476. 號穹
自らが赤く染め上げた雪の中へうつ伏せに倒れていった流護を一瞥し、ミュッティは視線を次の標的へ。
「!」
さすが、と言うべきだろう。
ベルグレッテが少年の名を叫び、レノーレが愕然とした面持ちで硬直する中、その女――メルティナ・スノウはまるで動じることなく攻撃態勢に入っていた。
人差し指のみを伸ばしこちらへと突きつけるその姿は、オルケスター謹製の武器であるハンドショットの扱い方によく似ている。だが、
「遅ェッ」
ミュッティの言葉に応じ、おん、と空間が戦慄いた。
金属音のようなそれが、寒空全域を震わせる。
「くっ」
オームゾルフが耳を塞ぎ、
「うわっ」
「な、何だっ!?」
兵士たちが自らの頭を抱え、
「おっと」
モノトラやアルドミラールが肩を強張らせる。
そんな中、
「……!」
『それ』の直撃を受けたメルティナは大きくたたらを踏んだ。生まれたばかりの小鹿のように、その身をよろめかせる。
(ケ、こんなもんだ)
――殲滅部隊。
選り抜きの四名にて構成される、オルケスター擁する究極の戦闘特化要員。そのうちの一角たるミュッティには自覚がある。
(テメェら安穏と生きてるゴミクズが、アタイに勝てるワケねぇだろ。『燃料』が……支払った『代償』が、覚悟が違うんだよ)
もはや、『ペンタ』すら恐るるに足らない。
確かに、流護やメルティナはオルケスターと……ミュッティと闘える舞台に上がった。だが、それだけ。競えるかとなれば、話は別。格が、生物としての領域が違うのだ。
(終わりだ)
ミュッティが生まれ持った属性は『音』。
他に類を見ない希少な性質であり、たった今しがた放った『音波』のように、相手の平衡感覚を狂わせることを得意とする。
が、
「――あばよ」
真骨頂。
それは、先ほど流護を一撃で仕留めたもの。
自身でも、詳しい原理など知りはしない。持って生まれた力だ。自分の手足がどうして思い通りに動かせるのか、いちいち不思議に思う者はいまい。
ミュッティが誰に教わることもなく行使できたそれを、オルケスターのとある知識人はこう呼んだ。
ソニックブーム、と。
素早く踏み込んで距離を縮めながら。
牽制の音波で傾いだメルティナに向かい、そう名付けられた一撃を打ち放つ――。
「ッ!」
直前、ミュッティは目を見開いた。
自分がどうしてふらついたのかすら理解していないはずのメルティナは、
「ふっ!」
ガキン、と凍りつく。『ペンタ』は自らの足下に向かって氷術を撃ち込み、無理矢理に自分の足と地面を固着させた。倒れずに、強引に踏み止まった。
(このアマ……!)
にわかな驚きからミュッティが立ち直るより先に、
「シュッ!」
こちらへとまっすぐ向けられた、メルティナの指先。
「!」
発動前のソニックブームを即座に中断、保持していた防御術へ切り替える。
ごうん、と大盾のように展開する音の残響。そこに激突し、鳴り渡る派手な炸裂音。白く煙る氷の残滓。
「――へっ」
なるほど、実際に相対して実感する。
『ペンタ』の指先から発射されたはずの術は、まるで視認することすら敵わなかった。ハンドショットと比べてもまるで遜色ない速度。その上、
「…………久々じゃんかぁ、痛ぇのもよ」
鼻から伝ってきた温かいぬめりを、ミュッティは舌先で舐めて拭う。
尋常でない貫通力。攻撃術そのものは完璧に防いだはずだが、余波――衝撃が突き抜けた。戦闘で血を流したなど、果たしていつ以来のことか。
(さすがは『ペンタ』様……北方の生ける伝説、ってか)
だが、もう終わり。
メルティナは今の反撃を放つために自らの足場を固定したが、逆に地面へ縫いつけられる形となった。一発で仕留めるつもりだったのだろうが、もはや身動きできないただの的。
脱出する猶予など与えない。ソニックブームで刈り取り、任務完了だ。
「……!」
やはり今しがたの射撃を防がれるとは考えていなかったのだろう。メルティナの顔に浮かぶ、明らかな驚愕。
(いいツラするじゃんか)
この瞬間が至高なのだ。自信に満ちた強者の面構えが、引きつった様相に変化する。
「……?」
――のだが、ミュッティはすぐさま違和感に気付いた。
愕然となったメルティナの表情。その視線が、噛み合わない。彼女の白い瞳は、こちらを見ていない。肩越しに、もっと後ろを注視している――?
「ミっ、ミュッティさんッ!」
聞こえたのは、珍しく狼狽したモノトラの叫び。
「――――」
背後。振り返ったミュッティが目にしたのは、
「――よう。背中、ガラ空きぞ」
真紅。顔から上衣、下衣に至るまで……身体の前面部を余すところなく真っ赤に汚した少年の姿。
当たり前のように立ち上がり、こちらに向かって右拳を振りかぶったリューゴ・アリウミ。
「――!」
防御術を展開。そこに、
「ぐ!?」
ごがん、とおかしな音がした。
踏ん張ったミュッティの足裏が、身体が後退する。ズズ、と新雪に轍を刻む。少年から飛び散った鮮血が、雪の白に赤い斑点を刻む。ミュッティの羽織る白いコートに緋色の円を落とす。
(な、にィ……ッ!?)
それは、ただの拳。神詠術の気配など微塵も纏っていない、正真正銘ただの無手。そのはずが、大砲でも防いだかのごとき衝撃を伝えてくる。
(コイツ……ッ!)
先のソニックブームは直撃だった。あれで死なない人間などいるはずがない。ランクAの怨魔すら仕留める術なのだ。
それが一命を取り留めたどころか、立ち上がって平然と反撃に転じてきている。
(さっきの、レノーレとかいう小娘を守った時の動きも……!)
徒手とは聞いていた。異常な身体能力を有することも、天轟闘宴を制したことも知らされている。だが、
(本当に生身の人間かコイツ――、っと!)
横合いから攻撃術の連弾を受け、さらにミュッティの身体が弾ける。防御こそしているものの、術者自身はただの女の細身。殺し切れなかった衝撃は、軽い身体を易々と翻弄する。
「チッ」
踏み止まって視線を飛ばせば、こちらへ指先を突きつけたメルティナの姿。
ミュッティは素早く歩を踏んで下がり、目標二人を視界に収める。
片や、足下の氷を引き剥がし自由を取り戻したメルティナ。片や、血まみれになりながらも佇む流護。
「………………」
前者は無傷。
後者は……当たり前だが、無視できない損傷を負っている。口呼吸を繰り返しており、白い息が不規則に立ち上っていた。が、何を仕掛けてくるか分からないという点では、前者を上回っている。まるで手負いの獣だ。
「ったく……ペッ」
唾を吐き出せば、赤いものが混じっていた。
「ク、ハハ」
そこで、後方から男の低い笑い声が届く。
誰が何をしようとしているのか即座に理解したミュッティは、発生源に顔すら向けず告げた。苛つきを滲ませた声で。
「動くなよ、アルドミラール。余計なマネすんな。コイツらはアタイが狩る」
言いながら集中し、練り上げる。
「くだらねぇ横槍入れる気なら――テメェから殺すぞ」
「! これはこれは……怖いことダ」
小馬鹿にしたような声。
だが、これは自分の落ち度だ。アルドミラールなどという『量産品』にすら舐められる。そんな狩りを披露してしまった己の不手際。
「オームゾルフ、兵隊を下げとけ。潰したくねぇならな」
一方的に告げ、ミュッティは返事を待たず前へ進み出る。
「! 各員、防御を固めて後退――」
聖女の声に被さる、大きなガラスがひび割れるような音。
その場にいる者たち全員が呻き、身体をくの字に折った。
近場の建物の窓がビリビリと震え、やがて耐え切れなくなったように次々と砕け散っていく。
「う、わぁ!? な、なんだこの音はっ……!」
「ぐうう、あ、頭が……!」
退避する兵士たちがうろたえる。
「ぐ……さ、下がりやすよ」
「ヌ……」
モノトラやアルドミラールまでもが。
そんな中でも片耳を押さえたメルティナが、こちらへ向けて射撃を撃ち放つ。
「!」
瞠目したのはそのメルティナだ。
氷の弾丸は、ミュッティまで届くことなく中途で砕けて飛散する。
「ったくよぉ~……難しいよなぁ? 難しくねぇか? ちっとばかし力込めたら死んじまうアリンコをよ、潰しちまわねーように優しく摘まむってのはよぉ……リチェルの野郎と違って、アタイは苦手なんだよ。そーゆーの……」
空間を撓ませるほどの残響が支配する中、相手にミュッティの声など届かない。それでも、女は語りかけた。
「なぁ、お前らよぉ~……頼むぜ」
対峙する二人に。怒りを吐き出すように。
「こう、こうやってだ……頭抱えて、なっさけなく縮こまってよ……守っててくれねぇか。下手すっと吹っ飛ばしちまうからよ。バラけて回収できなくなっちまうのはゴメンだぜ」
一体、どんな肉体をしているのか。周囲の全員が苦悶の表情で身をよじる中、その男――流護だけが、猛然と突っ込んできた。血まみれの顔に、薄笑みすら浮かべて。音の暴威を、ものともせず。先のソニックブームによって、すでに耳が機能していないのかもしれない。
「お前……お前さ~、ホント……何なんだよお前」
自らの口の端が引きつっていることを自覚しながらも、ミュッティは発動する。
「もういいや。お前はいらねぇわ……」
全力全開の攻撃術。音の波による広域破壊を撒き散らす。
それを――オルケスターの知識人は、ソニックブラストと呼んだ。
放つ。
半球状の衝撃派がミュッティを中心として、瞬く間に広がった。
オ――――――ンと響いたそれは、天が咆哮を放ったかのよう。
堆積していた新雪が吹雪へと還ったように荒れ狂い、至近で直撃を受けた流護は球のように弾け飛んだ。
それ以外の者がどうなったのかは、ミュッティの視点からも分からない。それほどに、全てが乱舞した。まるで、大地に伏すことを厭い身をよじったかのごとく。
その衝撃半径は百マイレ以上。発せられた『音』は、数キーキル離れた街の中心部まで響いたことだろう。
巻き上げられた雪がひらひらと舞い落ち、一時的に天候が変わったのかと錯覚する。
「…………ったくよ、手間ぁ掛けさせんじゃねぇ」
女は雪の付着した長い金髪をかき上げ、気だるく鼻を鳴らす。
静寂が戻り、雪煙が収まったそこに。
ミュッティ・ニベリエ以外で立っている者の姿は、ひとつとしてなかった。
敵味方の別なく。