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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
13. 凍氷のロタシオン
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487. 妄信の徒

 バダルノイスは最北端――コートウェル地方、カーリガルの街。

 どこよりも寒さ厳しいその街の兵舎にて、『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』の隊長スヴォールンは眉をひそめていた。

 執務室の席に座した長の鋭い視線は、手元の紙束へと注がれている。


「……どう考える、ゲビよ」


 瞳を紙面に落としたまま、長は真正面に立つ配下へ問いかけた。

 その資料を渡した張本人ことゲビは、常から猫背気味の背筋をピンと正す。


「妙……と、言わざるを得ませぬ」


 それは、先日討伐したアンフィヴテルラ三体の詳細が記された報告書。

 中でも注視すべきは、解剖の結果である。

 胃の内容物に、バダルノイスで食したと思しき餌の痕跡が見つからなかったのだ。

 残っていたのは、遥か東方、カダンカティア教主国周辺域にのみ棲息するとされる草食獣の毛が少数。

 それ自体はおかしなことではない。元々、アンフィヴテルラの出現地域はその一帯だ。

 だが、


「……カダンカティアからこの地まで、馬車ならば二十日以上。あの怪物の足で、いかほどの日数が掛かるかは知らんが――」

「はい。かの三体は、この地方へ至るまで何も摂食していなかったことになります」


 そもそも、なぜバダルノイスへやってきたのか。アンフィヴテルラは狡猾だ。うっかり餌のない地域に迷い込んでしまうほど愚鈍ではない。


「ス、スヴォールン様!」


 執務室の扉が勢いよく開け放たれたのはそのときだった。ほうほうの体で飛び込んでくるのは、この街の駐在である一人の兵士。


「何事だ。騒々しい」

「も、申し訳ございません! で、ですが……、急ぎ報告致します!」


 礼を欠き咎められることも厭わないその様子。スヴォールンもゲビも察した。緊急の用件であると。


「しっ……『白の大渓谷』にて、大規模な雪崩れが発生! 落雪によって行路が完全に塞がり、通行が不可能になったとのことです!」


雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』の両名は、時間にして五秒ほども沈黙した。


「……何……? 落雪……だと……?」


 捻りもない呻きがスヴォールンの口から零れる。それほどの衝撃だった。

 ありえないはずだ。かの地は主に冬場、バダルノイスの北側にしてみれば生命線と呼べる関所。そのような事故が起きぬよう、徹底した管理がなされているはずの場所。

 激しい吹雪や凍結で、数日間の通行が見合わせとなる程度は稀にある。が、落ちてきた雪で完全に埋まるなどという事態は、今まで一度として起こった試しがなかった。

 目を剥いたゲビが兵士に詰め寄る。


「おい貴様。本当、なのか?」

「は、間違いはございません……! 雪崩れは昨夜未明に発生した模様です。幸いにして人通りは皆無だったため、生き埋めになった者はいないはず……とのことです。復旧には、最低でも二週間以上を要するとの見込みが……」

「馬鹿な……これまで、過去一度としてそのような事故など起こらなかっただろう!」

「は、仰る通りで……」

「なら、何故――!」

「止せ、ゲビ」


 スヴォールンは、放っておけば相手の胸ぐらを掴みかねない部下を制する。この兵を問い詰めたとて意味はない。


「ここ数日、気候が荒れるとの知らせがあったな。それにより、事前に物資が届けられていたはずだが」

「は、はっ。その通りでございます。ゆえに、復旧が完了するまでの間は問題なく凌げるかと思われます」

「復旧までには二週間以上の見通し……と言ったな。それで物資は足りるのか?」

「はっ。此度はかなり多めに運び込まれていまして、充分な余裕があると思われます」

「…………」

「スヴォールン様?」


 ゲビの呼びかけに答えず、スヴォールンは思考を巡らせる。

 宮廷には気象を予測する詠術士メイジが幾名か在籍するが、それも百発百中ではありえない。むしろ外れることも多く、あくまで参考程度に留めるものだ。事実、今回は外れている。


 唐突に発生した、前例なき『白の大渓谷』での雪崩れ。

 それに伴う北方地域の孤立期間は推定二週間以上と見込まれるが、事前に運び込まれた物資に余裕があり、難なくやり過ごせるとの見通し……。


「失礼致します!」


 他の兵士の一人が慌しく駆け込んできたのはそのときだった。

 粉雪を被り息を切らせるその様子から、またしても緊急の報告だと予想がつく。


「何事か」

「はっ! 先日運び込まれた物資を仕分けしておりましたところ、これが……」


 差し出されたのは数枚の紙束。

 受け取ったスヴォールン、そしてそれを横目で確認したゲビ――両者ともが、またしても目を剥いた。


 それは手配書だった。

 罪人の認定について、『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』が逐一口を出している訳ではない。王宮の者と協議の末、オームゾルフが個で判を押すこともあろう。


 だが。こればかりは「それでも」と言わざるを得ない。


 リューゴ・アリウミ、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルード、サベル・アルハーノ、ジュリー・ミケウス、エドヴィン・ガウル。

 一人頭それぞれ、三百万エスク。レノーレ捕縛に際し、捜査を撹乱したとの罪状。


「南方より、それら手配についての連絡は受けておりませぬ。先の物資搬入で手一杯であったがゆえ、報告が送れているのやもしれませぬが」

「…………」


 アンフィヴテルラの出現。『白の大渓谷』の封鎖。そして指導者が、己の招いた客を一転して罪人として扱う状況。

 一体何が起きているのか。今すぐ問い質そうにも、この場から宮殿まで届くような通信術はスヴォールンでも扱えない。加えて、唯一の通行路は塞がれて――


「…………まさか、とは思うが」

「スヴォールン様?」

「……いや、良い。ゲビ、隊士を集めよ。全員だ」

「は、はっ?」


 戸惑う配下に目もくれず、スヴォールンはこの街の駐在である兵士二名を見下ろす。


「怨魔の調査は後に回す。『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』はこれより、『白の大渓谷』へ向かう」






 ゲビ・ド・フォートゥーンは、粉雪が舞う中で震えていた。


(お…………、おお……)


 しかしそれは、寒さゆえではない。

 場所は外、兵舎前。

 目の前に立つ、スヴォールンという男を前にしてだ。鋭く切れ長の瞳、冷たい風に揺れる竜尾めいた長い後ろ髪。壮麗なる立ち姿。表情は常と変わらず、冷静沈着そのもの。何の情も読み取ることはできない。

 が、それでもゲビには理解できた。


(間違いない……。お怒りであられる)


 度重なる異常事態。それらは全て、オームゾルフの不手際と呼べるものだ。

 警備網が甘いゆえ、アンフィヴテルラのような図体の大きい怨魔の侵入を許した。管理が甘いゆえ、落雪による『白の大渓谷』の封鎖などという前代未聞の事故を引き起こした。そして見通しが甘いゆえ、招いた客に裏切られた。あまつさえ、自分で手配をする羽目に陥った。

 もう、誰の目にも明らかだ。


(エマーヌ・ルベ・オームゾルフは、一国の主として相応しくない――)


 ゲビがその思いを新たにしていると、煙る雪風の中、道の向こうからやってくる人影があった。集合をかけた隊士――ではない。

 明らか小さなそれは、子供だった。年の頃七、八歳ほどの男児。それも、


(……ふん。移民の餓鬼か)


 ろくに防寒の役目も果たさぬ薄汚れた衣。神聖なるバダルノイスの民とは明確に異なる、泥じみた浅黒い肌。丸まったような癖のある黒髪。

 先王の愚策によって連れて来られた外の人間、その子種。

 帰る故郷もないその境遇を多少は哀れに思わなくもなかったが、そもそも元の魂が清らかでないゆえそのような存在として生を受けるのだ。


 内戦の遺恨は決して浅いものではない。未だ移民はまともな仕事に就くことのできない者も多く、その子となればもはやバダルノイスにおいては最底辺の弱者だ。


「……はぁ、はぁ」


 小さなカゴを手にしていることからして、遣いの最中か。寒さに加え、日頃ろくな食事も取れてはいないのだろう。ふらつきながら、それが難題であるかのごとく、おぼつかない足取りで歩道を進んでこちらへやってくる。

 その男児がスヴォールンの前を通り過ぎようとした瞬間、一陣の強い風が吹き荒れた。


「うわっ……!」


 ふらついた子供は、そのままスヴォールンへと倒れ込む形でぶつかった。手にしていたカゴに飲み物でも入っていたのか、その中身が盛大にスヴォールンの下衣――膝元へぶち撒けられる。


「こっ!? 小僧ォッ――!」


 思わず激昂しかけたゲビの感情を先読みしたのだろう、当のスヴォールンが静かにこちらへと手のひらを向ける。やめろ、との合図だ。


「あ、ああ……、ご、ごめんなさい……!」


 転んで雪まみれになった子供が、地を這いながらスヴォールンとゲビを振り仰ぐ。慌てて立ち上がろうとするが、それすらままならないほど体力がないらしい。まるでひっくり返った亀のようにもがくのみだった。

 その様子を見下ろしたスヴォールンが、嘆息するように告げた。


「立つことも儘ならん移民の童子……五、といったところか。ゲビっ」


 呼びかけた部下の返事を待たず、長の右手に顕現するは氷の長槍。


 一瞬の早業だった。

 ヒュンと逆手で振り下ろされた氷槍が、子供の顔面を貫く――――ことなく、その裏側――首筋側へと回る。


「ひっ……!」


 小さな悲鳴。妙技だった。

 閃いた槍の穂先が、子供の着る上衣の襟元へと引っ掛けられる。柄元の部分をスヴォールンが左手で叩く形で払うと、半円の軌道で梃子のように子供の身体が持ち上がった。

 ……そのまま、男児の両脚が地面に接地する。


「う、うわ! え、あ、あれ……?」


 気がつけば立ち上がっていた……『立たされていた』事態を飲み込めずうろたえる彼を前に、スヴォールンはこちらへと片腕を伸ばす。


「はっ」


 指示に従い、ゲビは恭しく五枚の紙幣を差し出した。

 手に取ったスヴォールンが、それをそのまま子供へと差し延べる。


「この金で買い直せ。物資も余分に運び込まれている。精のつくものを食え」

「う、あ、え……?」

「バダルノイスはこれよりしばし『荒れる』。必要なものを買い、無用な外出をせず済むよう備えておけ」

「えっ、で、でも……ううっ、どうして、こ、こんなにたくさん……」

「首を縦に振っておけ、孺子。これは命令だ。スヴォールンから受け取った、と言えば誰も文句は言わん」

「……! う、あ……あ、ありがとうございます……!」


 顔まで知らずとも、その名はこの国に住まうならば当然聞き及んでいるだろう。

 子供は紙幣を握り締め、深々と頭を下げて、来た道をよたよたと引き返していく。


 スヴォールンが飲み物をかけられた自らの膝元へ目線を落とすと、付着していた液体が一瞬で氷結する。槍の石突きでその部分をコツンと叩けば、凝固したそれがパラパラと綺麗に剥がれ落ちた。氷槍も、役目を終えたかのように虚空へと散逸する。


(お……おお……)


 ゲビは感涙の極みだった。


(何と……何と、お優しい……。あのような小汚い移民の餓鬼にまで、何というお慈悲~……!)


 だが、分かっていることだ。

 怜悧冷徹で知られるスヴォールンだが、その裡には溢れんばかりの優しさを秘めている。表に出さぬだけなのだ。


(あの時も……そうだったのだ)


 思い返すたび、憤怒で腹の底が煮える。

 それは先の、レインディールに遠征した折のことだ。レノーレの情報を得るため、彼女が所属する学院、その私室へと赴き――


『レノーレが罪人だなんて! そんなの嘘だよ!』


 不躾に現れた礼儀を知らぬ愚昧な平民娘に対し、偉大なる長は慈悲を示そうとした。『今回と同じように』、遠ざけようとしたのだ。

 それを、


(リューゴ・アリウミ……)


 忘れもしない。

 英雄でも気取ったかのように現れたあの男。

 スヴォールンに不敬を働いたのみならず、さらには土足でこのバダルノイスの地を踏みにじった。


(……あ、ああ……このままではいかん……。いかんいかんいかん……異物は……排除せねば……)


 今、この国には汚らわしい存在が入り込んでいる。放置すれば病巣となりかねない邪悪だ。


(今こそが……変革の時)


 当人は一度も口にしたことがない。


 しかし、明白なのだ。

 バダルノイスを導くに相応しいのは、スヴォールン・シィア・グロースヴィッツ。この人物以外に存在しない。ゲビは、昔からそう考えていた。


(謙虚なお方なのだ……。だが、今や時は来た)


 この惨状を引き起こした元凶、エマーヌ・ルベ・オームゾルフ。


(……滅せねばならぬ。……ああ~、いい機だ。……お前も、私が排除してくれようか?)


 それは『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』にそぐわない『奇』の男。ミガシンティーア・エルト・マーティボルグ。

 思えば、ゲビにとっては最初からソリの合わぬ男だった。


(何者だろうと……スヴォールン様が頂点の座へと就くに当たり、目障りでしかない存在の全てを……私が消し去ってくれる)


 そう。さすれば、スヴォールンが自分を見る目も変わるはずだ。


(あんな屑を一目置くことなく、私だけを見てくださるはずなのだ――)


 忠臣たる男は、胸中で密かに決意を固めるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ケビみたいなキャラは大体死んだり酷い目にあいますけど、本当にスヴォールンのことを敬愛しての行動とかなら改心して終わりだと嬉しいんですね。誰かに利用されるとかかわいそうですし
[一言] これは、その内ケビも処さないといけないですね。 事が終わったら絶対いらない人材だもん
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