473. 裏側の貴族たち
――時はしばし遡る。
次々と現れる兵士たちを撃退しつつ、メルティナとレノーレは出口目指してひた走っていた。
そして差しかかるその場所。
何の変哲もない空き地。直進すれば、目的の脱出口まで最短距離を進める通過点。
「!」
塀の影から現れた。
そこで二人を待ち受けていたのは、平地での近接戦闘を得手とするリューゴ・アリウミ――ではなかった。
スラリとした長躯を覆う純白の鎧、風にはためく青い外套。
まともに手入れをする気が感じられないぼさついた茶の長髪、そして面長で端正な顔立ちに張りつく薄笑み。
『雪嵐白騎士隊』が一人、ミガシンティーア・エルト・マーティボルグ。
(この男、皇都に留まっていたか……!)
『雪嵐白騎士隊』は不在と聞いていたが、しかしメルティナもさして驚きもしない。
『喜』の騎士とも呼ばれるこの男、筋金入りの変わり者で知られる。
次の瞬間には何を言い出すか、何をやり出すか予想できない。
怪しげにたたえられた笑みの裏側を推し量れず、オームゾルフも扱いに困っている節があった。かのスヴォールンですら、匙を投げたように好きにさせている始末だ。
予測不能の奇人。
今回たった一人皇都に居残り、さらにはこうして現れたとしても別段不思議はなかった。
さて、そんな気まぐれで制しがたいミガシンティーアという男だが、バダルノイスにて王と比肩する力を持つ精鋭騎士団に在籍し続けていられるのには相応の理由がある。
「シュッ――!」
躊躇なく、メルティナは指先から一撃を放つ。
ミガシンティーアは右手を一振り、『ペンタ』の放ったそれをいとも容易く相殺、弾き飛ばす。氷と氷がぶつかり合い、白く冷たい火花を散らした。
ここでレノーレの足が止まっていた。予想だにしない相手が現れたゆえの動揺だ。
「止まってる時間はないよ。こいつは私が引き受ける。レン、君は先に行くんだ」
メルティナが即断で促すと、
「……、分かった」
レノーレもすぐに頷く。
「――ふっ!」
そして一呼吸の間に、『ペンタ』の両手十指から氷弾が飛び立つ。
縦横無尽に反射を繰り返したそれらは、駆け抜けるレノーレを守る盾となり、同時にミガシンティーアへ降り注ぐ弾雨となった。
四方から躍りかかった十の銀光は、しかし白騎士が翻した右腕によって全て撃墜される。正確には、その腕の残像を追う形で屹立した白氷の剣山によって。
役目を終えたとばかり、その防御壁がバリンと砕けて崩れ落ちる。ガラス細工が割れるような光景だが、煌めきながら霧散していくその様は神詠術ならではの現象だ。
「ククク……ご無沙汰しているね、メルティナ嬢」
攻防の隙に空き地を抜けていったレノーレの背中を見送りながら、ミガシンティーアは普段通りに含み笑う。そこに『罪人』を取り逃がしてしまった焦りはない。
「言うほど久しぶりでもないと思うけど。それでミグ、わざわざ出てきてもらったところを悪いんだけど――」
メルティナは右手をまっすぐ掲げ、突き出した人差し指を奇人へと向ける。
「君と遊んでる暇はないんだ。どいてもらえないかな?」
端的に告げれば、ミガシンティーアは卑屈げに肩を揺らした。
「クク……私は未だかつてお目に掛かったことがない。劇でも現実でも。立ち塞がっておきながら、退けと言われて素直に退く人間を」
「なら、君が先駆けとなればいい。『無用なケガをしなくて済む』という、後への範例になるかもしれないよ?」
軽口を叩きながら、メルティナは指先へ意識を集中させる。
手加減はしない。――否、できない。
とかく扱いづらい、奇異と評されるこの男が『雪嵐白騎士隊』に名を連ねている理由は至極単純。
強いのだ。
無論、メルティナやスヴォールンには及ばない。
(……『はず』、だけどね)
だが少なくとも、メルティナを代名する『無刻』の二つ名――これを翳らせることのできる数少ない一人。強さという特化した一点を買われ、奇なる振る舞いが許されている変わり種。
実質、バダルノイスにおける三番手の実力者。
「……」
白銀の空き地にて相対する、白い騎士と白い射手。
互い知らぬ間柄ではない。
それどころか実のところ、年齢や家柄も近しく、幼少時代から面識がある。だからこそ、ともに理解している。小細工や賢しらな策は通じない。
あるのは力と力の正面衝突のみ。
全力で交錯したなら、この場が十数秒ほどで歪な地形へと様変わりすることも双方承知している。
他の兵が待ち構えていないのも、この男が撒き散らす破壊を懸念してのことだ。
「――――」
できれば避けたいが、是が非にも突破しなければならない。
現時点で、メルティナたちの予想は外れている。
ここで待ち伏せていたのはリューゴ・アリウミなる少年ではなかった。であれば、彼は別の場所で待ち構えていることになる。一刻も早く、先行したレノーレに追いつき守らなければならない。
「ミグ、もう一度だけ言う。どいて。加減できない。つまり、命の保証はできない」
「ク、クク、ククク……安心したまえ。そう簡単に斃れはせんよ。第一、誰も彼もが君を最強と讃えるが……不思議よな。私と君は、一度とてまともに力比べをしたことがない。なのになぜ、君の方が上だと? クク。もしかしたら、もしかしたらもしかしたらぁ~……? 私の方が強い、やもしれんよ? クク、フ、クククク」
「――そう。なら、はっきりさせようか」
問答は無駄か。悟ったメルティナが諦念とともに行動へ移る――その直前だった。
「そこまでです」
張り詰めた空気を引き裂く女性の声。
高らかで美しい、かつ朗々とした響きから、メルティナは刹那に錯覚した。
(っ、エマ――!?)
友にして指導者の彼女がこの場にやってきたのか、と。
が、違う。
空き地の奥側出入り口から近づいてくるその人物。
今まさに激突せんとする両者を止めたのは、見覚えある少女だった。
「……君は――」
薄氷色の瞳に藍色の長い髪。美しさの中に、芯の通った何かを感じさせる少女。
「……ベルグレッテさん、だったよね」
「はい」
静かな足取りでやってきた彼女が頷く。冒険者然とした装いに身を包んでいても、そうした何気ない所作のひとつひとつで察することができる。高貴な身分の人間であると。
「クク……間に合ったようですな」
「感謝いたします、ミガシンティーア殿」
「して……届きましたかな? 真実に」
「……はい。ようやく」
「ク、クク、ククク……それは何より」
メルティナと向き合う二人がそんな会話を交わす。当然ながら、ミガシンティーアとベルグレッテは共闘状態にあると推測できる。
二対一。
だが、関係ない。
この少女ひとりが加勢したとて、結果は覆らない。
否、彼女だけではない。何者が幾人駆けつけてこようと、メルティナ・スノウを制することなどできはしない――
「メルティナ殿。お話があります」
眼前で戦意を高めている『ペンタ』に気付かぬ凡人でもなかろう。が、ベルグレッテは臆さず見据えてくる。
「……ふむー。私としても一度、君とはゆっくり語らってみたいんだけどね。けど残念ながら、そんな時間はないんだ」
聡明な少女と聞いている。
こちらが排出口から都市に出入りしているのを見破ったのも彼女だろう、とレノーレは推測していた。どんな策を巡らせているとも知れない。会話に付き合うべきではない。
「ええ。時間はありません。一刻を争う状況です。ですから、無用な押し問答をするつもりもございません」
言うなり、ベルグレッテは腰に提げた黒拵えの長剣へ手を伸ばす。
メルティナはさして身構えることもせず、その様子を感慨なく見つめていた。
彼女が何をしようとも、関係ない。向こうが攻撃行動に移った瞬間、即座に射抜くだけ。己の速度を上回る者は存在しない。
「!」
そう考えていたゆえに、メルティナは虚を突かれた。
ベルグレッテは得物の留め金を外し、鞘に入ったままのそれを目前の雪地にサクリと突き立てた。そして両手を高々と天に向ける。
「話す価値はない、と判断されたならば……その時点でお撃ちください」
「……、君は」
ベルグレッテは今、術の詠唱も保持もしていない。それらによる一片の揺らぎすら感じられない。剣をも手放し、完全に命をさらけ出している。
虚勢や策略ではない。仮にそのようなものがあったとしても関係がない。
メルティナがその気になれば――この少女は、確実に死ぬ。
「君は……騎士だと聞いているけど」
前代未聞だ。敵を前に、闘いを……命を放棄してしまう騎士など。
「はい。ですが今は、レノーレの親友としてこの国に赴いているだけの身。加えて私は、あなたを敵だとは考えておりません。私と同じ、レノーレの親友のあなたを」
「……はは」
思わず乾いた笑いが漏れた。
「クク、クククク……」
傍観していたミガシンティーアも肩を震わせている。
(……これは参った。やられたな)
こんな真似をされたら、気にかかってしまう。
心臓を差し出してまで話したいこととは何なのか。
そのように興味をそそられること自体が彼女の狙いだったとしても、聞かずにはいられなくなる――。
「……分かった、その胆力に敬意を表して聞かせていただくよ。ただ、手短にお願いね」
何も、話を聞いたからとて心身を操られる訳ではない。是非を判断するのは己が思考だ。どんな突飛な内容であっても、冷静に応じればいいだけの話。
「ご快諾いただき感謝いたします。ではまず結論から。此度の一件……レノーレに無実の罪を着せ、メルティナ殿の身柄を狙っている者が存在します。我々は調査の結果、その人物の正体が――オームゾルフ祀神長であることを突き止めました」
メルティナの思考が停止した。
当たり前だ。
見れば、聞かされていなかったのだろう。あのミガシンティーアですら笑みを忘れて目を丸くしている。
とんでもない状況だ。異国の騎士が、自国の王を侮辱している。
メルティナが今この場でベルグレッテを射殺したとて、臣民たちは文句など言うまい。それどころか、英雄としての功績がまたひとつ増えることだろう。
――しかし。
「……あまり驚かれないのですね、メルティナ殿」
ベルグレッテの静かなその指摘で、自覚する。
「………………そんな風に、見える……?」
自分の声が、まるで他人のそれのようにメルティナには聞こえて。
「……はい」
「…………、……いや……」
驚いている。驚くに決まっている。
だが。
(…………私、は……)
心のどこかで……否、心の片隅にすら留めないように努めていた推測があった。
前例のない千五百万エスクもの懸賞金。それをオームゾルフやスヴォールンに認めさせた『誰か』。一向に解除される気配のない異常な手配。
この状況を作り出しているのは何者なのか。あのオームゾルフすら言いくるめてこんな真似ができるのは誰なのか。
(……いない。そんな人間、今のバダルノイスには存在しないんだ……)
オームゾルフ当人こそが黒幕だったと仮定すれば、それら疑問はあっさりと解消する。
何者かがオームゾルフやスヴォールンを手玉に取って暗躍していると考えるよりは、国家の頂点にして智慧に長けたオームゾルフが自ら手綱を引いていたと仮定したほうがよほど腑に落ちる。
そう、無意識の底で薄々分かっていた。しかし一方で、ありえるはずがないと否定した。思いたかった。
(エマーヌのことはよく知ってる。伊達に長い付き合いじゃない……)
間違っても、悪徳に手を染めるような人間ではない。どころか、そういった『負』の概念からは最も縁遠い人物のはずだ。
清廉潔白を絵に描いたような容姿と人柄で。誰よりも真面目で。バダルノイスの明日を案じ、ひたむきに尽くしていて。
まさしく聖人、聖女と呼ぶに相応しい存在。親友として、この上なく誇らしい大切な。
だから、証明したかった。
万が一にも、彼女が『そう』であるはずはないと。
あのモノトラを捕縛して口を割らせれば、きっと全てが解決する。先王の時代のように、甘い汁を吸おうとした黒い連中が芋づる式に検挙され、オームゾルフの潔白が証明される。
そうなると、思っていた。
――思いたかった、のかもしれない。
「…………でも……エマーヌには、こんなことをする動機なんて」
きっと戦時以来だった。メルティナの口から、憔悴し切った声が発せられるのは。崖の縁に指をかけて、どうにか留まろうとするかのように。
「あるのです。オームゾルフさまには……この所業へ及ぶに至った理由が」
そしてベルグレッテが、容赦なくその指を引き剥がす。
「時間がありません。メルティナ殿、あなたと私の目的は同じです。今は……どうか力をお貸しください。詳細は道中にてお話しいたします。急がねば、全てが手遅れとなってしまうかもしれません」
そしてその指を……手を、取ろうとしてきた。
妄言だ、と否定することは容易い。武器を放り、無防備に諸手を上げているベルグレッテを撃ってしまうことも簡単だ。しかし。
「レノーレを救い、オームゾルフさまを止めるために……どうか。全てが手遅れとなってしまう前に……」
今回の一件に関係なく。このベルグレッテという少女については、耳にタコができるほどレノーレから聞かされている。優しくて、美しくて、聡明で、強くて……そんな自慢の友人がいるのだと。あまりのベタ誉めぶりに、メルティナも軽く嫉妬を覚えてしまうほどだった。
レノーレがそう太鼓判を押すほどのこの少女は、確信している。自らの主張の正しさを。防備を捨ててまで発した言葉に、絶対の確信を抱いている。
たどり着いたのだ。メルティナが無意識に目を背けようとしていた部分を直視し、追及し、認めたくなかった真実へと。
「……分かったよ」
現状で少なくとも、レノーレを助けようという目的は共通している。
こちらの意に沿わない部分が出てくれば、またそのときに判断すればいい。
悪夢を払うみたいに頭を振って、メルティナはこの場のもう一人へと問う。
「ミグ、君はどうする?」
昔なじみの変わり者に目を向ける。いかな彼とて、今の話を聞いてなお戦闘を続けようとはすまい。
「クク……私の役目は、ベルグレッテ殿がやってくるまで君を足止めしておくことだったのだよ」
「……、何だって?」
思いもしなかった返答。メルティナは大いに困惑する。
「ククク、事前に頼まれていたのさ。数日前、私の下へ彼女からの手紙が届いてね。なんと、炙り出しの! ククク、粋よな。実に興味深いじゃないか。その趣向だけではない、内容も興味を引くものだったゆえ、手を貸すことにしたのさ。いや、実に難儀な大役だった。雪撫燕とも称される気紛れ娘を繋ぎ止めておかねばならなかったのだからね、フフ。本当はレノーレ嬢も一緒に引き留めておければ文句なしだったのだが、さすがに『無刻』を前にしてはそうもいかず……フフフフフ」
「そっ……」
それなら最初からそう言えば、と言いかけて飲み込んだ。彼がどう弁舌を振るったところで、とても従いはしなかったろう。ベルグレッテの存在がなかったなら、この奇人の怪しい言い分などとても信じはしない。
「……ミグ。君はどう思ってるんだ。エマーヌについて」
「クク、特にどうとも。いざベルグレッテ殿から詳らかにされ流石に驚きはしたが、何せ『二度目』だ。別段、信じられんとまでは思わんよ」
「……、二度目……か」
先の王は、民を裏切り姿を消した。そして今回、オームゾルフがこのような事態を引き起こした。
なるほど、二度目だ。
立て続けに起こった、国家主導者の不誠実な行動。
そして――いつかの『獣狩り』ファーナガルがそうだったように、何が起ころうとも「またか」と思ってしまうような倦んだ土壌が形成されている。もはやそれは、ある種の達観に近い。
「……行こう。今はレンに追いつかないと」
深い溜息とともに踵を返すと、
「メルティナ殿。レノーレを追う前に、お寄りいただきたい場所が」
ベルグレッテが思いがけないことを言い出した。
「寄りたい……場所?」
今この瞬間にレノーレがどうなるとも知れない現状、一体どこに何の用があるというのか。
「はい。この場からそう遠くはありません。ただ、どうしてもメルティナ殿のご助力を仰ぎたい案件がありまして……」
「それは……その、今じゃなきゃダメなの?」
「はい。今以外にありません。加えて、メルティナ殿以外にお願いできるかたがおりません」
やんわりとした物腰ながら、有無を言わせぬこの断言ぶり。
このベルグレッテなる少女の頭脳はおそらく、オームゾルフに匹敵する。メルティナとて間抜けのつもりはないが、知力に関してはその域に及ばない。昔から、全てを俯瞰するようなオームゾルフの利口さが羨ましかった。あの智慧があれば、内戦時もより上手く立ち回れただろうと。
それはともかくとして、もしこの少女が何事か謀ろうとしていたとしても、戦力ならばこちらが上だ。いつでも力づくで突破できる。
「……分かったよ。とにかく、あとの話は動きながらにし――」
そこであることに気付いたメルティナは、ハッとして言葉を切った。
「っと、兵士たちの目をどうするかな……」
彼らにしてみれば、メルティナは依然として確保すべき対象。いちいち説得だの弁明だのをしている余裕もない。
「その点はご安心を」
こくりと頷くのはベルグレッテだ。
「もうじき、『メルティナ殿を確保した』との報が触れ回ります」
「……まさか、事前に根回しをしてたの?」
「いえ、これはベンディスム将軍による一策です。レノーレを揺さぶるための」
「偽報か。あの食えない爺さんの考えそうなことだね。でも――」
「ええ。動揺はするでしょう。しかし、おそらくレノーレは騙されはしません。あの子は、メルティナ殿を信じているはずですから」
「っ、」
策の成否については同意だ。しかし思いがけない私見を挟まれ、つい返答に詰まる。その間に、ベルグレッテは話を進めていく。
「私たちはこの虚偽の一報を逆手に取ります。ミガシンティーア殿、同行をお願いできますでしょうか?」
『ペンタ』と白騎士は同時に目を見開いた。
「! なるほどね、そういうことか……」
もうじき兵団の間に齎されるであろう、メルティナ・スノウ確保の報。これに乗じ、当のメルティナはミガシンティーアを伴って自由に行動する。その光景を目にした兵士らは驚くことだろう。メルティナは本当に捕まったのか、と。
国内屈指の実力者であるミガシンティーアが同伴すれば、そこに多少の説得力も生まれる。
「クク、ククク! さぞかし現場は混乱するでしょうな。面白い!」
他人事みたいにミガシンティーアが笑うと、ベルグレッテは神妙な顔で頷いた。
「あくまでメルティナ殿が兵団に行動を阻害されぬようにするための策です。お二人が揃っている様子を見かけて妙に思う者も現れるかもしれませんし、オームゾルフさまやベンディスム将軍の耳に情報が入り不審がられる可能性もあります」
「ふむー。けど、向こうとしてはその事実確認のために人員を割く余裕も時間もないはず……」
「ええ。それより、間近に迫っているであろうレノーレの確保を優先しなければならない状況ですから」
「なるほど。……しかし、私はミグに負けて連行されている風を装わなきゃいけないのか……」
「クク。名演技を期待しようじゃないか」
「……なぜそんなに楽しそうなんだ君は、まったく」
「フフ……しかし、当のレノーレ嬢は無事でいられるかな。そうこうしている間に、肝心の彼女が落とされてしまっては元も子もないが」
からかうような白騎士の弁に対し、
「大丈夫だよ」
「大丈夫です」
期せず、メルティナとベルグレッテは同時に言葉を放っていた。
思わず顔を見合わせ、どちらともなく笑い合う。一拍遅れて、『喜』の男も。
「フ、ハハハハハ! 随分と信頼されているな、レノーレ嬢は!」
「当然さ。レンだって優秀な詠術士だ。まして、単独での撹乱や陽動はお手のもの。この状況でも、そう易々と捕まったりはしないよ」
そんなメルティナの言に、ベルグレッテが追従する。
「ええ。彼女ならば、排出口の間近までは迫るはずです」
とそこで、ミガシンティーアが名案を思いついたように手を打った。
「おお、そうだ。ククク。全幅の信頼もいいが……今のこの話を、通信でレノーレ嬢に知らせてはどうだ? 万が一つにも儀報に騙される心配はなくなるうえ、黒幕の正体も詳らかとなる」
「ああ、悪くない案だけどね……残念ながら、事前に取り決めてしまったんだ。分断されたとしてもお互い、通信術には応じるな、って」
一瞬一瞬の判断が成否を分ける逃避行。
やにわに飛んできた通信術は、戦闘中であれば集中を阻害する要因となる。メルティナなどは、そのために独自で受け付けを拒否する術を開発したほどだ。
それに顔が見えないやり取りである以上、向こう側にいる相手が本人とは限らないという側面がある。通信に応じた他人を目的の相手と勘違いしたまま、しばらく会話を続けていた……という話も珍しくない。波紋越しの声だけでは、存外に本人かどうかの判別は難しいのだ。
そうしてなりすましも可、そしてその声は波紋を通じて周囲に響く。
こうした術の特徴を鑑みたうえで、兵団側がどんな揺さぶりをかけてくるかも分からない。
ゆえに互い連絡が取れなくなるのは不利な点と認識しつつも、その他の不確定要素を排除するために『通信術は使わない』と前もって決めていたのだ。
そもそも逃走犯の通信術を傍受することで逃走経路や居場所を特定するような捜査は、兵士らの間でも当たり前のように行われている。
「おお、そうだったな。君らは追われる身だったのだ。ククク」
「その点については心配無用さ。連絡なんて取れなくても、レンなら」
ただ、問題はそこから先だ。そもそもとして出口の位置――こちらの目指す地点が割れているのだから、オームゾルフや兵団がおめおめと見逃す訳がない。
メルティナが同行していれば、強引に突破できる。雪が降れば、流雪水路を利用して滑り抜ける秘策も使える。
大丈夫とは言ったものの、もちろん確証はない。レノーレが今この瞬間も危険に晒されていることに変わりはない。一刻も早く追いつかねばならない。人と人との争いだ。絶対はなく、万が一はありえる。
メルティナとしては不安が拭えない心持ちだったが、ベルグレッテの表情には幾分か余裕が感じられた。
「現在、オームゾルフさまの近くには私の仲間がついています」
「仲間……って、もしかして」
心当たりにハッとすると、ミガシンティーアが意味ありげに笑いつつ呟いた。
「クク……リューゴ・アリウミ殿か――」