502. 乱戦模様
「ク、ハハハハ――!」
哄笑を響かせるアルドミラールが、いとも容易くありえない現象を実現する。
右手から繰り出される横薙ぎの旋風、左手から迸る怒濤の水流。
「おっと!」
「させるもんですか!」
サベルが炎拳で水を蒸発させ、ジュリーが旋風で同属性を相殺する。
漂った水蒸気の靄に紛れて、モノトラがハンドショットを握った右手を前に突き出す。兜で目線や表情は窺えないが、腕はエドヴィンに向かって伸びていた。
即座に察したベルグレッテが身構えると、モノトラは諦めてアルドミラールの後ろへ隠れるように下がった。
「どーしたァ!? 撃たねーのかよナスビ! てめーはそれしかできねーだろーによ!」
エドヴィンが両手を広げて挑発を飛ばすが、モノトラが乗って前に出てくることはなかった。
「――――」
ベルグレッテは冷静に戦況を分析する。
四人と二人が交錯する乱戦模様。
アルドミラールの複数属性が厄介であることは間違いなかったが、やはり最大限に警戒すべきはモノトラの所持するハンドショットだ。瞬く間に人を撃ち殺してしまえる凶器。対応を誤れば、即座に死が待っている。
しかし幸いにして、道具ゆえの弱点も存在する。
例えば、その手から弾き落とす。
さらには、弾数制限。モノトラが何発の弾を携帯しているかは不明だが、ともかくその数には限りがある。無闇に撃って無駄にすることはできないのだ。ゆえにたった今も、防がれることを懸念して攻撃を諦めた。
エドヴィンから聞いた事前情報によれば、モノトラは着込んでいるセプティウスによる作用で、流護に比肩する身体能力を発揮するという。天轟闘宴でバダルエが振るったものと同じレーザーブレードを所持していることも分かっている。
(でも、普通なら……きっとない)
ベルグレッテは、この男が自分から接近戦を仕掛けてくる可能性はほぼないと踏んでいた。
ラルッツも言っていたが、そもそもモノトラは商人。ハンドショットという利便性に長けた武器を握っているのに、危険を冒してまで前に出てくる必要はない。
そもそも戦士には、覚悟が必要なのだ。
いかに強力な武器を持っていようと、それを振るうべく前に出るには勇気がいる。敵の攻撃を受けるかもしれない、という心構えが。
安全な位置から一方的に相手を蹂躙することしか考えていない輩に、そのような気概はない。格下と侮ったエドヴィンに接近され、手痛い目に遭った経験があるなら尚更だ。消極的にアルドミラールの背後へ隠れながら、隙を窺い撃ってくることに終始するはず。
実際、それだけでも十分に脅威なのだ。が――
(けれど、この男は……)
して、この厄介な死の商人をどう撃破するか。
ベルグレッテ自身、セプティウスの防御力はあの武祭で目の当たりにし実感している。ディノの炎すら凌ぎ切ったのだ。厳密には装着者によってその性能を変えるそうだが、モノトラのそれも厄介に違いない。
(となると……破るための候補に挙がるのは、まず私のグラム・リジル……)
しかし、あの切り札を使うことは今回の作戦においては論外だ。破壊できる確証もないうえ、活力を使い果たして身動きすら取れなくなっては、ここへやってきた目的も達成できなくなってしまう。
(なら……)
堅牢極まる奇妙な鎧、その装着者を確実に無力化するには。
天轟闘宴では最終的にディノの炎牙によって高々と打ち上げられ、おそらくは地表に激突した衝撃でようやく決着がついた。
エドヴィンもまたモノトラとの初戦において、丘の高台から突き落とすことでどうにか追い詰めた。
「…………」
壁面上部に設けられた採光用の窓から覗く雲間へ目をやりながら、ベルグレッテは風の麗女に目配せする。
「……ジュリーさん、手はずどおりに」
「はいよん」
彼女が頷くと同時、
「お喋りとは余裕ダな、女!」
アルドミラールが豪快な炎の竜巻を撃ち放つ。右手のそれをサベルに向けて、左手の一撃をベルグレッテたちへ。
「ちっ!」
紫の炎壁で受け流すサベル、
「はっ!」
備えていた防御術を展開するベルグレッテ。轟音とともに着弾、舞い上がる水蒸気。
ここですかさず、モノトラがエドヴィンに向けてハンドショットを発砲。
が、ベルグレッテが間髪入れず再現界した水の壁が、この弾丸を受け止めて明後日の方角へといなす。
「な!? チッ……!」
忌々しげに呻くモノトラ。
これは狙い通り。あえて一度防御術を発現することで、隙を晒したと見せかけた。
単に防御術を複数保持していただけのことだったが、戦闘における駆け引きに通じていないだろうモノトラは簡単に引っかかった。自分の狙撃のために準備していたであろう防御術を使ったから、すぐさま同じものは発動できないはずと踏んだのだ。
(逆にいうと、私は常に防御術を備えておくことしかできないんだけど……)
アルドミラールの強力無比な攻撃術、モノトラの狙撃。
これらを防ぐことに手一杯で、攻撃術を用意できない。
だが、そこは共闘。
「お返しっ!」
ジュリーが右手から竜巻を撃ち放ち、アルドミラールへ直撃させる。
「ク、ハハハ。涼しい程度ダな、女」
吹き上がった自律防御の炎が、ただ佇むだけの黒き術者を守る。
「なら暖めてやるぜ……!」
この刹那の間に踏み込んだサベルが右の炎拳を撃ち放つ。しかしそれも自律防御が弾き飛ばし、
「く!」
衝撃でサベルの態勢が傾ぐ。
「届かんな、サベル・アルハーノ!」
アルドミラールが腰の鉈剣を手に取り一閃。ギザギザの刃が、浅くサベルの髪を散らす。
「おおっと、お前の剣もな。散髪の手間が省けて有り難いぜ」
ここでサベルとの距離が近まったモノトラは、大きく下がりアルドミラールの後方へと陣取った。
(……)
先ほどと同じ、死の商人の行動。無為に前へは出ず。狙撃に関しても、正面からは撃たず不意打ちに徹する。
アルドミラールがそんな後方を意識しつつ、余裕綽々に笑う。
「ク、ハハハ……焦らず狙え、商人。あの藍色の髪の女は攻撃術を使えん。防ぐことダけデ手一杯ダ」
「!」
見透かされているか、とベルグレッテは警戒を深めた。
この黒衣の男はモノトラと違い、油断ならぬ戦術眼を持っているらしい。
「今この場デ、注意すべきはサベル・アルハーノダけダ。奴は大気を焦がすことが出来る。呼吸のタめの空気を焼かれテは、俺の自律防御もその鎧も意味を成さん」
そう語りながらも、その口調には余裕が含まれている。
「が、その手は使えん。味方を巻き込むダろうからな」
肩を竦めたサベルを見やりながら、黒衣の殺人者はさも楽しげに黄ばんだ歯を剥いた。
「一方デ俺は、気兼ねなく力を振るえるがな――!」
炎、氷、水、雷、風。
堰を切ったように、アルドミラールが攻撃術の掃射を振り撒いた。
「っ!」
ベルグレッテはとっさに身構え、展開した防御術の範囲内にエドヴィンを匿う。
それはもはや色とりどりの花火。
炎が絨毯を這って燃やし、氷が周囲のあらゆるを薄膜で固めつつ吹き荒れ、雷が瞬いて大気を灼き、最後に風が全てを薙ぎ払う。
火の粉、氷片、紫電。撒き散らされたそれら全てが、旋風に乗って乱舞する。
「く、う……っ!」
矢継ぎ早に叩きつけられる神詠術の連弾。
防御術を展開維持するベルグレッテは、踏ん張りがきかず押し込まれる形で後退した。
「ベル、大丈夫かよ……!?」
「問題ないわ……!」
背後に守るエドヴィンへ強がりを返しつつ、少女騎士は胸中で歯噛みしていた。
(強い……!)
キンゾルの『融合』によって力を得た、人造の強化詠術士とでも呼ぶべき異端。
人の尊厳や神詠術そのものを限りなく侮辱した存在でありながら、その力は下手をすれば選ばれし者たる『ペンタ』に迫らんばかりか。
間断なき複数属性の連射。その速度もさることながら、一撃一撃が重い。かつて王都テロにて対峙したブランダルも『融合』によって強化された厄介な術士だったが、まるで比較にならないほどだ。
(こ、のままじゃ……!)
防御を食い破られるのは時間の問題。
まるで嵐だ。すぐ間近でこちらと同じように防御に徹するサベルたちの姿すら霞んで見える。
「う、おっ」
アルドミラールの背後に陣取るモノトラまでもが、煽りを受けて倒れそうになっている。もっとも、着込んだセプティウスによってその身が傷を負うことはないのだろう。
「どうしタ、雁首揃えテ縮こまるダけか――!?」
勢いづいたアルドミラールが一際大きく右腕を振りかぶった瞬間、
「ヌ!」
その腕が自律防御の火柱を吹き上げながら大きく弾かれた。
連撃が止んだことで靄や煙が晴れ、彼らの姿が露となる。
「相も変わらず垂れ流すだけで品がないな、お前の攻撃は」
壁状に張った紫炎を維持するサベル。
「調子に乗ってるんじゃないわよ、おハゲさん」
その隣で前方に右手を突き出したジュリー。
間隙を縫って放たれた彼女の精密な一撃が、アルドミラールの連撃を中断させたのだ。
しかし妨害を受けた当事者の死人じみた顔には、未だ余裕の笑みが張りついている。
「針に糸を通すが如き一撃……成程見事ダが、その程度デは――」
「不思議に思わなかったか? アルドミラール」
壁状に寄せ集められていた紫炎を虚空へ散らしながら、サベルが自嘲気味な息をつく。
「俺は一度お前に負けた。悔しいが、ありゃ完敗と言っていい」
一人の男として――詠術士として、その事実に歯がゆさを覚えているのだろう。自嘲気味に首を振る。
「そんな俺が、またこうして性懲りもなくお前と対峙してる訳だ。どうしてだと思う?」
「仲間がいれば勝テる……とデも考えタんダろう?」
喉を鳴らす黒の怪人に対し、
「いいや、少し違う」
紫炎の青年は左手のひらをかざす。すぐ隣に立つ伴侶の女性と鏡写しになるかのように。
「俺は元々、相方と二人で一つの存在でな。『サベルとジュリー』なら、結果もちょいと変わってくるってだけの話さ」
紫色をした火の粉が躍動する。かすかな風に乗り、少しずつ激しさを増して。
「ジュリー、合わせろ!」
「ええ、サベル!」
直後、世界が彩られた。
恋人たちを中心として爆発的に立ち上がる、毒々しいまでの紫色をした巨大な炎の竜巻。
「――炎舞!」
「風雅っ――!」
鎌首をもたげたそれが、一挙アルドミラールへと躍りかかる。
「!」
それはまさしく獲物を捕食せんとする竜の顎。
ばぐん、と耳をつんざく衝撃。
激突し、ひしゃげる紫炎と自律防御の火柱。爆散する赤と紫が、風に飛ばされなから虚空へと消えていく。
一瞬の暴威が通り過ぎたその後に。
「――――――」
思わず身構えたアルドミラールが、慄然とした面持ちで立ち尽くしていた。
痩せこけたその頬に刻まれる、一筋の線。そこから伝っていく、一筋の赤い雫。
「成程、ベルグレッテ嬢が言った通りだ」
確信を得たり、とサベルが口角を上向ける。
「そうね。自律防御といえど、絶対無敵なんかじゃない。単純に、その防御を上回る威力を叩きつければ突破できる――だったわよね」
そんなジュリーの言葉は、事前にベルグレッテが伝えた内容そのものだ。
今しがた二人が放った一撃によって、アルドミラールを守る火柱は消し飛んでいた。正確には相殺。双方が噛み合った結果、どちらともが霧散した。
そして、その術者に――ほんのわずかでこそあるものの、傷を刻んだ。
おそらく、時間にすればほんの一瞬。数秒も経てば、自律防御はその機能を取り戻す。
(でも、それで充分……!)
刹那の攻撃が飛び交う一流の領域において、その数秒は戦局を左右するに充分な要素となる。
ベルグレッテ自身、妹が扱うその技巧の特徴を熟知していた。長所も、そしてもちろん短所も。
「ク、ハハハハ……これはこれは」
そこで笑いを響かせるのは、硬直していたかに思われたアルドミラールだった。
「デ? まさかとは思うが、自律防御を破れるから勝テる――なんテ言い出すつもりじゃないダろうな?」
口元へ伝ってきた自らの血を、紫の舌先で舐め取りつつ。
右手に炎、左手に冷気を喚び出しながら、黒衣の怪人は攻撃態勢に入る。
「まァ、そう結論を急ぎなさんな。嫌ってほど見せつけてやるよ。『サベルとジュリー』を相手にしたら、どうなるかってのをな」
紫炎の青年が不敵に応じた。




