48. 狭まる道
翌日。
ベルグレッテは城へ。エドヴィンはディアレーの街へ。他の皆も、授業を受けながら何とかミアを連れ戻す手段がないか、模索している。
気の弱そうな女顔の少年ことアルヴェリスタなどは、ミアの件を知って寝込んでしまったらしい。
流護は――やはりこんな状況で頼れそうな人物など、一人しかいなかった。
「……そうか……ミアちゃんが、そんなことになってしまうとはね……」
タバコの紫煙と共に、ロック博士は言葉を吐き出した。
「奴隷組織は『サーキュラー』か。競売を主な生業とする組織だね。ある意味、ミアちゃんの身の安全は保証されてるだろうけど。大事な『商品』だからね」
そうだとしても、一時的なものだろう。何より、本当に安全だという確証などない。今この瞬間にだって、ひどい目に遭わされているかもしれない。
「国は……それこそ『銀黎部隊』とかで、何とかできないんですか?」
「話ぐらいは聞いてくれるだろうけどね。しかしやはり……実の親御さんに売られてしまった以上、法が介入する余地はないといっていいんだ」
神を侮辱しただけで罪になるというのに、人身売買は罪にならない。そんな話があるか、と流護は叫びたくなった。
「何で……人身売買とか、奴隷とか……法で禁止されてないんすか?」
「なければ成り立たないからさ。技術の発展してないこの世界ではね。『奴隷』なんていうとあまりいいイメージじゃないかもしれないけど、実はあらゆる産業の根底を支えてる存在だといってもいい。例えば、大昔にこの学院や王様の城を作ったのだって、動員された大勢の奴隷たちなんだからね。それに……一概に、奴隷制度イコール悪と言い切れるものでもないんだ。劣悪な家庭環境に生まれ、果ては奴隷組織へ売り飛ばされてしまった子が、金持ちの家に買われて幸せに暮らしたというケースもあるしね」
価値観の違いだ。分かっている。この世界へ来て、散々に痛感したことだ。
法律は頼れない。ならば。
昨夜は半ば冗談として片付けた考えが、脳裏に浮かぶ。
「……俺が……力ずくでミアを連れ戻したら、どうなりますか?」
「キミなら、それも可能かもしれない。しかし結果として、国を……裏社会を敵に回すことになるだろう。特に裏社会の連中は執念深いよ。彼らは、ナメられることを何より嫌うからね。キミは一生、ミアちゃんを守りながら戦い続けるかい? 二人でどこか、誰も知らないような遠い場所まで逃げるかい?」
その覚悟があるのか。博士は、暗にそう問いかけている。
流護は、ベルグレッテを抱きしめた夜のことを思い出す。
『この世界中の誰がベル子の敵になっても……俺は、ベル子の味方だ。例えこの世界の全てを敵に回したって、俺はお前だけの味方でいる』
例えば今回の件がミアでなくベルグレッテだったとして、本当に流護はそれを遂げることができるのか。
確かに決意して、口にしたあの言葉。
だが、何と青い。何と浅はかな言葉だったのだろう。
現実を前にして、思い知る。
「このレインディール王国に、四百年前だったかな。凄まじいまでの実力を誇る詠術士がいたんだ。名前はディアレーっていうんだけど」
「ディアレー……って」
「そう。まさに昨日、流護クンたちがいた街。今、ミアちゃんがいるだろう街の名前だね」
まるで見てきた思い出でも語るように、博士は言葉を紡ぐ。
「ディアレーは聖人とまで呼ばれた人物でね。不正や悪徳……そういったものを一切許さない気質の持ち主だったそうで、特に人が人を買う行為……人身売買や奴隷組織といったものを根絶しようと活動していたんだ。彼自身が奴隷出身だったから、なんて説もあるけど本当のところは分からない。とにかく、彼はいくつもの悪辣な組織を単身で潰し、人々の救済のために心血を注いだ。けど、結局――」
そんな風に言われれば、オチは予測できる。
博士の言葉を、流護が継いだ。
「そういうのを……なくせなかったんすね。ディアレーでも」
ロック博士は目を閉じ、頷いた。
「最後には、ろくに神詠術も扱えない下位組織の鉄砲玉に刺されて亡くなったそうだよ。屈辱だったろうね。最高位の詠術士が、裏社会のチンピラに刺されて終わるだなんてさ。これは『ディアレーの悲劇』なんて呼ばれて、学院の教本にも載ってるような話として語り継がれてる。そして何の皮肉なのか……そのディアレーの名前が付けられた街で、彼の最も嫌悪した悪徳が、今も公然と蔓延っている」
流護は黙り込んだ。
法律、国、強行突破。全ての手段が通用しない。
どうすれば、ミアを救い出せるのか。
「……ともかくボクのほうでも、色々と調べてみるよ。流護クンは、少し休んだほうがいい。昨夜も、あまり寝てないんだろう?」
「……ええ」
結局、何の成果も得られず――流護は、博士の研究棟を後にした。
夏が近づいてかなり日が長くなっているため、夕食時になってもまだ明るかった。
夕陽の差し込む食堂で流護は一人、食事をとる。
ベルグレッテがいないのもそうだが、ミアがいないだけで信じられないほど静かだった。
今までにも、ミアが不在で静かな時間を過ごしたことはある。
だが――そんなものとは訳が違う。もう二度と、あの笑顔が見られないのか。あの声が、聞けないのか。
「…………ッ」
拳を握り締める。思わずテーブルに振り下ろしそうになったところで、声をかけられた。
「よ、アリウミ。メシ中だったか」
「……エドヴィン。帰ってきたのか」
ついさっきな、と答え、エドヴィンはドカッと流護の対面に座る。
「ちらっと情報は仕入れてきたけどよ。……ミア公は……三日後の夜、競売にかけられる」
「三日……」
それしかないのか。しかも競売。ふざけてやがる。
三日後の夜。売られてしまう前に、彼女を助け出さなければならない。まずそれ以前に、助け出す手段を考えなければならない。
「オラ、今日の晩メシだ」
ディノが携帯食料を放り投げる。勢いよく飛んだ食料は、壁際まで転がっていった。
朝、昼、晩に投げ入れられた食料が、手付かずのまま辺りに散らばっている。
「……いらないもん」
部屋の中央で座り込んでいるミアの腹が、ぐるる……と鳴った。
おなかが空いた。ごはんが食べたい。お肉が食べたい。トマトリゾットが食べたい。ケーキが食べたい。
そういえば、ベルちゃんが今度、モンティレーヌのケーキをご馳走してくれるって言ってたっけ……。
「ま、食っても食わんでもどっちでもいいけどよ。大差はねェみてーだし」
「…………?」
ディノが何を言いたいのか分からなかったが、訊く気にはならなかった。それを訊いたところで、ここから出られる訳ではない。
それより、携帯食を食べないことでせめてもの抵抗をしているのに、気にもかけないところが少し悔しかった。
「……ねえ。あなた、お金のためにこんなことしてるの?」
「あー? 金……か。ま、それも理由の一つか。また、必要になるかもしれんしな」
ディノの言いたいことはいまいちよく分からなかった。
しかし、そんなことはどうでもいい。
「じゃあ、あたしがいっぱいお金を払ったら、ここから出してくれるの?」
そのミアの言葉に、ただひたすら淡々としていたディノが、初めて溜息をつくという反応を見せた。
「何言ってんだ。オメー、金がねェから売られたんだろが」
「ねえ。おふろ入りたい」
この牢獄のような部屋には当然、そんなものはない。意外にも、トイレはすぐ隣の部屋にあるのだが。風呂はともかくとして、やはり人間という『商品』を管理するにあたって、トイレがないという訳にはいかないのだろう。
「オメーな、気まぐれな小動物かよ……そんなのは、三日後に買われてから入――、……ああ、いや。何でもねェわ」
「?」
買われてから入れ。そう言おうとしたのだろうが、それをなぜ言い淀むのか。しかも、自分以外の存在など全く気にかけていないだろうディノが。失言にハッとするタイプではないはずだ。そもそも、他人に対して失言だなどと思わない人間なのだ。
「とにかく、水ぐれぇ飲んどけ。こっちとしても、さすがに引き渡す前に死なれちゃかなわねェんだ」
そう言い残し、炎の超越者は部屋を出ていった。
再び、部屋に静寂が訪れる。
突然連れ去られて、あれからどれぐらいの時間が経ったのだろう。
おそらく二日程度のはずだが、インベレヌスやイシュ・マーニの加護がないこの部屋にいることで、すでに時間の感覚が失われつつあった。
ミアは部屋の石壁を見渡す。
これも、ただの石ではない。封印の神詠術が施されている。通信を飛ばすことができず、また相当な厚さがあるようで、ミアの神詠術では破壊できなかった。まあ、監禁しようというのだから当然だ。
「……う」
空腹のあまり身を起こしているのが億劫で、パタリと大の字になって倒れ込む。
最初は、信じられなかった。
父が……自分を売ったなど。
しかし思い起こしてみれば、当てはまる。
ミアが実家に帰った際、父の部屋から出てきた怪しい黒服の男。一ヶ月半ぶりだったというのに、ひどく老けて見えた父。考えられないぐらいに豪華だった夕食。その夕食の席で、涙を見せた父……。
あの父さんのことだ。きっと母さんにも相談できずに、一人で悩んだはず。
これで……あたしが売られることで、家族が……父さんが、母さんが、ティモが、ユーリエが、マデューが、カイアが、ロイルが、ララが。みんなが幸せに暮らせるのなら、それでいいのかもしれない。
でもあたしだって、なんでも受け入れられるような、できた子じゃない。
あたしが売られてしまうまで、あと三日。きっと来てくれる。ベルちゃんが……リューゴくんが、助けに来てくれる。それこそ、勇者さまみたいに。
そして、前みたいに……みんな、一緒に……。
「ミア……ッ!」
流護は汗だくになって飛び起きた。
時計を見れば、午前三時半。
重症だ。二時間も眠れていない……。
「くそ……」
糸が切れたようにシーツへと倒れ込む。
安息日の前夜、食堂でミアと交わした会話を思い出す。
『リューゴくん、一緒に来る? 挨拶してもいいんだよ? ウチの父さんに』
少女のいたずらっぽい笑顔を思い出す。
あれで本当に、ミアと一緒に行っていればよかった。そうすれば、こんな事態にはならなかった。させなかった。
例え何度時間を巻き戻したとしても、あそこで流護が肯定することはないだろう。また肯定したとして、ミアのほうが困惑してしまうだろう。
それでも。そんなありえない選択肢にすがりたくなってしまうほど、悔やまずにはいられなかった。




