448. それは冒涜なれど
「そうそう。それであいつが、四番通りの方で見たらしいんだよ」
「本当か? 百五十万が欲しくて、適当に吹いてるんじゃないのか」
「でも、いい加減なこと言ったら罰則だからな……。念のため、今日も行ってみるとか言ってたが」
「そうか……。……なぁ、俺たちも参加してみないか? こんな機会、そうそうあるもんじゃないぞ。うちも生活苦しいし」
「そうだなぁ……そんな都合よくはいかないだろうけど……どうせ暇だし、万が一ってこともある。ちょっと行ってみるか。何もしないよりはいいだろう」
そんな会話をしながらゆっくり横をすれ違っていったのは、市民と思しき青年の二人組だった。
「……ベルグレッテちゃん、今の……」
「……ええ」
小降りの雪の中、隣を歩くジュリーが気遣わしげに少女騎士を窺ってくる。
二人で買い出しを済ませた、その帰り道。
路傍の掲示板や酒場の入り口を見ても、よく知る少女の似顔絵が添えられたその告知が大きく貼り出されている。
「……レノーレちゃんは、この皇都のどこかにいるのかしらね……?」
「……それは分かりません……が、近いうちに状況は動くと思います」
今や、賞金稼ぎだけではない。市井の民もこの件に大きな関心を示すようになっている。苦しい生活を強いられている者にしてみれば、それこそ大金を入手できる機会だ。
「…………」
世間がその布告に浮き足立つ中、ベルグレッテは思考を過去へと飛ばしていた。
(発端は、レノーレの屋敷でオルケスターとの繋がりを示唆するメモ書きが発見されたこと)
これによって、バダルノイス及びベルグレッテ一行はかの闇組織の存在を知るに至った。
(先日、グリーフットさんに通信を繋いでいただいたけど……)
旧知の間柄である『グリフィニア』たっての頼みとあってようやく協力的になったヒョドロに確認した結果、ここから遠く離れたハルシュヴァルトでひとつ奇妙な出来事が起こっていたと判明した。ヒョドロも今回初めて気付いたとのことで、どうなっているのかといたく憤慨していた。
(……そして、オームゾルフさまに招かれた私たちがバダルノイスに入国して……)
ずっと気になっていたことがある。
最初は些細な違和感に過ぎなかった。しかし――
(……あれが意味していたのは……)
思考しつつ、ベルグレッテは隣で肩を並べる人物を窺った。
彼女……ジュリーは、長い金髪に付着した粉雪を冷たそうに払い落としながら歩を進めている。
(翌日すぐに、ユーバスルラでレノーレ発見の報が入って)
現地で対応に当たっていたベンディスム将軍らと合流。そこで気付いたのは、
(将軍と、そしてガミーハさん……あの二人を始めとした、兵士の方々の『認識』……)
いざレノーレと対面を果たすも、詳しいこと、知りたいことは何も分からずじまい。
彼女は、頑としてこちらを突き放した。
(私の考えが正しければ……)
メルティナの登場によってレノーレ確保に失敗し、翌日。
料理店での昼食を終えて思い思いに散開した一行と、勃発した戦闘。
そこから浮かび上がった、いくつもの謎と真実。
(本来、起こっていたことは単純明快。偶然が重なったことで、無為に惑わされてしまった)
そんな思考の最中、
「あたしたちも、これまで色んな地域を渡り歩いてきたけど……」
おもむろに。通りの反対側を眺めるジュリーが、小さく口にする。
「バダルノイスに住む人は大変よね。この寒さと雪だけでもしんどいのに、過去の出来事からも立ち直れてなくて……。治安が悪くて暮らしにくいっていう街はウンザリするほど見てきたけど、この国の厳しさはまた方向性が違うわ」
彼女の視線の先には、服と呼ぶのも躊躇われる布切れを纏って座り込む物乞いの老人の姿があった。
「……そう、ですね」
以前、通りかかった裏路地で移民の女性が零していた。
同胞も今や大半が似たような状況だと。生粋のバダルノイス人かどうかを問わず、苦しんでいる者が圧倒的多数を占める状況。
(……そんな状況下、今回の告知)
しばし大通りを進んで十字路の角を曲がると、すっかり宿泊先として馴染んだゴトフリー診療所へ到着する。
「到着ーっと。あーさぶい! さーさー、暖まりましょ」
軒先で上衣や靴の雪を落としながら中へ入っていくジュリーを横目に、ベルグレッテは玄関脇の手紙受けを確認する。
「!」
その中に、一枚の封書が届いていた。
差出人の名はヘフネル・アグストン。先日依頼していた調査の結果が届いたのだ。
封を切って、収められていた一枚の手紙に目を通す。
「………………」
鈍色の寒空を振り仰ぐ。
雲間から、わずかな光の筋が降り注いでいた。
確定、でいいんじゃない?
…………。
でもどーせあんたのことだから、証拠がないって言いたいんでしょ?
……。
でも、分かってると思うけど……待ってても状況は変わらない。こうなったら、こっちも覚悟決めないと。
「…………ええ。そうね」
誰にも届くことのない少女の静かな声音が、白い息となって虚空へ消えた。
「そーいやさ、エドヴィン覚えてるか?」
「あ? 何をだ?」
ナイフをシャリシャリと動かしながら、流護が思い出し笑いしつつ尋ねる。
「俺が学院来てすぐ……ファーヴナール倒した後、しばらく俺が入院したじゃん。そん時さ、皆が見舞いに来てくれて……全員でリンゴ剥いてくれたけどさ」
「あー、あったな。そんなこともよ」
寝台に横たわったままの彼が、思い出したように喉をクックッと鳴らす。
「皆が普通に剥いて渡してくれる中、エドヴィンだけリンゴ一個丸焦げにして渡してきてさ」
笑い合う中、流護は切り揃えたリンゴを皿に並べていく。あの時、皆がしてくれたみたいに。
「ほれ、どうぞ」
「あー、すまねーな」
包帯に包まれた腕を伸ばし、エドヴィンが皿を受け取った。
あの時とは逆の図式。床に臥せっているのはエドヴィンで、看病しているのは流護。
しかし、馬鹿話や笑い声は変わらない。
「いやでも、マジこないだはびっくりしたって。いきなりジュリーさんから通信が入ってさ……『エドヴィンくんが大変なのよ!』とかって言うから」
それまで静かに眠り続けいたエドヴィンだったが、急にうわ言のように「釣れるか?」だの「もう終わりでいいんじゃねーの」などと呻き出したらしい。
「しかもなんか……きれいな花畑とか川とか見たんだろ……?」
「ああ。レインディールでも見たことなかったぜ、あんな景色はよ」
「危ねーよ……どう考えたって三途の川だよそれ……」
実在すんのか、と流護は肩を竦める。しかもこんな異世界であっても。ともあれ、よくぞ戻ってきてくれた、としか言いようがない。
「耳はもうよさそうな感じか?」
流護が自分の耳を指しながら訊くと、
「オウ、どーにかな」
痛々しく包帯が巻かれたその部分を押さえながらも、エドヴィンは頷いた。
「…………」
――あの日。エドヴィンの身に何が起こったのか、流護たちも遅まきながらようやく知ることができた。
この寝台に横たわる彼の姿を見たとき、流護はとある違和感を覚えていたのだが、それもようやく解決した。
それは――サベルと違い、エドヴィンの耳に施されていた治療措置。
そこで符合する、ラルッツやガドガドから聞いたオルケスター構成員の特徴。
(音使い……鈴を何個もぶら下げた派手な女、か)
かつてラルッツたちが所属した団の本拠地で山賊たちを容易く一網打尽にし、すでに瀕死だったとはいえエドヴィンを歯牙にもかけず倒した女。確か、名前はミュッティ。
そしてもう一人。こちらの推測通りハンドショットを所持し、それでいて流護に匹敵する身体能力を持っていたという『商人』の存在。辛くもエドヴィンが仕留め切れなかった相手。
当初は一体何者かと思ったが、これも先日ラルッツたちに相談したことで判明した。
(そいつは多分、セプティウス……とかって例の変な鎧を着てたんだな)
その名前はモノトラ。
エドヴィンによれば、スキャッターボムを直撃させたこの相手の腹部から、金属の光沢が覗いていたという。服の下に着込めるのかは疑問なところだが、何か特殊な防具を装着していたことは疑いようもない。
このあたりの推測については、ラルッツもまず間違いないだろうと同意している。
(そんでこいつらは、何でかは知らんがわざとエドヴィンを見逃したっぽい……)
まだまだ謎は多いが、少しずつ敵の姿が見えてきた。
(アルドミラール、ミュッティ、モノトラ、キンゾル……こいつらが多分、正規メンバーみたいなもんで)
そして、バダルノイス内部に潜む内通者。
それに加え、
(……で、グリーフットさんが言ってた、ハンドショットに無傷で対応したデッガとかいう奴。偽名みたいだけど、こいつも入れれば六人……)
その人物の外見的特徴はグリーフットから聞いているが、三十歳から四十歳ほどの野性味溢れる豪快な男。ここまで出ている人物とは合致しない。
これら全員を撃破し、レノーレを連れ戻す。
(……つっても、そのレノーレの目的は何なんだっつー感じで……)
当初から皆が予想していた、『メルティナと融合し、レニンの記憶喪失を治療する』という説。
そのレニン本人から詳しい話を聞いた今となっては、これはほぼ否定されたと考えていい。無理に記憶を戻す必要はない、と言ったというのだから。
(……となると、レノーレはメルティナを犠牲にして『融合』しようとかってつもりはないんだよな。実際、メルティナはああして生きてたし。でも……そうなると……?)
そのメルティナは、どんな理由があってオルケスターに与しているのか。ああして生きていた以上、臓器を摘出されることはないのか。
そもそも彼女がオームゾルフと親友であるのなら、拗れる前に事情を説明することはできなかったのか。もっとも闇組織に加担していることを考えれば、一国の主に相談などできるものではなかったのかもしれないが。
レノーレの犯行動機が覆ったことに安堵はしたが、そのせいで根本から大きな謎にぶつかることになってしまっている。
「エドヴィンは……何だと思う? レノーレの目的……」
リンゴをシャクシャクと頬張る彼に尋ねてみる。
「あ? そーだなー……。……あいつは、人から頼られることはあっても自分から誰かを頼るこたァねーからな。だから正直よ、想像がつかねーんだよ。オルケスターなんつー組織の奴らとつるんで、何かしよーとしてるなんてよ」
「うーん」
「普段のあいつ見てりゃ、何となく分かんだろ。自分から率先して輪に入ってくよーなヤツじゃねー」
「確かに……」
それなら……オルケスターに率先して与したのはメルティナで、レノーレは彼女に付き従う形で? となれば『理由』は、メルティナのほうにある?
(……でも、ここんとこずっとベル子も調べてるけど……メルティナにそれっぽい気配は全然なかったみたいなんだよな……。年明けにいきなり、二人ともいなくなったみたいな感じで)
……これ以上、流護に推し量ることは難しそうだ。
「オウ、ごちそーさん」
「あいよ」
エドヴィンから受け取った空の皿を受け取りながら、
「…………」
流護は思わず彼の顔を注視する。
「あ? 何だアリウミ。俺の顔に何かついてっかよ?」
「いや……」
何だろう。先日目覚めて以降、エドヴィンの表情がやけに吹っ切れているように見えるのだ。
ここ数ヶ月の間、ずっと切羽詰ったような……張り詰めた面持ちでいたその顔から、険が消えている。そんな風に感じる。
(何かあったのか? とかって訊くのも変だし……)
というより、訊くまでもない。襲撃を受けてずっと眠ったままだったのだ。何かがある余地がない。心境の変化が起こるような時間があったようにも思えないが……。
不思議に思いつつ皿やナイフを片付けていると、病室のドアを開けてサベルが入ってきた。
「おう……調子はどうだい、エドヴィンの坊や」
「アンタに比べりゃ、まだマシだと思うぜ」
尋ねてきたサベルは、松葉杖をついて足を引いている。どうにか起き上がれるようにはなったが、万全には程遠い。流護から見れば彼らのケガの重さはどっちもどっちだ。
エドヴィンが目覚めてから数日。二人が全快するまでに、どれだけの時間が必要かは分からない。
ただ少なくとも――今の彼らが敵に狙われてしまえば、為す術はない。それだけは確かだ。
現在、ベルグレッテとジュリーが出かけている。そのため、万が一に備えて流護が診療所に残っていた。
「よっこい……しょっと」
どうにかといった風にサベルが自分の寝台へと戻る。待合室に茶菓子を取りに行くとのことで席を外していたのだ。
「俺に言えば取ってきたのに」
「お前さんやジュリーに頼ってばかりはいられんさ。……しっかし、昼も夜も暗いと時間の感覚が狂うなァ」
今は昼を少し過ぎた辺りだが、病室内は闇夜のようで、カンテラや蝋燭をいくつも設置することで無理矢理に明るくしている。窓の外が積雪で塞がれているため、光が必要なのだ。
「……なァ、リューゴよ」
ポツリと、静かにサベルが呼びかけてくる。
「……本当に闘るつもりなのか? オルケスターと」
今さらな問い。しかし、彼が何を思ってそれを尋ねたのかは明白だ。
「……あのアルドミラールは、悔しいが俺の手に負える相手じゃなかった。いや、奴に勝てる人間なんてのが、果たしてどれほどいるのか……。もしオルケスターに、他にもあれだけの使い手がいるとすれば――」
こちらの身を案じてくれている。連中とぶつかったなら、ただでは済まないと。
「心配ねーよ」
答えたのは、流護ではなかった。
「サベルの旦那よ、あんたはまだ知らねーだけだ。リューゴ・アリウミの本当の実力ってヤツをよ」
「ハードル上げてくれるっすねエドヴィンさん。……ま、そうだな」
推された流護はといえば、自らの手のひらを拳に打ちつける。
「……ここんとこ、ベル子の調査も進んでるみたいだし。俺は、時が来たら暴れるだけだ。……もう、相手が誰だろうと絶対に負けねぇ」
ふ、とサベルが曖昧な吐息を漏らす。
「……そうか。お前がそう言うなら、無理に止めもしないが……」
あれこれと雑談を交わしていると、にわかに玄関口が騒がしくなった。
聞こえてくる声からして、ベルグレッテとジュリーが帰ってきたらしい。
「っと、お戻りだな。迎えに行って来る」
流護が待合室に入ると、ちょうどジュリーが玄関からの扉を潜ってくるところだった。軒先で雪かき道具を片付けでもしていたのか、少し遅れてベルグレッテが入ってくる。
互い挨拶を交わすなり、買い物袋を机に置いたジュリーが興奮の面持ちで語り出す。
「そうそう、すごいわよ。やっぱり効果が出てるみたい」
「? 何の話っすか?」
「レノーレちゃんの手配書よ。普通に、すれ違った人たちが話題にしたりしてるの」
「ああ、なるほど」
「これは大きな進展があるかもしれないわね~」
例のオームゾルフの措置だ。
レノーレ本人の確保に繋がる情報を提供した者に対し、懸賞額の一割が支払われる形へと決定・変更されたのが先日のこと。一割とはいえ、その額は百五十万にも上る。この話に乗る人間が増えるのは当然だろう。
初日の朝の時点で百もの報告が寄せられ、オームゾルフが直々に確認へ出向いたぐらいだ。
ただ、メリットばかりではない。
そうしてレノーレの捕縛が現実的なものとなり、彼女に肉薄することができれば、そこで欲が出て賞金を独り占めするべく自分の手で捕らえようとする者が出てくる可能性もある。他者を蹴落とそうとする人間が現れれば、追う側の足並みも乱れる。
さらにオームゾルフ自身もこの案を出した時点で懸念していたが、情報が錯綜に錯綜を重ねることだろう。
それだけならまだしも、やはり自分が優位に立つため誤情報を意図的に流す者がいないとも限らない。こういった行いに対しては罰則を設けるとのことだったので、さほどひどいことにはならないと思いたいところだが……。
ともあれ、これは現在の膠着した状況を打破するための策。直接的にレノーレに繋がらなくてもいいとオームゾルフは考えているのだ。
(……で、なんつーか……ミガシンティーアは、この案に反対しなかった……どころか、)
率先して協力を申し出た。先日の朝市で偶然にも遭遇した当人が楽しげに語っている。
もちろん、裏で何か画策している可能性は大いにあるが。
(あとは単純に、レノーレのことも心配だよな……)
これまでより多くの人々の関心を集め、狙われる立場となるのだ。危険という意味でもやはり懸念はある。
「…………食材、しまってくるわね」
と、そこで遅れてやってきたベルグレッテが言うなり隣の部屋へ消えていく。
「……?」
何だろうか。妙に元気がないような――などと思っていると、
「……リューゴくん、リューゴくん。ベルグレッテちゃん、ずっとあんな感じなのよ。やっぱりお友達が大勢の賞金稼ぎたちの的にされるのは、あまりいい気分じゃないんでしょうね……。ほら、ちょっと慰めてあげて。オトコを見せるのよ~」
「は、はあ」
ジュリーに背中を押され、半ば無理矢理ベルグレッテの後を追う形になってしまった。
「……ベル子?」
部屋の入り口から顔を出すと、彼女は宣言した通り食材を整理していた。
戸を閉めると、ベルグレッテはその手をピタリと止める。
「……リューゴ……」
部屋が薄暗いせいもあるのだろう。振り返った少女騎士の顔は、どうしようもない不安にまみれているように見えた。
「えーとその、ベル子……大丈夫か? ここんとこ、忙しくて疲れてるだろ」
「……ん。大丈夫よ」
エドヴィンが目覚めて以降、彼女は流護やジュリーと一緒に外へ情報収集に繰り出している。ガドガドやラルッツ、グリーフットとも情報交換を進めていた。
「あ。そーいや、ヘフネルさんの調査結果ってどうなったん? そろっと来る頃じゃなかったか」
ふと思い出して問うと、彼女は胸元からそれを取り出した。
「……ええ。それなら、ちょうどさっき帰ってきたときに届いていたわ」
手渡されたそれは、すでに封が切られている。もう目を通しているのだ。
「見てもいいか?」
「ええ」
事前に依頼した調査内容はふたつ。
死亡した美術館の男性職員、ニクラスは意見陳情会に参加したことがあるのかどうか。あった場合、立ち会ったのは誰なのか。
そして事件が起きたあの日、流護たちの応対をした料理店の従業員に同じ『密命』を持ちかけられた人物がいるのかどうか。いた場合、やはり陳情会に参加していたのか否か。そして参加していたなら、立ち会ったのは誰なのか。
(これに、あのミガシンティーアが噛んでれば……)
もはや、疑惑は確定的なものとなる。
「…………………………え?」
そう考えていたからこそ、流護は目を疑った。
手紙に記されたヘフネルの調査内容はこうだった。
料理店で美術館と同じ『密命』持ちかけられていたことはほぼ確定。対象は店長。事件の日、流護たちの接客に当たった人物。
意見陳情会に参加したことがあるとの言質も取れた。
それはいい。
「これは……」
だが。
その店長が陳情会に参加した折、予期せぬ問題が発生した。
肝心のオームゾルフが体調を崩してしまい、出席できなかったというのだ。
そこで店長の対応に当たったのは――
(ミガシンティーア…………、じゃない)
ベンディスム将軍、ただ一人。
美術館の女性職員エルサーが証言していた、『当たり』の範疇に含まれる人物ではある。ゆえにきっと、悩みがあれば相談はできたのだろう。
しかし――会の主役ともいえる聖女が欠席した回があったことについて、ヘフネルは全く知らなかったらしく非常に驚いたのだという。
そしてもう一点。
殺害された美術館の職員、ニクラスについて。
彼もやはり、陳情会に出席したことがあると判明した。
こちらについては、きちんとオームゾルフが対応。
が、随伴した人物の名は――ゲビ・ド・フォートゥーン。
(ゲビ……あの根暗野郎か……)
流護の記憶にも残っている。
レインディールに……学生棟のレノーレの部屋に押しかけてきた白騎士たちのうちの一人だ。スヴォールン同様……否、それ以上に敵意を隠しもしない人物だった。
今はそんなことよりも、
(……どういうことだよ……陳情会のメンツ、バラバラじゃねーか……)
エルサーに立ち会ったのはミガシンティーア。
料理店の店長の時はオームゾルフがおらず、ベンディスム将軍ただ一人。
ニクラスの場合はゲビ。
ものの見事に共通する人物がいない。
以前雑談の折にヘフネルから少し聞かされた話だが、ミガシンティーアとゲビは犬猿の仲……というより、ゲビが一方的にミガシンティーアを敵視している傾向があるとのことだった。ゆえに同じ『雪嵐白騎士隊』といえど、この二人が共謀するようなことはまず考えられない。
これら全てにミガシンティーアがかかわっていた――と、その事実を固めるための調査のはずだった。
しかし、これでは……。
「ベル子、これ……」
まさか、『陳情会に内通者がかかわっている』『そこから民の弱みを把握している』という推測そのものが間違っていたのか。
調査もまた振り出しに戻ってしまうのか。
「……リューゴは…………」
「ん? どした」
消え入りそうな声だったため、近づきながら促す。
「リューゴは……なにがあっても、私の味方でいてくれる……?」
「へ、へぇっ!?」
いきなり予想だにしないことを言われ、素っ頓狂な声が漏れてしまった。
が、すぐに気付く。その言葉は、色恋などを意識して発せられたものではない。ベルグレッテの顔はどこまでも深刻で、その肩はかすかに震えているように見えた。
「ベル子……、どうした?」
「…………ずっと、考えていたの。自分なりに、ここまで得た情報を精査して……その手紙を、受け取って」
唇を震わせ、ついに。
「――――――ようやく見えたわ。この事件の全貌が」
はっきりと。彼女は間違いなく、確かにそう告げた。
「は? え!?」
流護は握りしめた手紙と少女騎士の顔を見比べる。
「え? でも、これ……予想してた結果と……違……、え?」
振り出しに戻るどころではない。全てが判明したというのだ。
が、彼女は目を伏せたまま。
「…………ううん。全て、私の推測と一致しているわ」
「……、まじか」
もはや、流護には訳も分からなかったが。
「いつも通り、まだ推測の範疇を出ないけれど……でも、この考えが正しければ……レノーレが追われることになった理由、内通者の正体とその目的、オルケスターの意図……全てが、一本に繋がるの。……ただ……」
「……ただ?」
「やっぱり、証拠がないの。全ては、状況から考えられる憶測でしかない。決定的な確証がない」
「いやでも、そこまで分かったならあと一歩じゃねえか。どうにかならねえのか……?」
まだ詳細を聞いていないので何ともいえないが、ベルグレッテがここまで言うのだ。『当たり』である可能性は高いはず。
しかし、その彼女自身がふるふると首を横へ振る。
「……この敵は極めて巧妙。おそらく、尻尾を出さない。だから……」
聡明な少女騎士が発した次の言葉。
流護は思わず、耳を疑った。
「引きずり出すしかない」
「……、引きずり……出す?」
らしからぬやや乱暴な物言いを、流護はつい反芻する。しかしそれで間違いないと、彼女は首を縦に振った。
「敵の正体が確定する状況を、こちらで作り出す。決定的となる現実を……言い逃れできない状況を、あえて引きずり出して突きつけるの。それしかない」
強い意思。それがそのまま言葉として噴出したのだ。
「……そうか。よく分からんけど、ベル子がそう決めたなら……」
「それで、さっきの質問なの。……リューゴは、私の味方でいてくれる……?」
「んだよ、そんなの今更だろ。そういやさ、俺……いつか言ったっけ」
『この世界中の誰がベル子の敵になっても……俺は、ベル子の味方だ。例えこの世界の全てを敵に回したって、俺はお前だけの味方でいる』
デトレフの一件が片付いた直後の言葉だ。
今思い返してみれば、気恥ずかしく……そして何より、浅はかなセリフだった。
ベルグレッテに抱いた好意のみで口にした、あまりに稚拙な。
直後の事件でミアを連れ戻すに際し、己の無力さを突きつけられ。異世界の過酷さを目の当たりにして。
――しかし。
この世界をよりよく知り、力をつけて。そして当初の目的だった現代日本への帰還が叶っても、有海流護はこうしてまた自分の意志で戻ってきた。
ベルグレッテや友人たちを『護る』ために。
かつては軽すぎたその言葉を、重みのあるものにするために。
「任せてくれ。俺はもう、何が相手だろうと退かねえよ。『ペンタ』だろうが、どでけぇ犯罪組織だろうが、国だろうが、どんだけ強ぇ怨魔だろうが……」
あえて宣言する。神の実在が信じられるこの世界で、敬虔な信徒たる彼女に。
本来ならば冒涜にすら等しいだろう、その決意を。
「――神だろうが、邪魔するなら俺が殴り倒してやる」
目を見開いた少女騎士が、しばしの後ふふと口元を緩める。
「……クレアが聞いたら卒倒するわ」
「はは。昔のベル子でもそうだったんじゃね?」
「そう……、かもしれないわね」
少しだけ顔を綻ばせた彼女だったが、またすぐに真剣な表情へと戻る。うつむきがちのその横顔には、妙な緊張が浮かんでいる。
「ベル子、詳しい話を聞かせてくれ」
「……ん」
頷く彼女だが、なかなか続きを話そうとはしない。心の準備をするように、息を整えている。果たしてベルグレッテがたどり着いた真相とは、いかなるものなのか。
「……任せてくれ」
踏み出せずにいるベルグレッテに、少年は今一度言う。
「俺はベル子の味方だ」
「……リューゴ……」
「ベル子は何も迷わなくていい。何がどうなろうと、俺はベル子のそばにいる。絶対に護る。邪魔なモンは全部俺が排除する」
ゆえに。ぐっと拳を握る『拳撃』は、当然のように言ってやるのだ。
「だから教えてくれ。――俺が殴るべきヤツの名前を」