493. バレることなく
氷輝宮殿 一階、東棟。
「ぐっ……」
年若い兵士の一人が、壁を背にして崩れ落ちた。
攻撃術の残滓たる、舞い散る火の粉――紫色に輝くそれを携えたサベル・アルハーノが、意識をなくした相手に向けて呟く。
「スマンが、しばらく眠っててくれ」
宮殿正面から堂々と単騎駆けを敢行した流護に注目が集まる現状ではあるが、同じ建物内を行く以上、現場へ急行しようとする兵士との偶発的な鉢合わせは避けて通れないところでもあった。
侵入してから、これで二人目。不意にばったりと遭遇したバダルノイス兵の迅速な無力化、その所要時間は五秒前後だった。
「ナルホドな、それがアンタの力かよ。流石じゃねーか」
その手際を近くで目の当たりにしたエドヴィン・ガウルが、『狂犬』の異名に違わず歯を剥いて笑う。
当のサベルは肩をヒョイと竦めた。
「今のはキレイに不意を打てたが……派手に窓をぶち破って侵入してるからな、じき兵団も俺たちの存在に気付くだろうよ。事前に身構えられたら、こう上手くは行かねぇさ」
冷静な見解を口にする彼に寄り添うのは、伴侶ジュリー・ミケウス。
「それにしても、まさかバダルノイスの王宮に吹っ掛けることになるなんてね~。人生、何が起こるか分からないわぁ」
そんな言葉に反して、彼女に悲嘆した雰囲気は見られない。むしろ、楽しんでいるようですらある。
「ハハ、全くだ。これまで色んな経験をしてきたもんだが、賞金首にまでなっちまったのは初めてだなァ」
サベルも同様だった。
軽口を叩きながらも、二人は素早く曲がり角から顔を出して、丁字となっている廊下の先を窺う。
「敵影な~し」
「こっちは……っと、兵士が何人か走ってくが……出入り口方面だ。問題ないな」
そうして、トレジャーハンターの男女は全く同時に振り返る。
彼らの頷きを受けて、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードも同じ仕草を返した。
「ええ。進みましょう」
中心部へ続く廊下に飛び出した四人は、長々と延びる青絨毯の上を駆ける。まず目指すは、二階への階段だ。
「突撃開始から十数分……。未だにああして兵士が走ってくってことは、リューゴ一人を押さえ切れてないってことか。今更ながら凄まじいもんだな、あいつの実力は。流石に、オームゾルフ祀神長にも報告が行ってる頃だろう」
辺りに油断なく視線を飛ばしながらサベルが呟く。
「ほんとにね~、天轟闘宴を制したっていうのは伊達じゃないわね……。でも、そうなると大丈夫かしら。オームゾルフ祀神長、状況を知って逃げちゃったりしないかしら?」
一方で、ジュリーは苦笑交じりにそんな懸念を口にする。
「その点については、原則として大丈夫かと思います」
ベルグレッテが自信をもって首肯を返す。
「攻め入ってきた賊に対し一国の主が居城を捨てて逃げたとなれば、その権威は失墜します。殊更に今のバダルノイスにおいて、そのような行いは禁忌のはず……。前王と同じ過ちを繰り返すことになりますから」
かつて『氷精狩り』が始まるや否や、真っ先に逃げ出したという前代の王。
いかにオームゾルフが悪に徹するつもりとはいえ、国民という国民を落胆させたその愚行をなぞりはすまい。
「ただ、それも状況によりけり……でしょうか。あまりに旗色が悪くなるようであれば、臣下が強引にでも撤退を促すことも考えられるでしょうし」
「なら、急がねーとだな」
いかにも悪童然と笑うのはエドヴィンだ。
「今、ここにいる兵士の数は二百かそこらなんだろ? その程度じゃ、アリウミの奴は止められやしねぇ。連中がアイツの力にビビって逃げちまう前に、さっさとカタさねーとな」
嘯く彼に、風の麗女が生暖かい視線を送る。
「あぁ? 何だよ、ジュリーの姉御よ」
「くふふ。エドヴィンくんってば、何だかんだリューゴくんのことを信頼してるのね~」
「はァ? べ、別にそんなんじゃねーよ。単純に、バダルノイスの連中程度じゃアイツを止めんのは無理だと思っただけでよ……」
「……バダルノイスの連中、か」
その部分を拾ったサベルの口調が、若干の固さを帯びる。
「果たしてその範疇に含めていいかは怪しいとこだが、例の『特別相談役』も出張ってくるだろうな。奴らは一筋縄じゃいかん相手だ、気合入れて行くとしようぜ」
オルケスターの三名――ミュッティ、モノトラ、アルドミラール。
その役職はただの飾り。オームゾルフが表立って協力を取りつけるために宛てがった方便であることは明らか。
「ミュッティとかってのはメルティナ嬢を追ってるはず……だが、他の二人はここにいる可能性が高い」
駆ける男二人の表情が引き締まった。
それもそのはず。
サベルはアルドミラールに、エドヴィンはモノトラに。それぞれ、聖礼式があったあの日に事実上の敗北を喫している。
「大丈夫よ、サベル。今度はあたしがいる。あたしたちは二人でひとつなんだから。見せてやりましょ、『紫燐』と『蒼躍蝶』の本当の実力を」
「……ああ、スマンな。男としてみっともない話だが、俺一人じゃ奴には勝てん。頼りにしてる」
トレジャーハンターの二人が戦意を高める傍ら、
「……エドヴィン」
少女騎士が学院の級友に呼びかける。
「……っだよ、ベル。ここまで来てお小言は勘弁してくれよ」
「…………ううん。今さら細かいことを言うつもりはないわ。勝って、みんなで一緒にレインディールへ……学院へ帰りましょう」
「! オウ……!」
もちろん学級長ベルグレッテとしては、この『狂犬』ことミディール学院一の問題児に言い含めたいことは山ほどある。
無茶して突っ込まないようにだとか、派手な真似をしないようにだとか……やはりそもそも、彼がこの極めて危険な強襲に参加すること自体気が進まない。
が、メルティナや流護に諭され、やむなく了承する形となってしまった。
押し切られるに至った理由はいくつかある。
エドヴィンが実質モノトラを撃破寸前まで追い詰めており、この相手の情報を保有していること。
当然ながら、一人でも多く戦力が欲しい状況にあること。
そして敵勢力のほとんどが氷属性を扱うバダルノイス兵であるため、炎使いのエドヴィンがいれば優位に立てる局面がありうるかもしれないこと。
加えて、今はエドヴィンも手配書に顔を描かれた賞金首。置いてくるにしても、それはそれで不安が尽きないところだった。
そうして今も、つい心配から口を開いたベルグレッテだったが、彼の苦い顔を見てとやかく言うのを思い直したのだった。
「うおっと……!」
そんな折、先頭のサベルが石壁の角を曲がろうとしてピタリと足を止める。
「ちょいと待った。あそこに兵士がいるぞ」
そっと様子を窺えば、距離にして十数マイレほど先――回廊の十字路、その中央付近に佇む一人の銀鎧。いずこかへ向かう途中といった風情でもなく、槍を手にその場で首を巡らせている。
「一人だけ、か。どうやら見張りみたいだな。この宮殿もバカでかいし、前線や他の部隊との通信を取り持つ連絡役を兼ねてるのかもしれん」
ここから相手の居場所までに遮蔽物は存在しない。接近すれば確実に気付かれる。
「たった一人だろ? やっちまおーぜ」
相も変わらず血気盛んなエドヴィンを、「だめよ」とベルグレッテが押し止めた。
「あぁ? 何でだよ」
「サベルさんの推測通りあの人物が通信係を担っているとすれば、倒してしまうことで交信途絶となるわ。他の兵士が異常に気付くのも早まってしまう……」
つまるところ――倒さずに、かつ気付かれずにここを通り抜けたい。サベルが頷いた。
「壁でも撃って、反応を見たいとこだな。自然を装いつつ気を引くには……そうだな、奥の壁に掛かってる燭台を撃ち落としてみるなんてのはどうだ?」
偶然落ちたかのように見せて注意を引く。こちらに背を向けさせることができれば。その隙に通り抜けられるはずだ。
「ええ、良案かと。是非に試しましょう」
ベルグレッテとしても異論なく、即断で肯じる。
が、
「……なんて言い出しといてスマンが、俺じゃダメなんだ。炎の色で気付かれちまうし、狙い撃ちは苦手なんだよなァ」
と、提案者サベルはかぶりを振る。
なるほど確かに、彼の炎は他に類を見ない紫色。近くの壁にそのような珍しい色合いの火の粉が弾けようものなら、「サベル・アルハーノが今ここにいてやりました」と自白するに等しい。その特異性から、仮に遠距離攻撃を得意としていたとしても任せる訳にはいかないだろう。
次いで、ジュリーが長い金髪を揺らして首を振った。ただし、伴侶と同じく横に。
「あ~、あたしもダメね。サベルとは逆で、遠くに撃つのはわりかし得意なんだけど……ほら、属性がね~……」
視認が困難で長射程に向き、なおかつ広範囲の薙ぎ払いに適する風属性だが、反面、的を絞って一点集中することが難しい。
大気を掻き乱すその属性は、否が応にも周りに余波を振り撒く。
兵士が目を離した隙に上手く燭台を撃ち落とせても、室内では起き得ない不自然な風が彼の頬を撫でるだろう。
「……分かりました。では私が」
頷いてベルグレッテが歩み出た。
主より授かりしは水属性。派手な発光や音は伴わず、暗所ならば風に次いで視認も難しい。こういった手段には比較的向いている。そして少女騎士自身、射撃も苦手ではない。
「――いきます」
一同を見渡し、壁の角から顔を覗かせる。
槍を手に佇む兵士。廊下が全体的に薄暗いこともあり、こちらに気付く雰囲気はない。彼を跨いだ向こう側、目標の壁かけ燭台までの距離は、ざっと二十マイレ弱か。
様子を窺い始めてすぐさま、相手の顔が完全に横を向いた。
「――――」
その隙を逃さず、ベルグレッテは水弾を撃ち放つ。
薄闇に紛れて飛んだそれは、兵士の後頭部付近を一直線に飛び抜け、壁にかかった燭台へ命中。灯っていた火を消失させ、留め具を撃ち抜いた。
(よしっ)
敷き詰められた絨毯の上に落下したそれが、ガン、ゴロンと思いのほか大きな音を響かせる。
当然のごとく、兵士が身構えつつ振り返った。
青い絨毯上に散らばる蝋燭や台座に気付いた彼は、こちらに背を向けてその落下物の確認へ向かう――
ことはなかった。
転がる燭台を凝視していた風だった兵士は、すぐに興味をなくしたように元の体勢へ戻ってしまった。その場から一歩も動くことなく。
「なっ……」
当てが外れ、唖然となるのは狙撃を成功させたはずのベルグレッテである。
「あら~……。あの兵士、随分とモノグサなのかしら……」
「いや、逆に職務に忠実なのかもしれんぞ。燭台が落ちたぐらいじゃ、持ち場は離れんってな」
トレジャーハンターの二人が囁き合う傍ら、少女騎士は自らの過ちに気付く。
こちらの存在を悟られぬよう、不自然に思われぬよう。
これを徹底した結果、まるで警戒されずに終わってしまった。偶然、燭台が外れて落ちただけ。気にかけるほどのことでもない。そう思われてしまった。
さらにいうと、自分ならあんな風に燭台が落ちれば放置はしない。片付けようとする。が、この見張りはそうでなかった。
……そんな、ちょっとした個々の意識や性格の違い……。
(……、)
さて、どうする。
もうひとつ燭台を落としてみるか。
そうなれば、さすがにおかしいと気付くはず。しかしすぐに同じことが起きたなら、それこそ不自然と思われるに違いない……。
「なぁ、ベル。ようは、奴の気を逸らしゃいーんだろ?」
ここまで成り行きを傍観していたエドヴィンが、つまらなげに尋ねてくる。彼のことだ。まどろっこしい真似などせず、さっさと見張りを倒して進みたいところだろう。
「……ただ気を逸らすだけじゃだめよ。できるだけ自然に、気付かれないようにしないと……」
「自然に……か」
珍しく思案するように唸った彼は、
「っしゃ、俺に任せろよ」
「えっ――」
止める暇もなかった。
兵士が少し横を向いた瞬間に、エドヴィンが小石ほどの大きさの火弾を放る。ヒュンと低く飛んだそれは、落ちて転がる燭台の少し手前に着弾した。『解放』系統を得意とする彼ならば、造作もない芸当。
「!」
サベル、ジュリー、ベルグレッテが目を見張る横で、ミディール学院の問題児はいかにも愉快げに歯を剥いて笑う。
「火のついたローソクが絨毯の上に落ちたんだ。『こーなる』のは『自然』だろ?」
その異変に気付いた兵士が、先ほどとは打って変わって反応した。
「……? なっ!?」
転がった燭台の手前から立ち上る、赤い火の揺らめき。青い絨毯の上で躍り始めたそれは、灰色の煙と火の粉を振り撒いて、瞬く間に肥大化していく。
「だあぁっ、何てこった!」
見張りは慌てて槍を放り出し、出火元へ駆け寄った。氷の術を浴びせかけ、懸命の消火活動を試みる。
「く、くそ! 消えろ! 消えろっての馬鹿!」
もちろん、燭台の火が燃え移ったにしては不自然なほど回りが早く威力も強いのだが、冷静に判じる余裕はないだろう。
落ちた蝋燭の火が実は消えておらず、放置した隙に広がってしまった。その推測に至ってしまうのは必然。
「エ、エドヴィン……! なっ、なんてことを」
「キレイゴトは言いっこナシだぜ。第一、こんな程度じゃ小火にもなりゃしねーよ。それよりバレずに行けんぜ、今ならな」
「……!」
見張りが持ち場を離れた。こちらに背を向けて火と格闘中。周囲に気を払う余裕もなし。確かに、これ以上の機はない。
「ああ、行くぞベルグレッテ嬢。俺たちに手段を選んでる余裕はねぇからな……!」
「まっ、しょうがないわよね。行きましょ行きましょ。エドヴィンくん、お見事よー。お姉さん、褒めてつかわしちゃうわ」
「へっ、そらどーも」
三人が迷わず飛び出していく。一拍遅れる形で、ベルグレッテも慌てて皆の後を追った。
結果、どうにかバレずに通り抜けることに成功する。
(そう。私たちは……私は)
平和的な対話のためにやってきたのではない。
そんな段階はとうに過ぎ去った。
それが成立しないからこそ、流護は正面から堂々突入を敢行し、自分たちは窓を割って侵入している。
頭のどこかで、まだ甘い考えが燻っているのだ。
城に殴り込みをかけて一国の王を捕らえようなど、あまりにも大それたこと。あのオームゾルフが相手なら、互いに腹を割って話せば分かり合えるのではないか。どこかに、双方の納得できる落としどころがあるのではないか。
心の片隅に、そうした思いが残っている――。
本っ当に甘いんだから。オルケスターが絡んでるのに、そんな丸く収まるわけないでしょ。
……そうね。
向こうの目的の一つがあんたの臓器なんだし、和解も何もないじゃん。
……ええ。
てかさ、ここに来てどれくらい経つんだっけ? いい加減、早く片付けて帰ろ。同期も終わったから、もう大丈夫。ボロも出ないでしょ。バレることもないって。
分かったわ。
「オイ、どーしたベル。まだ俺のやり方を気にしてんのかよ?」
「……、?」
ハッとした。
気付けば、少し前を走るエドヴィンがこちらを振り返って眉を寄せている。先を行く三人からやや遅れていたようで、不審に思った彼が速度を落としたらしかった。
「あ、いえ。そういうわけじゃないわ。ごめんなさい」
「そーかよ。……ベル、調子は大丈夫か?」
日本から戻って以降、ベルグレッテは何度か倒れてしまっている。ここしばらくはそんな気配もなかったが、その兆候なのではないか、と心配してくれているらしい。
「あ、うん。大丈夫よ。同期も終わったみたいだから」
「? あ? ドウキ?」
「――、え?」
「ドウキ? とかって言わなかったか、今」
「……、……? いえ、なんでもないわ」
一瞬、思考が途切れている。ドウキ? 何か妙なことを口走っただろうか。
「……本当に大丈夫なんだろーな……、……」
気遣わしげにぼやく彼だったが、やおら訝しげに目を細めた。その面立ちでそんな真似をされると、睨みつけられているようにしか思えない。
「……なに、どうしたのよエドヴィン」
しかしそうでないことを知っている学級長は、その行為の意味を問いかける。
「……イヤ、気のせいか。一瞬、お前の目の色がやたらと黒く見えた気がしてよ」
「なによそれ。変なこと言うのね」
廊下が全体的に薄暗いせいだろう。瞳の色が変わることなどあるはずもない。
「あなたこそしっかりしてよね。さっ、行きましょ」
「オウ」
サベルたちに遅れないよう、ミディール学院生の二人は足を速めるのだった。




