432. 異郷での邂逅
時刻は午後一時を少し回ったところ。
場所は少し坂を上った住宅地に居を構える小さな食堂。ラルッツとガドガドとの待ち合わせ場所である。
どうやら先に到着したらしい流護とベルグレッテは、飲み物を口にしながら彼らの到着を待っていた。
「……くしゅっ」
二階席の窓際から窺える空には垂れ幕に似た分厚い雲が連なっているが、その合間から少しだけ晴れ間が覗いている。午前中の荒れ模様が嘘のような穏やかさだった。
「へくちっ」
ガラス一枚隔てた向こう側に広がる外の街を見下ろせば、道行く人々の姿。庭先に残った雪をスコップで突いている者も多い。なるほど、やはりこの皇都は天候に関係なく賑わうようだ。
「っ、くしゅんっ」
客入り疎らな店内にそれとなく目線を巡らせてみる流護だが、こちらを意識している者はいない……ように思える。
たまにベルグレッテに視線が釘付けとなる男性客がいるが、それはまあいつものことだ。
「はっ、くしゅん」
「はは、大丈夫かベル子さんや」
流護は苦笑しつつ、先ほどから隣でくしゃみを連発している少女騎士へ目を向けた。
「え、ええ……」
そのベルグレッテはバツの悪そうな顔で弱々しく頷く。
「ったく、後先考えんで突っ込むから……」
「うう、だって仕方ないじゃない……」
しゅんとしたベルグレッテは、肩を竦めて温かい紅茶をずずとすすった。
――午前中、悲鳴が響き渡った直後に診療所を飛び出したその後。
近くで途方に暮れていた住民に話を聞いたところ、やはりベルグレッテの予想通り、側溝に人が転落したとのことだった。加えてそれが年端もいかない子供と判明、事態はより深刻さを増した。
大きな雪塊すら軽々と押し運ぶ冷水の奔流。そこに人が――それも子供が落ちたとなれば、誰もが最悪の結末を想像するに違いない。
水がどう流れてどこへ行き着くのか、その経路を町人から聞いたベルグレッテは、的確に先回りして迷わず水路へ飛び込んだ。結果、神詠術の逆噴射を利用した滑空で見事に子供を掬い上げることに成功。
住民たちからは拍手喝采、両親からは土下座せんばかりの勢いで感謝されたのだが、
「くしゅんっ!」
いかに彼女が水属性の使い手とはいえ、氷点下の中、凍りつくほど冷たい激流に晒されながらの救助活動となれば、『このオチ』は必然だった。
「うう……。はっ……、……くしゅん」
頭の回転が早く理知的なベルグレッテだが、なりふり構わず行動してしまうことも多い。特にそれが誰かのため、となれば尚更だ。
(まあ確かに、あの状況でベル子以外にどうにかできる人もいなかったろうけどな……)
そんな直情的な部分もまた、少女騎士の一面にして魅力に違いないと少年は思う。
「あったかくしとけよー」
「ん……風邪だけはひかないように気をつけます……」
敵の不意打ちがあるかもしれない現状、体調を崩して寝込んでは洒落にもならない。
「……にしても遅いな、ラルッツとガドガド……」
懐中時計を取り出してみれば、すでに約束の時間を二十分ほど過ぎていた。天候も荒れてはいない。雪で遅れるようなことはないはずだ。
「…………、」
エドヴィンとサベルの一件もあり、否が応にも悪い想像が頭をちらつく。
(オルケスターのこと聞き込んでみるとか言ってたけど……深入りし過ぎた、とかじゃねーよな……)
落ち着かない心地で紅茶をすすると同時、カランカランと来客を告げる鐘の音が鳴り響く。反射的に目を向けた先、出入り口の扉を潜って入ってきたのは、
「おう、来てたか。待たせたな」
「お待たせしやしたリューゴの兄貴ィ! あっ、ベルグレッテの姐さんも! お久し振りで! お元気でござんしたか!?」
寡黙な兄貴分のラルッツと、騒々しい子分のガドガドだった。
二人の無事にホッとしつつ口を開こうとした流護より早く、ラルッツが後ろを気にする素振りを見せる。
「実は、もう一人連れがいてな。何だかんだやってるうちに少し遅れちまった」
そうして、その人物がラルッツたちに遅れて店内へと入ってくる。
年齢は二十歳過ぎか。儚げな雰囲気が漂う佇まい、文句なしの美男子。赤茶けた癖の強い髪は肩口まで伸ばされており、長い睫毛に覆われた形のいい灰色の双眸が特徴的だ。中性的なその容姿は、まるで神が手がけた工芸品のよう。女性に人気の吟遊詩人とでも紹介されれば、演奏を見なくても納得してしまいそうな印象だった。
しかしもちろん音楽家ではないだろう。革の胸当てに、黒の丈長なマントを身に着けている。典型的な、旅人の見本といった出で立ち。
飾り気のない冒険者の装いだが、その美貌を翳らせるには至らない。格好よければ何でも似合うのだ。
小学生時代の流護が夢想した『イケメンが入ったら爆発する箱』、その中に是非とも押し込まねばならぬ存在といえるだろう。
(誰だ……?)
当然というべきか、流護にとっては面識のない相手である。
ラルッツたちの仲間なのか。この場に連れてくるということは、オルケスターについて何か知っているのか。
そんな謎を秘めた美青年が自己紹介するより早く、
「あ、あなたは……」
驚愕は、意外にも向かい席のベルグレッテから発せられた。
「ん? 何だベル子……知ってんのか?」
薄氷色の瞳を見開いたまま、彼女は呆然と口にする。
「……撃墜王……グリーフット・マルティホーク……」
流護としては、その人物名に心当たりはない。仮に以前耳にしていたとしても、すっかり忘れている程度。しかし、その異名については聞き覚えがあった。
「撃墜王、って……もしかして天轟闘宴のか?」
やや呆けた面持ちのまま、ベルグレッテがこくりと頷く。
かつて流護も参加した、レフェ巫術神国の武祭。
いわゆるバトルロイヤル、最後の一人が決定するまで潰し合う――という簡潔にして過酷な舞台であるが、この催しには優勝以外にも様々な褒賞が設けられている。かくいう流護自身、開始後に最も早く敵を倒した者へ贈られる『初撃破』を獲得した。
して『撃墜王』とは、読んで字のごとし。
あの百戦錬磨の詠術士たちがひしめく魔の森で、最も多く敵を倒した者に授けられる称号。
「私も話に聞いた程度だけど……これまで撃墜王を二度以上獲得しているのは、過去を遡ってもグリーフット氏ただ一人。今回も授与された、って耳にしたわ」
流護も二十人近くの参加者を倒したが、撃墜王の受賞はなかった。つまりこのグリーフットは、それより多くの相手を打ち負かしていたということになる。
その内容を鑑みれば、ディノやエンロカクのような、好戦的かつ圧倒的な力を持った強者こそ相応しい賞に思えるが――
(こんな細っこいイケメン兄ちゃんが……?)
いかにも穏和な雰囲気を漂わせており、小さな酒場の片隅で吟遊詩人でもやっていそうな印象である。とてもそんな荒々しい戦果を残す人物には思えない。
そのグリーフットが、「おお」と小さな吐息を漏らす。
「どうも。あのプレディレッケを斬った女傑に覚えていていただけるとは……光栄の極みです」
「あっ、いえ。不躾に失礼いたしました。私は、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードと申します」
丁寧に礼を交わし合う二人。ベルグレッテは貴族なので当たり前だが、このグリーフットの所作にも妙な気品が感じられた。イケメン補正かもしれない。
そんな美男子の灰色をした瞳が、次に流護へと向けられる。
「リューゴ・アリウミ殿……ですね。拝見しておりましたよ、あのダイゴス・アケローン氏との最後の一騎打ち……。とても熱く……男として生まれたからには滾らずにいられない、天轟闘宴の歴史に残る名勝負でありました」
「あ、いやー。どもっす……」
面と向かってベタ誉めされると照れてしまう少年である。
「おう、続きはとりあえず座ってからにしようや」
そう言いながらやってきたラルッツたちが席につき、流護たちも、ここで彼らに合わせて食事を注文した。
「お二人は、グリーフットさんとお知り合いだったのですね……」
ベルグレッテの意外そうな口ぶりに、兄貴分のほうがタバコを取り出しながら「いや」と短く答える。
「こっちは以前から一方的にグリーフットを知ってたがね、顔見知りになったのは今回の天轟闘宴が切っ掛けだよ。俺はお寝んねしてたから詳しく知らんが、例のカマキリが森を飛び出して大騒ぎになったろ? それで外の連中が観客の避難誘導に当たってた時に、ガドガドがな」
「へい! 俺っちはグリーフットの旦那と一緒に、逃げ遅れた女子供を安全な場所に連れてったりしてたんでさぁ」
それを切っ掛けに親しくなった、ということらしい。
「で、一昨日か。リューゴと別れたほんの直後だ……外でバッタリ再会してな」
「ああ……ってことは、一緒にバダルノイスに来た訳じゃないんだな」
流護の言葉に、男三人がそれぞれ肯定の仕草を返す。偶然の再会だったということだ。
「……あん時ゃ、ちょいと肝が冷えたぜ。何せオルケスターの話をしてた直後に、このグリーフットが後ろから声をかけてきたもんだらよ……」
「僕の方こそ驚きました。偶然見かけた貴方がたが、オルケスターの名前を出していたものですから」
その言葉を切っ掛けに、和やかだった場の空気がわずかに引き締まる。
「グリーフットさんは……オルケスターについて、なにかご存じなのですね?」
早速とばかり切り込んでいくベルグレッテの問い。
「知っている……というほどでもありませんが」
美青年は、なぜか憂いを秘めた顔で独白する。
「曰く、この大陸の裏を統べる秘密組織。曰く、各国の中枢に根を伸ばす存在。曰く、最先端の武具製造技術を有する。曰く、殲滅部隊なる最強の詠術士集団を擁している。曰く、他に類を見ない特殊な力を持った人間が属している……。等々、『裏』の仕事に携わったことがある者ならば、噂程度は耳にしていても不思議はないでしょう。知る人ぞ知る、他愛もない与太話……。仕事柄、僕もそうしたゴーストロアのような逸話は聞き及んでいましたが――」
それこそ吟遊詩人みたいに滑らかな口ぶりで語ったグリーフットは、そのまま何でもないことのように続けた。
「実は天轟闘宴が終わって少しした頃、オルケスターの構成員らしき人物と組んで仕事をこなした覚えがありまして」
えぇ!? と息ピッタリに驚くのは流護とベルグレッテだ。
「いや、組んだ……ってあんた――」
内心でにわかに身構える流護だったが、
「まあ待てリューゴ、とりあえず最後まで聞いてやってくれや」
とりなす形で割って入るラルッツに促され、グリーフットは続けた。
「先秋の話になります……。レフェの北部国境沿いに位置する小さな街……。そこで、商隊の護衛を請け負いました。依頼人の方が募った傭兵や冒険者の面々、およそ十名ほどと一緒になったのですが……その中に、『彼』がいました」
年齢は三十歳から四十歳前後。逆立った灰色の短髪、顔に走る一筋の傷、腰に佩いた大刀が目を引いたとのこと。野租な雰囲気と風体の、いかにも傭兵といった豪快な大男。
「うろ覚えですが……確か、デッガと名乗っていたと思います」
そのデッガに注目した切っ掛けは、道中で野盗の襲撃を受けた折の出来事だったという。
「賊は街道外れで待ち伏せていました。行く手を遮る形で立ち塞がり、数はこちらと同じ十名ほど。それ自体、少しばかり奇妙ではあったのですが」
「奇妙? って何がすか?」
流護としては、ごく一般的(?)な襲撃に思える。
言及したのはラルッツだった。
「おかしな点は大きく二つだな。まず一つ、賊の数が少なすぎるんだよ。野盗の目的ってのは、原則として弱い奴からの一方的な略奪だ。戦って勝ち取ること、じゃねぇのさね。やりあって自分たちに損害を出すなんて、もっての外。だから基本、無抵抗な弱者しか狙わねえ。てめぇらが十人程度、商隊の護衛も同人数……となると、まず『略奪』じゃなくて『戦闘』になっちまう」
かつて山賊団に所属していただけあって、ラルッツの語りには実感が込められていた。
「はあ、なるほどな。ちなみに十人の護衛が相手なら、野盗側は何人ぐらい欲しいもんなんだ?」
興味本意な流護の質問に、元山賊の男はひらひらと手を振った。
「人数だけなら三倍ってとこかね。というより、普通は相手が十人もいたら襲わんよ。大人しく次の獲物を探すね。護衛の中に腕の立つ詠術士でも混じってようもんなら、損害どころか返り討ちだ。どうしても襲うってなら、周到な準備や罠……あとは遺書と覚悟が必要だろうな。……そこで、二つ目の奇妙な点にぶち当たるんだが」
ピースサインのように指を立てた彼が、厳めしく眉を寄せる。
「そいつらが、『馬鹿正直に姿を見せた』って点だ。今しがた言ったみてえに、野盗の目的は戦いじゃねえ。普通は物陰に隠れて、矢を射掛けるなり罠に嵌めるなりするもんよ。それこそ、天轟闘宴さながらの不意打ちでな。それを何のつもりか、堂々と現れて正面から立ち塞がったってんだから。数人程度の平民に対してならまだしも、護衛付きの商隊相手にやることじゃない」
哀愁の面持ちで頷くのはグリーフットだ。
「はい。僕としても、その二点がまず腑に落ちない疑問として即座に浮かびました。そして――」
野盗の頭と思しき男が、余裕たっぷりに言い放ったという。
『荷物を置いてけ。そうすりゃ、命だけは助けてやる』
傭兵や冒険者からなる十人の護衛隊を前に。臆した様子もなく。
そしてグリーフットは、その決定的な状況を語った。
「そう言うなり野盗たちのうち数名が、小さな筒のようなものを取り出して……その先端をこちらへと向けたのです。こんな風に、まっすぐ水平に掲げて……照準を合わせるように」
「!」
流護とベルグレッテの驚きが同期する。賊の持ち出した『それ』が何であったのか、話の流れから想像は容易い。
「ハンドショットか……」
低い流護の呟きに、「だな」とラルッツが唸った。
「ちょいと扱いに慣れりゃ、至近距離なら誰でも簡単に当てられるみてえだしな。そいつらがわざわざ護衛の前に出てきたのも、確実に狙撃できる距離に近づくため……ついでに、相手を油断させる意図もあったろうよ」
まさに、とグリーフットが同意した。
「実際、護衛の皆は一様に失笑していました。野盗風情が何のつもりか、その奇妙な玩具でどうするつもりなのか、と。あの時……僕も含め、賊を危険視した人はいなかったでしょう。……『彼』以外は」
直後、乾いた砲声が鳴り響いた。
詠術士と常人。本来なら覆ることのない絶対の力関係を容易にひっくり返す、この世界の摂理を壊す音。
ハンドショットに撃たれた護衛たちは、何が起こったのかも分からず崩れ落ちる――、はずだった。
「デッガ氏が咄嗟に展開した術が、あの武器の射撃を防いだのです。……とは言いますが、あの瞬間……デッガ氏以外の全員が、状況を理解できず硬直していましたけど」
グリーフット含む護衛たちは「何が起きたのか」と。野盗たちは「なぜ反応できたのか」と。
ともあれ、すぐさま反撃に打って出たデッガの反撃を契機に、賊は壊滅。ハンドショットについては、そのままレフェの兵士に引き渡されたらしい。
(銃撃を防いだ、か……)
レフェ最強と名高いドゥエン、そしてあの『ペンタ』たるディノですら、初見では凌げず撃たれたと聞いている。流護自身、知識こそあったが対峙して冷や汗をかいた。
それに即応、無傷で撃退できたということはつまり、男は元々ハンドショットを知っていた可能性が高い。
そこまで出回っている訳でもない、風変わりな凶器――歴戦の傭兵たちですら知らないそれと幾度も対峙した経験があると考えるよりは、製造側の人間ゆえに知っていた、と仮定することもできる。
「その後も危険な道を行きましたので、幾度となくその力を目にしましたが……デッガ氏は、相当な使い手でありました。流れの何でも屋――にしては、少々桁を外れているほどに」
「あんたが言うんだからよっぽどだわな。でも、そのデッガって名前に聞き覚えはなかったんだろ?」
ラルッツの質問に、グリーフットは「ええ」と頷く。
「恐らくは偽名でしょう。……やむにやまれぬ事情で、本来の名を隠しつつ活動する人も少なくありませんから……悲しい話です……」
そう呟いた美青年は、物憂げな顔で目を伏せた。
「彼に対し、より興趣をそそられたのは……仕事を終えた直後のことでした」
気を取り直したように、撃墜王は会話の時間軸を過去へ飛ばす。
『流石の仕事っぷりだのう、グリーフット・マルティホーク。有名人は違うねえ。おかげで、想定より随分と楽に片付いたわい』
『ご謙遜を。悲しいことに、僕はほとんど何もしていません。誰かさんのお陰で』
『ぐわっははは! そいじゃ、お互い様ってことにしとこうや。……ところでお前さん、次の予定はあんのかい? もし暇なら、一緒にひとヤマどうだい』
『何か……良い案件がおありなのですか?』
『ん? ああ、いや……まあな。ちょいと詳細は話せねえが――』
「ったく、胡散臭えよなあ。自分から誘いかけときながら、詳しく言えねえだなんてよ」
話の途中で茶々を入れるのはラルッツだ。
「僕も、長年この界隈で身を立てています……。何でもかんでも二つ返事で受けてしまうほどお人好し……という訳でもありませんから、内容次第で乗る、と返しました」
「……デッガなる人物はなんと?」
ベルグレッテの促しに対し、グリーフットは如何とも言いがたい複雑な表情となった。
『お前さんはさ、本当に神さんが俺たちを見守ってると思うかい?』
『……どういう意味です?』
『例えば……まっ、例えばの話だぜ。あのお空からいつも俺たちを見守ってくだすってる、昼の神インベレヌスと夜の女神イシュ・マーニ。「あれが実は神でも何でもない」つったら、あんたは信じるかい?』
またしても流護とベルグレッテの驚きが重なった。
が、今度はその方向性がまるで異なる。
「っ、なんて罰当たりな……!」
このグリムクロウズなる世界では当然の、見本とでも呼ぶべき反応か。人一倍敬虔な少女騎士は自分のことのように――否、それ以上の剣幕で憤り、
(……、それってまさか……『太陽と月』だって気付いてる……ってことか?)
現代日本からやってきた無神論者の少年は、その理解に及んだのかと訝った。
『そもそもだ。俺らはよ、どうして「神が無条件で見守ってくれてる」なんて思うようになったのかねぇ? 俺たちを生み出した存在だから、そうするのは当然? いやいや、子を見放す親なんて腐るほどいるぜ~。むしろよ、見守ってくれて当然だなんて考えの方が傲慢じゃねぇの?』
『……興味深い見解ですね』
『ぐわっはははは! ええのう、あんたなら怒らずに聞いてくれると思ったわ。頭のカタい糞真面目な連中にゃ、とても話せん内容だからのう』
そこで流護の隣から聞こえてきたのは、「ふんっ」とさも不満げな特大の鼻息だ。
(……はは……ベル子さん、ご立腹っすね……)
柳眉はこれでもかと勾配を描き、吊り目がちの瞳も普段より鋭さを増している。
「おお、おお。申し訳ありません、ベルグレッテ殿……。そのように憤られるとは思わず……」
慌てて謝罪するグリーフットに対し、ベルグレッテはハッとした顔でかぶりを振った。
「いっ、いえ。グリーフットさんに対してではありませんから……。こちらこそ、お話の腰を折ってしまい申し訳ございません。続きをお願いいたします」
はい……と喉を湿した美青年が、再び時間軸を過去へと向ける。
『しかし……もし本当に神が我々を見守っておられないとしたら……それは何とも悲しいことです』
『……悲しい、じゃ済まんかもしれんぜ』
デッガの顔から、茶化した雰囲気が消えたという。
『この世界は、とてつもねぇ「闇」に包まれようとしてる。闇ってのは、よく占い師が宣うようなあやふやな例えじゃなくてな。言葉通りの暗黒だ。夜よりも深く暗い……飲み込まれれば塗り潰されて何もなくなっちまいそうな、どでけぇ黒い存在。もしかしたら、冥府の主か何かなのかもな』
でな、と男の顔に笑みが戻った。
『神が助けてくれんのなら、自分らでどうにかしなきゃならん。俺らはあの闇に対抗するために、力のある奴を募ってる』
『……その「闇」、というのは? 具体的に何なのです?』
『分からん。ただ、ウチの術者が「視た」んだよ。全容を見通せないほど巨大な黒い何かが、俺たちを……この大地を飲み込もうとしてる。すぐそこまで来てる。まだ幾許かの猶予はあるらしいがな。その術者の力は信用に足るもんでな、嘘を言うような奴でもない』
『……夜よりも広大な闇……ですか……。ふむ……仮に神が不在であるならば、そのような存在に対して、人の子に為す術などあるのでしょうか?』
そこでジッとグリーフットの瞳を見据えた男は、堪えきれぬとばかり豪快に吹き出した。
『なーんて、な! ぐわっはははは! 何だ何だ、まさか信じたのか!?』
『……はい?』
『作り話だよ、作り話。酒の勢いに任せた与太話さ。お前さんが存外に合わせてくれるから、引き際を見失っちまったぞい。つまらん話をした。まっ、忘れてくれや』
『……いいえ。興味深いお話でしたよ。是非とも、続きをお聞かせ願いたいほどには』
沈黙が舞い降りることしばし。傭兵の男は、窓の外を眺めながら呟いた。
『この冬、バダルノイスでちょいと一仕事するつもりなんだがね。あんたとは、縁があったらまた組みたいもんだのう――』
――以上が、グリーフットの語った概要だった。
ふむ、と思案顔のベルグレッテが小さく頷く。
「では、グリーフットさんがバダルノイスにいらしたのは……」
美青年は静かに首肯する。
「無論、彼の『与太話』を一から十まで信じている訳ではありません。しかし……僕が真剣に取り合うとは思っていなかったのか、彼は意図的に話を打ち切りました。悲しいことに。そして――」
今になってみれば思い当たる、いくつもの疑惑。
大抵の者にとって未知の武器であるハンドショットに即応し、無傷で切り抜けたたこと。造っている側の人間であれば、そのように完璧な対処ができても不思議はない。
名を偽り、素性を隠しつつ活動していると思わせる節があったこと。かの組織には、思いもよらない地位や立場の人間が参加しているとの噂がある。
『闇』を『視た』という仲間の存在。構成員には、風変わりな能力を持つ術者がいるとの情報もある。
「飽くまで疑念に過ぎません。ですが……今こうしてそれら断片を整理してみれば、その想像に至るのは容易でした。彼は、オルケスターの者だったのではないか――、と」
「ま、くせえわな」
ふっと煙草の煙を吐き出すラルッツに、
「えぇ!? 違う! してねぇよ! 俺っちじゃねぇよ兄貴ィ!」
短めの両手を振り回し慌てふためく、子分のガドガド。
「ったく、そんな意味じゃねえよ屁っこき小僧。とにかくだぜ、そいつが連中とは無関係な赤の他人ってセンも否定はできねえ。が、『ハンドショットに対応した』ってだけで、疑うには充分じゃねぇかと俺は思うぜ」
(確かにな……)
これについては、流護も心中で同意した。
拳銃としか思えないあの武器は、ディノやドゥエンといった強者ですら初見では防ぎ切れなかった代物だ。彼らに無理なら、他の詠術士でも到底不可能に違いない。
(例えば、ハンドショットを持った奴と何回か闘り合ったことがあって慣れてた、って可能性もないでもないけど……)
見るからに熟練した傭兵、といった風貌だったというその男。
しかしいかに経験豊富な剛の者といえど、ハンドショットの普及率の低さを考えたなら、完璧に対処できるほどの場数を踏む機会があったとは考えにくい。
加えて今回の話の場合、ハンドショットを所持した敵は複数人だったのだ。運や偶然で切り抜けられる状況ではない。
エドヴィンは、話の上ではハンドショットを知っていた。それでも対峙した結果が、あの重傷。流護としては、命があっただけでも僥倖と思っている。
いかに強力な詠術士といえど、あの凶器に完勝するためには深い知識と経験が不可欠なはず。
(とにかくそいつには、『それ』があった……)
ほとんど出回っていない、その奇妙な形の武器。オルケスター謹製だというその武器を、無傷でいなせるほどの手腕が。
「……グリーフットさんは……」
小さな呟きは、隣席からだった。
顎先に指を添えたベルグレッテが、静かに尋ねかける。
「グリーフットさんは、そのデッガという人物と接触するつもりなのですか?」
今さらながら、ハッとしたような皆の視線が美青年に集まる。
(そうだ。何気にスルーしそうになったけど、この人……)
彼は、疑惑の人物が残した言葉を頼りにこの国へやってきた。それも今時期、馬車の御者すら避けたがる冬のバダルノイスに。
では、やってきて具体的にどうするつもりだったのか。その話に乗るつもりだったのではないか。
「明確な約束を交わした訳でもありませんから、彼がどこで何をしているのかも分かりません。……ただ、気になっただけですよ」
憂いを含んだ声で、青年は静かに独白する。
「僕が生まれ育ったこの国で、彼は何をしようとしているのか……と」
沈黙は一瞬。目を丸くしたラルッツが、タバコの煙と一緒に「へえ」と驚きを吐き出した。
「そいつは知らなんだ。あんた、バダルノイスの生まれだったのか」
「ええ……」
「そう……だったのですね」
ベルグレッテも意表をつかれた顔で瞠目していた。
「こうして戻ってきたのは、かれこれ七年ぶりになるでしょうか……。雪の多さや天候の悪さも、皇都の賑わいも……僕の知る頃と変わりありません。――ですが」
一拍の間を置き、彼はその異常を指摘した。
「訪れてみれば、入国の段階で早くも眉をひそめることとなりました。国境に検問を設けてまで、出入りする馬車を確認していましたから……」
「ああ、ありゃたまげたよ。何事かと思ったね」
ラルッツが肩を竦めて同意し、
「俺っちも俺っちも! 何か悪いことしたっけな、ってビクビクしちまったよ」
ガドガドが追従する。
これは、オームゾルフに招聘された流護たちも同じ扱いを受けている。それでも正規兵のヘフネルが同伴していたため、比較的待たずに通過できたのだ。
(そいやあん時、名前の確認でジュリーさんがキレてたっけな……)
雑というか、ジュリーとエドヴィンがその他扱いされていた。
流護が思い出しながら苦笑する傍ら、グリーフットが言及する。
「立ち寄った酒場で情報収集を行い、知りました。レノーレ・シュネ・グロースヴィッツが手配されていることを」
ベルグレッテの瞳のかすかな揺れに気付いたのは流護だけだったろう。様々な思いを押し殺したに違いない少女騎士が問う。
「グリーフットさんは……彼女をご存じなのですか?」
「名を知るだけで、面識はありませんが……。若くして、非常に優秀な宮廷詠術士として活躍したと聞きます。……ああ、その他の詳しい事情も、ラルッツさんから伺っていますよ」
そのレノーレが、今はベルグレッテと同じ学院に在籍していること。現在、メルティナを連れて逃走中であること。そして――オルケスターの一員と判明したこと。
等々、グリーフットも一通りの現状は把握しているようだった。
「果たして、この一連の騒ぎこそがデッガ氏の言っていた『一仕事』なのか……。ともあれバダルノイスも小国といえど、人捜しをするには広い。彼女らを見つけ出すことは容易ではないでしょう」
ラルッツが、その後を引き継いだ。
「だからよ、お前らが架け橋になれ」
「架け橋?」
おうむ返しした流護に、彼は提案する。
「俺らは、他の賞金稼ぎどもから仕入れた情報をお前らに伝える。お前らは、兵士連中から聞いた話を俺らに教えてくれ。両方の情報をすり合わせて、レノーレとメルティナの居場所を絞り込んでいくんだ。どうだ?」
現状、一攫千金を狙ってこの国にやってきた傭兵や冒険者たちは、当然ながら個々で好き勝手に動いている。
バダルノイスの兵士たちもまた、レノーレを手配こそしているものの、基本的には独力のみで捜している。
双方互いに我関せずで、もちろん連係はない。
しかし、どちらか一方だけが所持している有力な手掛かりなどがあるかもしれない。それらを統合・集約できれば、大きな進展に繋がる可能性は充分にある。
「そりゃ、そうしてもらえれば助かる……よな? ベル子」
「ん……ええ、そうね……」
流護たちの返答に、ラルッツは「決まりだな」と頷いた。
「リューゴよ……こないだも言ったが、お前に助けられた借りはこれで返したことにさせてくれ。……ってなつもりではいるがよ、俺は危ねぇと思ったら迷わずケツまくって逃げる。悪いが、根っからの臆病者なんでな」
「貸し借りなんか気にしなくていいって。サンキュな」
「……ケッ」
流護が素直に礼を述べると、ラルッツは渋面でそっぽを向いてしまった。
ここまで聞き役に徹していたガドガドが、しししと含み笑う。
「リューゴの兄貴ィ、照れてるだけでがすから、この人は……あいてっ!」
間髪入れず兄貴分の拳骨が脳天に直撃、涙目になる子分だった。
「あ、ところでグリーフットさん。ひとつ、お尋ねしたいことが」
そこで思いついたように声を上げたのはベルグレッテだ。
「僕に、ですか? 何でしょう?」
「いえ、話はまるきり変わってしまうのですが……バダルノイスご出身とのことでしたので、ちょっとお伺いしたくて。流雪水路についてです」
「流雪水路、ですか。ふふ、余所の方には珍しいものでしょう?」
「ええ……この国にやってくるまで、見聞きしたこともない仕組みでした。あの流雪水路というのは、皇都以外の街でも同じような規模で運用されているのでしょうか? 人がすっぽり収まるほど、深く広くといいましょうか……」
「ふむ……そうですね、どこも変わらないと思います。あの大きさですから……毎年、誰かしら落ちて流される事故が頻発しています。悲しいことに」
まさに今朝、その瞬間に直面したばかりだ。それも、ベルグレッテが中に飛び込んで小さな命を救った。
(ベル子、なんで今そんなこと聞いてんだろ)
「お待たせいたしました」
そうした雑談に耳を傾けるうち、皆の頼んだ料理が次々運ばれてきた。
「へへ、待ってました! 俺っち、もう腹と背中がくっつきそうだよ!」
自らの腹をさするガドガドだが、小太り気味で樽みたいな彼の体型はそんな現象と無縁に違いない。
なんてことを思いながら食事を始める流護の目に、その光景が映る。
「……? グリーフットさん、どうかしたんすか?」
美青年は、自らの前に置かれた子羊のステーキへ視線を落としたまま、なぜか手をつけようとしなかった。
「……かっ……、か……悲しい……」
「? 悲しい? って、は!?」
流護とベルグレッテは揃ってギョッとした。
整った顔立ちを突然くしゃくしゃに歪めたグリーフットの瞳から、大粒の涙が溢れ出したのだ。
「グ、グリーフットさん!? どしたんすか!?」
その疑問に答えたのは嗚咽を漏らす当人ではなく、彼の隣で肉を頬張るラルッツだった。
「あ~……、気にしないでくれ。グリーフットの癖みたいなもんだ」
「癖!?」
どんな癖だよ、と思う流護の隣で、なぜかベルグレッテは「あー……」と納得顔で唸っていた。一体何を察するところがあったのか、少年にはまるで理解できない。
「……こんな姿に……まだ子羊なのに、こんな……食用となる以外になかったのか? 君の人生は……いや、羊生? ああ、とにかくなんて悲しいんだ……。誓う。誓うよ。君の血肉は、このグリーフット・マルティホークの糧となることを創造神に約束しよう――」
謎の宣言とともにしゃくり上げながら、泣き笑いの顔で肉を口へ運び始める。
(いや、マジで何……?)
これまでの落ち着き払った居住まいからは想像もできない急変。見るからに狂った人物ならともかく、端麗な容姿ゆえに際立つ異様さ。
しかし脇に座るラルッツとガドガドは、まるで動じた風もなくそれぞれ自分の料理を堪能している。
(気にしてる俺がおかしいのん……?)
流護はただ呆然としながら、その食事風景を眺めることしかできないのだった。




