の国境門から堂々と出て行ったとの報告が寄せられている。オームゾルフの特命を受けた、だのともっともらしい理由をでっち上げて。この時、図体のでかい大男が護衛で随伴していたという。
『特別相談役』などという地位を授けられていたミュッティはともかく、キンゾルはバダルノイスにおいても賞金首だ。まともに国を出られるはずがなく、にもかかわらず国境で目撃証言も得られていない。
「国内に未だ潜伏している……という可能性も考えられなくはない。が、ミュッティのあの様子からして、同じ内容の連絡を受けたらしいキンゾルが今もバダルノイス内にいるとは思えないかな」
そのメルティナの推測には流護も同意するところだ。わざわざ戦闘を放棄してまで撤退したのだ。どうやって国境の兵を欺いたかは分からないが、もう近くにはいないと考えても決して楽観ではあるまい。
「でも、本当に大丈夫なのかしら? あいつらも一旦は逃げたかもしれないけど……メルティナちゃん、また襲われたりしない?」
年齢が近いこともあって打ち解けたらしいジュリーが、『ちゃん呼ばわり』で北方の英雄を見やる。
「心配無用さ。何事もコソコソとやりたがる彼らが、これほど広く認知された状況で再び仕掛けてくるとは思えない。あのミュッティも『命拾いしたな』とか『用済みだ』だとか、散々捨て台詞を残していったしね。残念ながら、私はフラれてしまったみたいだ。もちろん、だからといって油断するつもりもないよ」
未だ謎こそ多いものの、今回、オルケスターは多くの情報を残した。
少なくとも、流護たちやメルティナを仕留め切れないまま撤収に踏み切ったのは、連中にとって想定外の展開だったはず。
オルケスターの残した手がかりが情報として共有される中、再度同じように仕掛けてくることはないだろう。
(っても、情報らしい情報があった訳でもねぇけど)
本当であればモノトラやアルドミラールを拘束できれば尋問も可能だったはずだが、両者とも死亡してしまっている。
特に前者について、ベルグレッテたちとしては落下させることでセプティウスの機能停止を狙ったうえで後々捕縛するつもりだったようだが、運悪くというべきか、戻ってきたゲビと鉢合わせし斃されてしまった。
ちなみにモノトラは、キンゾルが使っていたものと同じ通信機を所有していた。見れば見るほど携帯電話やトランシーバーにそっくりなそれはしかし、落下の衝撃で割れて破損してしまっていた。
とはいえ、貴重な証拠品には違いない。バダルノイスとしては不要物とのことで、流護たちが譲り受けることができた。これを解析すれば、オルケスターの秘密に近づける可能性もある。通信具の実用化についても一気に現実味を帯びるはずだ。
それに加えて、
「そういや、国境とかハルシュヴァルトに立ってたっていう鉄の柱? とかってのはどうなったん? 封術針、つったっけ?」
流護たちが追われる身に落ちた直後、間を置かず設置されたという謎の物体。
ベンディスム将軍の証言によれば、人為的に通信術を遮断することができる仕掛けなのだという。
これがあったため、バダルノイスから国外、またはその逆への通信が届かない状態となっていたのだ。
「ああ。解析を試みているが、正直ただの鉄の柱としか思えないそうだよ。詳細はベンディスム将軍たちも知らされていないようだし……貴重な手がかりの一つだから、今後も調査は続けていく予定だけど」
「本当に……信じられないような技術を当たり前のように持ってるな。オルケスターは」
メルティナの言を聞いたサベルが、降参といいたげに肩を竦める。
情報といえば、無視できない手がかりがひとつ。
(確か……ガーラルド・ヴァルツマンだっけ)
何のつもりか、メルティナとの交戦中に本名を明かしたというその男。アドレナリンが出て昂ったのだろう、まあ格闘家の端くれたる流護としてもその気持ちは分からなくはない。
ミュッティの出国に際し随伴していた護衛の大男というのは、メルティナの話からもこの人物に間違いないはずだ。
皆で共有した結果、誰も聞き覚えがない名前とのことだったが、唯一グリーフットのみがかすかに眉を寄せた。とはいえ、聞いたことがあるようなないような、といった程度のものらしかったが。
そのグリーフットはといえば――ミガシンティーアと死闘を繰り広げるも、スヴォールンに制止され決着つかず。本人曰く「止められて幸いでした、悲しいことに」とのこと。相当の傷を負い宮殿で療養しているため、今この場にはいない。今後どうするかはまだ決めかねているらしい。そのため、一足先に別れを済ませている。
「おっ、来たな。俺が呼んだ奴だ」
ラルッツが延びる舗道の向こうへ目を細める。視線を追うと、一台の馬車がやってくるところだった。
「さってと。そいじゃ、俺らは行くぜ」
待ちくたびれたよ、と肩を回す彼と視線が合う。ラルッツとガドガドは今後、東部の山間地帯へ向かう予定だという。ここでお別れだ。
「……リューゴ。老婆心ながら、言わせてもらうが……」
一瞬だけ、言い渋るようにして。
「オルケスターは……とんでもなく危険だぞ。身に染みて分かったとは思うが」
「……まーな」
「大したことはしちゃいねぇが、今回の一件で借りは返したつもりだ。正直俺はもう、二度と連中にゃ関わりたくねえ。やべぇ橋を渡るのはゴメンだ」
「おう、それでいいと思う。元気でな」
「……チッ、相変わらず平然としやがって」
流護もこれまでの付き合いで理解している。口は悪くも、ラルッツなりに心配してくれているのだと。そんな彼に、少年は告げる。
「俺もさ、自分がまだまだ力不足なのがよく分かった。もっと強くなる。確実にあいつらをぶっ飛ばせるぐらいにさ」
拳を掲げて誓うと、彼は観念したみたいに首を振った。
「どこまでも闘うのが前提なんだな……。……ま、せいぜい健闘を祈るぜ。くたばんなよ」
「リューゴの兄貴ィ……俺っちは信じてますぜ! あんたより強い奴なんていやしねぇんだ! あんたなら、いつかあいつらをブッ潰してくれるって!」
力むガドガドの言葉には、エドヴィンが頷いた。
「その点はデブデブに同意だな。アリウミが万全の状態で真正面からやりゃ、負けるワケねーんだからよ」
「だから誰がデブデブだ! このトサカ野郎!」
「あ? やんのかよ?」
ちなみにエドヴィンとガドガドは知り合って以降、終始こんな仲である。
「おら、馬鹿やってねぇで行くぞ。じゃあな、お前ら」
それぞれ挨拶を交わし、ラルッツとガドガドが乗り込んだ馬車を皆で見送った。
余韻に浸る間もなくもう一台、大きめの車両がやってくる。
「おっと。今度は俺たちの番だな」
「あー、来たわね」
少しばかり名残惜しそうに言うのはサベルとジュリー。
彼らも今後は、先のラルッツたちと同じく東へ。ただ行き先が違い、ここから片道で一月近くもかかる東国、カダンカティア教主国へ向かうそうだ。
「……お世話になりました。サベルさん、ジュリーさん」
ベルグレッテも、万感の思いを込めたように丁寧に頭を下げる。
思えば――あのレインディール北部にある山間の村で出会って、早一ヶ月半。彼らとも長い付き合いになった。そんなトレジャーハンター両名とも、ついに別れの時が訪れる。
「なァに。俺たちこそ、今までにない経験をさせてもらったさ」
「そうよね~。あの酒場で意気投合して、謎の賞金首になった女の子を追って、気がついたら逆に手配されて、最後にはお国にケンカ売って……。ふふふ、これだけの大立ち回りなんて、さすがに二度とないと思うわ」
メルティナが「面目ない」と苦笑しつつ、隣の青年へ視線をやる。
「サベルくんも、念のため気をつけてくれ。君も、奴らの標的の一人だったわけだからね」
連中の『メインターゲット』だった彼女からの忠言を受けて、希少な紫炎を宿す男は肩を竦めた。
「まァ、それこそ大丈夫さ。当初の目的だったあんたを放棄するほどの何かがあったんだ。連中も、俺みたいな小粒に構ってる暇はないだろう。それに狙われるのは初めてじゃないし、逃げるのも得意なんだ。しばらくは街じゃ変装でもして、大人しくするさ」
昇降段を踏んで馬車へと乗り込みざま、サベルは今一度振り返った。
「じゃあな、お前ら。達者でな!」
そんな彼に続き、長い金髪をなびかせたジュリーも。
「それじゃみんな、元気でね! また会いましょ!」
そして、トレジャーハンター二人の乗り込んだ馬車が出発。
手を振り、遠ざかっていく車両を見送る。一陣の風が、ひゅうと場を吹き払った。
「……なんか一気に静かになったなぁ」
「ん。ちょっと寂しいわね」
出会いあれば別れあり。かつてレフェ巫術神国でも味わったこの思いは、何ともいえないもの悲しさとなって胸に刺さる。
彼らが慌ただしく立て続けに旅立っていき、今この場に残るのは、流護とベルグレッテ、エドヴィン、メルティナ、そしてレノーレ。人数が半減しては、その侘しさもやむなしか。
じき最後に、流護たちが乗る南方行きの馬車がやってくるはずだ。
「さて……では、レンについては近日中にミディール学院へ向かわせるよ」
隣の物静かな従者の肩に手を置きながら、メルティナが改めて告げる。
当初のレノーレを巡る問題は解決し、ひとまず流護たちの目的は達成された。とはいえさすがに今すぐ連れて帰る、という訳にもいかない。ゴタゴタの処理を終え、後日改めてという形で決定している。
「……本当に……お騒がせしました」
小さく丁寧に、ペコリとレノーレがお辞儀。ケッと鼻で笑うのは、やはり彼だ。
「バカ言え。お前は何も悪くねーだろーがよ。一方的に巻き込まれた側じゃねーか。つまらねーこと気にすんじゃねーよ」
「……うん」
「ッ、いつもみてーに憎まれ口の一つでも叩けってんだよ、調子狂うだろーが……!」
先ほどからレノーレに何か言っては勝手に赤くなっているエドヴィンが実に面白い。
「……でも、よかった。本当に」
感極まったように、ベルグレッテが少しだけ言葉を詰まらせる。
何しろここまで、紆余曲折あった。一時は絶望に打ちひしがれ、諦めそうにもなった。
「……ベル……」
「先に帰って待ってるからねっ」
「……うん」
「二ヶ月分も授業遅れちゃったんだから。進級だって近いんだし、つきっきりで一緒に勉強するわよ。あっ、もちろんエドヴィンもね?」
「ゲッ、俺もかよ!?」
「当たり前でしょ、なんで他人事の気でいるの! さっ、これから忙しくなるんだから。覚悟しててよね、レノーレ」
「…………、うん……!」
そんな学院生たちに、白き英雄は目を細めて。
「……ふっ。レンにミディール学院を薦めた私の目に、狂いはなかったようだね」
「そっすね。レノーレ、学院でめちゃくちゃ楽しそうにしてっからな」
流護がわざとらしく同意してやると、レノーレは少し恥ずかしそうに縮こまった。
「では今後も、うちのレンをよろしく頼むよ」
にこやかなメルティナの挨拶だったが、そこで少しだけベルグレッテがピタリと硬直した。少しの間を置いて、
「……は、はい。お任せください。えっと……うちのレノーレは優等生なので、ご心配には及びません」
「……」
「……」
なぜか。
メルティナとベルグレッテの間に、妙な沈黙が舞い降りる。
「うん。そうだね、うちのレンに心配は無用だよね」
「はい。うちのレノーレは、大丈夫です……!」
「……」
「……」
謎の緊張感が張り詰める。
「……うむ。いくらベルグレッテさんが相手でも、ここははっきりさせてもらう。レンは『うちの』だからね。あくまで、一時的に預けてるだけだからね」
「おっ、お言葉ですが! レノーレは『うちの』学級に欠かせない存在ですから……!」
そして謎の所有権主張合戦。
「なんか取り合い始まったぞ、レノーレさん。で、どっちのなんすか?」
「ふっ、二人ともやめて! ……恥ずかしい……!」
当のレノーレが泡を食ったように割って入った。これほど感情を露わにした彼女は初めて見るかもしれない。
そんな微笑ましい光景を楽しんでいると、やがて大きな馬車がやってきた。
「おっと。来てしまったか」
名残惜しそうにしつつ、メルティナの表情に真剣みが戻る。
「では、こちらでも引き続きオルケスターについての調査は進めてみる。何か分かったら文を送ろう」
「はい。ありがとうございます」
真面目なやり取りを交わす白き『ペンタ』と少女騎士だが、それぞれレノーレの腕を引っ張り合っている構図のため、あまり様にはなっていなかった。