443. それは尻尾か?
「……っと、いい時間になっちまったな」
何だかんだと長居してしまい、レニンの部屋を出る頃には昼を大きく回っていた。
しかし改めて考えたなら、今回の一件で真っ先に話を聞いてみるべき人物だったろう。
とはいえ宮殿にやってきた翌日にはあの襲撃事件が起こり、その機を逸してしまっていたところではある。
「ちょっと遅くなったけど戻ってメシにすっか、ベル子。……ベル子?」
相も変わらず、日中でも薄暗い廊下。隣を歩く少女騎士が黙りこくっているのでその顔を窺うと、
「……以前のリューゴの主張が……結果として的を射たわね」
顎先に指を添えた彼女がそう囁いた。
「おう、何だいきなり。アホの俺にも分かるように説明してくれ」
「っ、あ。ごめんなさい、私ったらまた自分だけで考え込んじゃって……」
「いや、ベル子のことだから何か新しいことに気付いたんだろ。聞かせてくれ」
頭脳に優れる訳でもない流護としては、もはやベルグレッテの思考についていこうなどとは思っていない。後で教えてもらえば充分だ。
「……レニンさまが仰っていたわよね。レノーレは、『無理をして記憶を戻す必要はないと言っていた』……と」
「だな。……今のレニンさんとしちゃ、嬉しそうだったな……、ん!?」
今さら。
本当に今さら――気付いた流護は、ゾッと鳥肌が立つのを自覚した。
「ベル子……!」
「ええ。レニンさまのお言葉が確かなら……これまで前提として考えられていた、今回の事件におけるレノーレの犯行動機。これが成り立たなくなるわ」
記憶喪失になったレニンを治療するため、レノーレは『融合』の技術を用いてメルティナの力を得ようと画策している。これが、今まで推測されていた動機。
だが。
レノーレは、レニンに求めていない。本来の記憶が戻ることを。正確には、どちらだろうとレニンの意思を尊重するといった向きとなるか。
いずれにせよ――『何としても母の記憶を取り戻そう』、とまでは考えていないのだ。
長らく姿の見えなかったメルティナが生きていた――『融合』していなかったことから、この犯行動機は成り立たないのでは、とオームゾルフに主張したことがあった流護だが、それが当たっていたことになる。
ちなみにレノーレがそのような発言をしていたことについて、レニンは誰にも話していないと語っていた。
皆、決めつけていたのだろう。『母が記憶を失ったのだから、娘は取り戻したいはずだ』と。
そういった親子感情を抜きにしても、優れた宮廷詠術士だったレニンには、バダルノイスのために記憶を戻してもらわなければならない。
多くの者がそう考えている現状、レニンとしてはこれを公言することも憚られる。
というより流護たちも、おいそれと口にする訳にはいかない。それほどの発言なのだ。
「けれど、そう考えると筋が通るのよ。レノーレがメルティナ氏と融合していなかった理由も」
「レノーレには、最初からそんなことするつもりはなかった……ってことだよな」
「ええ。それに……レニンさまのお話、覚えてる? 先日から、図書館へ通うことを禁止されたって」
「ああ。内通者の可能性が出てきたから、オームゾルフ祀神長が禁止したんだろ? 敵がレニンさんをさらったりしちまうかもしれんかったから」
「ん、おそらくね。それで……この話を聞いて、私は疑問を覚えたの。内通者の可能性が生まれて以降、オームゾルフさまが警戒なさったのは当然として……それなら、『以前』はどうだったのか」
「……以前?」
「内通者がいるかもしれない、という話が出たのは先日のこと。でもそれは私たちがそこでようやく気づいたというだけで、実際に内通者はもっと以前から王宮に潜んでいたわけよね。誰にも悟られずに。なら、これまでレニンさまを連れ去る機会はいくらでもあったはず。でも敵は、それをしなかった」
「……あ。レニンさんを連れ出すつもりなんて、最初からなかったってことか……!」
流護が導き出した答えに、ベルグレッテもコクリと同意した。
「は……はは、そうだよな。そらそうよ。レノーレって、そんなことする奴じゃないだろ。やっぱ」
「……でも、よ」
笑顔が零れる流護に反し、当の少女と親友であるベルグレッテの表情はまだ晴れない。
「そうなると、いよいよ動機が不明になる。目的がレニンさまの治療でないのなら、レノーレはなぜこんな騒ぎを起こしたのか」
「……あ」
そうだ。
今回の事件が起きるに至った、そもそもの大元。根本的な原因。
それは、一体何だというのか。
流護としては、正直他の理由など予想もつかない。たった一人の少女が国家を敵に回してまで、闇の組織に加担してまで、一体何をするつもりなのか。
「………………実はひとつだけ、推測できる理由があるんだけど」
「え? マジで? 何だよ?」
逸る流護に対し、ベルグレッテの表情はやたらとこわばっている。
「……これまでの状況から……いえ……ただ、そんなこと……ありえるはずがないの。こんな……」
「もったいつけるなよー。気になるじゃん」
周囲を見渡した彼女は、近くに誰もいないことを認識しつつも、首をゆるりと横へ振る。
「……ごめんなさい。こればかりは……もう少し確証を得てからでないと。……それに、きっと外れてるから」
「……そっか。まあそこまで言うなら……話せるようになったら頼む」
コクリと頷く少女騎士の顔色が悪く見えるのは、周囲を照らす薄暗い蝋燭のせいだけではなさそうだった。
(……でも、何が考えられる? 国から追われてまで……)
長い廊下を抜け、階段を下りて一階へ。いつぞやの広い食堂へと出る。
「っと、ベル子。どうせだし、ここで食ってくか?」
「いえ。監視者がいるかもしれないし、エドヴィンの看病もしてあげたいから……」
「それもそうか」
宗教的に毒を盛られることはないとしても、それ以外に何を仕込まれるか分かったものではない。
それにベルグレッテはここのところ、時間を作っては未だ目覚めない級友の枕元についていた。
宮殿から出るため、正面玄関を目指す。この辺りまで来ると、ここまで無人だった薄暗い廊下とは違い、行き交う兵士や役人の姿が見えてくる。
にわかな賑やかさに包まれ、色々な人々とすれ違いながら……数分が経った頃だった。
「……リューゴ」
聞き間違えかと思うほど、小さく囁く声。
「ん? どした」
「誰かに見られてるわ」
「! っと」
思わず周囲を見渡しそうになった流護だったが、どうにか堪えて踏ん張った。
「敵、か?」
「分からない。けど……」
好意的な人間が、そのような真似をするだろうか。
出入り口の大広間や食堂が近い位置関係ということもあって、結構な数の人が思い思いにたむろしている。薪を運ぶ兵士、立ち話に興じる貴族や役人。
誰が『そう』なのかは分からない。しかしロイヤルガードを務めるベルグレッテが言うのだから、気のせいではないだろう。
(……いいね……待ちくたびれたっつーの……)
左右の片手親指で各指の第一関節を押し込んでパキパキ鳴らしながら、空手家は緩もうとする頬を自制した。
――流護たちはオルケスターに狙われている。
にもかかわらず、外出を自粛もせず、さして変装などもせずに出歩いている。
公然とした襲撃は今後しばらくないだろう、というベルグレッテの予想もそうする理由のひとつであるが、有海流護にはもうひとつ別の理由がある。
即ち――襲撃者をあえて待ち受け、返り討ちにするため。
デトレフの一件でもそうだった。ベルグレッテが頭脳で元凶を推測する中、流護は襲い来た刺客を打ち負かし、強引に口を割らせることで同じ答えにたどり着いている。
(まどろっこしいことも、頭使うのも苦手なんでね……こういうの待ってたんだよ、俺は)
いつ何が来ようと対応できるよう、心身ともに仕上がっている。誰が相手だろうと、後れは絶対に取らない。メルティナだろうがミガシンティーアだろうが、どこからでも来いという気概が定まっている。
「……リューゴ、早とちりはダメだからね」
「分かってるって」
そのまま警戒を緩めず一階の廊下を抜けて、玄関口となる大きなロビーへ。昼飯時に近いこともあってか、絶えず出入りする兵士たちの姿が目立つ。
「…………」
そう。出入りする銀鎧の姿が多いからこそ、目立つのだ。
流護たちの行く手を塞ぐように立ちはだかる、その兵士の男が。
一見して、どこにでもいる一般兵。年齢は二十代後半から三十代ほどだろう。顔に見覚えはない。
そんな相手が、
「――少々よろしいか、そこのお二人」
外に出ようとする流護たちを阻止する形で、そう声を掛けてきた。
「何すか?」
俺も上手くなってきたもんだ、と流護は心中で自賛する。戦意を顔や声に出さず、しれっと応対できるようになりつつある。
「外に出る前に、所持品検査をさせていただきたい」
意外といえば意外。どんな用をでっち上げてくるかと思っていたところだったが――
「所持品? 検査、って? 俺らが手ブラなの、見たら分かると思いますけど」
そもそも流護たちはオームゾルフに呼ばれて話をしに来ただけである。鞄の類など持ち歩いてはいない。
「疑う訳ではないが……よからぬ物を隠し持っている懸念が払拭できないゆえ。やましいことがなければ問題なかろう?」
「よからぬ物って何すかね? 普通、そういうのって宮殿に入る前にやらないっすか? 何で今更……出る時になって?」
「……何か……調べられて不都合なことでもおありかな?」
空気が張り詰める。神詠術を使えない流護でも感じ取れた。相手が――『やる気』になったと。
衆人環視のこの状況で本気かと訝る流護だったが、とうに覚悟など決まっているのだ。
「しょうがねーなー、どうぞ。――――やれるモンならな」
両腕を開き、挑発的に笑う。
侮辱、と受け取ったのだろう。
直後、兵の眼に走る鋭い光。
端的に言って、その男の挙動は熟練のそれだった。
接近する速度、足運び、構え。そのどれも申し分なく、瞬く間に流護との間合いをゼロへ縮める。
「――――」
そしてその右手に宿る、氷の煌き。目にも留まらぬ速度で突っかけた男は、格闘技めいた動きで掌底の廻し打ちを繰り出し――
ドン、と大音声がロビーに木霊する。
周囲を行く人々が、何事かと一斉に振り返った。そんな彼らが目撃したのは、
「……、……が、は……!」
うつ伏せに倒れた兵士。そして、その相手の背に片膝を落とし、腕を絡め取り押さえつける流護の姿。
「選んだ戦術が悪かったねーあんた。接近戦で俺をどーにかしようなんて、ムリムリ」
確かに相手は熟練であった。
が、この世界において規格外の身体能力を有し、最新の空手道を繰る有海流護を近接で制することなど、熟練『程度』では到底不可能。
「! リューゴ」
ベルグレッテの鋭い声。それで少年も即座に察知した。何が起きたか分からず注目してくる人垣の中から、明かに戦意を持ってこちらへと忍び寄る兵士が――二人。増援。
「ベル子、片方頼む」
流護一人でも問題はない。しかしより早く場を収めるため、すぐさま頼れる相棒へと対応を任せ――
「ハーッハッハハハハッハハハッハッハ! そこまで! そこまでだ!」
高らかな哄笑と拍手。
身構えた流護たちも、追加で迫ってこようとしていた二人の兵士たちも、床に倒れた最初の男も、そして観衆も――皆がその出所へと目を向ける。
並み居る人垣を割り、現れたその人物。
(……! こいつ……!)
眉目秀麗、ぼさついた髪を整えたならより男前となるだろう長躯の白騎士。流護に組み伏せられた兵士が、呻くようにその名を呼ぶ。
「ミガシンティーア殿……!」
「ク、ククク、ックク。いやはや、お前ほどの者が……見事にのされたな。カルケよ」
軽い足取りでやってきたその精鋭騎士が、足下で倒れる兵に笑みを贈る。
「フフ……成程。そのお手並み……大したものですな、リューゴ・アリウミ殿。我が部下を、こうも容易く組み伏せるとは」
この状況でなお、その顔には笑みが張りついている。
「我が部下、っすか。つまりあんたが、こいつらをけし掛けたと。何のためっすかね?」
――確定だ。もう言い逃れはできない。
やはりミガシンティーアこそが、オルケスターと通じている内通者――
「クク、失礼しましたな。まさかレニン殿の下に訪れた客というのが、お二人だったとは思わなかったものでしてね。フフフフフフ」
「……?」
にわかに流護の思考が止まる。察したか、ミガシンティーアは喉の奥で笑いながら補足する。
「先日より、オームゾルフ祀神長の指示でレニン殿に警護を付けているのですよ。ま、警護……と呼ぶよりは、怪しい者が接触を図らぬかどうか、遠くから見張っている――という方が正しいですがね、ククク」
「!」
ようやくに察する。
内通者の可能性が浮かんで以降、オームゾルフはレニンに図書室へ行くことを禁じた。それだけでなく、レニンに近づく人間がいないかどうか監視させていた。それが――
「見張らせていた部下から、レニン殿と接触した者がいると報告が入りましてな。よもや堂々と連れ去ろうとはするまいが、秘密裏に得ている物品などがないかどうか、対象が外に出ようとした折には引き止めて確認……場合によっては武力での制圧も厭わん、と指示を出していたのですがね、どうも接触者の特徴を聞いて『おや』……と思いまして。部下はお二人の詳細や顔まで把握しておりませんのでね、こうして私が参った次第なのですよ。いや、やってきて正解でした。フフ、ククククク」
「…………、」
言い分に筋は通っている。
だが……。
「これは大変な失礼をいたしました、ミガシンティーア殿」
一歩進み出たベルグレッテが、早々に非礼を詫びる。
「いえ、構いませんよ。先日の一件で、貴方がたも気を張り詰めておいででしょうから。こちらこそ、紛らわしい真似をしてしまって申し訳ない。フフ」
貴族らしい優雅さで、白騎士も頭を垂れた。
「クク、部下にはよぉく言い聞かせておきますゆえ。ではどうぞ、お気を付けてお帰りください」
「……、」
大仰な仕草で、出入り口を示す。
引き倒した男をやむなく解放しながら、何とでも言えるじゃねーか、と流護は内心で歯噛みした。
奇襲を仕掛け、失敗したから勘違いや早合点だったと言い訳をしている。そんな風にも捉えられるのだ。
だが確かに、公衆の面前……人通りも多いロビーで襲撃などするだろうか、との疑念も無視できない。
言い分としても一応の辻褄は合っているため、仕掛けてきたから敵で間違いない、とも言えなくなってしまう。
しかし一方で、最初からこのような手段で流護たちの力量を確認するつもりだったとも考えられる。
(……くそ……実際んとこ、どうなんだ……?)
よりにもよって、オームゾルフがレニンの監視を任せた相手が、現時点で限りなく黒に近しいミガシンティーアでは――。
やはり、いずれにせよ聖女にこの怪しい騎士のことを報告すべきなのではないか……。
「……リューゴ、行きましょう」
「……、あ、ああ」
敵が尻尾を出しかけたかもしれないのに、掴むことはできないのか。
「おっと、ところで」
歩きかけた二人の背後から、思い出したみたいなミガシンティーアの声がかかる。
「――届きそうですかな? 真実には」
やや漠然とした、試すような物言い。
ベルグレッテが振り返る。そして当然のように、宣告した。
「――必ず。近いうちに、全てを明らかにしてみせます」
何かを確信しているかのように。
「……クク、クククク。左様ですか。これは……これは心強い」
『喜』の騎士は、変わらぬ笑みで目を細める。
「さ、お騒がせしたな皆の衆。見世物は終わり、閉幕、解散! フ、フフハハハハハ!」
彼は野次馬たちを見渡しながらパンパンと手を打ち鳴らし、配下の兵を引き連れて去っていった。
氷輝宮殿を出ると、相も変わらず常軌を逸したような冷風が出迎えてくる。
「ったく……さみーんだよ、どうなってんだこの国……」
自然と零れる悪態。とてもではないが、慣れる日など来ないだろう。
「…………」
それはともかく、寒空の下に鎮座する大きな宮殿を振り仰ぐ。さすがにたった今の騒ぎもあってか、誰かがこちらを監視している様子はなさそうだ。
「さっきの連中が、白士隊ってヤツか……」
仕掛けてきたミガシンティーアの部下たち。流護がぽつりと漏らした言葉を、ベルグレッテが拾う。
「……そうね。……もし、団員が総じてあれだけの実力を持っているなら……」
「……ああ。ちょーっとだけ面倒かもな」
最初の一人を容易く組み伏せた空手少年ではあったが、迷わずそう返答していた。
確かに傍目から見たなら、流護が圧倒したように見えたろう。だがあの立ち回り、少なくとも流護は手を抜いていない。あの数瞬の間で、それだけの相手と判断したのだ。
(……面白ぇ)
となれば――彼らを束ねる『雪嵐白騎士隊』、そしてミガシンティーアの実力というのは、いかほどのものか。
「……ま、それはともかく帰ってメシだな」
「そうね……」
「昼からはエドヴィンの看病、ちょっと代わろうか?」
「ん……大丈夫。もう少し、私にやらせて」
ベルグレッテは時間を作っては、未だ目を覚まさない級友のそばにつきっきりでいる。彼の負傷に、少なからず責任を感じているのだ。
(ベル子は一ミリも悪くねーってのにな……)
しかし、それがこの生真面目で頑固な少女騎士の一面でもある。
敵の正体の捜査に、友人の看護に……ここのところ、あまりに忙しい。
外門へ向かって歩き始めたところで、ベルグレッテの近くに通信術の波紋が広がった。あら、と手繰り寄せた彼女が応じる。
「リーヴァー、こちらベルグレッテです」
『ベルグレッテちゃん!? あたし、ジュリーだけど!』
「……ジュリーさん、どうかされましたか……?」
何やら慌てた彼女の様子に、目配せを交わした二人は何事かと身構える。
『大変なのよ! エドヴィンくんが……!』




