43. アングレード家の団欒
昨夜遅くまで流護と話していたので、起きたら昼過ぎになってしまっていたが、馬車に揺られること五時間。ミアは実家のあるラドフ村へと戻ってきていた。
遥か空を見上げれば、すでにインベレヌスがお勤めを終え、イシュ・マーニと交代しようとしている。
神さまはすごいなー、とミアは思う。
ずる休みをすることなく、こうして人々を照らし続けているのだから。
久しぶりとなる家までの小道を歩きながら、ミアは村の風景を眺める。
どこまでも広がる畑。のんきに草を食んでいる牛たち。すれ違う中年女性に「あんらミアちゃん今回は帰ってきたねえ! 久しぶりに会ったらめんこくなって!」と言われ、「ただいま! たかだか一ヶ月半ぶりだってばおばちゃん。あとあたしはいつでも可愛いでしょ!」と返す。
都会と違い、家屋は木造がほとんどだ。
村を囲う壁は石造りだが薄く、ダイゴスの背丈より少し高い程度で、学院や王都に比べるとあまりに頼りない。
……もし一ヶ月前、ファーヴナールがこの村へやってきていたらどうなっていたのか。
頭を振り、そんなうすら寒くなるような想像を打ち消す。そうならなかったことを神に感謝しながら歩いて、家の前へたどり着いた。古ぼけた木造の小さな家は、いつ帰っても変わらずそこに佇んでいる。
「ただいまー」
ガチャリと扉を開けて、一ヶ月半ぶりとなる我が家へ入った。
「あー! ミア姉だ! おかえりなさーい!」
出迎えたのは先月十一歳になったばかりの弟、ティモだ。出迎えたというより、ちょうどこれから遊びに行こうとしていたところらしく、挨拶もそこそこに家を飛び出していく。
「ミア姉、あとで学院の話きかせてよ! んじゃいってきまー!」
「はいはい、いってらっしゃーい。ティモ、バーガスさん家の牛にいたずらすんのやめなさいよー?」
「し、しないよー!」
ミアの小さな身体ですら狭い廊下を歩いていくと、脇の部屋からとことこと一番下の妹が出てくる。
「ララ、ただいまー。おねーちゃんだよー」
「うー?」
二歳になったばかりのララは、姉を見上げて珍しいものを見るような顔をしていた。……というより、ミアは家にいないことのほうが多いので、実際に珍しいのかもしれない。そのうち本当に忘れられてしまいそうだ。
「むむむ……ララ、おねーちゃんのこと忘れてないよね……? よいしょ……っと」
小さな妹を抱き上げて、頭を撫でながら、父親の部屋の前までやってきた。ゆっくりとノックする。
「父さんただいまー。ミアちゃん帰ってきましたぞー。入るよ……、あれ?」
開けようとしたドアがつっかえた。鍵がかかっている。
留守……ではない。中で音がした。
となれば、客でも来ているのかもしれない。
だが、家の鍵すら滅多にかけないこの田舎で、来客があったからといって部屋の鍵をかけるなんてあまりに珍しい――と、そこで部屋のドアが開いた。
父さん、と言いかけて、ミアは慌てて言葉を飲み込む。
部屋から出てきたのは、父親ではなかった。
黒服。真っ黒い礼服に身を包んだ、目つきの鋭い強面風の男だった。男はちらりとミアを一瞥し、無言で去っていく。
どう見ても……まともな職の人間には見えない。
男の背中を呆然と見送ったミアは、慌てて父親の部屋へ駆け込んだ。
「とっ、父さん! なに? いまの人、なに?」
「ミ、ミアか。お、おうおかえり。何だ、帰ってくるなら連絡の一つでも……」
「それより! いまの人、なんなの!?」
ドタバタした不穏な雰囲気のせいか、ミアに抱きかかえられていたララが泣き出してしまった。
「わ、ララごめんね! おーよしよし」
ミアは妹をあやしながら、窓の外へ目を向ける。
いつの間にかインベレヌスもイシュ・マーニも、その姿を雲に隠されて見えなくなっていた。
神の姿が見えない空は、あまり好きではない。
何だか、神に見放されたような気持ちになってしまうから。
夕食時。
「なーんだ……びっくりしたぁ……」
家族全員が揃った食卓にて。父親から説明を受けたミアは、安堵の溜息を吐いていた。
「あたしはてっきり、この家を出ていけ! とか農作物と一緒に怪しいクスリの元になる植物を作れ! とかそういう系の話なのかと……」
結局あのマフィア風の男は、普通に商談をしにきた客とのことだった。
「まったくミアは相変わらずだな……」
父親が苦笑いを見せる。
「あははは……ごめんなさい」
こうして落ち着いて向かい合って初めて気付いたが、一ヶ月半ぶりに会う父親は、また少し白髪が増えたようだった。その顔は、どこか疲れきっているようにも見える。
家計が苦しい状況は、何も改善しないのだろう。
ミアを含めて九人家族の貧乏農家である。それも当然だった。
「なあなあミア姉、ファーヴナール見たんだろ! どんなだった?」
「お姉ちゃん、ベルグレッテさまのお話きかせて!」
「あ、ぼくはなんだっけ……ばかのえどびん? って話きかせて」
「ファーヴナールやっつけた勇者さまってどんな人?」
弟や妹たちが次々と話しかけてくる。
「ほらほら、あんまりミアお姉ちゃんを困らせないように」
そこで母親が料理を持ってきた――のだが。
「え……」
それを見たミアは、思わず固まった。
黒角牛のロースト、イーストハーブのサラダ、スノートマトのリゾット……。王都の高級料理店と比べても遜色ない、豪華なメニュー。
普段の家の料理はもちろん、それなりに悪くない学院のメニューですら遠く及ばない……そんな料理が、次々と食卓に並べられていく。
弟や妹たちも驚いたらしく、大喜びで騒いでいる。
「え、ちょっ……なに、どうしたのこんな豪華なメニュー?」
「……せっかくミアも久しぶりに帰ってきたんだし……たまにはいい物、食わしてやらんとな。さっき母さんに言って急遽、豪華メニューにしてもらったんだ」
「え、いや……気持ちは嬉しいんだけど……」
どう考えても、家にこんな料理を出す余裕なんてあるはずがないのだ。こんなこと、今まで一度だってなかった。
「……ミア。こないだ、学院が襲われたときのこと。みんな、心配したのよ」
「……あ」
母親の言葉に、長女はハッとする。
あの怨魔襲撃の後、学院は十日ほど休みになったのだが、ミアは家に帰らなかった。通信で少し連絡を入れた程度だった。
入院した流護の見舞いや、壊れた校舎の修繕の手伝いに追われていたのだ。
「やーごめんなさい。心配かけて……」
「いや……ミアが一生懸命にがんばる子だってのは、父さんがよく知ってるからな……」
と、そこで父親は目頭を押さえた。
「え、と、父さん? どうしたの」
「……いかんな、年を取ると……」
涙。父親の涙を見るなんて、ミアは初めてだった。
「ちょっ、なんで……」
いや。なんで、も何もない。娘が無事だったから、その祝いとして豪華な食事を用意してくれた。泣いてくれた。
……心配を、かけてしまったのだ。
「あらもう父さんったら。そんなんじゃ、ミアがお嫁に行くときはどうなるんだか……」
「……、お嫁って……むむ」
その母親の言葉に、ミアは思わず唸る。
なぜだろう。そう聞いて、流護の顔が思い浮かんでしまった。慌てて頭を左右に振る。
「ま、まあミアちゃんは可愛いし学院でもモテモテですけど! すぐお嫁なんか行かないし! まずはちゃんと学院を出て、いい仕事に就く! 待ってなさいって、あと二年……や、卒業してすぐは厳しいか……三年! ぐらいしたらどーんと家ごと新しくしてやるんだから!」
もやもやした気持ちを振り払うように、ミアは高らかに宣言した。
「お、おーミア姉ちゃんかっこいいー」
「ミア姉、おれ、自分の部屋ほしい!」
「まかせなさい! 馬もつけてやるっ! 部屋で飼え!」
「それはちょっと……」
久々の家族の団欒は、遅くまで続いた。
一ヶ月半ぶりとなる、自分の部屋。
荷物は学院へ持っていっているので、部屋には何もない。先ほど母親に持ってきてもらったシーツと、細々とした明かりを放つカンテラぐらいしかなかった。殺風景な感じが、何だか流護の部屋にそっくりだ……なんてことを思う。
「んがあああぁー!」
頭を振る。
これはいけない。夕食時もそうだったが、ちらちらと流護のことが脳裏をよぎる。まあそれはいい。たが、その頻度がベルグレッテより高いのがいただけないのだ。
昨日、遅くまでお喋りしたせいだ。きっと。
ベルグレッテとも、すでに二週間は会っていない。たまに通信はしているが、クレアリアが入院していることもあって、かなり忙しいようだった。
基本、ガーティルード姉妹は交代で学院に来ることになるので、一ヶ月ほどベルグレッテと顔を合わせないことだって今までに何度もあった。
だが、今回。ベルグレッテがいなくて寂しいのに、寂しさが今までより少ない。そんな感じなのだ。
……流護がいるおかげだろうか。いやそうじゃない、そんなわけない、と慌てて否定する。
「ふんだ。ベルちゃんがあたしになにも言わないで帰っちゃうのが悪いんだもん。だからちょっとベルちゃんにふんだ! って思ってるだけだもん。……リューゴくんのとこには行ったくせにー」
それっぽい理由を、あえて声に出して言う。自分に言い聞かせるように。
「ちょーっと、通信くれたってよかったんだしー……」
通信。そうだ。誰かに通信しよう。
それこそベルグレッテに絡みたい気分だったが、ミアの技量ではここから城までは届かない。届いたとして、城のどこにいるかも分からない。
すごい術者になると、距離や場所を関係なく捕捉するうえに、飛ばした神詠術の残滓を辿って相手の居場所を割り出すことすら可能とするらしい。同じクラスで最も通信を得意とするのはエメリンだが、彼女でもそこまではできないと言っていた。
もっと通信も勉強しようと思いつつ、学院へと飛ばす。
「リーヴァー、こんばんわ、あなたのミアちゃんです」
『……リーヴァー。こんばんは、レノーレです。……どうかした? こんな時間に』
「お嬢さん……イシュ・マーニが見守るこんなステキな夜に、あたくしと少しお話ししませんか」
『……いいよ』
レノーレはそう言っているが、ぺらりと本の頁をめくる音が聞こえてきた。
が、ミアも気にしない。こちらは何でもいいから喋りたいだけだし、向こうもそれを察したのだろう。
しかもレノーレの場合、本を読みながらでもしっかり話を聞いているのだ。
「……ね、レノーレ。あたし、レノーレのこと好きだよ」
『……それはどうも』
ぺらり。ページをめくる音。
「つ、つれねぇ……、ちなみに、ベルちゃんのこと大好き」
『……それはもうよく知ってる』
「りっ、リューゴくんも……まあ、けっこう、好き、かな」
『……見てれば分かる』
え、分かるの!? と声を出しそうになってしまったが、何とか堪えた。
「クレアちゃんも好きだし、アルヴェも、エメリンも、ダイゴスもフィアナもステラリオもメリチェルもおやっさんも、もうクラスのみんな……うん、大好きだー」
『……エドヴィンは?』
「あっ、やべ」
そんなミアの反応に、通信の向こうで少しだけ「くっ」と息の漏れる音がした。
「お! 今、レノーレ吹き出したでしょー。ちっ……レノーレが笑うなんて貴重な場面、見られないのが惜しいぜ……」
『……、笑ってない』
「ふひひ。声が震えてるぞ。ん、エドヴィンだって嫌いじゃないよ。バカだけどいいヤツだもん」
カンテラの明かり以上に部屋の中を照らすイシュ・マーニを仰ぎ見て、ミアは歌うように続けた。
「学院のみんなも、家族も……あたし、みんな大好き。ずっと、こんな時間が続いたらいいなって思う」
『……うん』
いつもと変わりない……けれど少しだけ優しい、レノーレの返事。通信の向こうで彼女が微笑んでいるのが分かって、ミアは嬉しくなった。
『……あ、ミア。明日の夜、ノート返して』
「おおう、忘れてた……。いきなり現実に引き戻された気分……」
『……勉強は嫌い?』
「と、得意ではないよねー……。ええ、ノートは耳を揃えて返しますとも! へえ!」
夜の女神に見守られながら。
ミアは眠くなるまで、レノーレと語らっていた。