483. 真摯さゆえに
「奴らとエマーヌがどうやって知り合ったのかは知らないけど……どんな交渉があったのかは容易に想像できる」
オルケスターは、バダルノイスの再建に必要な資金を提供する。
その見返りとして、メルティナを――『ペンタ』の力が宿った臓器を求めた。
「しっ……しかし、オルケスターはそんな……、一国の建て直しを支援できるほどの財力を……?」
「持ってるだろうな」
ヘフネルの疑問を拾ったのは、タバコの煙を揺らめかせるラルッツだった。
「連中の構成員にゃ、やんごとない身分のお人がいるって噂もある。ハンドショットやらセプティウスやらにしても、あの出来を見りゃ相当な金が注ぎ込まれてることは明らかだ」
そこに続けたのはサベルだ。
「その高い資金力を遺憾なく発揮した一例が、レノーレ嬢の手配だった……って訳だな」
「今はあたしたちも賞金首だけどね~」
ジュリーがのほほんと彼の肩に頭を預けた。
高い石の天井を仰いで、メルティナが溜息をつく。
「私も最初は、ありえないと思ったさ。エマーヌがこんな行動を起こすなんて。けれど冷静になって考えてみれば、むしろ実にあの子らしい」
「なっ、らしい、って……」
またしても反射的に、ヘフネルの喉から否定の呻きが溢れ出す。
しかしヘフネルよりもよほど聖女をよく知る白き英雄は、泣き笑いのような表情で続けた。
「ああ。実にあの子らしい間違い方をしてしまったんだ」
優れた見識にて、バダルノイスが滅ぶ未来を予見し。並ならぬ責任感をもって、全て己だけで抱え込んだ。無垢で純粋ゆえ、悪徳者に唆されて。
しかしそれ以外に道も見出せず、今はきっと悪を自覚したうえで突き進んでいる――。
「……権力を手放したくないがゆえの行為……じゃ、ないんだろうなァ」
サベルが複雑そうな面持ちで頭を掻く。
メルティナが小さく肯じた。
「誰も彼も口では『我が国は至高だ』、『我が国が滅ぶことなどありえない』とかって言うけどね。そんな『素晴らしい国』にもかかわらず、『なぜか』王座に就きたがる人間なんていやしない。そんな中でエマーヌが推薦され、あの子も自分が役立てるならと引き受けたけど……実際は、とうに舵の壊れていた船に押し込められただけだ。お前のせいで沈んだ、と糾弾されるためだけに。そしてあの子は、その状況を逆手に取った。本当に自分のせいになるように。きっと、どんな手でも使う。稀代の悪王となって、どんな罵りを受けてでも国の基盤を固め直すつもりさ。……その後、誰かに座を譲るんだろうね。そういった意味で、今現在は何としても権力を手放すつもりはないはず……とも言えるかな」
この国にのしかかる負の全てを、自分だけで抱え込み浄化しようとしている。
その後、きれいになったこの国を誰かに託すために。
「……そんな……それじゃまるで、生贄じゃないか……」
愕然と漏れたヘフネルの呻きを、メルティナは否定しなかった。
「言い得て妙だね。遥か南東のレフェ巫術神国では、『神域の巫女』って呼ばれる女性が有事の際に贄として選ばれるなんて聞いたことがあるけど……エマーヌは、自らそうなることを望んだんだ」
「でしたら……なおのこと、なんとしてもお止めしなくては」
力強く意志を滲ませるのはベルグレッテだ。
「現在、レフェにおいて『神域の巫女』が犠牲となる風習は潰えました。悪手ゆえ、淘汰されるに至ったのです」
「へえ、そうなんだ。それは知らなかった。なら、なおのことエマーヌにそんな道を辿らせる訳にはいかないね」
白の英雄が薄く微笑み、自らの胸に手を当てる。
「私は……エマーヌのためなら、喜んでこの命を差し出すつもりでいた」
「……メル……」
ここまで黙って聞いていたレノーレが、悲しげにその名を呼ぶ。
「メ、メルティナ殿。そのご発言は……」
ヘフネルもたまらず動揺した。自らの命を放棄するような行為・思想は、キュアレネー信徒の間で禁忌とされている。
「まあまあ。例え話ってことで聞いてよ。……だからエマーヌが目的を達する過程で私の死を必要とするというなら、それは一向に構わなかったんだ。……でも」
笑みが消え、その白く整った柳眉が歪む。
「エマーヌは、無関係なレンを巻き込んだ。それだけに留まらず、美術館や店で働く民たちをも……何の罪もない市井の人たちをも利用した。こともあろうか、エマーヌを信じて悩みを打ち明けた人たちに対し、その悩みへ付け入るような形で……。絶対に許されることじゃない」
「……、」
ヘフネル自身が調べ、ベルグレッテたちに伝えたことだ。
「放置すれば、あの子は同じ手口を繰り返すだろう。やむを得ない犠牲なのかもしれない。代替案を出せと言われれば、今の私には何も浮かばない。それでも……民が生きるための国を再建しようというのに、その民を犠牲にするなんてやり方は馬鹿げている」
「……っ」
ヘフネルの脳裏に、エルサーとのやり取りが甦る。
ただ父親の病気の治療費を捻出したいと願っただけの彼女は、知らず常軌を逸した事態に巻き込まれ怯えていた。
もう一人のニクラスに至っては、都合のいいように扱われた挙句その命を奪われている。
「エマーヌを止めるよ。これ以上、あの子の思い通りにはさせない」
強い意志の滲んだ言葉だった。
しかし、である。
「で、ですが……どうなさるおつもりです?」
国家は今や、この場にいる者たちの大半を罪人と見なしている。つまり皆が抗おうとしている相手は、『バダルノイス神帝国そのもの』だ。
「うむ、それもあって君に来てもらったのさ。今現在の王宮内部の様子を教えてほしくてね」
「よ、様子と仰られましても……」
「簡単にでいい。エマーヌを支持するから話せない、と言うならそれでもいい」
「いっ、いえ! そんなことは!」
未だに信じられない。あの聖女がそのような暴挙に打って出たなど。
だが、仮に自分が彼女の立場だったならどうだろう。
国の未来は絶望的。八方塞がり、打つ手なし。そんな状況を打破できる何かがあるのなら、悪と分かっていてもすがってしまうのではなかろうか。
(僕には……分からない。分からないことだらけ、だけど……)
ただ。
全てがオームゾルフの思惑通りに進んだとして、今後バダルノイスは……そして聖女自身はどうなるのか。
少なくとも……明るい未来が待っている、とはどうしても思えなかった。
「メ、メルティナ殿やベルグレッテさんのお話が確かならば……エマっ、オームゾルフ祀神長をこのままにしておくことは……できません」
あらゆる意味で、だ。
このままでは、『真言の聖女』は……己の憧れた女性は、稀代の悪女として歴史に名を刻んでしまうことになる。
「いいの? ヘフネルくん」
ジュリーが労るように尋ねてきた。想い人につかなくていいのか、との意味合いが含まれた問いを。
「……はい」
だからこそ、だ。
淡い恋心を抱くからこそ、彼女がこれ以上悪に染まる様を見たくはない。
密かな決意を固めていると、メルティナが何でもないことのように口を開く。
「いずれにせよ、君の今の立ち位置もなかなかに難しいからね。ベルグレッテさんたちをバダルノイスまで連れてきた案内役……つまりは数少ない『接点』として、エマーヌたちに目を付けられているはず」
「えっ」
ヘフネルが目を丸くする間にも、白き女英雄は続ける。
「実際、我々はこうして君に頼らざるを得なかった。本当なら、君の身に無用な危険が及ばないよう保護するなりしてあげたいところだけど……。ここで君が姿を消せば、最悪裏切ったものと見なされ、君までもが手配される恐れもある……」
「えっ、え!?」
考えもしなかった。ヒヤリとした冷たさが腹底に舞い降りる。
「なーんて、ね。まあ、さすがに君に対してそこまで強引な真似はしないはずさ。ただでさえらしくない真似ばかりしてるし、あまりあからさまだと第三者の中からエマーヌを怪しく思う人も出かねないからね。ただ、可能性として考えられなくはないということだよ」
だが、ギクリとするほどに符合した。
『……お前もそうだよな? ヘフネル……』
あの時の、ガミーハの冷酷なまでの視線。
釘を刺すような言葉は……つまり、『そういうこと』だったのだ。
「流されずに考えてくれ、ヘフネル」
脳裏に甦った幼なじみの声とは真逆の言葉で。
そう優しく語りかけてきたのは、初対面以前から一方的に知っていたトレジャーハンターの青年だった。
「サベルさん……」
「こうして呼び寄せはしたが、まだ引き返せる。お前さんはここを出て、王宮に俺たちの居場所を報告することもできるんだ。そうすれば目を付けられる立場から一転、大手柄だぜ」
「な……!」
思わず言葉を失った。
にわかに生まれる間。集まる注目。
「おいおい。コイツが王宮にこの場所をチクるってなら、俺はトンズラさせてもらうぜ? とばっちりはゴメンだ」
ラルッツが大げさに肩をそびやかす。
これは分岐点だ。
知らず知らずのうちに、国家にその動向を注視される立場。
それを覚悟で、ベルグレッテたちの一助となるか。それとも、王宮の先兵となるか。
「……な……」
ややあって絞り出したヘフネルの声は、わずかにかすれていたが。
「舐めないでください、サベルさん」
それでも、言わずにはいられない。
目を丸くした彼や、この場へ集う皆へ向かって。
「こう見えても僕は、正式な試験を通って任ぜられたバダルノイスの兵士です。兵士は常に、正しい者の味方でなければなりません。今、間違っているのが国のほうだというのなら……それを正すのが、僕の役目です」
分かっている。
そんな大層な言葉を吐ける立場でもなければ、力も持っていない。
しかし、だからこそ。
せめて意志だけは。
「……そうか」
ふ、とサベルが口元を緩めて笑った。
一方、ヘフネルをここまで導いてきたラルッツは腕を組んで鼻を鳴らす。
「まっ、『賞金首』が雁首揃えたこの場で『国に味方します』とも言えんだろうがな」
「ラルッツさん、でしたね。あなたも舐めないでください」
「あぁん?」
「ここで僕が我が身可愛さにその場しのぎをしたところで、バダルノイスに先がない。それでは、何の意味もないんです」
「そうかい。口だけじゃないことを願いたいね」
「見せますよ。行動で」
きっぱり言い捨て、メルティナへと向き直る。
白き『ペンタ』は、ニヤリと満足げな笑みを浮かべて。
「うんうん、有望な若者で何よりだ。じゃあ、そうだな……ひとまず、ちょっと王宮内部の状況なんかについて教えてもらおうかな」
確かに、意志は固めた。
だが、
「う、うーん……お答えしたいのはやまやまですが……僕が知ることなんて、ほとんど何もないようなもので……うーん……何か……何かあるかな……」
「じゃあ、質問するから答えてもらおうかな。今、兵士の配置はどうなってるの?」
「そっ、そうですね。それでしたら……やはり皆さんを国外へ逃がさないよう、南の国境付近に重点的な警備網を敷いているみたいです」
ベルグレッテたちの住まうレインディールは南方に五日ほどの距離。
無実の罪を着せて追い立てているのであれば、王宮としては絶対にここを突破される訳にはいかない。
ロイヤルガードたるベルグレッテが自国に逃げ延びて真実を告げれば、オームゾルフらの目論見は失敗に終わる。
(……、あ。そうなってしまったら……)
そこで若兵は気付く。
バダルノイス人とレインディール人の双方が住まう中立地帯で勤務する立場上、その話題はよく耳にしている。
屈強なる獅子王アルディア、その直下となる精鋭大隊・『銀黎部隊』。王も部隊も、大陸随一と称される強者たち。
かの王が自国の騎士を不当に貶められたと知れば、果たしてどんな報復が齎されるだろう――。
(でも……)
仮に、例えそうなったとしても。
現在の王宮の行いは、まかり通っていいものではないと思うのだ。
「あと、そういえば……通信術が遠くまで繋がらないみたいなんだけど、何か知らないかな?」
「え? 通信術が? いえ……。繋がらない、というのは……?」
「そのままの意味さ。グ……知人がハルシュヴァルトに連絡を取ろうとしてみたんだけど、何度試しても通信が届かないっていうんだ。たまたま誰も出ないのかと思ったけど、なんだか違う気がするんだよね。今まで、こんなことはなかったと思うし」
「そのようなことが……? いえ、僕は何も聞かされていないです」
考えてもみれば、優れた術者ならばここからハルシュヴァルトまで通信を繋ぐことも不可能ではないはず。
例えばヘフネル本来の勤務先でもあるあの中立地帯へ通信を飛ばし、レインディール兵に現状を知らせることができれば、それだけでかの国の助けがやってくるはずだ。だが、繋がらないとなれば……それも何らかの工作によるものだったりするのだろうか。
「ふむー。それじゃあ、東の国境については?」
「え?」
刹那、思考を割る質問。ヘフネルは思わずメルティナの顔を見返した。発言の真意を掴みかねたからだ。
「東の国境の警備はどうなってるの?」
白き女傑が言葉を足して問い直してくる。
「東……ですか? それは……ええ、いつも通りかと思われますが……?」
考えるまでもない。
ベルグレッテたちが南方の自国まで逃げおおせるか否か。
そんな局面において、東の国境など何の関係もない。はずなのだが、
「ふむー。だそうだよ、ベルグレッテさん」
「……ええ」
令嬢たちはそんなやり取りを交わす。
「……? ……、いや、まさか」
思い至った。平凡を自覚するヘフネルでも。わずかな空白の後に。
「て、手薄な東から……バダルノイスを出ようと……?」
確かに不可能ではない。
極めて遠回りだが、長旅の果てにレインディールへ至ることはできる。だがそれは、あくまで地図上での話。理論上は可能、というだけだ。
いざ実行するとなれば、数ヶ国間を渡り歩くことになる。膨大な月日がかかり、季節も移ろうだろう。
無論、安全な街道ばかりでもない。賊や怨魔、入り組んだ地形や自然の脅威……様々な危険も待ち受けている。総じて、あまりにも現実的ではない。
「まあ、そんな選択肢もありかもしれないよねって話さ」
にこやかなメルティナの笑顔からは、本気の度合いを窺い知ることはできそうになかった。
「あとは……そうだね。例の特別相談役に任命されたお三方はどんな感じ? わざわざ役職与えたんだし、堂々と宮殿暮らしをさせてるんでしょ?」
ハッとしたヘフネルは慌てて口を開く。
「ええ、はい! そうでした! 彼らのことをお話ししていませんでしたね……! って、ええと……あれ、あの三人のことをご存じで?」
「エマーヌが目の前で連中を呼び出して、その場で任じたからね。直後戦闘になったから、それ以降のことは何も知らないんだ」
「さ、左様でしたか……! といっても、僕らとしても似たようなもので……あの作戦の直後、本当に突然でしたね。国の者でもない……誰だかも分からない三人を、いきなり宮殿に迎え入れられて……」
「皆もさぞ困惑してたんじゃない?」
「ええ、はい。同僚たちも驚いていました。スヴォールン様たちが不在の時に、こんな決定なんて前例もありませんから……。ですが……その、皆さんを……新たな罪人と認定された皆さんを追い詰めるために、絶大な協力を申し出てくれたとの触れ込みで……懸賞額の資金提供も彼らが、と」
「はは、なるほど。流石オームゾルフ祀神長、嘘は言ってないな」
サベルが肩をそびやかして笑う。
「彼らは一体……?」
「オルケスターだよ」
事もなげに言ってのけるのは、ヘフネルをここまで連れてきたラルッツだった。
「オ、オルケ……な、」
「まともな人間に見えたか? あいつらが」
「そ、それは……」
ヘフネル自身、あれからずっと気にかかっていたことだ。王宮に相応しいとは思えない者たちだと。
「そ、それなら……何てことだ。黒い組織の人間を、宮殿に迎え入れるだなんて……!」
「そういうわけで情報がいる。何か知らないかな?」
メルティナの問いに、青年はどうにか頭を捻る。
「特に、それ以上の情報は……。そうですね、あの派手な女性……ミュッティ、でしたっけ。彼女が就任直後からほとんど王宮内にはいない、という話を聞いたぐらいでしょうか……」
「なるほど。まあ、それは私たち……というより、『私を』探してるのかな」
メルティナの白い瞳を受けて、ベルグレッテが小さく肯じる。
「私を見つけたところで、制圧できる人間じゃなきゃ意味がない。彼女は、そのためにエマーヌがわざわざ用意した切り札だからね」
「ミュッティか……」
渋面で呟いたのはラルッツだ。どこか悪夢を振り払うように首を振る。強面の彼にそぐわぬ、やや弱気な仕草。
メルティナが誰にともなく、のほほんと独白した。
「強いね。正直、あれほどの使い手がいるなんて考えもしなかった。世界は広いな」
「……そ、そこまでの手練なのですか?」
ヘフネルも多少の話は聞いている。ただそれも眉唾もので、巻き添えを食った兵士が十数人もまとめて吹き飛ばされただとか、周囲の建物が崩壊しただとか、尾ひれがついているとしか思えない内容だった。
「なにせ、私たちがこんな廃工場に隠れているのは彼女が原因だからね。あの日、本当ならあの場でエマーヌを押さえることができていればこの話は終わりだった。それを阻んだのが、あのミュッティって娘さんだ。最低限の目的……皆で脱出する、という部分はどうにか果たせたけど」
そこで言葉を切った彼女が、隣の部屋に続いていると思わしき鉄扉を見やる。
ラルッツが意図を汲んだように続けた。
「リューゴが奴にやられた。そっちの部屋で寝てんのさ」
ヘフネルが驚きの声を発するより早く、
「やられたワケじゃねーよ」
低く異論を差し挟んだのはエドヴィンだった。
「あーだこーだとよ、めんどくせー状況が邪魔だっただけだ……。純粋な一対一、何のしがらみもねードツキ合いだったら、アリウミがやられるなんてありえねーんだよ」
どこか、自分自身に言い聞かせている風な呟き。
ラルッツが溜息で応じる。
「リューゴの強さなら俺もよく知ってるつもりだ。他人を蹴落としてナンボの天轟闘宴で俺の命を救ってくれたうえ、最後にゃ優勝しちまったような男だからな。……だが、ミュッティがその上を行ったとしても驚きゃしねえ」
「! どっちの味方だ、てめーはよ……!」
「事実を言ってるだけだ」
「ち、ちょっと待ってください。ラルッツさん……あなたは、以前からあの人物を……ミュッティを知ってるんですか?」
会話に引っ掛かりを感じたヘフネルは、半ば反射的に尋ねていた。
彼の表情に苦さが滲む。
「……昔、仲間と一緒に絡んだことがあってな。こっちは二十人以上いたが、一瞬で全員が引き倒された。あん時、向こうが『その気』だったら……」
「うぅ、思い出したくもねぇよ……」
子分のガドガドが頭を抱えるように縮こまった。彼もその場に居合わせていたらしい。
「もっとも、奴は俺らの顔なんざ覚えちゃいねぇだろうがな……」
歯牙にもかけられていない悔しさか、そのような相手に付け狙われずに済んだ安堵か。どちらとも取れる複雑な面持ち。
「二十人を一瞬で……。それほどの真似をやってのけるとなると、やはり『ペンタ』なんでしょうか」
ヘフネルとしては誰に問うた訳でもなかったが、その疑問にはこの場にいる『ペンタ』が応じた。
「いや、彼女は違うよ。確かに術の威力こそ高かったけど、間断なく連発してくるようなことはなかったしね。保持と詠唱、攻撃と防御を巧みに使いこなしている印象だった。そういった意味では、模範的な詠術士ともいえるね」
常人と超越者、決定的な違いは詠唱と呼ばれる動作にある。
『ペンタ』に劣らぬ規模の神詠術を扱える達人も存在するが、結局のところそんな大技の行使には長い詠唱時間が必須となる。いかにして詠唱を短縮するか、基本的にはこれが詠術士における永遠の課題なのだ。
基本的に詠唱を必要としない『ペンタ』との差。これだけは簡単には埋められない。
予め準備を済ませ保持しておくことも可能だが、その数は限られる。無詠唱で連発できる『ペンタ』にはやはり及ばない。
「まあ、それを差し引いても彼女が並の詠術士でないことは確かだね。私を殺せるだけの力は間違いなく持っている」
「……メル……」
不安げに名を呼ぶレノーレに対し、メルティナはいたずらっぽい笑みを返した。
「そう心配そうにしないでよ、レン。負けるとは一言も言ってないからね。殺せる……という話であれば、刃物を持っただけの子供にだって可能なんだから」
咳払いを挟んだ彼女は、「ちょっと話が逸れたけど」と軌道を修正した。
「他の二人は? モノトラとアルドミラール、だったね。彼らはどうしているのかな」
前者の名前を聞いてレノーレとエドヴィンが、後者ではサベルがそれぞれ反応したように見えた。その様子を横目に、ヘフネルは自分が知る限りの情報を伝える。
「ええ、はい。あまり見かけることはありませんが、宮殿には滞在しているみたいです」
「ふむー。ひとまずその二人については大きな動きはなさそう、かな」
口元に人差し指を添えたメルティナに対し、ラルッツが肩を竦めた。
「俺からしてみりゃ、今の時点で十二分に大事だがね。オルケスターの連中が、堂々と王宮に入り込んで居座ってんだ。特別相談役、なんつうそれっぽい肩書きまでもらってよ。奴らがここまで大胆な動きを見せるとは思わなかったぜ」
ごもっとも、と苦笑したメルティナが話を繋ぐ。
「さて、そこで問題となるのが『雪嵐白騎士隊』の存在だ。彼ら……というよりスヴォールンが、先の作戦以降のエマーヌの独断を容認するはずがない」
オルケスターの三名を役職つきで王宮に迎え入れたこと、そして新たな高額賞金首を五名も指定したこと。しかもその対象は、オームゾルフ自身が客として招いた者たちだ。
これらは本来、『雪嵐白騎士隊』と協議を重ねたうえで可否を決定づけられるべき内容に違いない。
「エマーヌのことだ、無策じゃないだろう。ヘフネル君、スヴォールンたちの現況について何か聞いてないかな? 噂程度でも構わない」
「う、ううーん……。すみません、特には何も。カーリガルの街に赴かれたきり、まだお戻りになられないとしか……」
そこで珍しくレノーレが反応を示した。
「……カーリガルはバダルノイス最北端。……オームゾルフ派が情報を操作していれば、まだ兄上に話が伝わってない可能性もある」
「けど、例の作戦から今日で三日だからね。遅延工作があったにしても、さすがにそろそろだよ。……彼のことだ、今の状況を知ったら頭から蒸気を吹くだろうな。その熱気でカーリガルの雪が溶けるかもしれないぞ」
己が招いた客を一転して罪人と認定する、様々な憶測を呼びそうな扱い。客観的に見るならば、そのように極端な対応をしたオームゾルフの印象にもかかわってくる問題だ。悪に徹する覚悟を決めた彼女にしてみれば痛くも痒くもないだろうが、外面を重んじるスヴォールンは眉をひそめる。
何より愛国心の強いスヴォールンは、外の人間を王宮に招き入れて役職を与えることなど絶対に認めないはずだ。
「どうするつもりなんだろうな、エマーヌは……」
思案するメルティナに、サベルが声をかけた。
「オルケスターの刺客を使って消すつもりだったりするんじゃないか? ……俺たちにそうしたみたいにな」
「うーん、どうだろう。これだけ大きな動きがあった直後に、『雪嵐白騎士隊』まで襲われた……となるとちょっと露骨だ。一般兵や平民の中から、エマーヌを疑わしく思う者が出てきかねない。何より、スヴォールンたちもあれで精鋭だからね。大人しく暗殺されるようなタマじゃない。オルケスターとかち合えば、人目を引く大きな戦闘に発展することは間違いないよ」
と、そこにレノーレが意見を差し挟む。
「……一刻も早く私たちを捕らえたい王宮やオルケスターにしてみれば、そんなことに労力を割いてる余裕はないはず」
彼女の言葉に「だね」と頷いたメルティナは、
「どうかな? ベルグレッテさん。何か気付くこととかないかな」
ここまで聞き役に徹し続けている彼女に話を振った。




