482. 穴熊
「なっ、何!? 皆さん、どう!? 皆さん!? どうして……!」
ヘフネルの喉からは、まともな言葉など出てきはしなかった。
その部屋にいたのは――ベルグレッテ、サベル、ジュリー、エドヴィン……そしてメルティナ、レノーレと彼女の母親レニン。
王宮やオームゾルフらの前から忽然と姿を消し、ついには罪人として手配された者とその関係者――
「これは!? どういうことです!?」
間が抜けたように、そう叫ぶことしかできない。
「あはは、どうどうヘフネルくん。落ち着きなさいな」
ジュリーが馬でもなだめるかのように手を振ってくるが、
「どういうことなんです!?」
取り合う余裕もない。頭がどうにかなりそうだった。
チッと舌を打つのは、ここまでヘフネルを連れてきたひげ面の男――ラルッツと呼ばれた人物だ。
「ったく本当に兵士なのか、こいつは。みっともねえ。今さっきも、上まで来たら急に及び腰になりやがってよ。聞き分けのないガキを引っ張ってきた気分だぜ」
「そりゃ、いかにもな悪人ヅラ二人に連行されたらなァ」
ヘフネルの知る限りでは意識不明だったはずのサベルが、以前と同じように笑う。
「おっと、そりゃ聞き捨てならないよサベルの旦那。おっかない顔してんのはラルッツの兄貴だけで……、あいたっ! 兄貴ィ、ぶたないでくれよぉ」
そこで肩を竦めたのはエドヴィンだった。
「で、尾行はされてねーんだろーな?」
彼もサベルと同じく。あれだけのケガが嘘だったかのように、以前の姿を取り戻している。まるで時間を遡ってしまったかのようだ。
「はん、誰に口利いてやがる小僧。こちとら、そのテのこたぁ専門家だ。そんなヘマやらかしゃしねえよ」
鼻を鳴らすひげの男に対し、ヘフネルは詰め寄らんばかりの勢いで口を開いた。
「そっ! それなら! 皆さんがいるなら、なぜ最初からそうと言ってくれなかったんです!?」
ヘフネルとしては当然の疑問だったが、ラルッツは心底呆れたような顔となった。
「アホか、何言ってやがる。今、こいつらはお尋ね者なんだ。外で迂闊に名前なんぞ出したら、誰に聞かれるとも知れんだろ。妙な術やら道具やらで音を拾われるのも避けたかったからな、会話もできるだけ避けたかったんだよ。ここに帰ってくるまで、用心を徹底しただけのこった」
「あっ……」
そうだ。あの酒場でもまさに、近くの席の冒険者がベルグレッテたちの手配について話題にしていた。なるほどと得心しつつも、すぐさま別の疑問にぶち当たる。
「そっ、そもそも、皆さんどうしてお尋ね者に! 何かの間違いですよね!?」
ただただ混乱するばかりの青年に対し向き合うのは、
「ヘフネルさん、私からご説明いたします」
「……ベルグレッテさん」
やはりというべきか、彼女だ。
と、ヘフネルはそこで今さらながら気付く。
「そういえば……リューゴさんは……?」
「リューゴはケガの治療のため、隣の部屋で安静にしています」
「ケガを……されたんですか」
ベルグレッテは無言で頷いた。
「……その件も含め、ここに至るまでの経緯をお話しするつもりですが……」
「は、はい。是非」
上司のヒョドロと向き合う時と同じように背筋を伸ばす。願ってもいない、今すぐ聞かねば気が済まない。
――が、
「…………」
彼女は沈痛な面持ちで黙り込んでしまう。
「……ベルグレッテさん? どうされたんです?」
「……ヘフネルさんにとって、とてもつらいお話になります」
「えっ」
「これからお話しする内容は……ヘフネルさんにとって、極めて衝撃的なものとなります」
そう告げた彼女の目が、薄氷色の瞳が、静かにこちらを見据えてきた。
問うているのだ。
それでも、聞く気はあるかと。その覚悟はあるかと。
「……、……聞かせてください。是非」
ここまできて否定する選択肢などありえない。何より、彼女は聞かせるつもりで自分をここに導いたはず。
「……承知しました。では」
そうして、彼女は語り始めた。
あの作戦が決行された日、何が起こったのか。その一部始終を。
「――――――――――」
もはや、ヘフネルの脳には何か言葉を発しようなどという思考すら浮かばなかった。
黒幕がオームゾルフ。
彼女を信奉する一派に加え、ベンディスム将軍、そしてヘフネルの幼なじみであるガミーハまでもが敵に回っている。
事前に根回しして、先日の捕縛作戦が展開された直後に手紙がヘフネルの下へ届くよう、ヒョドロに協力を要請していた。
こうして、この場にヘフネルを呼び寄せるための仕込みとして。
上官たるヒョドロからの手紙であれば、例えオームゾルフ派の検閲が入ったとしても怪しまれずに済む。
「……い、やいやいや……わけが……分かりませんよ……」
当たり前だ。
そんな話、信じられる訳ないじゃないか。
聖女オームゾルフに加えてあのベンディスム将軍やガミーハまでもが『敵だった』というならば、それはもはやベルグレッテたちこそがバダルノイス神帝国における敵となる訳で――
「……、!」
救いを求めるように彷徨ったヘフネルの瞳が、その人物の姿を捉える。
本来であれば誰よりも、オームゾルフの味方であるはずの女性。
純白のドレスに身を包む、純白の『ペンタ』。長らく王宮へ戻らぬ逃亡者めいた暮らしを続けているからか、その真白の装いには所々に汚れが付着している。
「メ、メルティナ殿。あっ、あなたは、どのようにお考えで……」
ヘフネル自身、何を問いかけたいのか分からなかった。ただ動揺のまま口走っただけだった。
それに対し、白き英雄は儚い笑みを返す。
「ふむー、そうだね……。君はここに来るまでこの街の廃墟を見て、どう思った?」
「えっ」
思いがけない質問をぶつけられ、ヘフネルは面食らった。
とはいえ、相手は北方最強の英雄にして貴人。何を言っているのか、などと露骨に疑問を呈す訳にもいかない。回答すべく、凡民の青年は必死で思考を巡らせる。
「ええ、はい……そ、そうですね……。自分もこのユーバスルラには何度も訪れておりますが……静かで、複雑に入り組んでて……知らないような道も多く、こんな場所もあるのか、と思うほどに広く感じました。あとは――、あ、いえ」
続けようとした内容がやや下世話であることに気付き、慌てて言葉を切る。
が、
「うん? あとは?」
しっかりメルティナに拾われてしまった。
「い、いえ」
「堅苦しい場じゃないんだ、無礼講だよ。ささ、遠慮せず話してみたまえ」
にこやかに言われては仕方がない。
「は、はい。ええと、その……これだけ多くの工場が上手くいかなかったことで、どれほどの損失になったのだろう、と……」
相手の顔色を窺うように呟くと、彼女は大仰に頷いた。
「いや、もっともだよ。前王が後先考えずに打った政策のひとつ、その成れの果てがこの区画……この場所だ」
策の過ちを示すかのごとく、工場や家屋の無計画な後付けによって肥大したこの街は、遠目にも歪な景観をしている。おそらく誰の目にも、美しいとは映らないだろう。
「こうした失敗や、迎え入れておきながら異物と見なされた移民たち……。前任者の失態を挙げたなら、それはもうキリがない」
その移民の鎮圧を任されたのが、当時十歳を過ぎたばかりのメルティナだ。想像を絶する戦いの日々だったろう。
「エマーヌは、それら負債を押し付けられる形でこの国の主になった。それでも……あの子は学院生時代も常に首席だったし、その後の教団内においても非凡さを発揮したからね。きっと、彼女を知る誰しもが思ったはず」
「エマーヌ・ルベ・オームゾルフなら、きっと何とかしてくれる――と」
メルティナが紡いだその言葉で。罪を指摘されたように、ヘフネルはギクリとした。
それは常日頃、己が抱いていた思いそのものだったからだ。まさしくここへやってくる途中、廃墟郡を眺めてそう考えたばかり。口癖みたいに、心の中で繰り返していた言葉。あの憧れの聖女なら、必ずいい方向に導いてくれる……と。
「いや、私だってそう思っていたさ。信頼、と呼べば聞こえはいい。けれど実際は、あの子に押し付け背負わせていただけ……」
悔恨の滲んだ独白。
「あの子は誰よりも真面目で、責任感が強くて……指導者となったからには自分でどうにかしなければ、と抱え込んでしまったのさ」
その様が目に浮かぶようだった。
「そしておそらく……いざ指導者となり、今の自国が置かれた現状を客観的に分析して――エマーヌは気付いたんだ。柔軟な思考を持ち、物事を俯瞰して見ることの可能なあの子だからこそ気付くことができ、認めることができた」
かつてこの国を死守した英雄が、言い放つ。
「バダルノイスを再興することは、もう不可能だと」
「そっ……!」
そんな訳はない、と発せられるはずだったヘフネルの言葉は、喉の奥で潰れて消えた。衝撃のあまり、形にならなかった。
「もちろん、だからといって諦めるエマーヌじゃない。その現実を直視したうえで、あらゆる手を尽くしたはず。けれどもちろん、誰にも相談なんてできやしない」
それこそ誇り高いスヴォールンなどには、口が裂けても言えなかったろう。
否、誰に対してであろうと同じだ。
(もうこの国はダメだなんて、手遅れだなんて……王が言えるはずもない……)
仮に言ったとて、まさに今しがたのヘフネルのような反応を見せるだろう。
そんな訳はない、と。
それは、『真言の聖女』ですら誰にも明かせなかった真実。
(何てことだ……)
……ヘフネルにもようやく見えてきた。この語りの終着点にして、今回の一件が起きるに至った発端が。
「実際、何もないんだよこのバダルノイスには。作物や家畜を育てるには厳しい土地柄。ただでさえそんな環境だったのに、産業を支えていた職人たちは内戦で死んだ。栄華を誇っていた貴族たちも大半が死んだ。健在で今も力を持ってるのはメーシュヴィツ家のご老と、あとはオーランダル家ぐらいかな? 私もエマーヌも、どちらかといえば『元』貴族と呼ぶべきだろうね。もう血縁がいないんだから。とにかく、金を生み出す人も持っていた人もいない。これ以上民から税を徴収することも難しい。こうなっては――」
『別のところ』から調達するしかない。
「その相手が……オルケスター……」
かすれたヘフネルの呟きが、焚き火の爆ぜる音に呑まれて消えた。




