488. 秘めたるは怒り
ヘフネルと別れ、二日が経過した昼下がりのこと。
「いやー、完全的中したみたいだよ、こっちの予想が」
錆びついた鉄扉を軋ませて隠れ家へ入ってきたのは、質素な装いの若い女性。栗色の長い髪、腕から提げた小さなカゴ、シックな色合いで統一された上衣と雪避けの肩掛け、そして足首丈のロングスカート。
冬になればどの街でも見かける、ごく一般的な町娘風の平民姿。全身に粉雪を引っ被っているのは、北国バダルノイスにおける日常の光景であろう。
そんな彼女の姿を認めた有海流護は、紫色の焚き火に薪を放りながら呼びかけた。
「おう。どうかしたんか、メルティナの姉ちゃん」
女性が栗色のウィッグを外すと、その下から目の覚めるような美しい白髪が現れた。
あの一件からそれなりに時間も経った。食べ物を補充しない訳にもいかない。とのことで、細心の注意を払っての買い出しに出ていたのだ。
「外は結構な大騒ぎ。塞がれたんだよ、『白の大渓谷』が。我々の予想通りにね」
「!」
流護のみならず、その広間にいたエドヴィンとレニンも息をのんで彼女に注目する。
「ちょっと話でもしよう。皆を呼んできてもらってもいいかな?」
「おけ」
即応するなり立ち上がった流護は、別室で過ごしているベルグレッテたちを急いで連れてきた。
部屋に戻れば、メルティナはすっかりいつも通りの純白一色な麗女へと戻っている。瞳の色こそ変えられはしないものの、ウィッグや髪型、服装、底の厚みが違うブーツなどでほぼ別人物と化してしまう変装ぶり。女の人ってすげえ、などと流護が内心で舌を巻いていると、
「メルティナ殿。やはり『白の大渓谷』が……」
早速ベルグレッテが食いついていく。
「うん。街で聞いたところによると、大規模な落雪で通れなくなったそうだよ。過去一度として起きなかった事故に、民衆たちは大騒ぎさ」
『白の大渓谷』は特に冬場、国土の南北を繋ぐ唯一の要衝。通行に支障が出ないよう、細心の注意が払われているはずの場所だ。
「ちなみに、予想されていた寒波が訪れなかったにもかかわらずこの惨状だからね。皆、一体何が起こったのかと困惑している様子だったよ」
サベルがかぶりを振りながら応じる。
「やっぱり、最初から寒波が来るなんて話はなかった。これから意図的に孤立させようとしてる北側に、予め物資を運び入れるための方便だった……って訳だな」
「だね」
メルティナが短く同意した。
『雪嵐白騎士隊』の帰還を妨げるため『白の大渓谷』を封鎖したオームゾルフだが、北の地に住まう人々を見捨てた訳ではない。孤立した期間を凌げるよう、大量の必需品を送らせていた。
(……っとによ。そんな気遣いできるくせに、何で……)
なぜ、オルケスターなどと手を組んでしまったのか。本当に、他にやりようはなかったのか。
流護とて、バダルノイスの内情全てを知っている訳ではない。それでも、そう思わずにいられなかった。
「ったく、大胆な手口よね。天候が荒れるぞー、なんて嘘の触れまで出して……『真言の聖女』の名が泣くんじゃないのー?」
ジュリーが首を竦めると、メルティナがその仕草を真似るように笑う。
「今更エマーヌを擁護するつもりもないけど……その辺りの情報操作を行ったのはベンディスム将軍だろうね。民からも兵からも全幅の信頼を寄せられる男だ。彼が言うなら、大抵の者は疑いもせず頭から信じる」
厄介な話だ。
つまり、将軍は己の思うままに工作を行える。これまで培ってきた信頼を利用して。
何より、すでに布石も打たれている。
北の地にアンフィヴテルラが現れるという異常事態。外の環境に何らかの大きな変化があったのでは、これからも前例のないような出来事が起こるのでは――と思わせる雰囲気が作られている。
『白の大渓谷』が埋まった件も、その範疇に収まってしまうように仕組まれているのだ。
大概の無茶は通るように、下地が固められている。
「ま、とにかくだ。何もかんも予想通りだったってこったな。ベルグレッテの嬢ちゃん」
懐からタバコを取り出しながらのラルッツの言に、少女騎士は「ええ」と頷いた。
「私たちは……当初の予定通りに動きます」
『その方針』による緊張からか、場が静まり返る。
「これ以上バダルノイスに留まり続けていても、事態は悪化の一途をたどるばかり……」
最高指導者とその派閥、そして与するオルケスターによって、白であっても黒と認定される現状。もはや安寧の場所などない。
「幸い、リューゴも回復しましたし」
「いやいや、ご心配をおかけしまして……」
一時は生死の境を彷徨った流護だったが、ようやくに全快した。メルティナがいなければ命を落としていただろう。……それほどの深手だった。
「しっかし、それはいいとしてあのヘフネルって奴は大丈夫か? 王宮に俺たちを売ったりしてないだろうな……」
ラルッツとしては、どうにもかの若兵に頼りなさを覚えているらしい。ヘフネルがここへやってきた時、流護は眠っていたのでどんなやり取りがあったのかはよくは分からないが。
「その点は問題ないさ」
断じるのはメルティナだ。
「ああ見えて有望だよ彼は。実際、未だにここへ兵団やらあのミュッティって娘さんやらが攻め入ってくることもないしね。実際、街でも兵士たちにそうした気配はなかった。彼は、彼の役目を果たしてくれるさ。私たちが託した重要な役目をね」
ヘフネルに対する信頼は別として、この隠れ家周辺にはメルティナ謹製の鳴子がいくつも仕掛けてある。反応があればすぐに分かるうえ、別の区画へ素早く逃れることも可能だ。
未だ罠が沈黙を保っているということは、少なくとも現状危険はないということ。
「さて。それじゃあ私は、予定通りに今夜ここを発つとするよ」
と、メルティナが明るく言ってのける。
「はい。どうかご武運を」
「任されるよ」
今夜。メルティナは単独でこの隠れ家を脱して、東の国境門へと向かう。彼女の臓器を狙うオームゾルフやオルケスターとしては、もちろんこれを無視できない。戦力を割いて、追手を差し向ける必要が生じる。
そして、北方最強の英雄と名高い『ペンタ』を仕留めるためには――
「十中八九、あのはっちゃけたお嬢さん……ミュッティとかって子が追手としてやってくるだろうね」
皆がそれぞれに押し黙った。
今や、ここにいる大半の者が理解している。あの音使いの恐るべき実力を。
山賊時代に一悶着あったラルッツとガドガドも。モノトラとの激闘を制しながら倒されたエドヴィンも。たった二発で死の淵に追いやられた流護も。そしてその光景を目の当たりにしたベルグレッテとレノーレも。
「……、本当に……いいんだな」
珍しく気後れしたように確認を取るのはラルッツ。
「うん。宣伝よろしく」
メルティナはあっけらかんと、満面の笑顔で答える。
「……ケッ、気軽に言ってくれやがる」
ラルッツとガドガドは情報の拡散を担う。
酒場などで、「メルティナが東に向かうのを見かけた」と喧伝するのだ。その噂はすぐさま、彼女を探すミュッティの耳に入るだろう。仮に囮と分かっていても、追わない訳にはいかない。敵にしてみれば『本命』だ。
「ということで、最も危険な彼女は私が引き付ける。遠い空の下で、君たちの健闘を祈るとするよ」
「……メル……」
不安げなレノーレに対し、当人は明るい笑みを崩さない。
「心配はいらないって。やり合うつもりはない。刺客が彼女だけとも限らないし、あくまで引き付けることが目的だ。君たちが目的を達するまでの間、散々に引っかき回してやるとするよ」
『ペンタ』らしい自信というべきか。
ともあれ、現状敵側で最強と思われるミュッティがいないだけで、流護たちは格段に動きやすくなる。
が、今の時点で残っている懸念がひとつ。
「あとは……キンゾル・グランシュアが、今どこでなにをしているのか。これが気がかりではあります」
ベルグレッテの呟き通り。
ここに至るまで、オルケスターの一員であろうキンゾルは、その姿を影も形も見せていない。ヘフネルと別れる前にも尋ねてみたが、それらしき人物はやはり見ていないとのこと。
が、流護たちがこの国へやってくる以前から、『融合』によって損壊されたと思しき賞金稼ぎらの死体が見つかっているとの証言がある。何より、その特異な技術によってメルティナの臓器摘出を担うはずの人物。バダルノイスに来ていない訳がない。
「レインディールやこの国で超高額のお尋ね者になってるからなァ。賞金稼ぎ連中には知れてるだろうし、表立って出てくることができないってのもあるとは思うが……」
サベルが眉を寄せて唸ると、メルティナが同意で応じた。
「バダルノイス兵にもそのキンゾルを知る者はいるはずだし、さすがに王宮に招致するなんてことはできないしね。今の我々と同じで、堂々と往来を歩ける身分じゃないんだ。ただ、エマーヌたちと繋がりがあるのは間違いないし、無関係な人々に悟られないよう匿ってる可能性はあるんじゃないかな」
レインディールで起きたレドラックの一件や王都テロ、その裏で暗躍していたとされる怪老人キンゾルだが、未だ謎な部分が多い。
「つかさ、何だかんだ本人見たことすらねーんだよな……」
「そうね……」
流護の意見に、ベルグレッテもコクリと頷いた。
「ミアが言ってたわね。かなり小柄で、白髪の老夫だったって」
「その特徴だけではどうにもね……。私の臓腑を抜き出すつもりなら、いっそミュッティと一緒に釣れてくれると好都合なんだけど」
いずれにしろ、危険な思想と能力を有する『ペンタ』だ。どこでどう出てくるか、警戒しておくに越したことはない。
「……ベル……」
おずおずと名を呼んだのは、母レニンに寄り添ったレノーレだった。
「……本気、なの。……本当に、こんな作戦を……」
ベルグレッテは迷わず頷いた。
「この機を逃せば……次はないわ」
相手はオームゾルフ。二度、同じ策は通じない。
ぶっつけ本番、一度きりで駆け抜けるしかない。
「必ず成功させる。私たちを信じて」
「……わかった」
意を決したように、レノーレは頷いた。
「ふっふふ。ところでレン、例のものは進んでる?」
そこで意味ありげな流し目を飛ばすのは、レノーレの主たるメルティナだ。
「……うん。……やってるけど……でも」
「よきかなよきかな。頼むよ、これを任せられるのはレン以外にいないんだからね」
「……でも、こんなこと……本当に」
「私が許す。『彼ら』にも、少しばかりこちらの気持ちを味わっていただこうじゃないか。ふふふふふ」
実は現在、メルティナ発案による、とある策の準備が着々と進行中だ。
これを聞かされたベルグレッテが当初、言葉を失ったほどの。
「メルティナ殿。その……」
「はは、言いたいことは分かるよベルグレッテさん。君の立場や性格上、こういった手段には抵抗があるんだろう。だが、私は躊躇わない。これはもう戦争なんだ。一方的な狩りとでも勘違いしている阿呆どもに知らしめてやるには、これ以上の手はない。何より……君らがこれから仕掛けようとしている作戦を思えば、些細なことさ」
「……承知しました」
(おっかねーわ……これが北方の英雄なんすねぇ)
このバダルノイスにやってきて、有海流護も実感した。
北国の生ける伝説メルティナ・スノウを敵に回すと、とんでもないことになると。単に戦闘能力が高いだけではない。この手腕でかつての戦火を潜り抜けたのだろう。
だが、今はその大胆不敵さが実に頼もしい。
(まあとにかく、これで……)
レノーレを日常に戻すため……自分たちが無事に帰還するための最後の攻防が、幕を開ける。




