430. 荒ぶる正義
(話が、違う……?)
不審に思ったヘフネルの視線に気付いたか、エルサーはハッとすると同時にこの場から走り去ってしまう。
「あっ、ちょっと!」
反射的に追いかけるヘフネルだったが、
「うわっと!」
彼女が駆け抜けた勢いで傾いたか、すぐ脇の瓦礫から石塊がゴトリと足元に落ちてきた。
「あ、危ないなもう! ……あっ!」
その間にエルサーの姿は見えなくなっており、階段を駆け下りていく音だけが響いてきた。
「何してんだ、ヘフネル?」
そこで後ろから聞こえたガミーハの呼びかけに振り向くと、
「ああ……、うわぁっ!」
彼が肩に担いでいるそれを見て、思わずのけ反った。
「はは、悪い悪い。びっくりさせちまったか」
それは先ほど発掘された、ノコギリじみた鉈剣。刃にべったりと付着した黒い跡が、否が応にも不吉な何かを想像させる。
武器、と呼ぶことすら上品すぎて躊躇われる。これは、『凶器』以外の何でもない……。
「な、何でそんなものを担いで……」
「ああ、こんなもんが展示品の訳ないからな。こりゃ間違いなく下手人の忘れ物だよ。とりあえず、ベンディスム将軍に引き渡そうと思ってな」
明るい口調ながら、自らの手に掲げたそれを気味悪そうな目で見つめるガミーハ。すると横合いから、先ほどサベルを愚弄していた熟年兵士らがやってきた。
「おう若いの、将軍殿の点数稼ぎか? 張り切るのは結構だが、物には順序ってもんがあるだろ。まず、俺たち先輩に相談するのが先じゃねえのか、んん? 勝手な真似は感心せんなぁ~」
「はっ、若いうちは勢いで行動しがちだからな。上におべっか使って、せっせと成り上がりてぇだろうし」
「はっは! 違いねえや! 礼儀より功績ってか。嫌だねぇ~、最近の若いのは。報告、連絡、相談もろくにできねぇんだからよ」
都合のいいことを、とヘフネルは内心で毒づく。
この手の輩は、いざ相談したなら「そのぐらい自分で判断しろ」と突き放すのだ。結局は何のかんのと文句をつけたいだけ。
絡まれた当のガミーハはしばし真顔だったが、何を思ったのか唐突にニコリと笑った。担いだ鉈剣の峰で、トントンと自分の肩を叩きながら。
「俺は無駄を省いただけですよ、先輩方。酒と女と金ぐらいしか頭にないボンクラに報告、連絡、相談! ……なんぞしたところで、何か意味がおありで?」
――瞬間、間違いなく空気が凍った。
「…………何だと?」
「おや? 特におかしなことを言ったつもりはないんですがね」
泡を食ったヘフネルが止めに入る間もなかった。
怒に染まった先輩兵士が腰の剣を抜く――より早く、
「――舐めるなよ、ボンクラ」
持っていた鉈剣を相手の喉元へ寸止めしたのは、ガミーハ。
「う……っ……!」
相手は剣の柄に手をかけたまま顎を浮かし、身動き取れずに呻く。
「お、おい貴様……! じ、自分が何をしてるか分かってるのかぁ……!? 相手は先輩だぞ、分かってんのか……!」
そう言うもう一人も迂闊な真似はできない。ガミーハが手首を軽く返せば、それだけで片割れの喉に鮮血の花が咲く。
「……、…………!」
いきなりの事態に、ヘフネルは餌を欲しがる魚みたいに口をパクパクさせることしかできなかった。
一方でガミーハは涼しげな顔で物騒な得物を突きつけたまま、ひどく平坦に呟く。
「そうだよ。あんたらさ、先輩だろ? 『滅死の抱擁』も、『氷精狩り』も、内乱も……全部経験してきたクチだろ? バダルノイスが衰退していく様を、その目で見てきたんだろ?」
次第に、その声が震えていく。
「んで今、どこの誰だかも分かんねー奴に美術館メチャクチャにされてよー……昔の人らが遺したもん、みんなパーにされて。職員まで殺されてさぁ……バダルノイス、舐められすぎでしょ。悔しくならねーの? 俺は悔しいですよ。なのにあんたらはさぁ、さっさと帰って酒飲みてぇとか女がどーとか、功績がどーとか。そんなことしか頭にねーの? 上手く言えねーけどさ、もっとこう……」
「おいそこ! 何をやってる!?」
揉め事に気付いた他の兵士たちが慌てて駆けつけてきて、両者を羽交い締めに引き離す。
「てっ、てめぇこの若造がぁ、覚えてやがれよ……!」
どうにか吠える先輩を、ガミーハは鼻で笑った。
「覚えてろって何を? チビりそうになってたあんたの無様っぷりをか? 口だけ野郎に何ができるんですかね」
「やめんか、頭を冷やせお前ら!」
仲裁に割って入る兵士たち、その中で一瞬だけヘフネルの視界に映り込む。
「――俺は、違う。お前らとは」
ひどく冷たい。
別人のように無感情なガミーハの瞳。
それもまさしく刹那のこと、問題を起こした二人はそれぞれ数人がかりでガッチリ脇を固められ、階下へと連行されていった。
「…………、」
そうして気付けば、この場に取り残されているのはヘフネル一人。瓦礫だらけの通路には、嵐が去った後のような静けさだけが漂っている。
「……ったくもう~、何やってるんだよガミーハ……!」
遅まきながら、そう言葉に出さずにはいられなかった。
人には放っておけと言っていながら、自分は熱くなってこの始末。昔から強気で短気で自信家な彼ではあるが――、少し『らしくない』ように思われた。
(何だろう、確かにあの先輩たちには腹が立ったけど……いきなりあんな風にケンカを吹っ掛ける奴じゃないのに……。……でもそのくせ、さっきの目つきは……変に落ち着いてたような……?)
ともあれこれで、あの先輩との間には軋轢が生まれてしまった。
両者ともに、自分から頭を下げるような性格でないことは明らか。ただでさえ兵士たちがまとまりに欠ける昨今、余計な問題を抱えることは好ましくない。今後、業務を遂行するうえでも支障が出てしまうだろう。
そこに考えが及ばぬガミーハではないはずなのだが……。
(どうするんだよ、ったく……)
溜息とともに持ち場へ戻れば、廃墟の山で作業を進める兵士が数名。今の騒ぎには気付かなかったらしい。そして――
「どうしてこんなことに……おお、キュアレネーよ……」
「心中お察しします。せめて頭部を見つけてあげましょう」
先ほど見つかった遺体を引き上げたのだろう、シーツに覆い隠された『それ』を囲む男性職員と兵士たち。
(っと、そういえば)
先ほど走り去ってしまったエルサーという職員はどうしたのだろう。いきなりの揉め事で、内通者の件をガミーハに相談する機会も逃してしまった。色々とガタガタだ。
とりあえず作業に戻りつつ、ヘフネルは自分なりに考えを巡らせる。
(ここの職員が首なし死体で見つかった……。どうして首が? 火事の巻き添えにしてはおかしい。『敵』の仕業にしても、なぜ職員を手に掛ける必要があるんだ……? でも……それは分からないけど、さっきのあの職員の女性……名前は確か、エルサー・メラーだっけ。あの人、明らかに様子がおかしかった……)
忘れないよう、懐から取り出した紙片にその名前を書き留めておく。
これら状況に、どのような真実が隠されているのか。美術館で一体、何が起きていたのか……。
(ベルグレッテさんなら……、答えを見出だせるのか……?)
今さら迷うまでもない。自分の凡庸な頭ではどうにもならないのだ。密かにバダルノイスに巣食う悪を炙り出すため、彼女に相談すべきだろう。
「……よし」
そうと決まれば、まずはこの仕事を片付ける。
終わり次第、彼らが滞在している診療所へ向かう。サベルたちの容態も気になっていたのだ。
早速とばかり意気込んで重たい石に手をかけるヘフネルだったが、
「……、!」
そこで気付く。
瓦礫の合間から見つかった、職員の首なし死体。
(……そういえばさっき……早く頭を見つけてあげましょう、とかって……)
今まさに自分が掴んでいる石塊、その下から『それ』が出てきたら――
(ゆ、ゆっくり……いやできる限り早く、でもゆっくり作業しよう……)
気合を入れようとも、苦手なものは苦手である。必要以上の慎重さで岩をどかしにかかるヘフネルだった。




