494. 鉄拳乱舞
「おのれえぇっ!」
横薙ぎに振るわれた長剣を、流護は縦に掲げた薪の腹で受け止めた。
「よっと」
かっ、と乾いた快音。銀の刃が浅く食い込んだそれからパッと手を離し、相手の顎先をかすめるように左拳一閃。
薪がめり込んだままの剣を取り落とした兵士は、その場で正座するようにくずおれた。
「怯むな、利はこちらにある! 掛かれぇ!」
状況は狭い廊下での挟み撃ち。前後からそれぞれ十名ほどの兵士たちが殺到する。
「よっ……と!」
流護はすぐ脇の壁に足をかけて、
「なぁっ!?」
「こ、こいつ!? かか、壁を走ったぁ……!?」
慣性に任せるまま、ほぼ横向きになりながら大股で一歩、二歩と壁面を蹴りつけ飛ぶように移動。放物線状の軌道で兵士らの頭上を通過し、挟撃にやってきた一団の背後へと回り込み着地。相手方の挟み撃ちは呆気なく瓦解した。
「嘘だろ!? なんて奴だ!?」
「こ、この――」
振り向こうとした兵の顎へ左ジャブがカウンター気味に入り、一人。それを皮切りに、流護は零距離の間合い内にいる者たちを速やかに沈黙させていく。大仰に剣を振りかぶる兵たちの動作より、異質な身体機能を得た空手家が放つジャブや刻み突きのほうが何倍も速かった。
攻撃が間に合わなければスウェーや足捌き、両腕の小手で相手の一撃をいなす。
多勢に無勢でこそあるものの、閉所ということもあり、同士討ちを恐れた兵らの動きはやや消極的だ。
(……それもあるっちゃあるんだけど)
大人数のバダルノイス兵と交戦を始めて十数分、すぐに気付いたことがあった。
一部兵士たちの連携が、異常に鈍いのだ。全員ではない。あくまで一部。まるで素人のように統制が取れていないと感じる場面が幾度もあった。
その理由は、流護にもすぐに察しがついた。
「うぬうっ……行け! 数で潰せ! お前もだ、何をボサっとしてる!」
流護の位置から最も遠くに陣取った大柄の兵が、すぐ傍らにいる細身の仲間に喝を飛ばす。
「……偉そうに。あんたが行けよ」
その仲間は、ポツリと……しかしはっきり口にした。
「何だと……?」
「大体、あいつを最初に呼び込んだのはオームゾルフ祀神長だろ。それで何があったか知らんが、一転して罪人認定だ。あの方の不手際じゃないのか。オームゾルフ派のあんたこそ、率先して突っ込むべきだろうが……!」
「何ぃ……? 貴様、こんな時に――」
「そっすね。こんな時に仲間割れはいくない」
ものの十数秒で大半の敵を眠らせた流護は、睨み合う二人の間にヌッと割って入った。
「なっ!?」
「う、うおぁ!」
驚く二人の頭をそれぞれ片手で掴み、そのまま引き寄せゴツンと激突させる。まるで悪さをした子供に対する罰のように。
直前の反発が嘘みたいに、彼らは息ぴったりに崩れ落ちる。
――これなのだ。
同じ一派ならばまだしも、別の派閥の者との連携がまるで成立していない。もっともこれまで互いに我関せずを通してきたのだから、有事の際に上手く動けるはずもない。
「同じバダルノイス兵なんだから、仲良くやろうよってか仲良くやられよーってか」
苦鳴とともに転がる両者を尻目に、流護は辺りを確認する。
残りは五名ほど。もはや腰を抜かした者や、呆然と立ち竦む者ばかり。完全に戦意を喪失している。
王宮襲撃という捕まれば打ち首間違いなしの大罪に手を染めている最中の流護だが、無論、建物内の人間を鏖殺しに来た訳ではない。
極論を言えば――誰も襲いかかってこないのなら、拳を振るう必要すらないのだ。
宮殿を制圧する、などと宣言して堂々仕掛けた流護ではあるものの、最終目標はオームゾルフの捕縛、ただそれだけ。もしその彼女までもが抵抗しないのなら、この件は極めて平和的に終わる。
(ま、実際にはそんな訳ねーけどさ……)
二階の階段へ向かうべく、流護は踵を返した。
「ひっ」
すぐ近くの壁際に、長剣を構えた兵士が一人。視線が交錯し、相手はビクンとその細身を震わせる。皆が同じ兵装姿のため区別がつきづらいが、よくよく見れば流護とそう年齢の変わらない少女だった。
十代の少女兵。何となく、レインディールで見習い騎士を務めるプリシラのことが少年の脳裏に浮かぶ。そうした郷愁もあって、
「あー、階段ってあっちだったよな?」
なるべく優しい声で尋ねたつもりだったが、
「ひっ……ひ、ひぃっ」
彼女は引きつった顔で何度も首を横へ振った。前に突き出された剣は武器というよりも、どうにか兵としての自己を保つための『よすが』に見えた。
「え? 違ったっけ? いや違くないでしょ。騙そうとか策士じゃな、お主」
「いや……いやぁっ!」
彼女は耐えかねたように絶叫しつつ、流護の脳天目がけて剣を振り下ろした。
「おっと」
空手家がそれを軽く右腕の小手で受け止めると、
「いぎっ……」
硬い手応えによる反動か、彼女は剣を取り落としてしまう。
流護は空いている左手で素早くその得物を空中キャッチし、
「ほい」
クルリと回転させ、少女兵の腰元へ突き刺した。その細い腰から下がっている、鞘の中へと。
かちん、と収まる心地いい金属音と手応え。
「……、……あ…………え? …………」
「そんじゃ失礼」
期せず武装解除、納刀までさせられた彼女は、信じられないように自らの身体を見下ろし、脱力してへたり込んだ。
あとはただ、去り行く流護の後ろ姿を放心して眺めるのみだった。
氷輝宮殿、一階は食堂。場には三十名ほどが集っているだろうか。慌ただしい喧噪の中、兵らのやり取りが響く。
「や、やはり襲撃者は一人ではなかった模様! 廊下で昏倒していたラーゼ部隊長の証言により、あと四名と判明しました! やはり例の奴らが……!」
「四名……!?」
「はい! ベルグレッテ・フィズ・ガーティルード、サベル・アルハーノ、ジュリー・ミケウス、エドヴィン・ガウルの四名です……!」
「……、本当なのか?」
「本当です! 何か気になることが?」
「……いや……」
「あの方に……ミガシンティーア卿に、助力を願いましょう」
「……それならもう頼んだ」
「で、では!?」
この非常事態。いかに変わり者の『喜』の白騎士といえど動くはずだ。
そんな兵士の予想は、思ってもみない形で崩される。
「四人じゃない……、他にもいるはずだ」
「は?」
「ミガシンティーア卿は、別の侵入者の対処に当たると言っておられたのだ……」
「別!? まだ増援が……!?」
「私にも訳が分からんよ……。……もはやどうにもならん。外部に救援を要請しろ。街の各兵舎に連絡するんだ」
「…………、了解しました」
苦く頷いた部下は、やむなく通信術の行使を試みる。
まるで悪い夢を見ているようだ。こんな馬鹿な話があるだろうか。
兵舎が宮殿に助けを請うならばまだしも、その逆。それも、たった数名の賊を相手に。
恥、の一言に尽きる。
今まさに、一人の当事者として、バダルノイス史最大の汚点となるだろう未曾有の事態を経験している。何もかも放り出し忘れ去って田舎に帰りたくなってきた心境の中、年若い兵はその違和感に気付く。
「………………通信が……繋がらない」
「何だと?」
「だ、誰も応答しません」
「馬鹿な……誰もいないことはないだろう」
「で、ですが」
中断し、他の詰め所にも通信を飛ばす。
しかし、結果は同様。どの兵舎に連絡しても、誰かが反応することはなかった。
「どうなって……どうなっているんだ!」
まさにこうした非常時に連絡を取り合えるようにするため、詰め所には最低でも数名が滞在する決まりとなっているはず。
「落ち着け、諦めるな! とにかく片っ端からやれ!」
どうにか平静を保ち、震える指先で手当たり次第に連絡を取る。
「くっそお! どうして誰も出ない!? 出ろよ! おかしいだろう……!」
その叫びが神に通じたか。
『リーヴァー、こちら九番街東区担当兵のシロンだ!』
ようやくの、くぐもった応答。
「でっ、でで出た! こちら宮殿の警備隊だ! き、救援を――」
『宮殿の!? よかった、もうやむを得ん! 誰か、救援を頼む!』
かち合う要求。
こちら側の兵と上官は顔を見合わせた。
『街でとんでもないことが起きているんだ! 至急、応援を求む!』
「……は……?」
とんでもないこと? 街で? 何だ? だから誰も出なかったのか。いや、こっちもそれどころじゃ――
瞬間、食堂内に悲鳴や怒号の渦が巻き起こった。
釣られてその出所に顔を向けた兵士は、ただ驚愕に目を剥く。その拍子に、ぶつりと通信術が途切れた。動揺から、術の制御を失敗したのだ。
「こんにちは。有海、流護です……」
そんなふざけた名乗りとともに食堂へ堂々と侵入してきたのは、騒乱の元凶たる異国の少年にして罪人だった。
多勢の兵と転戦を重ねてきたとはとても思えぬ、ほとんど無傷に近い姿で――。