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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
13. 凍氷のロタシオン
490/669

490. 布告

 浄芽の月は二十一日、早朝。

 ヘフネル・アグストンは、揺れる馬車の窓から漫然と外を眺めていた。

 疎らに生える木々も、遠く広がる断崖も、霞む雄大な山々も……全てが等しく、分厚い白銀の衣を纏う寒冷の世界。

 バダルノイスで未曾有の事態が起きていようとも、見慣れたこの雪景色はいつもと変わることなく存在している。


「…………」


 夜通し走った馬車は峡谷に架かった橋を抜け、最後の直線となる街道に入った。

 間もなく、レインディールとの中立地帯ハルシュヴァルトの街に到着する。己の本来の勤務地へ戻る。


(そうしたら……)


 兵舎へと赴き、上司であるヒョドロに『これ』を渡す。


 足下に置いた荷物のひとつ。鼠色の鞄、その中身。

 外部の者に対し、出国禁止令が布告されている現在。実質封鎖状態となっている国境を抜けるに際し、意外にも所持品について厳しく改められることはなかった。

 鞄の中身について問われはしたが、酒と答えただけで拍子抜けなほどすんなりと納得された。

 ヘフネルが抱える荷物はこれだけではない。他にもずた袋やら何やら、たくさんの所持品を持ち込んでいる。しかし確認する側も面倒だったのか、いずれも中身については口頭で説明したのみで通された。


(とにかくこれで、僕の役目は終わる。あとは、皆さんの健闘を祈るだけだ……)


 手狭な乗車室の中で低い天井を仰ぎ、強く目をつぶった。


 ――正直な話。

 ベルグレッテが立案した作戦が、上手く運ぶとは思えない。

 おそらく、ヘフネルだけではない。誰が聞いても耳を疑う。正気を疑う。そんな内容だった。

 しかしあの場にいた皆は、本気の目をしていた。一人の例外もなく。可能か否かは別として、明らかな覚悟を決めていた。


 今頃、メルティナは単身で東の国境付近に到達していることだろう。

 そして、ベルグレッテたちは――


「!?」


 ヘフネルの思考が中断された。

 強い揺れ。馬車が急停止したのだ。

 足下や座席に置いていた荷物が一斉に倒れ、ヘフネルも前方につんのめる。


「うわっ、と……!」


 何事かと思うより早く、前方――御者台のほうから複数人の声が聞こえてきた。

 御者は一人。乗客もヘフネル一人。

 つまり何者かに停車させられたのだ、と理解すると同時、乗車室の扉が荒々しく開け放たれた。


「ヘフネル・アグストンだな」


 身を切る外の冷気とともに浴びせられたのは、昇降段に足をかけてこちらを覗き込む男の声。歳の頃は三十前後。今のヘフネルと全く同じ、王宮の銀鎧を纏った武装姿。

 つまり、バダルノイス正規兵。

 無論、山ほどいる兵士の顔を全て把握している訳ではない。誰だかも分からないが、確かに『仲間』だ。


「動くな。荷物検査をさせてもらう」


 そしてもう一人。同じ装いの四十男がヌッと顔を出し、まるきり罪人に対するような口ぶりで宣告する。こちらも知らない顔だった。少なくとも、ハルシュヴァルトに勤める同僚ではない。


「荷物……検査? いきなり、何です? こんな場所で……」


 関所でも検問でもない。周囲に雪しかないただの街道、そのど真ん中。無理矢理に馬車を止めてまでなど、尋常ではない。


「やましいことがなければ問題あるまい?」

「いえ、その……ハルシュヴァルトに到着してからでは駄目なのですか? もう目と鼻の先ですが……」


 横柄極まる物言いの男に対し、ヘフネルも兵として受け答えるが、


「口答えをするな。……おい、あったぞ。あれだ」


 後半の言葉をもう一人の連れ合いに向けて、四十男が顎をしゃくった。

 若いほうが応じる。


「鼠色の鞄……その中身を見せてもらう」

「ま、待ってください。何の権限があって――」


 四十男が短く告げた。


「やかましいぞ。くだらん茶番は止そう。分かってるだろ?」


 血走った眼光。およそ『仲間』に向けられるものではない。

 ヘフネルが思わず口をつぐんだ隙に、入り込んできた男が鞄の口を開けていた。乱暴に中身をまさぐり、


「……これは……」


 戸惑いがちに『それ』を引っ張り出す。

 ヘフネルは言ってやった。


「……何か問題ありますか? そのお酒が……」


 男が手にしたそれは、国内でも北方でしか売られていないフェルミ商店のヴォルンクォート。


「上司へのお土産なんですけど……」


 二人の兵は顔を見合わせた後、


「……他の荷物も調べさせてもらう」


 四十男が平坦な口調で言い放つ。

 ヘフネルは邪魔立てするでもなく、その様子を傍観した。

 ほどなくして全ての荷物を改め終えた若兵が、四十男へ向けて首を左右に振る。


「……何か見つかりましたか?」


 白々しく尋ねるヘフネルに対し、二人の兵は怒り心頭の面持ちでこちらを睨みつけてくる――ようなこともなく、


「ハッ」

「ハハハハ」


 堪えきれぬとばかりに肩を揺すった。


「では、私は他班に連絡を」

「おう」


 若いほうが素早く外へ出て行く。残る四十男が鼻を鳴らした。


「ヘフネル・アグストン。してやったり……とでも思っているのか?」

「……え?」

「想定内だ。これはただの確認なんだよ。お前が、罪人どもから何か重要な品を託されているかどうか……そんなのは正直、どっちでもいいんだ。託されていたなら、取り上げればいいだけ。そうでないなら……お前がただの囮であるなら、隙間を塞ぐだけなんだ」

「……隙間を……塞ぐ?」

「南方勤務なら知ってるよな。ハルシュヴァルトとバダルノイスとを繋ぐ道は、ごく僅かに限られる」


 その通りだ。正確には、バダルノイス各方面からバダルノイスに至る街道の数は六本。今いるこの場所も、そのうちの一箇所となる。

 ハルシュヴァルト北部は深い断崖や谷間が多く、人の足で往来できるような道は他に存在しない。バダルノイス・ハルシュヴァルト間を行くのであれば、必ずこれら六通りのうちひとつの街道を選ぶことになる。


「つまり……この六本の行路を全て固めてしまえば、南方からの脱出は不可能になるということだ」

「なっ……!」


 確かに理論上はそうだろう。が、


「そっ……そんなことをするなら、とんでもない人数が必要になるはずです……! とても現実的じゃない……!」


 彼らは現在七名。ベルグレッテ、流護、サベルとジュリー、エドヴィン、レノーレ、そしてレニン。

 いずれもが、腕に覚えのある手練ばかり。少しばかりの兵士を配備したところで、あえなく突破されるだけだ。


「ああ、連中がそれなりの使い手だという話は聞いている。だからお前の言う『とんでもない人数』を用意した。ざっと七百人だ」

「なっ……!?」


 ヘフネルは耳を疑った。

 それほどの大部隊、あの内戦時ですら編成された記録はない。


「六つの街道にそれぞれ百。いずれの方面にも即座に加勢できるよう、ハルシュヴァルト北に百が待機している。どの道から来ようとも、ネズミ一匹とて通しはしない。お前が我々の目を引き付けるための囮であっても、他にどんな奇策を巡らしていたとしても……まるで関係ないんだよ。通れる道など、一つとて存在しないんだからな」

「…………、」


 たった七人を捕らえるために、七百人。

 皇都にいる半数以上の兵士を動員しなければとても集められない数だ。秘密裏にそれだけの大部隊が編成され動いているなど、全く知らされていなかった。


 今さらながらに、ヘフネルは思い知った。

 オームゾルフの本気を。

 絶対に、何としても逃がさない。そんな情念の表れ。


「メルティナ・スノウが同行しているならば、万が一にも突破される憂き目はあったかも知れんが……生憎、奴の所在は東で確認されている。こちらの戦力の分断を狙ったのだろうが、裏目に出たな。規模が違うんだよ」

「……、」


 やはり、ダメなのか。こうなってしまうのか。


 もう、戻れないのか……。

 ならば。


 ヘフネル・アグストンも、いよいよ覚悟を決めなければならない。

 受け入れる覚悟を。


「話は……分かりました」


 思った以上に落ち着いた声が出たな、とヘフネルは他人事のように俯瞰しつつ。


「それじゃあ、もう僕は行っていいですかね。届け物をしなきゃならないんで」

「…………何?」


 男が片眉だけをかすかに動かす。


「さっき言った通り、僕はそのお酒を上司に届けなければいけないんです。それが今の僕に託されたこと。僕の役目ですから」


 不可解に思ったか、四十男はヴォルンクォートの酒瓶を掴み取り、上下左右へと傾けて凝視する。仕掛けでもあるのかと勘繰っているらしい。


「あっと、そんなに乱暴に振らないでください。泡立ってしまいます。本当にただのお酒ですよ、それは」

「……貴様、何を企んでいる」

「いいえ、何も企んでなんていません。僕はただ、本来の勤務地に……普段通りの生活に戻ろうとしてるだけですよ」






 ――それは数日前。

 そう、あのユーバスルラの廃工場でのことだ。


「お呼びしたそもそもの用件をまだ済ませていませんでしたね。長々とお引止めしてしまい申し訳ございません。ヘフネルさん、これを」


 そう言ってベルグレッテが差し出してきたもの。


「『それ』をハルシュヴァルトのヒョドロ兵長にお届けしていただきたいのです」

「……え? これは……お酒?」

「はい。このたびは、ヒョドロ兵長にも多大なご協力をいただきました。ですので、せめてもの感謝の印にと思いまして。この銘柄がお好きとのことですから、是非にと」

「は、はあ。……えっと、これは……ただのお酒、ですよね」

「はい」


 フェルミ商店のヴォルンクォート。確かにヒョドロの好物だ。

 素直に受け取りつつも、ヘフネルはひたと少女騎士の瞳を見つめ返した。


「あ、あの。えっと……これだけ、ですか?」

「ええ、それだけです」

「いえ、その……わざわざ僕をここに呼んだってことは、他にこう……何か重要な……とまでは言いませんけど、その、役目とか……。ほら、僕はこれからハルシュヴァルトに戻る訳ですし……」


 あの街には、レインディールの兵も駐在している。どうにかして彼らに現況を伝えることができれば、この窮地を脱する契機となるはず。

 そう例えば、ロイヤルガードたるベルグレッテ直筆の手紙などがあれば――


「無理だよ」


 無感情な声はメルティナのものだった。


「君に何かを任せたとして……あのエマーヌが、それを見過ごすはずはない」


 言われて、ヘフネルもハッとした。

 凡庸な自分ですら考えつくようなことだ。あのオームゾルフが思い至らないなどありえない。


「さっきも言ったけど……君は、すでにベルグレッテさんたちとの接点がある人間として注視されているだろうからね」

「で、ですが……! 何かあるはずです! 僕にも、何か……何かできることが……!」


 曲がりなりにも意志を固めたのだ。このまま傍観を決め込んでいいはずはない。意気込むヘフネルに対し、ベルグレッテが静かに告げた。


「ヘフネルさんは……ここで、日常の生活へとお戻りください」

「え……?」

「明確に私たちを手助けしたとなれば、ヘフネルさんも罪に問われます。そのように危険な橋を渡る必要はございません」

「な、そ……そんな、何を今さら!? 水くさいじゃないですか……!」


 チッ、と高らかな舌打ち。音の出所に目を向ければ、悪人面のラルッツが睨みを効かせていた。


「ほざくなよ若造。ついさっき上で俺らにビビリ散らしてた奴が何を――」

「今は事情が違います。僕だってバダルノイスの兵士です。やるべきことが定まっているのなら、臆したりはしない……!」


 真っ向から視線を返すと、


「だからこそ、なんです」


 儚げな笑みをたたえたベルグレッテが、あまりに優しく。


「だからこそ、とは……?」


 メルティナが引き継いだ。


「そう、君はれっきとしたバダルノイスの守護者の一人。いざとなれば頼れる期待の若者だ。だからこそ、『これからの』この国を守ってほしいんだ。今起きてるイザコザなんて、長い歴史から見れば差末事だよ。君に託すのは他でもない、『バダルノイスの未来』。君は、その酒を手土産にヒョドロ兵長の下へ帰る。そしていつも通りの生活に戻り、この国に生きる人々やその暮らしを守っていく」

「なっ、何ですかそんないい話みたいに……! バダルノイスを守るも何も、その存続すら危うくてこんなことになってるんじゃ……!」

「そうさ。存続すら怪しい。だからこそ、これまで以上に気張って守ってもらわなきゃいけない」

「……っ」


 思わず言葉に詰まると、ベルグレッテが耳を疑うような発言をさらりと放り込んだ。


「ヘフネルさん。私たちは……まず間違いなく、この国から脱出することはできないでしょう」

「…………、……な、」

「ハルシュヴァルト北部は通れる道も限られるからね。人数に糸目さえつけなければ、おそらく完全包囲も不可能じゃない。東は東で、やっぱりレインディールへ向かうための脱出路としては現実的じゃない」

「ですから……私たちは、もう――――――覚悟を、決めました」






 ――そして今。

 兵士はどこまでも高圧的に見下ろしてくる。


「奴らは絶対に逃げられん……が、所在を知っておいた方が楽なのは言うまでもないな。ヘフネル・アグストン。今、奴らはどこにいる? お前が手紙の類を託されていない以上、皇都付近で下手に動かず救援を待っているというセンは消えた。となれば、どうにかハルシュヴァルトに入り込もうとしていることになるはずだが……奴らは、どの道を使うつもりでいる? 言え」

「…………、」

「今なら、お前に罪はない。所持品から物的証拠も出なかったことだしな。だが、黙秘するなら……」

「……はは。罪を捏造、でもしますか? レノーレ氏にそうしたように……」

「それはお前次第だ」

「……いや、でもおかしいですよ。それで僕が皆さんの居場所を喋ったら、通じてたことを自白するみたいになってしまうじゃないですか」

「今の発言の時点でどうかと思うが?」

「あっ……それもそうですね。ははは……ええ、はい。いいですよ。実を言うとですね、誰かに聞いてほしかったんです」

「……?」

「だって僕自身、未だに信じられないんですから。いいですか、よーく聞いてくださいよ。皆さんは今頃――」






 冬の朝は遅い。

 ようやく明るくなってしばし、空はにわかに荒れ始めた。

 極めて小粒の雪が、激しい風に乗って縦横無尽に吹き荒ぶ。

 そんな中――パン、と。

 背後から聞こえる、炸裂音にも似た高い残響。

 わざわざ反応して振り向く者はいない。宮殿の丸屋根から滑り落ちた雪が石畳を叩く光景は、冬場の氷輝宮殿パレーシェルオンにおける日常の象徴だ。


「……ふん。南に行った連中が羨ましいな。兵たるもの、平和という名のぬるま湯に浸かり続けてはふやけるというものだ」


 入り口で門番を務める兵士の一人が、隣の同僚へ向かって軽口を叩く。


「違いない。こんな天気の中で突っ立ってるのも苦痛だしな。罪人でも追いかけてた方がよほど張り合いがある」


 あくびを噛み殺したもう一人が、背後の氷輝宮殿パレーシェルオンを振り仰いだ。バダルノイスの心臓部たる巨大な建造物は、いつもと変わらぬ厳粛な佇まいでそこに鎮座している。

 ぱん、とまたしても快音。荒れ模様で視界が悪く、どこに落ちたのかまでは確認できなかった。

 冬季はあの不意な落雪があり危険なため、宮殿外周の見回りは原則として行われない。あれが頭にでも直撃すれば、即座にキュアレネーの身許へ誘われることになるのは確実だ。

 そもそも夏場でも巡回など不必要だと考える者は多い。バダルノイスの中心地たるこの宮殿に忍び込もうなどという無謀な愚か者がいるとは思えないからだ。


「……そろそろ、ってところか」


 一人が胸元から懐中時計を取り出し、呟く。


「ふむ。茶番は終わりだな」


 計画通り進んでいれば、ヘフネル・アグストンなる兵が確保されている頃合いだ。ちなみに教団出身の元僧兵であり、オームゾルフ派と呼ばれる自分たちにしてみれば、顔も知らない赤の他人である。

 ベンディスム将軍の見立てでは、罪人らはそのヘフネルにこちらの意識を向けさせ、その隙に別の道からハルシュヴァルトへ逃げ込む腹づもりではないか、とのことだったが――


「それならそれで、全ての道を塞ぎ尽くす……か。祀神長の本気が窺える」

「ああ、そりゃそうさ。いつまでもこんなことに時間を割いちゃいられん。本当に面倒なのはここからなんだからな」


 こんな捕り物劇は前座でしかない。

 メルティナ・スノウの確保、そして今こそ分断しているものの、いずれ帰還する『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』との折り合い。


 加えて、誰もが思っているはずだ。

 オームゾルフが迎え入れた三名の相談役。あの異質な連中との同盟ごっこが、果たしていつまで続くことか。


「まっ、当座の問題は今の俺たちが退屈で仕方ねえってことだ。そんな訳で一つ、賭けをしないか?」

「ほう? どんな内容だ」

「ズバリ、罪人連中がどこで捕まるかだ。乗るか?」

「ほう、面白い。いいだろう」

「奴らの中には随分な切れ者がいるみたいだが、取れる選択肢なんて限られてる。俺は北東からのスラウヒルク経由を推すね。六本の街道の中では、一番遮蔽物が多くて見通しの悪い道だ。人目を忍んでこっそり行くつもりならここしかない」

「ほう、存外に罪人を買っているな。ならば俺は国境付近だ。奴らは未だ、南方へ向かえずに内側でまごついていると見た」

「っと、そう来たか~」


 どの街道を選ぶか以前に、バダルノイス国土から脱出できていない。十二分にありえる話だ。


「考えてもみろ。国境門を通らずに南へ抜けることも確かに不可能ではないが、遭難や凍死と隣り合わせの危険な……いや、無謀というべき愚行だ。雪の怖さを知らん余所者連中だけならばともかく、同行しているレノーレがそんな策を許容するとは思えん」

「あぁ成程、一理あるなぁ……、っぷ!」


 いきなりの突風に乗った雪粒が、にわかに顔を叩く。

 冬の天気は変わりやすい。

 強い風が上空の雲を吹き払ったか、雪がちらつく中わずかに晴れ間が覗いた。


 そして門番を務めるこの二人は、視界が明瞭となったことで初めて気がついた。


 自分たちの正面。宮殿に続く長い歩道をやってくる、ひとつの人影に。

 バダルノイスでは見慣れない風貌の若者だった。齢十五前後か、より下にも見える少年。殊更に特徴的なのは、男にしては低い背丈と黒い髪、同色の瞳。

 迷いのない、力強ささえ感じさせる足取りで、こちらへと――氷輝宮殿パレーシェルオンへと向かってくる。


「………………なんてこったい」


 番兵の片方が、信じられないとばかりに手のひらを自らの額へ当てた。


「これはあんまりにも予想外……ってことで、賭けは不成立かぁ?」

「……少なくとも、一時保留だな」


 おそらく今や、バダルノイスでも多くの者が知るだろう。

 二人の目前までやってきたその人物。現在、三百万エスクの賞金首に指定されている罪人の一人。

 番兵は大げさに両腕を掲げ、彼へと呼びかけた。


「これはこれは……驚きましたぞ、リューゴ・アリウミ殿。まさか、そちらから大人しくおいでになるとは……」


 未だ幼くすら見える少年……有海流護は、頭に薄く積もった雪を払いつつ、


「いやー、どもども。寒い中お疲れさんっす」


 呑気にも、そんな挨拶を返してきた。


 妙だ、と番兵二人は訝った。

 あっさりとここまでやってこられたこと自体については、さして不思議もない。

 追い立てられる咎人たちは、逃げるが必定。街から外へ出る人の流れは厳しく監視している現状だが、その逆は存外に手ぬるくなっている。まして今は、兵の多くが南に派遣されており人手も少ない。誰も彼もが『罪人は逃げるはず』と考えている最中、まさか自発的にやってくるなど考えもすまい。


 して、問題はこうして出向いてきたその目的だ。

 朝っぱら、それもたった一人で真正面から。


「……成程な、読めたぞ。交渉か」


 そうだ。想定外の行動に度肝を抜かれはしたが、落ち着いて考えてみればその意図は明白。


「涙ぐましいな。自分の首を差し出すことで、他の仲間を見逃してもらおうって訳だ。……しかしだな、リューゴ・アリウミ殿」


 他の国であれば、その行いはきっと美談として語られたろう。潔さを汲んで、検討もされたかもしれない。

 だが――


「このバダルノイスで、そんな自己犠牲の精神は通用しない。己の身を投げ打つ行いは、キュアレネーに対する冒涜だ。貴殿は捕縛する。仲間の居場所も吐いてもらう。悪く思うな」


 番兵二人が身構えた瞬間、


「いやいやいやいや、ちょっと待ってって。なんか勘違いしてない? あんたら」


 少年は慌てて両手を横へ振った。


「……? 何か言伝があれば聞こう」

「いや、コトヅテとかじゃなくて……まあいいや、それじゃ」


 少年は仕切り直すように、コホンと咳払いをひとつ挟んで。右手の拳をぐっと胸の前で掲げた。

 そして、布告する。






「えーと……この度リューゴ・アリウミ、あんたら『バダルノイス神帝国』にケンカを売りに来ました。今からこの宮殿を制圧するんで、覚悟してくれや」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 待ってました! [一言] やったれ
[一言] これリューゴ1人で制圧できちゃうよねwww 兵の多くは南に行って唯一対抗出来るミュッティはいない状況だからね。 ベルさんマジパないっす一体全体何が見えているのやら。
[良い点] ハハ、やったぞ真っ向勝負だ。 空手の真っ向勝負だぞやった!
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