498. 拳剣遊戯
レフェ巫術神国にて開催される伝統的な武祭、天轟闘宴。
その内容は、端的にいえばバトルロイヤルだ。百名を超える参加者たちによる潰し合い。最後の一人となるまで、延々と闘いを続ける。
昨年催された第八十七回となるその舞台にて見事優勝を飾った流護だったが、ひとつ大きな反省点を残したと常々思っていた。
それは――
「よっと!」
流護は食堂の長机に収まっている椅子を引っ張り出して、軽快に足の裏で蹴り飛ばす。
「がはっ!」
一直線に滑ってきたそれの直撃を受けて、兵士の一人がたまらずひっくり返る。
(七十三)
長机を飛び越え、椅子を盾代わりにし、あるいは武器として振るう。
追いすがってきた二人が、打ち据えられてたまらず床を這う。
(七十四、七十五)
「覚悟! ……っわ!?」
正面から突っ込んできた一人の足下へその椅子を放り、出鼻を挫いたところで前蹴り。弧を描いて飛んだ彼は、着地点にあった机を背中で押し割った。
(七十六)
振り向きざま、流護は机上に飾られていた三又の燭台を左手に取る。
「でりゃあぁ!」
横合いから斬りかかってきた一人の剣をそれで受け、手首を返すことで絡め取り、
「ぐ、うっ!?」
そのまま、時代劇さながらの鍔迫り合いへ。膂力で勝る流護があっさりと相手を後退させる。さらに大股で踏み込んで間合いを詰め、相手の体勢をエビ反りに崩した後、腕を振り切って強引に押し倒す。仰向けとなった相手の胸元に間髪入れず足刀を落とし、
(七十七!)
「怯むな! 押し切れ、討ち取れえぇっ!」
足を止めず、絶えず動き回りながら闘う流護だが、バダルノイス兵も必死だ。魚の群れさながらに追従し、息つく暇を与えない。
「っと……!」
白い尾を引く氷弾の掃射が、浅く流護の頬をかすめていった。
(ま、いつまでもそうそう上手くは行かねーよな……)
さすがに流護も今や無傷ではない。そこかしこにかすり傷を負い、息も切れ始めている。
当初は一瞬で間を詰めてからの顎打ちでノックアウトを量産していたが、同じ戦法が延々通じるほどバダルノイス兵も間抜けではない。
回避を試みる者、防ごうと反応する者、果てはカウンターを狙おうとする者まで現れた。
結果、流護も一辺倒な攻め手を繰り返す訳にもいかず、臨機応変な対応を求められることとなって、今や食堂の環境を利用しての大立ち回りを余儀なくされていた。
(っとに、アクション映画の俳優じゃねーんだからさ……)
広大な一階食堂には、未だ二十以上の兵たちがひしめいている。ちらほらと駆けつけてくる増援の姿も見えた。
かつて経験したことがないほどの一対多数。単純な数の暴力。シンプルであるがゆえに厄介。
しかしそんな状況下にありながらも、流護は極めて冷静さを保っていた。
(ここを制圧すれば合計で九十人ぐらい。もうちょいで折り返し、って感じか)
――かつての天轟闘宴における反省点。
それは、倒した人数を把握していなかったこと。
全体の人数があらかじめ分かっているのだから、撃破数を把握していればペース配分も考えられるのだ。先が見えない状況で延々と闘い続けるのは、精神的な負荷も大きい。
そもそもこのグリムクロウズへやってきた当初、学院を襲ったドラウトローの数はきちんと数えていたというのにその不手際である。
(まあ、あん時はミョールのこともあって、絶対に優勝してやるとか意地になってたから――、っ!?)
横から飛んできた剣閃を、間一髪で躱す。
次いで鋭い袈裟懸けの二撃、手首を翻して左切上の三撃。
「っと……!」
流護はそれらを鼻先ぎりぎりのスウェーでいなし切り、大きく後方へ跳んで間合いを取った。
「へえ、今のを避けるかい」
斬り上げた体勢から剣を肩へ担ぐ佇まいへ移行しながら、その兵士が笑う。垂れ下がったまぶたが厚い、疎らな口ひげを蓄えた三十前後の男。
「こいつぁ驚いた。よそ見した状態から、完璧に兄貴の剣を躱すたぁね」
そんな評を添えて、男の横に並ぶ者がいた。背格好も大差ない――どころか、ほとんど同じ顔をした人物。ただ、明らかに若々しい。斬りかかってきた男の十年前の姿といわれれば、何の疑問も抱かず納得してしまいそうな風貌。
「ご兄弟っすか」
「如何にも」
流護の予想に、年上のほうが応じる。
周りの兵士たちがざわめいた。
「おお、ヴィニトフ兄弟だ……!」
「来てくれたか、奴らならやってくれるぞ……!」
沸き起こる期待。流護自身、この両者を前に感じ取る。
(……違うな、この二人)
今までの相手とは別格だ。迫力。空気。凄みがある。
となれば――
「あ、もしかしてあれか。白士隊の人?」
「如何にも」
若いほう、弟がニヤリと笑った。
「誰の不手際であれ……宮殿に攻め入られた、となってはねぇ。無視する訳にもいかないのが、一兵卒の辛いところよ」
「お、おい貴様、何が言いたい……!」
遠巻きに構えていた兵の一人が食ってかかる。
ヴィニトフ弟は、堪えるように喉を鳴らした。
「おいおい、俺は誰のせいとも言っちゃいないぜ? オームゾルフ派の僧兵さんよ。勝手に自滅するなよな、ぶはははは」
「貴様……!」
「よせ、揉めてる場合じゃない。ここは奴らの力が必要だ……」
隣の兵士が、やむなくといった表情で同僚を押し止めた。
(白士隊、か)
いわゆる『雪嵐白騎士隊』派。内戦の折の共闘を縁に集まった実力派と聞いている。
先日には流護も隊員の一人と一悶着あり、その腕っ節のほどを体験することになったが、なるほど決して侮れない相手だと感じた。
人数は少ないと聞くが、まさにこのような事態において頼りとなる存在だろう。
「さぁて……そいじゃあ、いざ」
弟が両腕を振ると、その手の甲に湾曲した氷の刃が出現した。白靄放つ、三日月めいたそれの長さはおよそ四十センチ程度。白く薄い曲刀。
「参る」
宣言した兄が駆けた。
瞬く間、数歩で流護の目前へと到達する。身体強化による体捌きに違いない。
(――速いな)
こちらの拳が届かないぎりぎりの距離から、両手持ちの長剣を右薙ぎへ。流護がこれをスウェーで後方へ回避すると、
「!」
その身体が移動する先に、弟の氷の刃が待ち構えていた。
「と、っ!」
上から下、左腕による逆風の太刀筋。直前まで流護の顎があった空間に煌めく、白い剣閃。その流れで素早く反時計回りに動いた弟の右の唐竹を、流護はかざした左の小手で受ける。現物の長剣を扱う兄とは違い、氷の曲刀を生やした弟の間合いは短い。即ち、流護の拳が届く範囲。
右のショートストレートで迎撃すべく拳を握った刹那、兄の返す刀が突き込まれた。
「うおっと!」
半身で避けると、またもその移動先に弟の氷刃が滑り込んでくる。小手で捌けば、入れ替わりに兄が斬撃を見舞ってくる。
兄弟それぞれの攻撃の振り終わり――即ち、生まれる隙を埋める形で、どちらか一方がフォローするように次撃を差し込んでくる。
(さっすが兄弟、息合ってんな……!)
間断なく、交互に襲い来る剣閃の嵐。
防御に徹しながらも、流護はニヤリと笑ってみせた。
「あんたらいいね~。普段の練習相手に欲しいぐらいだわ」
兄が同じくニヤリと応じる。
「やめときな。ケガじゃ済まんから」
機を見計らって流護に術を放とうと身構える兵もいたが、三者が激しく入り乱れるためだろう。ヴィニトフ兄弟への誤射を懸念してか、結局のところ手出しする者はいなかった。
「お、おお……! 一方的だ」
いつしか観衆と化した兵士らが、にわかに沸き立つ。
「流石は白士隊の最上位、ヴィニトフ兄弟だ。あの罪人めが、手も足も出んようだぞ」
兄弟による絶え間ない、怒涛の攻め。防御に徹する流護。
そんな状況がどれほど続いただろうか。
「……見ろ……」
誰かが、信じられないように呟いた。
「奴ら、更に速さを増してるぞ……!」
その通り。
一見して膠着したかのような攻防だったが、そうではなかった。
より深く踏み込む兄、より速く振り下ろされる長剣。流護が後方へ紙一重で回避することを見越し、より的確な位置取りにて氷刃を横薙ぐ弟。
躱されるたび、防がれるたび、しかし次なる一手はより洗練されたものへと進化していく。
(っと! 補正が上手ぇんだ――)
流護はそう分析した。
同じ攻撃は飛んでこない。凌がれた結果を踏まえたように、次なる一撃は確実に精度を増す。
(…………)
足を引けば、その動く先へ刃が回り込む。小手で弾けば、次は腕の制空権外から剣を突き入れる。防御や回避を予期したうえで、その先に次の攻撃を『置く』。流護はさらにそれを予測し、『置かれた』攻撃に触れぬよう動く。
そんな繰り返しによって、兄弟の連係は少しずつ、されど確実に、完璧へと近づきつつあった。
それはもはや職人芸だ。輝く石を巧みに削り、宝石へと昇華させるかのような。
一撃一撃は、一歩一歩、確殺という終着点へと迫っていく。
「――戴く」
そうして、確信したか。
到達する。
一層深く床を踏んだ兄の長剣が銀光を伴って閃き、流護の首筋へ向かって弧を描く。
「終わりだ――」
弟の両腕から伸びる氷刃が、流護の側面から胴へと迸る。
完成。
ヴィニトフ兄弟による――これまでにない、これ以上ない至高の一手。
かん、こん。
応ずるは、外回りに円の軌道を描く空手家の両腕。
勝利を確信したであろう珠玉の一撃たちは、流護の廻し受けによって――邪竜の手甲によって、あえなく弾き落とされていた。
「な……」
「ばっ……」
同期する兄弟の驚愕。
そして。
リーチの短い弟は元より、勝ちを期し深く踏み込んだがゆえ、兄もいつしか空手家の間合いに立ち入っていた。
満を持して発射された流護の右正拳が、瞬きの間もなく兄の頬を打ち抜いていく。
「ッ」
辛くも反応した弟が、咄嗟に己の顎先を守ろうと腕を掲げ――
それよりわずか上。返す刀で放たれた流護の左の一本拳が、弟の鼻下へと突き込まれた。突出した人差し指の第二関節が、人体急所のひとつである人中を強かに押し抉る。
一拍の間。
(七十八、七十九人目――)
ヴィニトフ兄弟は、全くの同時にガクンと崩れ落ちた。それすらも、息を合わせた連係の一端であるかのように。
そんな彼らへ向かって、流護は拳を伸ばし残心の構えを取った。
「そーだな。やっぱあんたら、俺の練習相手はやめといた方がいい。ケガじゃ済まんだろうしな」
周囲の兵士たちがたじろいだ。
「ばっ、馬鹿な……! あのヴィニトフ兄弟が……!?」
「嘘だろう……。決まった、と思ったのに……」
傍から見てもこの上なかったろうヴィニトフ兄弟の連係。
そこへ至る中でも際立った、躱された結果を反映しての『補正』の巧さ。
流護は、逆にこれを利用した。
防御と回避に徹しながら、あえて自分が意図した位置への『補正』を繰り返させた。つまり、誘導した。
そして、兄弟が勝ちを確信した珠玉の一撃となる到達点。完璧、完全、完成。
しかし裏を返せば、『それ以上はない』、『そこで終わり』ということ。
さらに言うなれば、それは流護が狙って引き出したもの。
『最後は確実にこう来る』、と。
結果、思考に未来が追従したような。思い描いた通りに飛んできた最後の一手を、思い描いた通りにねじ伏せた。それだけの話だった。
「く、そ……奴らですら敵わんとなれば、もう我々では……」
「馬鹿を言うな、ここは王宮だ! 相手もたった一人だぞ! 勝てないから諦める、なんて訳にいかんだろうが……! 行け! 行けええぇぇ!」
兵としての意地だろう。
やけくそ気味の剣幕で、幾人かの兵士たちが流護目がけて突貫してきた。
……自棄の精神は、彼らが信奉するキュアレネーの教義に反するであろうに。