472. 清廉なる黒
――正体を暴かれた犯人の反応というものは、概ね決まっている。
流護も遊撃兵として幾度となく悪人の確保に携わり、その光景を目の当たりにしてきた。
苦しい言い訳を並べる者、しらばっくれる者、ひどく取り乱す者……。
例えば流護がグリムクロウズへやってきて間もない頃――ガーティルード姉妹の暗殺を企てたシリルという貴族の少女も、まさしくサスペンスドラマばりにしらを切って食い下がったものだった。
しかしきっと、それが真っ当な反応だ。
後ろめたい行為、知られたくない事実が露見すれば、おそらく誰だって冷静さを欠く。
――だからこそ、流護は怖気立たずにいられなかった。
「ふふ、なるほど。ベルグレッテさんですね? 真相にたどり着いたのは――」
これまで通りの清らかさすら宿す笑顔。柔らかな物腰。
悪意などという言葉からはあまりにも縁遠かったはずの、エマーヌ・ルベ・オームゾルフという女性。バダルノイスの頂点に座するその人物。
(……、こ、いつ……)
認めた。あまりにもあっさりと。
まだ、一言。「あんたが内通者だ」と。そう声を上げただけ。どうとでも言い訳が可能な段階で、しかしまるで否定せず。
虚勢ではない。開き直りでもない。もっと別の、底知れぬ何か。
「…………」
こうして様子を窺うとよく分かる。
周囲の兵士たちは何が起きているのか理解できず、流護とオームゾルフを交互に見比べている。今この場に集まっているのは、派閥では『中立』となる者たちばかりと考えて間違いない。オームゾルフ寄りでも『雪嵐白騎士隊』寄りでもない、事情など何も知らぬ一般兵。
「本当に……驚くほど聡明なのですね。ベルグレッテさんは」
オームゾルフの言に皮肉の響きはない。今までと何ら変わらず、憧れや尊重すら滲んでいる。
だからだろうか、
「……あいつじゃなくても……俺でも引っ掛かるような部分はあった……んすよ」
流護の受け答えも、これまでと同じような敬意を引きずっていた。
気圧されていたのかもしれない。狂気すら感じさせる、彼女の中の『何か』に。
「俺は最初からずっと気になってたんだ。レノーレがオルケスターの一員だって言われる切っ掛けになった、メモの話……」
ハルシュヴァルトにある彼女の屋敷から発見されたという、オルケスターとの繋がりを示すとされるメモ。
ここまでの展開からも推し量れるように、かの組織は極めて高い機密保持能力を有している。流護もラルッツから話を聞くまで、その実在すらいまいち信じ切れずにいたほどだ。
そのように慎重な連中の名が、レノーレ失踪後の屋敷の家宅捜索であっさり明るみに出たという違和感。
「最初は、オルケスターの単純なミスか……とか色々考えたんだ。でも、そうじゃない……」
一呼吸置いて、口にする。
「そのメモ自体がでっち上げだった。捏造したんだ。家捜しした兵士が、『こんなのが見つかったぞ!』とかそれっぽく言ったりしてな」
そもそも、そのメモにレノーレ本人がかかわったとは限らない。
使用人のウェフォッシュによって書かれた退学届けが、学院へ送られてきたように。
本人が残したものである必要などないのだ。
「で、ハルシュヴァルトの兵舎に確認してみたら……妙なことになってたんすよ。そのメモがなくなってた。証拠物件だから保管してたはずだ、ってヒョドロ兵長がブチ切れてましたね。何なんすかね、メモが残ってると困る人でもいたんすかね。例えばほら……筆跡を詳しく調べられると、本当のことがバレちまうとか」
これは、長距離の通信術を可能とするグリーフットに確認を取ってもらっている。
事件発生当初は、勢いや流れでごまかせた。
レノーレが失踪、屋敷を洗った結果『やはり』証拠が見つかった、と。そういったものが出てきて当たり前、との雰囲気が満ちていた。
洗練された日本の科学捜査ではない。疑わしい人間の家を調べてそれらしき物証が出てきたと言われれば、それ以上の追及などなされない。
「で、そのメモが捏造されたもんだとするなら……今回の事件は、もう丸ごとひっくり返る可能性が出てくる」
罪を犯したレノーレが、法に背き逃亡している――のではなく。
無実の罪を着せられたレノーレが、不当に追い立てられている。
まるで真逆の、あってはならない構図が浮き彫りとなる。
「ここで気になるのは、レノーレを罪人に仕立て上げた『その相手の規模』だった」
一個人が仕組んだことなのか、何らかの集団が組織立って画策したことなのか。いずれにしても、
「そんなにボロを出さずにやれるもんなのか? って思うんすよ。実際にはレノーレは何もしてねえんだ。ありもしねえ罪をでっち上げてんだから、辻褄の合ってない部分とか……そういうおかしな点が少しでもあれば、変に思う奴も出てくるはず」
レノーレの一件には、バダルノイス史上最高額の懸賞金がかけられている。当初はその前代未聞の衝撃ばかりが先に立ち、誰も事件の内容を掘り下げなかったかもしれない。しかし時間が経てば、冷静さを取り戻して別の角度から物事を見ようとする者も現れるだろう。
バダルノイス中が注目している一大事件。仕組まれたゆえの違和感や不自然な点に気付く人間が出てきてもおかしくはない。
「でも、そうはならなかった。冤罪の可能性みたいな話が出ることも全然ないまま、レノーレは一ヶ月以上も当たり前のように追い回され続けた……」
誰も疑わなかった。少女の罪を。
そう、『誰も』。
ベルグレッテに匹敵するであろう洞察力を持つ、オームゾルフですら。
「敵は切れ者のあんたを出し抜くほど完璧だった? ……逆だ。優秀な頭脳を持つあんたこそがクロだったから、誰も疑わなかった。『切れ者のオームゾルフ祀神長』が念入りに仕組んだことだから、根回しも完璧に近かった。誰にも見抜かれなかった。しかも『バダルノイスで一番偉い人』が言うことだからな。兵士とか国民が疑う余地なんてある訳ねえ」
国によって程度の差こそあれ、基本的に王が絶大な権力を有する世界。
王が言えば、白も黒になる。まさに今回、その言葉通りのことが行われた。
(しかも、こうなると……)
流護は先ほど、オームゾルフを『内通者』と呼び捨てた。
だが、彼女はこのバダルノイス神帝国の頂点である。女王、トップ、主導者……呼び方は何でもいい。
例えばあのミガシンティーアが本当に黒だったなら、それは『内通者』と呼べるだろう。バダルノイスに潜み密かに悪行を働いていたなら、その呼び名に違和感はない。
しかし、オームゾルフはこの国の最高権力者。そんな彼女が敵だったとなれば、あるひとつの可能性が浮上する。
財力、権力、軍事力……。
女王として――ありとあらゆる権能を、己が目的のために利用していたならば。
「……ふふっ」
聖女の口から零れる上品な笑み。
暴かれてなお、オームゾルフの余裕が崩れないのは当然だ。
敵の正体は――『今のバダルノイス神帝国そのもの』。
いつかの、真相にたどり着いたベルグレッテの言葉。
『今回の事件の黒幕は、オルケスターの協力を取りつけたオームゾルフさま……すなわち今のバダルノイス神帝国そのもので、レノーレが追われる身となった原因は、メルティナ氏を確保するにあたり「弱み」として利用できると判断されたからであると――』
国家だ。
たった一人の異国の兵士などを恐れるはずがない。
「仰るほど容易ではありませんでした」
国を導くその存在が独白する。これまでと何ら変わらぬ佇まいで。
「リューゴ殿もご存じかと思いますが、我が国には『雪嵐白騎士隊』という機関が存在します。彼らは、私の意向に無条件で従うものではありません」
先王の過ちを教訓に組織された集団。
王が道を違えぬよう、互いに監視し合い切磋琢磨していくための間柄だったはずだ。
「彼ら……特に、スヴォールンからの『協力を仰ぐ』のには随分と骨が折れました。規格外の懸賞額を……ましてや彼の妹を罪人と認ずるに足る理由を考る必要があったり、遙々レインディールまで遠征調査をお願いしたり……。今も怨魔の征伐を依頼しておりますけど」
「……なるほど。『協力を仰ぐ』、ね。ものは言いようだな。そうやって、邪魔になるあいつらをわざと遠ざけてた訳だ」
『雪嵐白騎士隊』は独立した思考をもって動く集団。オームゾルフの仲間ではない。
「はっ。エラソーなだけでクソの役にも立ってねーな、あいつら……。結局は連中も、あんたに見事騙されてたってことか」
「いえ。『私は、嘘偽りを申したことはございません』よ」
いけしゃあしゃあと。依然として変わらぬオームゾルフの笑顔に、流護はまたも狂気の片鱗を感じ取った。
「…………どう、して……」
そこまで無言でいたレノーレが、ようやくといった面持ちで声を絞り出す。
「……どうして、こんな……」
――どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。
満身創痍のレノーレから発せられたのは、そんな当たり前の憤り――
ではなかった。
「……あり、えない。……あなたが黒幕……だというなら、それはつまり……あなたは、メルを――」
その言葉に、初めてオームゾルフの顔から笑みが消える。
と、同時だった。
「お、おい見ろ! あれは……?」
「なっ!? 何だ!?」
兵士たちが慌てふためいて身構える。
間近の建物、その屋上から流護たちの近くに落ちてくる影がふたつ。
粉雪を舞わせて、その二人が着地する。
神詠術の逆噴射を駆使してこの場に駆けつけたのは、
「おう。待ってたぞ、ベル子」
「ええ……!」
藍色の長い髪をたなびかせる少女騎士ベルグレッテ――と、もう一人。
少女騎士が貸した茶色の上衣に身を包み、フードを目深に被った人物。
到着するなりフードを背中側に跳ねのけたその人物は、
「レン! ……エマーヌ……何てことだ。まさか……」
雪の申し子のような白き『ペンタ』、メルティナ・スノウだった。




