475. 決するは強き者
レノーレとメルティナを包囲した報が齎されたか。
今現在、流護とベルレッテ、レノーレ、そしてメルティナの四人を囲む兵士たちの数は、四十名ほどに膨れ上がっていた。
大半の者は遠い立ち位置で構えているため、こちらの会話すらよく聞こえていない状況だろう。
しかしそんな中に、鋭い視線を飛ばしてくる者が少なからず交ざっていた。いつしかやってきていたベンディスム将軍と部下のガミーハも、その対象に含まれる。
(……やっぱりそうか)
彼らの顔を見て、流護は確信する。
将軍とガミーハに困惑の様子はない。それどころか、鋭く冷たい眼差しをこちらへと向けている。
彼らの立ち位置としては、オームゾルフの僧兵でもなく白士隊でもない、無所属の一般兵。
――だがベルグレッテは、かなり早い段階でこの二人に疑念を抱いていた。
その切っ掛けも、実は初対面の時点で得ていたというのだから流護としては驚くばかり。
まずガミーハについては、レノーレが隠れているユーバスルラの工場を包囲していたときのこと。
『今のところ、確認されているのはレノーレ一人だけなのでしょうか?』
そう尋ねたベルグレッテに対し彼は、
『ええ。まだメルティナ・スノウを見たって話は聞いてないですね』
と、当たり前のように『オルケスターを除外して答えた』。当初は、かの組織とレノーレが手を結んでいるとの情報が出回っていたというのに。まるで、『オルケスターが敵として現れることなどない』と確信しているかのように。
また後々の美術館の一件で、ガミーハは敵の手がかりとなり得ただろうアルドミラールの鉈剣を当たり前のように持ち去っている。ベンディスム将軍に報告する、との体で。証拠を隠滅するかのごとく。
そして、そのベンディスム将軍。
同じく廃工場を包囲していた際の会話において、
『その意見は参考にさせてもらおう。部下にも警戒を促しておく。何せ、キンゾルは「ペンタ」だ。注意し過ぎ、ってこともなかろうよ』
流護は全く気付かなかったが、この時点でキンゾルが『ペンタ』だという情報は、公には伏せられていた。
その直前。王宮での話し合いの場において、オームゾルフが「数日のうちに公布書を作成し、キンゾルが『ペンタ』であることを皆に周知する」と言っていたのだ。
にもかかわらず――直後のユーバスルラで出会った将軍は、すでにその事実を知っていた。
さらには、追い詰めたレノーレの前にメルティナが助けに現れた瞬間のこと。
『出やがったな、メルティナ・スノウ……!』
思い返してみれば、決定的におかしいのだ。
この瞬間に至るまで、メルティナは生死不明。『融合』の礎とされてしまったかもしれない、との見方が出ていたにもかかわらず。
(「生きてたのか」とかならまだしも、「出やがったな」ってセリフは……)
生きていることを……『融合』などしていないことを知っていた。
いずれ現れることを完全に予見していた。
これらだけに留まらず、二人との会話には同様の違和感がいくつもあったのだという。
ここに加えて、あの例のヘフネルの調査内容。
料理店の店長が参加した陳情会にて、オームゾルフが欠席しベンディスム将軍一人のみが対応していたこと。
流護はこれにミガシンティーアが噛んでいないことに愕然としたが、ベルグレッテは違っていた。
むしろ逆に、これで確信を深めたのだ。
オームゾルフ単独による所業ではない。誰かが、明確に『協力』していたことを。
少なくともその一人が、ベンディスム将軍であることを。
食堂で交わしたヘフネルとの会話では一般兵などは敵の条件に当てはまらないと説いたが、権力を持つ統率者がいるならば話は変わってくる。
王宮内にも、中立地帯ハルシュヴァルトにも存在していたのだ。オームゾルフの思想に共鳴した者たちが。
(つーかこの状況……、ヘフネルさん……)
ハルシュヴァルトにあるレノーレの屋敷で出会い、皇都へ着いてからも協力者として動いてくれた、実直ながらも少し頼りないバダルノイス正規兵。
結局のところ、彼も敵の条件に当てはまり得る存在だった。
長らく流護たちと行動を共にし、こちらの動向を常々把握できる立ち位置にいたのだ。
しかし……終ぞ、その状況が敵に対して有利に作用することはなかった。
ハルシュヴァルトからこの皇都へ至るまでの道中、そしていざ到着してからも。
決して少なくない時間を共にした。その間にいくらでも、何かを仕掛ける猶予はおろか……寝首を掻けるだけの状況すらもあったはずだ。
つまるところ彼は、ただ実直な一人の兵士だった。
今は、数日前から休暇を利用して近隣の村へ情報収集に行っているはず。
彼は彼なりに兵士として抱いた正義感を胸に、敵の正体を暴こうと奔走していたのだ。
……しかし。
(あの人が惚れてるオームゾルフ祀神長も……尊敬してるベンディスム将軍も、幼なじみのガミーハも……)
ヘフネルの立場からしたなら、もはや悪夢としか言いようのない真実が露見した。
彼の与り知らぬところで。
(…………)
ともかく今は。
敵はオームゾルフとその一派、そして彼女らの考えに共感した一部の兵たち。具体的におそらくは、ベンディスム将軍とその配下。果たして、その総勢はどれほどの数となるのか。
首魁たるオームゾルフの真の目的は、自国の再興。
オルケスターの底知れぬ力はラルッツたちからも聞いていた。あのハンドショットやセプティウスの高性能ぶりを見るに、相当な資金が注ぎ込まれていることは窺える。バダルノイスのような小さな国なら、バックアップできるほどの財力があっても不思議はない。
そして流護自身、街や市場で民の現状というものを目の当たりにして感じた。この国の経済は大丈夫なのか、と。
結果、大丈夫などではなく。
何者かの、支援が必要だった。
「ベルグレッテさんに、ひとつお尋ねしたいことがございます」
オームゾルフの凛とした声が場を支配する。
「今この場で、私を暴いたことはあなたの思惑通りかと思いますが――『ここから先の展開』については、どうなさるおつもりだったのでしょう?」
微笑に潜む感情は余裕か。
それもそのはず、今や多くの銀鎧姿による完全包囲が完了している。
中立の兵こそほとんどではあるが、そもそも王たるオームゾルフが命令を下せば、従わない訳にもいかないはずだ。聖女の声ひとつで、この多人数が一挙殺到してくる状況が出来上がっている。
「論ずれば私が投降すると考えておいででしたか? それとも、味方につけたメルティナの戦力を当てに?」
「……いえ、そのどちらでもありません」
首を振った少女騎士は、迷いのない口ぶりで。
「今この場には……他にも、頼りになる仲間がおりますから」
その薄氷色の瞳を受けて、流護は返事代わりにぐるんと大きく右肩を回す。
「……そう、ですか」
溜息。やや期待外れ、といったオームゾルフの面持ち。たった一人の少年兵に何ができるのか、との思いからだろう。
そこに声を投げたのは、軽んじられた流護――ではなかった。
「エマーヌ、彼を侮らないほうがいいと思うよ」
長く白い髪をかき上げながら口にしたのは、メルティナ・スノウ。
「……、」
意外に思った流護は、思わず白き『ペンタ』を見やる。当の彼女は、ふふんと意味ありげな笑みを向けてきた。そんな中、オームゾルフが応じる。
「メルティナ……あなたが言うのなら、そうなのでしょうね」
「ねえエマーヌ、逆に私も訊きたいんだけど」
ニコリと笑んだメルティナ。その表情の奥に、挑発的な色が垣間見える。
「ここから君はどうするつもりだった? 私を……私たちを前にして」
確かに兵士の数は多い。だが、彼らが……オームゾルフが対峙すべき相手の一人は、英雄メルティナ・スノウ。
(……そうだよ。俺のことなんざ眼中になかったとしても)
まず止められない。そこは人と人のぶつかり合い、全員でかかれば万が一もありえるかもしれないが、相手は『ペンタ』。それも対多数を得手とする、最高位の飛び道具の使い手。生ける伝説とまで称される女英雄。
とても兵団の手に負える相手ではないはず。そんなことなど、バダルノイス人である彼らのほうが流護よりよほど理解しているだろう。
だというのに、オームゾルフの顔には全く焦りの色が見られない。
(……ってことは)
「それともエマーヌ、予想してなかった? 私がここに来ること」
「いえ、想定内でしたよ。……というよりも――」
「――私は、すでに目的を達しているも同然」
寂しげな声音で告げたオームゾルフが、ゆっくりと右腕を掲げる。直後。
「ケ、よーやっと出番かよ。茶番は終わり、ってことでいーのかねぇ?」
唐突に。今まで聞いたこともない、第三者の声が割り込んできた。
高い女の声。でありながら、男のような荒い口調。
「!」
近場の建物から現れる、みっつの影。
「ったく、このクソ寒みィ中待たされる方は堪ったもんじゃねーっての」
汚い言葉にチリンと交じるのは、美しい鈴の音。
一見すれば、どこにでもいそうな街娘。
派手な少女だった。年齢は流護よりいくつか上だろう。大きな黒メガネをかけており、瞳や目元は窺えない。真紅の耳装飾や蝶を模した髪留め、銀の首飾り、金の腕輪に足輪。
ここまでならただの派手好きだが、奇妙なのはそれら装飾品の全てに、極めて小さな鈴がいくつも括りつけられていることだ。総計で二十個はありそうだった。レフェの『ペンタ』ツェイリン・ユエンテもイヤリングに鈴をつけていたが、その比ではない。
いかにも高級げな白い毛皮のコートを肩に引っかけており、派手好きな女優といった風体の人物だった。
「まぁまぁ、いいではありやせんか。ようやく終わり、でやすから」
そんな派手女をなだめるように笑うのは、痩せぎすの男。
二十歳を過ぎたぐらいだろうか。背中を丸め気味に、下から相手を見上げるような仕草。ボサボサの赤い頭髪、落ち窪んだ瞳と大きな鷲鼻、右側のみが歪んだ形で吊り上がる唇。輪郭や目鼻の形がどこか左右非対称で、少し顔の曲がった男だった。卑屈そうでありながら、どことなく人を小馬鹿にしたような態度が透けて見える。
何を考えているのか、この寒空の下でまともに上着を羽織っていない。
「! き、さま……っ……!」
そこで目を見開き、らしからぬ剣幕で呻いたのはレノーレだった。
「おや~、久しぶりでやすねぇ~、レノーレさ~ん。ほぅら、あの時あっしが言った通りだったでやしょう? 死にたくなるほど後悔することになりやす……ってね。そんなボロボロになっちゃって~」
男が見下すように喉を鳴らす。
「……なるほど。あいつが」
メルティナが冷たく呟いた。
(レノーレ、あいつに会ったことあんのか……。メルティナの姉ちゃんも何か怒ってるっぽいし)
彼らの間にどんな因縁があるのか、流護に知るよしはなかったが――
「……」
無言で登場したのは最後の一人。
黒一色のローブで頭の先から足元までをすっぽりと覆った人物だった。
一見すれば性別も分からないが、体格からして間違いなく男。そしてその不気味な外見的特徴は――
「紹介いたしましょう」
余裕げなオームゾルフの声が響く。
「今この瞬間をもって我が国の特別相談役となっていただく三名。ミュッティ殿、モノトラ殿、アルドミラール殿です」
名前と顔は流護でもすぐに一致した。それぞれの特徴はラルッツたちやサベルから聞いていたからだ。
「特別……相談役、だと? そんな真似をしてまで」
メルティナが低く呻く。
面倒な社会構造など分からない流護でも即座に理解できた。
まさか、地下組織の人間をそのまま表立って王宮に迎える訳にはいかない。ゆえに、与えたのだ。名ばかりの役職を。
「それにしてもよぉ」
心底どうでもよさそうに、鈴をつけた女――ミュッティがこちらへ顔を向ける。
「ケ、お前がベルグレッテか。随分と必死に探ったみてぇじゃねーか、なぁ?」
「!」
身構える少女騎士にまるで構わず、ミュッティは続ける。
「そんなにアタイらオルケスターのコトが知りてぇかぁ? なら、教えてやるからウチに来な。優し~く叩き込んでやっからさぁ。『もういいです』って泣いて謝りたくなるぐれえぇーによ。ウチの野郎どもが可愛がってくれると思うぜぇ!? アッハハハハハハ!」
品の欠片もない。舌を出し、五指を蠢す、挑発的な哄笑。連動するようにチリンチリンと鈴が騒々しく輪唱する。
サングラスめいた大きな黒メガネをかけているせいで不明瞭だが、本来かなり整った顔をしているだろうその女。しかし、極めて攻撃的で下劣な口ぶりが全てを台なしにしていた。
「はは、何だそのクソデカメガネ」
即座に鼻で笑うのは流護だ。
「その似合ってねークソデカ黒メガネ外したらどうよ? あっ、顔出しNGで動画でも生配信してんのか? カメラどこ?」
「あぁー?」
「あとその鈴何だよ。チリンチリンうっさいんですけど、飼いネコかな? あ、オルケスターとかいうザコ組織に飼われてんのか」
短気な少年は、ベルグレッテへの挑発を自分のことのように受けて返す。
「ケ、何だっけ……リューゴ・アリウミだっけ。どこの生まれだよ、妙ちきりんな名前だな」
女は、ぐるんと大げさに回した首をすぐ隣の卑屈そうな男へと向ける。
「なぁモノトラよぉ。『いる』のか? あれ」
「そのように聞いてやすよ~」
「チッ……めんどくせぇなぁ」
舌を打ったミュッティは雪上にペッと唾を吐き捨てた。
うんざりとばかり露骨な溜息を吐くのはメルティナだ。
「あまり君には似つかわしくない賑やかなご友人だね、エマーヌ。ところで君は、すでに目的を達してるも同然って言ってたみたいだけど」
「……ええ」
短く肯じた聖女は、その視線をオルケスターの三人……ではなく、その中のミュッティへと向けた。
「このミュッティ殿をあなたに引き会わせること。それが此度の計画の終着点」
一拍の沈黙。
「……つまり……あれか。この派手なお嬢さんなら、私を殺せる。少なくとも君は、そう判断した訳だ」
はぁ~、と演技めいた大げさな吐息。メルティナの白く可憐な唇から、熱の篭もった靄が立ち上っていく。
「ふむー……いや、参った。何だろうね、この気持ちは。ともすれば、私以上に私のことを理解している……。そう思ってたエマーヌがそんな結論を出すだなんて、うん。…………残念だよ」
それは押し殺す怒り。彼女の口の端から漏れ出る呼気が、沸騰した感情から溢れていると錯覚するほどの。
「ケ、気にすんなって。メルティナ・スノウ」
どこまでも軽いのはその鈴の女だ。
「まっ、分からんでもないぜぇお前の気持ちはよ~。今までずっと、一番だってんでチヤホヤされてたんだもんな~。でもよ、世界ってなぁ広いんだ。お前は今から、井の中の蛙って言葉の意味を実感しながら逝くことになる」
「ブーメランって知ってる?」
すかさず流護が割り込んだ。
「ケ、さっきから邪魔臭ぇな、この付録は。何言ってんのか分かんねーしよ」
「は? 付録?」
流護がおうむ返すと、鈴女は心底見下した口ぶりで嘲笑する。
「いいか? アタイらの目的は飽くまでメルティナだ。お前、ベルグレッテ、サベルとかってのはただのオ・マ・ケ。たまたま手の届く範囲に入ってきたから、ついでに回収しとこうってだけの話よ」
オームゾルフを振り仰いだミュッティは、
「おう、オームゾルフ祀神長様よ。立場ってのを分からせてやれ、この勘違いした付録野郎によ」
「……承知しました」
首肯するなり、オームゾルフが右腕を振るう。すぐさま彼女の耳元に波紋が広がる。
今や流護でも見慣れた通信の術。
「よう、リューゴ・アリウミとかいったな。お前はさ、アタイらと同じ舞台にすら立ててねぇんだわ。意味分かるか?」
「いや?」
実際、何が言いたいのかすぐには理解できなかった。今この局面で、オームゾルフが誰に連絡を取ろうとしているのかも。
「あぁ悪かった、低脳にも分かるように説明してやる。お前らの寝泊まりしてる診療所でよ、惨めに死に損なってるオトモダチがいんだろ?」
「!」
流護はハッと息をのんだ。
意識こそ取り戻したサベルとエドヴィンだが、不自由なく動くにはほど遠い状態だったのだ。
――誰かに襲われたなら、ひとたまりもない程度に。
「そういうこった。足手纏いなんぞを抱えてる時点で、お前はアタイに上等な口利く権利すら持ってねぇんだよ」
「……くっ!」
敵の狙いを察し、流護は歯を噛んだ。
オームゾルフは配下の兵に命じ、エドヴィンたちを人質に取ろうとしている――。
「いやぁ、やっぱ無闇矢鱈にトドメ刺せばいいってもんでもねぇよなぁ。ザコにも、こーゆー使い道があるんだからよ」
このためだったのだ。
ミュッティとモノトラが、エドヴィンに止めを刺さなかった理由。
こうして敵対した際、彼の身柄を盾として優位に立つため。
「……?」
そこで訝しげに眉をひそめたのは、通信術を行使中のオームゾルフ。
「くっ」
その様子に、もはや流護も限界だった。
「く、ぶふっ……ははははははははは!」
堪え切れず吹き出した。歯を噛んで我慢していたが――ついさっきはどうにか耐えたが、もう無理だった。
敵方一同の注目を集めつつ、少年はわざとらしく言ってやる。
「いやー、どしたんすかオームゾルフ祀神長。もしかして、診療所を襲撃するつもりで待機させてた兵士が通信に出ないとか? おかしーっすねー、どうして出ないんでしょーねー?」
ほんの刹那硬直した聖女はすぐに術を中断。流護でなく、少女騎士へと視線を転じる。
「……事前に彼らの避難を……? 先ほどサベルさんが目覚めたと仰っておられましたが、満足に身動きが取れるような容態ではなかったはず――」
「うん。ひどいケガだったね、あれは」
そこで答えたのは、ベルグレッテでも流護でもなく。
「メルティナ……、……まさか」
聖女はその青銀の瞳を見張る。
サベルとエドヴィンは重傷。完治まで相応の時間を要する身。……『極めて高位の回復術が扱える者の施術を受けない限りは』。そんな状態だった。
「――そういう、ことですか」
しかし、ここにいる。
最高位の射手にして、至高の回復術の使い手が。それを成した白き『ペンタ』が、朗々と告げた。
「そういうことさ。ついさっきの話だけど……ここに来る前に、ゴトフリー診療所に寄ったんだよ。ベルグレッテさんたってのお願いでね。今じゃなきゃダメ、私じゃなきゃダメ、って言うから力を貸したけど……実際、兵士たちが診療所を張っててね。……うん、ベルグレッテさんはこの展開を見越してたという訳だ。恐れ入るね」
さすがのオームゾルフも愕然とした面持ちとなり。
いつしか、余裕綽々だったオルケスターの面々からも笑みが消えている(フードを目深に被ったアルドミラールについては顔すら確認できないが)。
今、この場にいる者たちは理解したことだろう。
ここへ至る展開。全てを思惑通りに運んだのが、果たして『誰』であるのかを。
その当人――ベルグレッテが補足する。
「そしてもう一人、この局面において人質となりうる人物……レニンさまも、すでにこちらで保護しています」
「……! かあ、さま……」
「おう、心配すんなレノーレ。ジュリーさんが上手くやってくれてるだろーしな」
頼れるトレジャーハンターの麗女は、今頃『お宝』の奪取に成功していることだろう。
「……ベルグレッテさん……あなたには一体、何が見えているのです……?」
慄然とした聖女の声には、畏敬の念すら滲んでいた。
そんな問いかけに、少女騎士は毅然たる眼差しを返す。
「私はただ、レノーレの無実を証明したかっただけ。……そして願わくば、オームゾルフさまも同じようにと。そのように考え手を尽くした結果、認めがたい真実にたどり着いてしまった……。ならば、どう動くか。その部分を必死に突き詰めたまでのこと―― 」
ようやく潔白だと証明できた、その友人の肩を支えながら。
「……、……ふふ。相手のわずかな言葉の違和感や行動の不審から、真実を暴く……。まるで……古の時代の『言喰み』のような。……我が国にも、あなたのような人がいたなら……。……いえ、考えても詮無きことですね」
自嘲気味に呟いたオームゾルフは、何かを振り払うように。
「――では。互い……これにて、道を阻むものはなくなったということですね。……いいでしょう。では、決めるといたしましょう。『どちらが正しかったのか』を」
隙のない洞察と対応にて、敵の手練手管その全てを封じたベルグレッテ。真実を暴き、レノーレを救い、メルティナを味方につけ、流護をこの場へ立たせることに成功した。
しかし一方で、オームゾルフも思惑通りに事を運んでいる。
国力を利用し暗躍、間一髪のところでレノーレの逃亡を防ぎ、メルティナの臓器を奪取するため、オルケスターの詠術士ミュッティをここに呼び寄せた。最強の親友を殺せるという最強の駒を、この場に立ち会わせることに成功した。
藍色の少女騎士と白銀の聖女。
二人は、ともに道を踏み外していない。自らが目指した通りに、今この瞬間を迎えている。
となれば――
「ミュッティとかいったっけ」
にわかに訪れた沈黙を破るのは流護。
「あんたの言う、舞台……とかってのに立てましたかね、これで」
ベルグレッテが立たせてくれた。もう、遮るものは何もない。
目の前の悪党をぶちのめせば、ひとまずはカタがつく。有海流護は、いつも通り拳を振るうだけだ。
一方の鈴をぶら下げた女の表情からは、笑みが消えていた。
「……まっ、そうだなー……」
その声も低く、先ほどまでとは別人のよう。サングラスめいた黒メガネで顔を覆い隠されているゆえか、その内面は読み取れない。
「すぐに思い直すだろうよ。素人なんぞが、気安く舞台に上がるべきじゃなかった……ってな。後悔しても遅ぇがよ」
この場には数十人もの多勢が詰めかけているというのに、耳に痛いほどの静寂が舞い降りた。
「リューゴ……メルティナ殿」
少女騎士に呼ばれた二人は強く頷き。
「……ミュッティ殿。あとはお任せいたします」
聖女の言に、軽快な鈴の音が重なる。
――ありとあらゆる知略を尽くした才媛が二人。
彼女らはその結末を、自らが信ずる『力』へと託した。
ただ単純に、勝者が願いを遂げる。『正しかったことになる』、そんな野蛮極まる終局へと。
長き『謀』の時間は終わり。
今、『暴』が荒ぶ領域へと移行する。
油断ない流護の視線に気付いたか、ミュッティがひらひらと片手を振った。
「あー、気にスンナ。そこのモノトラとアルドミラールはただの見学だ」
艶かしい舌を覗かせ、女は嗤う。
「――メルティナ・スノウにリューゴ・アリウミ。てめぇらと遊ぶのは、アタイ一人だからよ」
ベルグレッテとレノーレ、流護がそれぞれ瞠目する中、
「ふむー、なるほどなるほど。いいねそれ」
皮肉げに反応するのは純白の令嬢狙撃手。
「上手いね、関心するよ。それなら失敗しても言い訳が立つってことか。『相手が二人だったから負けちゃいましたー』って。見た目の割に慎重だね、君は」
すかさず鈴の女が応じる。
「ケ、色を塗り忘れたみてーな真っ白女が人様の見た目を語んな。考えてもみろ。道っ端に這ってるアリ二匹を踏み損なって躓く人間なんていやしねーよな?」
この上なく傲慢な物言いをもって。その女は、人垣からずかずかと前へ進み出る。
「せっかくだし、自分を殺した相手のことぐれーよぉく覚えて逝きな。――アタイはオルケスターが誇る殲滅部隊、『鴇ノ凌谺』ミュッティ・ニベリエだ」
最後の『だ』の発言に合わせ、流護は踏み込んでいた。
粉雪を散らし、瞬きの前に零距離へと。大きめのストライド。腰溜めに構えた右拳。鼻をつく甘い香水の匂い。
(バカが。どうでもいいんだよ、てめぇのプロフなんざ)
今すぐブッ倒して終わり。だから関係がない。
敵は、この派手女だけではない。複数の属性を駆使してサベルをねじ伏せたアルドミラールに、ハンドショットを持つモノトラもいる。そしてオームゾルフ派の僧兵たちに、ベンディスム将軍を始めとした兵士たち。
そんな敵だらけの状況で、こちらはわずか四人。しかも一人は、満身創痍のレノーレ。
――まずはこの勘違い女を即座に片付け、優勢へと持っていく。
絶対に外さない、空手家の間合い。幾多の詠術士をKOしてきた、必倒パターン。
「――――シュッ」
常人には視認できない速度で発射された右拳が、吸い込まれるようにミュッティの華奢な顎先へと迫る。
終わりだ。コンマ五秒の後、女は雪上に転が
――ちりん。
る。
「――――」
歪んだ。
一瞬、流護の視界に映る全てに、波に似たノイズが走った。静かな水面に石を落とし、そこから外側へ広がっていく波紋のような――。
直後、篭もった小さな爆発音。そして、唐突に現れた赤黒い何かが流護の視界を塞ぐ。
(! 差し、込まれた!? 目眩まし、か……?)
そこで気付く。
違う。近い。この邪魔な赤黒い何かは、異様なほど近くにある。
何か異物や術によって視界を遮られたのではない。『これ』は、自分の内側から溢れてきたのだ。
理解するや否や。
流護の鼻、耳、口からも温かいものが込み上げ、吹き出した。
「…………、……が……、ば――」
それが何であるか、など考えるまでもない。
飛沫が舞う。
赤い液体が撒き散らされ、周囲の新雪を派手に染め上げる。
息ができない。耳が痺れる。
声の代わりに、滝のような――鮮血が。
「……、」
誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
それも定かでないまま。
(………………………………、……マジ、かよ)
目潰し? 牽制?
とんでもない。
攻撃術の直撃を喰らっていたのだ。
自分が、完全に間合いへ入ったはずの空手家・有海流護が――拳を叩き込むよりも先に。
伝統派空手の踏み込みよりも。この異世界で発揮される身体能力をもってしても。
(……こ、……いつ………………、俺 より は や)
その理解がようやく追いついて、瞬間的に塞がっていた耳から、温かいものが零れ流れて。
明瞭な声が届く。
「そーがっつくなって、ザコ野郎」
歯を剥き出した女の顔が――視界が、傾いていく。
膝が、意思に反してくずおれる。
「、――――……」
有海流護は右正拳を放とうとした勢いのままよろめき、前のめりに崩れ落ちた。自らが撒き散らし生み出した、真紅の海へと沈むように。
「おらよ。まず一匹だ」
つまらなげなミュッティ・ニベリエの声だけが、寒空の下に響いた。