478. 氷結の檻
「それは、西暦1900年代初頭……アメリカ南部のとある小さな農村で起きた殺人事件だった」
舞い踊る光の粒子たちを見上げながら。
冬の訪れによって鈍色に染まった草原。吹き抜けていく冷ややかな風に目を細めつつ、兄は静かに語った。
「地図にも載らないような小さな集落で、人口は七十人弱ほど。村内には警察もなく、近隣の街から保安官が駆けつけた。被害者は初老の農夫、猟銃で頭を撃ち抜かれていた。村の中では嫌われ者として悪名高かった人物でね。他殺であることは明らか、犯人が村人の中にいることも明らかという状況だった」
「そうなんだ」
小屋の外に据えつけたチェアに背を預けながら、少女――月花は相槌を打って先を促す。
「犯人は誰だったの?」
人口百人にも満たない小さな村。凶器が猟銃なら、物的証拠もすぐに色々と見つかっただろう。
事件はすぐに解決したはずだ。
が、
「犯人が明らかになることはなく、事件は迷宮入りになったんだ」
「ええ? どうして?」
問えば、兄は「さあ」と眉を八の字にする。
「迷宮入りになったからね。真相は誰にも分からない。それこそ君の『力』で探れば、何か見えるかもしれないけど。……ただ」
「ただ?」
「さっき言ったように、被害者の男は嫌われ者だった。とにかく、村の多くの人間から恨みを買っていたらしい。……そこで捜査に当たっていた保安官の一人は、ある仮説を立てたんだ」
「仮説……」
「うん。……もし、村民が結託・共謀して事実を隠蔽したのだとしたら?」
「!」
犯人を庇い、存在しないアリバイを証言し、疑惑の目を向けさせないようにしていたのだとしたら。
捜査が進展しないよう、意図的に仕組んだのだとしたら。
「こんな恐ろしい話はない。こうなってしまえばもう、その仮説が正しいかどうかも分からないんだ。一人の男が、村というコミュニティによって存在を抹消されてしまった。……のかもしれない、という話さ」
ふうと息をついた兄が、困ったような表情で鈍色の空を仰ぐ。
「今の流護くんたちも、極めて近しい状況下に置かれているといえる。バダルノイスという国家そのものによって抹消すべき存在と見なされ、罪人に仕立て上げられている訳だ。どう? 君の力で、何か視えたかい?」
その問いかけに対し、月花は弱々しく首を横へ振った。
「……視えた、ってほどじゃないけど」
「何か気になることが?」
「……ベルグレッテちゃんの『悲しみ』が。結果に後悔する姿が、ちらっと。……それに、この子……」
「どうかした?」
「……ううん……頭のいい子だとは思ってたけど……、ちょっと半端じゃないよね。こんなに……」
「あぁ、凄いよね。一度、彼女のIQを計測してみたいぐらいだ」
「…………うん……」
確証がない。無用なことは言わずにおくべきだろう。
ただ。現時点でひとつ、確定している未来がある。
(……グランシュア……つまりキンゾルがここで終わらないことだけは、確定してる)
『――こうして。グランシュアと名乗る者の手によって、レインディール王国は――』
垣間見えてしまった以上、あれは確定した未来の出来事。
「……今の僕たちにできるのは、彼らの健闘を祈ることだけだ。さて、話は変わるけど」
煌々と。
深い山奥に位置するこの場所は、今や周囲を乱舞する淡い光の球体たちによって席捲されている。昼間だというのに、不自然なほどの明度が世界を照らし出していた。
「真面目に、僕たちも次の移住先を考えないとね。いずれ、この場所も――」
悲しげに、兄は口にする。
「遠からず、彼らが言うところの『原初の溟渤』になってしまうからね」
商人オシブは、この仕事に携わるようになって早二十年。熟練中の熟練である。
しかし人間、目論見が外れることもある。
――バダルノイス神帝国は南部、中立地帯へと繋がる国境門にて。
「通せないだと!? おい、どういうことなんだ!」
オシブは開口一番、閉じた門の前で偉そうに立ち塞がる銀鎧の兵に怒声を浴びせた。
「どうもこうもない。触れは出してあるはずだが」
巨漢の兵は、まるで動じずにジロリと鋭い一瞥を返してくる。
「うっ……」
この反応で、経験豊富なオシブは悟った。例え兵士が相手でも、若い青瓢箪なら押し切れる。が、こういった手合いは無理だ。
伊達に長いこと商人として外の世界を渡り歩いていない。
交渉可能な相手かどうか、強引に突破可能か否かといった見極めには自信がある。今回は『否』だ。
頑として己を変えない。賄賂も通じず、下手な真似をすれば斬られかねない相手。こういった手合いが動くのは、信奉する主から命が下された場合のみだろう。
「そっ、その触れなら小耳に挟んだがよぉ。だが本気なのか? あんな内容……」
「無論だ」
「し、しかしだな……俺ぁ、見ての通り行商だ。足止めを食うのは困るんだよ」
「それも告知済みだ。この期間中に生じる損失があれば、後ほど仔細を纏めた上で王宮に請求されよ。正当なものと認められれば、補填金が支払われる」
「っ、そうは言うがよぉ……」
「故郷に危篤の家族でもいるのか?」
「はぁん? いねぇよ。カカァもガキ共もピンピンしてら」
「それは何よりだ。なら後ろ暗い商売をしているのでもなければ、何も問題はあるまい?」
「! わーった、わーったよ」
「ご理解頂けたようで何よりだ。悪いが、しばしの間協力願おう」
梃子でも動かぬ、とはこのことか。あまり粘って、剣でも抜かれてはたまらない。
「ったく、『しばし』にしちゃ長すぎんだろうが……!」
悪態をつきながら、オシブは停めていた荷馬車の下へ戻った。
「どうどう」
暇そうに前脚で雪を蹴る愛馬二頭を撫でながら、行くことの叶わぬ遠い南の空へ目を向ける。
(参っちまうぜ、くそっ)
冬のバダルノイスとの行き来は困難だが、時期特有の品物を仕入れることができれば余所で高く捌けるのだ。
得意の口八丁で安く仕入れ、あとは帰って高く売るだけだったが、堅苦しい王宮の精査などを受ければまず間違いなく見込みより少ない儲けになってしまう。犯罪には手を染めていないし詐欺もやっていないが、役人に知られれば文句ぐらいは言われるかもしれない。
何せ誰の悪戯か、レインディールで仕入れた新品の毛布がなぜか薄汚れており、苦情を叩きつけられてしまったのだ。調べてみると、盗まれたものこそないものの、荷台に誰かが侵入した形跡があった。
ゆえに、その分の損害を取り戻したいとの思いがあったのだ。
(だから早々と出ちまいたかったんだがな……)
こうなっては仕方ない。赤字にならないだけよしとするしかないだろう。触れに従い、もう一月はこのバダルノイスに滞在していなければならないようだ。
(しっかし、何が起きてんだよ。この国は)
それは先日のこと。
唐突に、バダルノイスからの出国禁止令が公布されたのだ。
その期間は一ヶ月。外へ出られないことにとって金銭的損害が生じる場合は、然るべき手続きを踏んだうえで王宮への請求が可能。
直前に五人もの若者が罪人として新たに指定されており、この人物らの国外逃亡を防ぐための措置とのこと。
そんな事情があるにせよ、温和な支配者と名高いオームゾルフらしからぬ強引なやり口だ。
実のところ、この国の民でないオシブにしてみれば、素直に出国禁止令に従う義務もない。こっそりいなくなったとて、王宮の人間がいちいち気付いたりはしないのだ。これが夏なら付け入る隙はある。しかし全てが氷雪で閉ざされる今時期、門から馬鹿正直に出入りする以外に道はない。無理矢理にその辺の雪原やらから進めないこともないが、ほぼ確実に遭難、ひいては凍死するだろう。
バダルノイスの立地上、北には白峰天山、西にはダンバード海が広がっており、他国への通行路は東と南のみにしか存在しない。
そこを管理する門が閉まっている以上、どうにもならないと考えていい。ここは南部だが、東のほうも同様に封鎖されているに違いなかった。
(にしても……ありゃぁ、何だ?)
この場にやってきてから、ずっと気になっているものがある。
閉ざされた巨大な国境門。その両脇にそびえる、二本の柱。その高さは十マイレ前後か。大人ならば両腕を回して抱えられる程度の太さ。周辺の壁よりは低く、一見して何の変哲もないただの鉄柱。
(あんなもん、入国して来た時にはなかったと思うが……)
ということはここ最近、わざわざ立てたことになる。この寒い時期、雪の多い中でわざわざ、だ。
(作りかけの物見台……? じゃ、ねぇよなぁ)
まあ、どうでもいい話だ。
溜息を吐いて脇を見やると、路傍に掲示板が立っていることに気がついた。薄く雪を被ったそこには、宿で見かけたものと同じ手配書が貼られている。
(うーん……やっぱりこの娘っ子、どっかで……)
オシブはどうにも、そのうちの一人に既視感を覚えていた。
それは、絵に間違いがなければ目の覚めるような美少女。ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードなるその名も、どこかで聞き覚えがある気がしてならない。
(ま、何でもいいがよ)
しかし罪人を逃がさないことが目的なら、無関係と分かっている人間ぐらいは通してほしいものだ。
(…………はー、ボヤいてもしょーがねぇ。戻りまっか)
今この南部国境門にやってきているのはオシブ一人しかいない。
そもそも冬のバダルノイス、入出国をする者など少ないのだ。すでに滞在中の冒険者や傭兵はよりどりみどりの賞金首に夢中だろうし、一ヶ月ぐらい出られずとも問題などないだろう。そもそも、その賞金首が捕まれば出国禁止令は解除されるのだ。
「誰でもいいから、とっとと解決してくれよなーっと」
御者台に跨り、馬を駆って来た道を引き返す。
このまま南に戻ることができれば、それこそ賞金首一人分ぐらいの儲けは出ていたのだ。が、固執はしない。
まあこんなこともあらぁな、と切り替えられる柔軟思考も、熟練商人オシブの特徴のひとつだった。




