449. 全貌
場所はゴトフリー医師の診療所、二人の患者が入院中の病室。
室内には五人。
部屋の主――と読んではおかしいか、寝台に横たわるサベルとエドヴィン、そして椅子に腰掛ける流護とジュリー、ベルグレッテ。これだけの人数が収まるには少し手狭な空間だった。
「オルケスターは料理店で私たちに悟られぬよう支臓剤を摂取させ、美術館にて待ち伏せての各個撃破を狙った……。しかしそんなことなど知るよしもない私たちは、自ら散開し思い思いの行動を取りました」
語り手はベルグレッテ。
彼女がたどり着いたひとつの結論。現時点では憶測でしかないそれを、しかし見てきたように紐解いていく。
「エルサーさんによれば、私たち五人のうち狙われていたのは『三人』。あの日……実際に敵と交戦したのは、リューゴ、サベルさん、エドヴィンの三人。だから、この三人こそが標的。……そう思い込んでしまったことが誤りでした」
「ちょっ……、どういうこと? ベルグレッテちゃん」
ジュリーの驚き顔に落ち着いた首肯を返し、少女騎士は続ける。
「偶然に偶然が重なったために、元は単純だったことが複雑に見えてしまったんです。そもそも敵の狙いは、今しがたお話したように『美術館で待ち伏せ、各個撃破を狙うこと』。つまりリューゴとエドヴィンが街中で襲撃を受けたことは、本来の筋書きから外れた出来事だったんです。二人から詳しい話を聞いて、それは確信へと変わりました」
そこで流護がおずおずと補足する。
「いや、よくよく考えてみりゃそうだったんだよ……。そもそもあん時、『メルティナは俺を殺しに来たんじゃなかった』んだ」
そうなのだ。
何しろ、彼女自身が隠しもせず言っていたのである。
『決まってるでしょ? 聖礼式に参加しに来たの』
これは方便ではなく、式を執り行っていたアントロジという司祭が彼女によって狙撃されている。メルティナは確かに儀式に参加していた。
「それにさ、あの姉ちゃんちょっと煽って怒らせたら、キレ気味に言ってきたんだよな。『次に気がついたら、診療所の寝台の上でした。そんな展開がお好みかな?』とかってさ。なーんかカッコつけやがってからに」
重要なのは、その意図だ。
ようは、病院送りにされたいのか――と。
この発言からも明らかだ。
メルティナは少なくとも遭遇した時点で、流護を殺すつもりなどなかった。
思えば彼女は、流護に対し威嚇射撃を交えながら「レインディールへ帰れ」と迫っていたのだ。
つまり、メルティナと流護があの場で出会ったのは全くの偶然。彼女は、少なくともあの場において刺客ではなかった。
エドヴィンたちが時を同じくして襲われた――と後に知ったことで動揺し、彼らと同じ奇襲を受けたと思い込んでしまった。起きた状況から、勝手にこれらの出来事を結びつけてしまったのだ。三人がほぼ同時に襲われた以上、偶然でなどあるはずがない――と。
「じゃあ……狙われてる『三人』のうちの一人は、リューゴくんじゃなかった……?」
うーん、と唸るジュリーに、
「いえ。リューゴは、狙われている『三人』のうちの一人と考えて間違いありません」
「うぅん!? ちょっと待って……でも、メルティナはリューゴくんを襲撃しようとはしてなくて……? 何がどーなってるのよ? 狙われてるのは誰? エルサーちゃんの話だと、少なくともあたしは違ったわよね?」
「はい。混乱させてしまって申し訳ありません。ではまず結論から……。狙われている『三人』は、リューゴ、サベルさん、そして私……ベルグレッテです」
絶句するサベルたち。言いたいことは分かっているとばかりに、ベルグレッテが先を話す。
「なぜこの三人なのか……とくにサベルさんとジュリーさんは、大きな疑問を抱かれると思います」
「そう、ね。少なくとも……どうしてサベルだけが狙われて、あたしは狙われないのか……」
サベル・アルハーノとジュリー・ミケウス。
幼なじみにして恋人同士。常に一緒に過ごし、トレジャーハンターとして二人三脚でやってきた二人。いつも力を合わせ、同じ成果を挙げ続けてきた両名。
評価されるならば二人ともが賞賛され、恨みを買うことがあるならばやはり二人一緒。見本のような一心同体、比翼連理だ。
なら、『二人のうちサベルだけが狙われる』という状況がどうして生まれたのか。
個人の揉め事程度の話ならばそういったことも起きるかもしれないが、相手は闇組織である。片方だけに的を絞る理由は何なのか。
ベルグレッテが淡々と説明する。
「……私は本来、早くからその理由に気付けていたはずでした。……そのはずでしたが、エドヴィンが襲撃を受けたことでその推測に疑念がよぎり、無為に考え込んでしまうことになりました」
「何なの……? その『理由』って……」
「――『融合』です。キンゾル・グランシュアの能力を介し、リューゴ、サベルさん、私の臓器を奪うこと。それが彼らオルケスターの目的」
視線を落としたサベルが、包帯の巻かれた自らの手を見つめる。
「……成程、そういうことか……。奴らは、俺の炎を……」
「はい、おそらく。サベルさんの『紫色の炎』……これに目をつけ希少と判じた彼らは、奪おうと目論んだのだと思います」
流護は自嘲気味に口にする。
「オルケスターの連中は別に、レノーレの捜査に協力しようとした俺らを邪魔に思って排除しようとした訳じゃなかったんだよな。でもま、よく考えてみりゃそうだよ。だって俺ら、何も成果出せてなかったんだから。邪魔に思われるほどの働きすらしてねーんだもん」
到着するなりレノーレ包囲網に参加するも、メルティナに蹴散らされ確保失敗。
他の兵士たちと比較しても、特別な結果など何も残せていない。オルケスター目線に立って考えた場合、わざわざ刺客を差し向けてまで始末しようと思うだろうか。
『どうしてオルケスターは、私たちを襲ってきたのかしら……?』
以前、襲撃後にベルグレッテがぽつりと呟いた言葉。
当時の流護にしてみれば1+1が2になる理由を問われたような心持ちだったが、少女騎士はこの時点で気にかかっていたのだろう。
となれば、オルケスターがその行動に出た理由は他にあるということになる。
同じ軌跡を歩んできた二人のうち、サベルのみが狙われたこと。
この一件にオルケスター……『融合』を扱うキンゾルが絡んでいること。
そして――
「な……ならよー、アリウミとベルはどうして狙われたんだ? お前らは『ペンタ』でもねーし、特別珍しい力だって持ってねーだろ」
エドヴィンの疑問には、流護があっさりと答える。
「そら、俺は有名人だからな! ……ってのは冗談にしても、一応俺は天轟闘宴で優勝してるし。で、敵は知らないだろうしな……俺が神詠術をまともに使えないことなんて。むしろ逆に、素手で闘えるんだから変わった能力でも持ってるって思われてんじゃねーかな?」
そもそも、流護がこのグリムクロウズで突出した身体性能を発揮できることについて、未だ何も分かっていないのだ。
もしかすれば神詠術と同じく、『融合』で奪えてしまうものである可能性もなくはない。
「んで、ベル子の場合……」
「……私はサベルさんのように珍しい力も持っていませんし、レインディールの中で活動している騎士見習いの一人にすぎません。詠術士としても、まだまだ半人前の身……。ですから、オルケスターの『融合』の対象となる理由が思いつかなかったのですが……先日、グリーフットさんと初顔合わせをした折にハッとしました。同時にサベルさんのある言葉を思い出して、その思いつきがほぼ確信へと変わりました」
「俺の……言葉? 何か言ったっけかい」
「はい。出会った翌日に山越えを果たし、お近づきの印ということで食事の席をともにした折に――」
『天轟闘宴の覇者と、乱入してきた「黒鬼」を斬った少女剣士……。成程、噂に違わぬ腕前だぜ』
そんなサベルの賞賛。
そしてグリーフットとの対面では――
『どうも。あのプレディレッケを斬った女傑に覚えていていただけるとは……光栄の極みです』
「つまりベル子は、『天轟闘宴に乱入してきたバケモンをぶっ倒した女流剣士』として世間に知られてるってこった」
「……正確には違うんだけどね。あれは、すでにリューゴたちが奴を追い詰めていたからこそであって……」
「最終的に倒したのはベル子だよ。実際オルケスターの連中も、それで判断したんだろ。あのプレディレッケを斬るほどの詠術士……『融合』するだけの価値がある、ってな」
「……ちょっと待って。じゃあ……オルケスターは、あの天轟闘宴を観戦してたってこと……?」
ジュリーの呟きに、ベルグレッテはコクリと頷いた。サベルも「ああ」と納得顔になる。
「あり得るな。何しろ、各地から百戦錬磨の詠術士が集まる場だ。奴らとしちゃ『融合』の対象を選ぶための、おあつらえ向きの舞台だったのかもしれん」
そこで流護、サベル、ベルグレッテの三人は、連中の『御眼鏡に適った』という訳だ。
「となるとおそらく、私たちだけではないのでしょう。他にも、強力な……かつ希少な能力を持つ参加者のかたが、オルケスターに目をつけられているかもしれません」
「実際グリーフットさんも、オルケスター疑惑の奴に怪しい勧誘されたとか言ってたしな」
戦力となりそうな人物を引き込む、もしくはその所有する臓器を奪う。
グリーフットは傭兵であるため、条件次第で加入すると踏んだのだろう。何しろ、その誘いをかけた当人が歴戦の傭兵のような風貌の人物だったという話だ。
一方で流護とベルグレッテはレインディールの兵。キンゾルとは因縁もある。問答無用で奪う対象となり、一緒にいたサベルもまとめて同じ扱いを受けることとなった。
「ただ、エドヴィンが襲われたことで……この予想は違っていたのでは、と思ってしまって」
一介の学生にすぎないエドヴィンが、オルケスターに狙われる理由などない。ゆえに、敵の襲撃の理由は臓器の摘出以外にあるのでは――と、無為に勘ぐってしまった。
「けれど、目覚めたエドヴィンから実際に話を聞いて……ようやく」
彼は街中で偶然にもオルケスターの人間……ミュッティとモノトラに遭遇、しかも連中が流護とベルグレッテの名を出しているのを聞いてしまった。
それに感づかれ、やむなく戦闘へと発展した。
ちなみに、ここでミュッティらが流護やベルグレッテについて『使える』だの何だのといった議論を交わしていたとのことで、これが臓器の融合に関しての内容であれば合点もいく。
「ジュリーさんの詠術士としての実力や技量は、私を大きく上回ります。にもかかわらず、ジュリーさんは対象外となり、私が標的のうちの一人となった……。のであれば……相手は、単純な力量などではなく、なにか別の判断基準をもって獲物を選定したことになります」
日々励んでいるベルグレッテではあるが、レインディールにおいては騎士見習い。実力もまだまだ発展途上。オルケスターに特別な詠術士だと思われるような実績も残してはいない。
となると――
例年になく強者揃いだったという昨年の天轟闘宴。
中でも『打ち上げ砲火』と呼ばれる習わしが始まって以降は、選り抜きの実力者ばかりが残っていた。サベルとジュリーもその中に含まれる。
このところ腕を上げてきたベルグレッテではあるが、そうした面々にはまだまだ届かないと流護は考えている。
何よりまず、ベルグレッテは武祭の参加者ですらない。
最大級のアクシデントだった、『黒鬼』の乱入。
結果的にこれを制したことで、飛躍的にその名が知れ渡ったのだ。
つまりオルケスターは、そこで目をつけた。
より話題性の高い者……目立った者を厳選した。
『融合』を用いれば、相手の神詠術を……その特性や技をも奪える。
(つまり……ベル子がMP不足でイマイチ使いこなせないでいる、あの技……)
一振り限りの必殺剣――『黒鬼』を切り伏せたあのグラム・リジルをも、強奪できるということ。
もし、潤沢な魂心力を有する人間があの術を手に入れたなら?
オルケスターがベルグレッテに目をつけた理由は、おそらくそこだ。
「あっ。じゃあ、敵がエドヴィンくんにトドメを刺さなかった理由は……?」
「『融合』の対象じゃなかったから、っすかね。もちろん最終的にハンドショット持ち出してる時点で殺すつもりにはなったんだろうけど、最初から何が何でも絶対に……って訳じゃなかった。予定より早く聖礼式が終わって街の人が帰ってきちまった、ってのもあったろうし」
「……その点については、もうひとつ理由が考えられます。それはまた後ほど」
敵の狙いは最初から、美術館で待ち構えるアルドミラールが各個撃破を狙い、臓器摘出を行うこと。
ここに流護やエドヴィンの偶然が重なったうえ、サベルの奮闘により相手は目的を達成できず撤退。今に至るまで数多の謎が残ることとなった。
「ここまでは、オルケスターにとってあくまで副次的な目的。それ以前から起きているレノーレたちの一件とは別問題。けれど、こうして考えると……見えてくる違和感があります」
顎先に指を添えたベルグレッテ。その瞳が、サベルの隣に座る麗女を捉える。
「――とくにジュリーさんは、この切っ掛けにお心当たりがあるのではと」
「え? あたし?」
ドン、と上から大きな振動が鳴り響いた。
腹の底まで伝わるそれは、雷鳴の音。
ほんの先ほどまで晴れ間すら覗いていたというのに。
「はい。私は……このバダルノイスへやってきた当初から、ずっと引っ掛かっていたんです。……ようやく……ようやく、全てが繋がりました」
次いで、建物全体を包み込むような霰の乱れ撃ち。
にわかに互いの声も聞こえなくなるほどの音響の中、
「今回の事件の黒幕は、――――で、レノーレが追われる身となった原因は、――――であると」
ゾ、と流護は自分の腕に鳥肌が立つのを自覚した。
(……さっき聞いた……、ってのに)
少女騎士が語るその『真相』は、先ほど別室で聞かされたものだ。それでもなお、少年の肌を粟立たせる。
皆は一様に言葉を発さず、ベルグレッテの顔を見つめていた。
疑っているのだ。
サベルも、ジュリーも、そしてエドヴィンも。突如鳴り響いた雷と霰の音によって――自分が、『聞き間違えてしまったのではないか』と。
「………………いや、ちょっと……それって…………?」
ようやくに。完全にひび割れた声を発するのはジュリー。
「…………ベルグレッテ嬢。本気で……そう言ってるのか……?」
サベルですらも、包帯の合間から覗く瞳は愕然としている。
「……はい。こう考えると、全ての辻褄が合うんです」
一時の静寂を置いて、どうにか絞り出すのはエドヴィンだ。
「……俺ぁ……バカだからよ、ベルがどーしてそう考えたのか分からねー……。でもよ……」
夢でも見ているような表情で。
「それが本当なら……とんでもねー話だ、ってことだけは……理解できるぜ……」
悪童を気取る彼ですら、ただ呆然となるような。
眉間を押さえ、サベルが頭を振る。
「とんでもねぇ……なんて話じゃないぜ。これは……いや、まさか……そんなことが……なぜだ? 何がどうしたら、そんなことになる……?」
ここまで大陸各地を旅して様々な経験をしてきたであろうトレジャーハンターですら、その顔にはひたすらの驚愕。
「……ベルグレッテちゃん。もしそうだったとして……あなたの想像通りだったとして、これからどうするの……? だって、それが真実なら……」
ジュリーの説得するような口調に、はい、と少女騎士は沈みがちに返事をする。
「……敵はおそらく、尻尾を出さないでしょう。そのうえ、ここまで私が語ったことは全てが推測。証拠はどこにもないのです」
ですが、と前置きを挟み、
「……ただ、やがて本性を現します。この事態が進展し、何も隠す必要がなくなったその瞬間に。もう、そこを押さえる以外にありません」
――引きずり出す。
先刻の別室でベルグレッテが語ったその発言の意味は、こういうことなのだ。
皆が静かに耳を傾ける。
「ですので、そこまで展開を進めます。まず……今も逃亡中のレノーレとメルティナ氏を捉えます」
「え、ええ……? か、簡単に言うわね……」
「……近日中に、レノーレたちは逃げ場を失います。……オームゾルフさまの打った策は、確実に彼女たちを追い詰める……」
薄氷色を宿した少女騎士の瞳には、ただ静かな光が灯っていた。
「――あの子は、もう逃げられない」
恐るべき観察眼、思考、そして策略。
少女騎士は今や、未来を見通してきたかのように『予言』した。