491. 空前絶後
「てっ、敵襲――――ッ!」
その瞬間。氷輝宮殿は一階、早めの朝食を終え兵士の詰め所の一部屋にてくつろいでいた二十人あまり全員が耳を疑った。
そんな一報とともに扉を壊さんばかりの勢いで駆け込んできた若兵が、顔を真っ青に染めている。
同僚と札遊びに興じていた壮年の部隊長は、その報告を齎した部下へと首を回した。
「騒がしいぞ。で? 何だって?」
「て、敵襲です!」
「どこに?」
「この宮殿にです!」
その場の皆が、それぞれに顔を見合わせる。
「……今? この宮殿が? 襲撃を受けていると?」
「は、はい!」
「…………」
部隊長は困ったように、薄くなりつつある頭頂部をボリボリと掻いた。
「間違いないのか?」
「ま、間違いありません! 現在、一階大広間にて居合わせた者たちが対応中です……が、至急増援を集めろと……!」
「……冗句の類じゃなさそうだな」
「ほ、本当です!」
内戦時、この宮殿が幾度となく移民たちの襲撃を受けたこともあった。しかしそれは、当然ながら戦時ゆえの話。すっかり平和となって久しい今、そんな事態など予想だにするはずもなく。
「襲撃……?」
「この氷輝宮殿に? 今のご時勢に、こんな朝っぱらからか? にわかには信じられんが……」
現実味に欠けるのは皆同じなのだろう。緊迫感より困惑が勝った面持ちでいる。
「……全く、何を考えてそんな真似を」
ともあれ、この氷輝宮殿は大勢の兵や騎士、宮廷詠術士が集うバダルノイスの中心地。
現在は七百もの兵が南に派遣されており、平時よりがらんとしているものの、それでも間違いなく国内で最高の戦力が結集している本拠地だ。一般兵だけでも現在、二百名程度は滞在している。皇都の兵舎や見回りに出ている者らを合わせればその倍以上は下らないだろう。陥落など万にひとつもありえない。
放っておいても鎮圧されるが、報告を受けた以上は無視する訳にもいくまい。
「で、敵は何者だ? 何人いる? 移民共が決起でもしたか」
「それが、その……相手は、先日罪人に認定されたリューゴ・アリウミという少年…………、一人です」
立ち上がろうと腰を浮かしかけていた部隊長は、その中途半端な姿勢のまま硬直した。
「…………は? 一人?」
「は、はい」
どか、と重い振動。部隊長が座り直した音だった。
「襲撃とは言わん、そんなものは」
レノーレ捕縛のためにオームゾルフが助っ人を何人か呼び寄せたが、その連中が裏切った。うち一人がリューゴ・アリウミ。
いわゆる『中立』である部隊長としては、そんな程度の認識だ。
そもそも相手が何者だろうと、たった一人で突っ込んできたならそれはただの自棄。
「追い詰められておかしくなったんだろ。言っちゃ何だが、祀神長の不始末みたいなもんだ。僧兵の奴らに……オームゾルフ派の皆様にケツ拭かせとけ」
「いえ、ですが……このリューゴ・アリウミ、やたらと腕が立ちまして、瞬く間に十名ほどがやられていまして……。ひとまず集まった人員だけでは、大広間を突破されてしまう……と」
「……何だと……?」
メルティナの確保に失敗したと聞いていたが、そんな手練とは初耳だった。
「殺到した僧兵たちがあっという間にのされてしまい……、遠目から見ていた自分としましても、何が起こったのか理解できませんでした」
「……どういうこった、全く」
一度は腰を下ろした部隊長だったが、再び椅子をのけるように立ち上がった。
相手はたった一人。放置したところで誰かが対処する。が、たかが個人の無力化に手間取っているようでは、文官や民衆の間でどんな陰口を叩かれることか。ただでさえ、バダルノイス兵はどんなに寄せ集めたところでメルティナ一人に及ばない、などと後ろ指をさされるされることがあるのだ。
「仕方ない、出るぞ。騒ぎがデカくなる前に片付けるんだ」
――しかしこの時、バダルノイス兵たちは誰一人として予測していなかった。
その『騒ぎ』が、前例なき歴史的事件へ発展していくことを。
「ぬあああぁ!」
銀鎧を着込んだバダルノイス兵が、両手で握り締めた長剣を力任せに振り下ろす。
立ち位置を半身にずらすのみでこれを難なく躱した有海流護は、相手の顎先に素早く左拳をかすらせた。
「はうっ」
『殴る』よりは、『押しこする』とでも呼ぶべき挙動。
ただそれだけで、戦意に満ちていたはずの兵が腰から崩れ落ちる。一瞬にして、躍動から静止。持ち主と同じ末路をたどる形で、取り落とされた剣がガシャンと床に転がった。
「……!」
大広間に居並ぶバダルノイスの守護者たちは、眼前で広がる光景に二の足を踏んでいた。
同じような手順で次々に倒され、死屍累々と横たわった仲間たちがすでに十名以上。その中央で平然と佇む罪人の少年。
「くっ、またか……!」
「あんな、力も入ってないような拳打で……拳打だよ、な? はっ、速すぎる」
「何らかの攻撃術に決まってる! 警戒するんだ!」
遠巻きに身構える兵団に対し、
「いや、攻撃術なんて使ってないけど」
流護は指をパキパキ鳴らしながら笑みを送る。
「――ジャブ」
実演しその場で素早く左拳を突き出すと、遠く離れて隊列を組む彼らが一斉にビクリとした。
「格闘技の中で一番速い技……とかってよく言われるな。まあこの世界で俺がガチで繰り出すと、あんたらは反応できない。反応できないからやられる。そんだけの話だね」
当てる、当たることが前提の一打。
その目的は相手との距離計測、牽制などが主となるが、強打者ならば十二分に打倒を狙える鉄拳となる。使い手によって、基本戦術であるその打撃は役目を多様に変えるのだ。
今この場においてはさしずめ――、必倒の速射砲。流護とグリムクロウズ人の身体能力差を思えば、当然の結果が量産されていた。
「舐めるな、小僧っ――!」
横合いから猛然と飛び出してきた一人が、銀剣を上段に振りかぶる。
「よっ」
即座に右足で踏み込んだ流護は、前傾姿勢気味に右の拳を突き出しつつ相手とすれ違う。チ、と対象の顎先を擦る一撃。空手の刻み突き。
兵士の剣は一拍遅れて虚空を薙ぎ、その持ち主は前のめりに倒れ伏していった。
「くっ、一人で掛かるな、複数人で囲むんだ! 四方から攻めろ!」
応じた兵士たちが前後左右から迫ろうとした瞬間、
「げばっ」
まず正面の一人が左ジャブで仰向けに。
「がはっ!」
そして同時に繰り出した右の背面蹴りによって、後ろの一人が大きく吹き飛ぶ。
素早くダッキングで屈むと、
「うっ」
「おあっ……!」
左右から挟み撃ちを狙っていた二人が、鏡合わせのように身構えた同僚に――このまま剣を振れば同士討ちになりかねないことに気付き、
「よっと」
躊躇から刹那止まったその隙に、右、左。
旋回しての右、伸び上がりつつしならせた左拳で、流護は両脇の相手を同時に沈黙させた。
「ひ、怯むなぁ! 間断なく仕掛けるんだ! そんな芸当がいつまで続くかぁっ」
怒涛と押し寄せる銀装備の群れを、流護は真正面から迎え撃った。
しばしその様子を遠くから窺っていた一人が、呆然と呟く。
「だ、だめだ……ど、どど、どうなってるんだよ……! かっ……囲めねぇじゃねぇか……!」
――そもそも、四方から挟むだけの行為が成立しない。
取り囲む前に、一人ないし二人が瞬く間に倒される。その穴埋めより早く、残る者たちもまた駆逐される。その繰り返し。
挟み撃ちにしようとする兵士らの挙動より、流護が個々を撃破する速度のほうが上という異様な図式――。
「だっ、だめだ! 迂闊に近づくな! 遠距離から撃てえぇ!」
これぞ詠術士の本領、と表現すべきだろう。
横一列に陣取った兵士たちが、流護へ向けてかざした手のひらから氷弾を掃射する。
「! うおっと」
大広間を一直線に駆け抜ける流護、その軌跡を追従するように弾ける銀の光。だが、追いつけない。氷の礫たちは標的に届くことなく、床や壁に激突し虚空へと帰す。
「なっ!? 何だ、あの足の速さは!? 当たらんぞ!」
「ええい、撃て! 撃てえぇい!」
床や絨毯、壁に当たった氷の欠片が、シャンデリアの照明に反射して瞬く。
「ふんっ」
避けられないと判断した礫に関しては、両椀に巻いた邪竜の手甲でもって弾き散らす。
防御と回避を繰り返しながら、倒れた兵士たちを飛び越えつつ疾走した流護は、大広間の隅で足を止めた。
「よ、よし角に追い詰めた! もう逃げ場はないぞ、撃――」
ごしゃ、と存外に鈍い音。舞う血飛沫。仰向けに倒れていく兵士。
「っし、ジャストミート」
振り抜き終えた流護の右腕。
転がったそれが、かん、からんと大理石の床を転がる。
兵士たちは目を剥いていた。角に追い込まれたはずの流護が投げ放ったもの。それは――
「やっ、野郎……薪を……!?」
荘厳な氷輝宮殿の雰囲気にはややそぐわない、広間の隅や廊下に常備されている大量の薪の山。寒冷地たるバダルノイスにおける暖の備え。流護自身この宮殿へやってきた当初に驚き、ヘフネルから説明を受けたものだ。
「ほーれ、危ねーぞー……っと! 薪合戦しようぜ! お前ら的な!」
そんな忠言とともに、流護は足下の薪を掴んで手当たり次第に投げ放った。
石ころひとつでドラウトローの頭部を粉砕する流護の投擲。その膂力をもってして、長さ三十センチほどもある角ばった木材を投げつけたらどうなるか――。
悲鳴の渦が巻き起こった。
金属に硬いものがぶつかる異音が交ざり、いよいよ蜂の巣をつついたような阿鼻叫喚となる。
「よ、ほっ、ほっ、おりゃ」
もちろん、全力投球ではない。だが、連投の手を緩めている訳でもない。
顔を庇って身を屈めようと無駄。そのように縮こまってしまったが最後、一直線にすっ飛んできた木片が強かに胴体を打ち据える。鎧を着込んでいようともその衝撃で薙ぎ倒され、床を舐める。
「野郎――! め、めちゃくちゃやりやが……ぐはっ」
「うわあああああああ」
しばし、木片と怒号飛び交う暴威が大広間を席巻し――
「……ふー、こんなもんか」
流護は一息つきつつ右手に握っていた薪の一本をお手玉の要領で浮かせ、左手でキャッチする。
今や、三十名ほどだろうか。この大広間にいる大半の兵士たちがそれぞれの姿勢で床に転がっていた。
可能な限り射程の外へ逃れようとしたのだろう、反対側の壁でへばりつくように背をつけて難を逃れた者が十名程度。未だ二歩足で立っているのは、もう彼らだけだった。
「ひ、ひいっ……メチャクチャだ……! な、なんなんだこいつは……! 本当に人間なのか……!? き、聞いてない……こんな強いなんて、聞いてないぞ!」
「え、ええい、怯むな、怯むんじゃない!」
「し……しかし部隊長、我々だけでは、もう……!」
「滅多なことを言うな! たった一人に突破されるなど、あってはならん! 行け! 行くんだお前ら!」
「む、無理です! 部隊長がお手本をお願いします!」
「く、くそっ! な、ならぞ、増援を呼ぶんだ! は、早く! 行くぞ! ひいっ!」
ほうほうの体で逃げ出していく彼らの背を、流護は何もせず見送った。『そのほうが都合がいいからだ』。
「……っし、行けるもんだ」
肩をグルリと回した少年は、満足げに己の手のひらへ視線を落とす。
現状、目立った傷は受けていない。当たったところで痛くも痒くもないような氷弾が少しかすめた程度。対し、撃破人数はおよそ三十。上々の戦果だろう。
ふと、少年の脳裏にとある懐かしいやり取りが甦る。
『そうねぇリューゴくん、例えば複数の詠術士を同時に相手取らなきゃいけない状況になったとして……何人までならイケそう? ちなみに相手は一般兵クラス、場所は開けた空間ね。隠れる場所はナシ』
それは去年の夏だ。メガネの奥から、いたずらっぽい鳶色の瞳を覗かせて。
ミディール学院の主たるナスタディオ学院長が投げかけてきたそんな問いに対し、流護は「十五人から二十人ぐらいまでなら」と曖昧な答えを返したことがあった。
しかし、今。
(こういうのも慣れてきた……っつーか、余計な力はいらねえんだ)
当初は、この異世界にて発揮される流護特有の膂力によって暴れ回る戦法が多かった。強引に組み伏せ、その相手の身体をぶん回して武器にするなどといった、現代日本ではとても実行不可能な手段。ある種自分自身も、その力に振り回されるような。
グリムクロウズでの暮らしもそれなりに慣れ、そんな中で日々鍛錬を積み重ね、幾度も死線を潜り抜けた。
おそらくだが、単純な筋力そのものは異世界転移以前より落ちているように思う。ただその分、濃密に……より実戦向けに凝縮されたような感覚。
場数においては、もはや過去の自分など比較にもならない。
その果てにたどり着いた境地。
――速やかに、必要最低限の力で、即座に無力化する。
(やっと理想に身体が追いつくようになってきたっつーか)
拳速や精度、体捌きの質が向上し、敵との実力差によっては極めて最小限の力で制することができるようになりつつあった。
(……アンタの気持ちが分かってきたよ)
その問い。
『複数の正規兵を、何人まで同時に相手取ることができるのか?』
質問を投げてきたナスタディオ学院長当人へ、流護はそのまま疑問を返したことがある。それに対する彼女の答えは、
『――――百人でも、千人でも』
自信家な彼女らしい大言壮語、と思いながら冷や汗を浮かべていた過去の自分。
だが。
「……さて」
今現在――氷輝宮殿の玄関口たる大広間に立つ人影は、流護だけとなった状況。かすかな呻き声がそこかしこから聞こえる中、襲撃者たる無傷の少年は堂々と歩みを進めて廊下へと向かう。
「ドンと来いだ。――――百人でも、千人でもな」
たった一人の少年による、バダルノイス王宮入り口の正面突破。それが達成された瞬間であった。
氷輝宮殿は一階、東館。
館内には、早朝からかつてない緊張感と慌しさが漂っていた。
「現状はどうなっている! 何人やられたんだ!?」
分隊長は周囲の靴音に負けないよう声を張る。
部下が同じく叫んで応じた。
「せ、正確な人数は不明です……! しかし現在、対象の制圧に向かった者たちとの通信が途絶した状況が続いています! その、最悪の場合……恐らくすでに五十名以上が……」
「ば、馬鹿を言えッ! たった一人に五十もの兵がやられるなど……! くそ、非戦闘員の避難は!?」
「そ、それについては二階北側の大広間に誘導しており、ほぼ完了しているとのことです!」
「よし……、……いや待てよ、昨日から確かメーシュヴィツ家のご隠居がおいでになっていたはず……。大丈夫なんだろうな? あの方は今のバダルノイスで最も影響力を持つ大貴族の一人だぞ。間違いがあったでは済まされん」
「じ、自分も僧兵連中からそのように報告を受けただけでして……」
「……ならいい。何かあれば、担当した僧兵共の責任だ」
兵士たちの軍靴の音に紛れそうな声で呟いて、一部隊を預かる長は視線を廊下の先に向けた。
「……、誰でもいい、誰かが出るまで……繋がるまで通信を試せ」
「り、了解……」
まるで悪夢。
賊はたった一人だというのだ。
相手がメルティナ・スノウならばまだしも、異国の兵だという若造一人にここまで引っ掻き回されるなど前代未聞。
初動で押さえ切れず、ついには非戦闘員を退避させるまでの騒ぎとなってしまった。ここで収まったとしてもすでに大失態だろう。
未だ目標制圧の報はない。どころか、現場に向かった者たちと連絡がつかない――
『リーヴァー、こちら第四班! 応答されたし!』
と、そこでこの場にいない者の声が響いた。隣で部下が試みていた通信術に応答があったのだ。
分隊長は術者を押しのけんばかりの勢いで、宙に浮かぶ波紋に食いついた。
「お、おお! どうだ、賊はどうなった!? 仕留めたのか!?」
『し、至急応援を求む! 我らだけでは押さえ切れない……! こんな奴がいるなんて聞いてない! つ、強すぎる! 何なんだ……何なんだコイツはあああぁ――ッ』
ぶつ、と途切れる音声。
「…………、」
「……ぶ、分隊長……」
「……もはや、形振り構ってはいられん。私は騎士や宮廷詠術士に助力を頼んでくる。お前は戦況を見つつ、駄目だと判断したら外に連絡を取れ。皇都中の兵士を呼び戻すんだ」
「そっ、それは」
今の宮殿内には、おそらく二百名以上の兵士が滞在している。そのうち五十近くが撃破されたと思われる現状。
隊を預かる長は判断したのだ。二百人では足りない、と。
皇都や近郊の巡回に出ている者、各兵舎に詰めている人員を全て残らず集めれば、その総数は四百近くにも上る。総勢で六百だ。
「……り、了解しました」
もはや恥も外聞もない。
もう、秘密裏に封殺することは不可能だ。
今のバダルノイス王宮が持てる全ての戦力をもって、敵を殲滅する。しなければならない。さすがに六百もの兵をたった一人に突破されるようであれば、もうこの国は終わりだ。
ほんの数十分前には思いもしなかった。こんな形で、国家の威信を問われる戦闘が勃発しようなど。
ゆえに、おそらく誰しも思わずにはいられないはずだ。
「くそ……七百人も南に派遣していなければ、こんなことには……」
部下が呻く。
「…………七百人、か」
そうなのだ。そもそも、今まさに暴れ回っている罪人を……その一味を捕らえるために、それだけの数を派兵したのだ。
にもかかわらず対象は、堂々と宮殿に襲撃を仕掛けてきた。相手は、オームゾルフ祀神長の読みを覆してきた。完全に裏をかかれた。
否、誰であっても予測などできるはずがない。国中に手配されている身柄でありながら、逃げるどころか正面切って突っ込んでくるなど。まともな神経による所業とは思えない。
「泣き言を言っても始まらん。とにかく任せるぞ」
「はっ」
兵たちが駆けていく流れに逆行し、分隊長は二階へ続く階段を目指す。騎士たちは原則としてそこに滞在している。
こうなっては、上階に滞在しているミガシンティーアに助力を請うことも視野に入れる必要がある。いかに変わり者たる彼とて、この状況で救援要請を蹴るようなことはないはずだ。
「くそ、もどかしい……!」
外敵の侵入対策として複雑に入り組んだ造りとなっているこの宮殿は、通れる順路に融通がきかない。建物の巨大さに反して二階への階段は二箇所しかなく、三階に至っては一箇所しか存在しない。
少し移動すると、あの場の喧騒が嘘であるかのような静けさに包まれた。上階の住人の中には、未だ襲撃の件を知らない者もいるかもしれない。そういった人々も含めて、早急に避難を促さねばならない状況――
(…………何、だ? 妙に冷たい風が――)
廊下の角に差し掛かり、分隊長は足を止めた。そして目を剥いた。
「あら。見つかっちゃった」
言葉に反し、さして危機感もない声。緩い癖毛の金髪を長く伸ばした、美しい女だった。こんな寒い時期にもかかわらずレザースカートから素足を晒した、一目で外の人間と分かる旅装姿の。
その他に、三人いた。
廊下の一角で、四人の異国人との鉢合わせ。ただの旅人、などではない。
彼らのその、外見的特徴は――
「き、貴様……等っ!」
驚きに反し、分隊長の臨戦態勢は早かった。
先ほどの部下の呟き。七百名も南に派遣していなければ、こんなことには――。その虚を突くように突貫してきた一人の少年。
そこで疑念が浮かんだのだ。
なら、他の連中は? どこで何をしている? または、どうするつもりだ?
その引っ掛かりが今、即座に答えへと繋がり、分隊長に素早い理解を促した。
彼らの奥、外側の廊下の窓が派手に割れている。そこから侵入してきたのだ。正面突破を仕掛けてきた少年とは違う場所から、密かに。
だが、なぜこんなにも容易く侵入を許してしまったのか。あれだけ大きく窓ガラスを損壊していれば、相当な音が響いたはず。
もちろん、兵団が少年の対処に追われているのも理由のひとつではあろう。
しかし、王宮に勤めて十五年となる分隊長はすぐに看破した。
(そうか間違いない……こいつら、何もかも計算づくで……!)
この時期、屋根から時折落下してくる雪が危険なため、宮殿外周の見回りは行われていない。
そしてその雪が石畳に叩きつけられる音は、近くにいれば嫌でも聞こえるほど盛大に鳴り響くが、日常の光景であり誰も気に留めない。
人の目が皆無に近しい中、雪の落下音に合わせ、離れた位置から窓ガラスを神詠術なりでぶち抜けば――
「おのれ罪人共め、させるか……!」
相手は四人。さすがに一人で正面からやり合うつもりはない。
牽制しつつ退避、この敵の出現を仲間に伝えなけれ――ば、
「ごめんなさいね~、ちょっと眠っててもらえるかしらっ」
こちらに手をかざした金髪の女。
傾いていく視界。ぶわりと身を撫でていく冷たい風。
(し、しまっ……)
風使いの一撃を喰らってしまったと自覚した時点で、すでに手遅れだった。