481. 怪しい依頼
言いつけ通り尾行を意識し、わざと遠回りをしたり無意味な道を通ったりしつつ目的の場所へ。
(そろそろ指定の時間だ。誰にも尾けられてはいないと思うけど)
昼過ぎにもかかわらず、酒場はそれなりに混雑していた。
やはりというか、傭兵や旅人らしき者の姿が目立つ。
それももっともだろう。元々高額手配されていたレノーレに加え、新しく五名の賞金首が指定されたばかりだ。バダルノイス史上、ここまで大規模な罪人の公布がなされた前例はない。
(使いが来るっていう話だし……あそこのカウンターがいいかな)
テーブル席はちらほらと人で埋まっており、一人で座れそうなところがない。座れたとして、関係ない者と相席になっても困る。
部屋の一角、椅子が五つ連続で空いているカウンター席の真ん中に腰掛け、適当に温かい茶を注文した。
「ふう……」
酒は飲めない性質だ。仮に飲めたとしても、こんな気分で嗜む気にはならないだろう。
それとも逆に、酒でこの陰鬱な気持ちを吹き飛ばそうと思ったりするのだろうか。いずれにせよ、飲まない身には分からない。
(おっと、忘れるところだった)
鞄からそれを取り出し、カウンターの上に置く。
それは、金色の小さな灰皿。もちろん純金製などではなく、ただ塗られているだけだ。見ればそうと分かる安っぽさが漂っている。
そしてヘフネルは酒もやらなければタバコも吸いはしない。
この灰皿は、手紙と一緒に送られてきた『待ち合わせの印』だった。
準備を終えて、一息。喧騒の中、最寄の席に陣取る冒険者らしき一団からの会話が聞こえてくる。
「にしてもよぉ、この国はどうなってやがる? 今度は三百万が五人だぜ。高額の賞金首が次から次へと……」
その内容だけで、直前のやり取りを聞かずとも分かる。ベルグレッテたちのことだ。
「ま、誰がどんだけ手配されようと知ったことじゃないね。どうせ国から出られんし、この機に稼がせてもらおうじゃねえの」
好き勝手言ってくれる。これだから余所者の冒険者は、とヘフネルは内心で嘆息した。
そうして顔も名も知らぬ相手を待ち続けることしばし。
「!」
さして時間は経っていない。ヘフネルの右隣に、一人の男が腰掛けた。座りざま、店員へと呼びかける。
「注文いいか。カトラ・ショットを一杯頼む」
痩せぎすの体格、整える気もなさそうなひげを疎らに生やした中年の男。口の端には、紫煙を立ち上らせるタバコを咥えている。
(……もしかして、この人がヒョドロ兵長の遣いか……? ……いや、)
それはないな、とヘフネルは即断した。
風体からして、周囲の客らと同じ冒険者だろう。厳つい面構えに加えて、明らかにバダルノイス人ではない。
流れの余所者を毛嫌いするヒョドロが、このような人物に仕事を依頼するとは思えなかった。
(!)
そんな考えを巡らせていると、今度は左隣に人が座った。
樽のような丸みを帯びた、小太りの男。一見すると中年のようにも思えるが、その顔にはあどけなさが残っているようにも感じる。
「マスター、エールを一杯おくれよ!」
高めの声からすると、やはりヘフネルより年下だろうか。ともあれ、この人物も冒険者に違いない。つまり、ヒョドロの遣いではありえない。
(……さて)
店内の柱時計に目をやると、指定の時間を十分ほど過ぎている。
両隣を無関係な人物に挟まれてしまった。まあ、いざとなれば場所を移動すればいい。それにしても、そろそろ現れてもいい頃合いのはずだが――
「ヘフネル・アグストンだな?」
タバコの煙とともにそんな言葉を吐き出したのは、つい先ほど右隣に座ったひげ面の男だった。
「!」
驚きのあまり、ヘフネルは思わず相手の顔を凝視する。
「その金ピカの灰皿。合図だろ?」
男が、ごつい指先に挟んだタバコの先で指し示す。
「じ、じゃあ……あなたが、ヒョドロ兵長の……?」
「そういうこった」
彼はジョッキに手を伸ばしながら、ふーっと紫煙を吹き出した。
「そう、ですか」
絶対に違うだろうと高を括っていたこともあり、動揺がまざまざと表れてしまう。
「……ええと……では、それで、僕が預かるものというのは……?」
ヘフネルは今一度、男の頭からつま先までを改める。彼は手ぶらだ。袋のひとつすら持っていない。
「ああ……それなんだがよ、持ってきちゃいねえんだ。置いてある場所まで案内すっから、ちょっくら一緒に来てくれねえか」
「えっ?」
ヘフネルの返事も待たず、男はジョッキの中身を飲み干して立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことです?」
うろたえるヘフネルにすれ違いざま、
「いいから来な。できるだけ人目を避けてえんでな、詳しい説明は後でする」
肩に手を置いてそう耳打ちするや否や、金を払ってさっさと先に行ってしまう。
「え? ち、ちょっと!」
慌てて呼び止めようとしたヘフネルだったが、後ろからトンと背中を押された。
「いいから言う通りにしておくれよ、兄さん」
誰かと思えば、先ほど左隣に座った小太りの男だった。
「なっ……」
ひげ面の仲間だったのか、と驚いている間もなく、
「ほれ、行くどー」
半ば無理矢理に連れ出される形で、酒場を後にする。
「…………」
ひげ面の男に先導され、後ろからは小太りの少年がついてくる。二人に挟まれるようにしながら、雪の歩道を行く。
「あの……」
「話は後だ」
取りつく島もない。
工業都市ユーバスルラ特有ともいえる、屋根のように折り重なる太い配管郡の下を抜けながら、坂を降りて路地裏へ。
この辺りまでやってくると、昼間でも極端に人気がなくなる。
(変わらないな、この辺は……)
ヘフネルがまだ幼い少年だった頃。
当時の為政者は『滅死の抱擁』で被った損害を補填するために工場や住み家を乱立させたが、後の内戦によって人口はさらに激減。結果、人の消えた建物ばかりが残される形となった。取り壊すにも金がかかるため、大半は朽ちるままに放置されている。
よって今も、建造物の密度に反し住民が異常に少ない。
しかし裏を返せば、誰のものでもない屋根つきの建物が多数点在する環境。ならず者や金に困った旅人が入り込んで居座ることも多かった。
が、それも一時のこと。多少の雨風こそ凌げても、暖もなしにバダルノイスの冬を乗り切ることはできない。
ゆえに今時期、この廃墟郡に近づく者はほとんどいないのだが――
(まだ奥に行くのか……)
細い道をいくつも曲がり、建物の隙間を何度も無理矢理に通る。
密集した廃工場によって、路地はもはや迷路の様相を呈している。こんな場所もあったのか、と改めて気付かされるほどの広さだった。
(わざわざこの辺りをこんな風に歩いたことはなかったな……。それにしても……静かだ)
ここにひしめいているのは、とうに死に果てた建物たちの骸だ。耳が痛くなるほどの静けさが、それを裏付けている。
(これだけの数の工場を造ったのに、どれも長く続かず潰れて……。損失はどれぐらいの額になったんだろう)
平民出のヘフネルには想像すらつかない。
ただ確実なのは、このような前任者の過ちによって傾いた国を甦らせるべく、オームゾルフが日夜奮闘していること。
(そうさ。エマーヌ様なら、きっと何とかしてくださる……)
物思いにふけりながら歩くうち、まるで見覚えのない場所までやってきていた。
急勾配の坂道を少し下った先、朽ちて色あせた工場の壁に、赤錆が斑模様となった鉄扉があった。
その前で足を止めたひげの男は、振り返って視線を彷徨わせる。最後にヘフネルを見据え、
「ここだ」
短く告げ、軋む扉を開け放った。
男に続いて入ると、薄汚れた石の階段が下へと続いている。
ヘフネルの後ろについて入ってきた小太りの男が戸を閉めると、視界が一瞬で闇に閉ざされた。
「ちょいと待ってな」
先導する男は腰に小さなランタンを提げていたようで、それに手早く火を灯す。頼りないほのかな明かりが闇を薄め、数段先までの階段をぼんやりと浮かび上がらせた。
「……あの、この先で荷物の受け渡しを……?」
狭苦しい暗所に入ったからか、ヘフネルの胸中に不安が湧き上がってきた。
「ああ」
「で、ですがどうしてこんな場所で……?」
「あん? 言ったじゃねぇか。人目につくと困るからだよ」
「そ、そういえば酒場で後ほど説明すると仰っていましたよね。その、そろそろお話しいただいてもよろしいでしょうか……?」
「あ? こんなとこで立ち話もないだろ。目的地はもうすぐそこだ。階段を下りた先だからよ」
「い、いえ! ですが!」
そうだ。何かおかしい。
ヒョドロへの荷物の受け渡しを、こんな廃工場で行うことなどありえるのか? この二人は実は悪党で、自分を騙そうとしているのでは!? よく見なくたって悪人みたいな面構えじゃないか!
一度思い始めたら止まらない。不安は焦りに、焦りは瞬く間に恐怖へと変わっていく。
「ど、どうしてこんな場所で!? 酒場ではダメだったんですか!?」
「あぁ? いや、だから人目につくと困るって言ってんだろうが」
「なっ、なぜ人目につくと困るんです!?」
そもそもどうして危機感も抱かずノコノコとついてきてしまったのか。名前も何も知らない怪しげな旅人に。今頃になって後悔が押し寄せてくる。
「っだらぁ、今更になって何だってんだ! こんなとこでジタバタすんじゃねぇ、いいから来い!」
「うわぁ!」
ヘフネルとて正規兵の端くれ、為す術なく暴力に屈する存在ではない。……はずなのだが、戦闘は得意でなく、これほど狭い場所かつ密着した状況で二対一。
つまりお手上げだった。
「何だよ兄ちゃん、ここまで来ていきなりよぉ」
ドン、と後ろから少年に押される。
「わ、分かりました! ひっ! 分かりましたから落ち着いて!」
「いや、お前が落ち着けよ……」
ひげ面の男が呆れたように眉を寄せた。
変に抵抗して、刺されでもしてはたまらない。従う以外に道はない。
二人に挟まれ、階下へと進んで――否、連行されていく。
(あ、ああ……僕の馬鹿! 馬鹿!)
昔から、危機感が足りず楽天的と言われていた。両親にも、ガミーハにも。兵士となって、少しはマシになった……はずだった。
思い返せば、ヒョドロの使者にしてはおかしい、と最初に疑ったではないか。なぜもっと慎重になれなかったのか。
やがて階段が終わり、目前に入り口と同じような鉄の扉が現れる。
「おら、着いたぞ」
先を歩いていた男が半分だけ振り返り、ぶっきらぼうに告げた。
(……、着いてしまったのか……)
一体、中では何が待ち受けているのか。自分はどうなってしまうのか。
想像を巡らす間もないまま、ギギギと扉が開かれていく。
(ああ、父さん……母さん……)
その部屋で灯されているらしき明かりが、サッと足下へ差し込んでくる。
(ああ、エマーヌ様……)
辞世の句を紡ぐだけの時間はなかった。
「ほれ、入りなって」
後ろの少年に押されて入室すると、ヘフネルは絶句した。
ここまでの通路からは想像もできない、広々とした石の部屋。とうに放棄された工場だ。調度品の類は揃っていない。
地上へ繋がる排出口の下には薪が積まれており、勢いよく火が燃えていた。暖炉代わりなのだろうが、このためか室内は暖かい。
中には数人の男女。
これまで思い思いに過ごしていたのだろう、彼らの視線が一斉にこちらへ集まっている。
「な……、なっ……」
ヘフネルの声音は否応なく震える。そこにいた者たちを前にして。
どんな悪党の住み処に連れ込まれるのだろう、と戦慄していた。
「な、なぜ……」
そして事実、そこで待ち受けていたのは――そうそうたる『賞金首』の面々だった。
「おう、帰ったぜ」
ひげの男が彼らに向かって片手を上げる。
それに応えて、彼らのうちの一人――見目麗しい、とても悪党とは思えない藍色の少女が――ベルグレッテが、唇を開いた。
「お疲れさまでした、ラルッツさんにガドガドさん。……なんだかお久しぶりに感じますね、ヘフネルさん」




