427. 思索重ねて
オームゾルフとの話し合いを終えて退室した流護とベルグレッテは、辺りに気を配りつつ王宮の廊下を進んでいた。
「……さて、どうするベル子。早速、その……えーと……、誰だっけ」
「ゴルテル・ハドバール氏、ね」
「そうだそうだ。んじゃ早速そいつ探して、話聞き行ってみるか?」
「いえ。搦め手でいくわ」
「からめて? っつーと?」
――語られたベルグレッテの考えはこうだ。
ゴルテルという名の、オルケスターと通じているかもしれない兵士。その人物を探し出して「なぜサベルとエドヴィンが一命を取り留めていると知っていたのか」と馬鹿正直に問い質したところで、はぐらかされる恐れがある。
一刻を争う状態だったため、とにかく生きていることを前提でオームゾルフに連絡を入れた。もしくは、かつてない事態に混乱していた――など、いかようにでも言い逃れはできるのだ。確かな証拠が残っている訳でもないのだから。
仮にこのゴルテルが本当に『黒』で、そうしてはぐらかされた場合、当然ながら流護たちは警戒されてしまう。
実際のところ、混乱した現場で人から人へ話が伝わったことで、偶然今回の対応に至った可能性も否定できない。
ゆえに、
「ひとまず本人には接触せず、このゴルテル氏や事件当時の状況について……情報を収集するわ」
「なるほど……、遠回りだけど、まあ仕方ねえか」
声を潜めつつそんな会話を交わし、階段を下りて一階ロビーに入る。すると横手の廊下から、幾人かの兵士に交ざって出てくる見知った人物を発見した。
「おっ、ヘフネルさんじゃないすか」
ハルシュヴァルト駐在にして、今は宮殿に滞在中の若き正規兵。一緒にこのバダルノイス本国までやってきた、真面目で少し頼りなさげな案内役。流護がその名を呼ぶと、気付いた彼は血相を変えて駆け寄ってきた。
「お、お二人とも! 聞きましたよ、サベルさんたちが美術館で大変なことに――って、その鼻! リューゴさんもケガをされたんですか?」
「あ、いやまあ。別にこれは大したことないっす」
「でしたらよいのですが……。それで、その……サベルさんたちはご無事ですか?」
「ええ、まあ。まだ目覚めてはないんすけど、命に別状はなさそうっすよ」
心配そうな彼を安心させるべく、ひとまずは無事である旨を伝える。
「そうでしたか。……しかし……」
ヘフネルはホッとした様子ながらも、沈痛な面持ちでかぶりを振る。
「本当に災難でしたね。一体、出火原因は何だったのか……。こんな言い方はよくないかもしれませんが、あなた方お二人がご無事だったのは不幸中の幸いでしたよ」
(……んん?)
そこで会話に違和感を覚えた流護は、かすかに心中で首を捻った。ベルグレッテも同じだったらしく、若き兵士に問いかける。
「……ヘフネルさん。昨日の件について、どのように聞いておられるのですか?」
「えっ? はあ、ええと……美術館から火が出たんですよね? それで部屋が一つ焼け崩れて、サベルさんたちが巻き込まれてしまったと……」
流護とベルグレッテは思わず顔を見合わせた。先に硬直から復帰した少女騎士が再び問う。
「……どこでそのお話を?」
「いえ、具体的にどこで、という訳ではありませんが……皆がそのように話していましたので。……どうかされましたか?」
「いや、うーん……なんつーか――」
どう説明したものか、と流護が返答に窮した矢先、ヘフネルが慌てて背筋を正し廊下の隅に寄った。見本のような『気をつけ』である。いきなり何事かと思うや否や、流護たちの背後からその声がかかった。
「クク、これはお客人がた。昨日の今日でいらしたとは」
振り返れば――華美な白鎧に包まれた長身痩躯、雑な整髪、端正で上品な顔に貼りつく薄笑み。『雪嵐白騎士隊』の一員ミガシンティーアが、三人の兵士を従えやってくるところだった。
なるほど若兵ヘフネルにしてみれば、最敬礼をもって迎えるべき相手ということか。
「ククク、早速オームゾルフ祀神長の下へご挨拶に参られたのかな?」
「はあ、まあ……」
流護が曖昧に頷くと、何が楽しいのか白騎士は背を丸めがちにして笑う。
「律儀ですな、フフ。しかし、貴方がたは狙われる身。故に移送も断ったのであろう? あまり軽々に出歩かぬ方がよろしいのではないかな? 宮殿の中といえど……安全とは限りませぬぞ? フフフフフ」
では失礼、と付け加えたミガシンティーアは、外に続く扉の向こうへと消えていく。その後ろに続く兵士三人は昨夜診療所へやってきた者たちとは違う顔ぶれで、流護とベルグレッテを一瞥することすらなかった。
(……何だ、あの人……? 妙にゴギゲンそうだったけど)
常に笑みをたたえているミガシンティーアだが、今しがたの彼は本当に嬉しいことがあってあの表情を見せていたように思えた。
「ちょっ、ちょっと待ってください……!」
彼らの姿が見えなくなると同時、青ざめた顔で狼狽するのはヘフネルである。
「ね、狙われてる? ってどういうことです!? 移送を断った、とは?」
「あー……それはっすね、説明すると長くなるっていうか」
このまま廊下で立ち話も何である。
元々遅めの朝食を取りに行くつもりだったというヘフネルとともに、宮殿内の食堂へと向かうことにする流護たちだった。
時間が少し外れているためか、一階の片隅にある大きな食堂は閑散としていた。人気がないことで、広々とした石の空間はより寒々しく感じられる。
「オルケスター……ですか……!」
昨日のあらましについて聞かされたヘフネルは、驚きのあまりか食事の手が止まっていた。
流護とベルグレッテは朝食を済ませてからやってきたため、熱い紅茶を一杯注文しただけに留めている。
「それでは奴らがついに表立って現れ、サベルさんたちを襲い……我が国の美術館まで」
「まだ確定ではありませんが、私たちはその前提で考えています」
「くそっ、まさか僕の知らないところでそんなことが起きていたとは……。しかし、歯がゆいです。すぐ罪人の追跡に移れないだなんて」
表情を苦くしたヘフネルが、悔しげに言い募る。
ちなみに美術館が燃えたことは聞いていたヘフネルだったが、その炎が紫色だったことは知らなかったらしい。
もっともテレビやインターネットもない世界。人づての話の正確性など、きっとこんなものだ。
「相手はどんな奴なんでしょう。僕だって兵士の端くれです、このままやられっ放しで黙っているつもりはありませんよ……!」
「残念ながら、敵について分かっていることは皆無に等しいのが現状です。ゆえに私たちは今、その正体を突き止めるべく動いております」
感情的に悔しがるヘフネルとは対照的、ベルグレッテは静かに応じた。
「……ちなみに」
そして最後に、最も重要であろうその推測を付け加える。
「私は……バダルノイス側……ひいては王宮内に、オルケスターの手の者が潜んでいると踏んでいます」
先ほどオームゾルフにそうしたのと同じく、今度は若き兵士にその推測を告げる。
たっぷり数秒もの間を置いて。
「そっ、そんな馬鹿な!? よりにもよって我々の中に、そのような者がいるはずがっ……!」
おそらくバダルノイスの人間として、この反応が当然なのだろう。
「その推測に至った経緯は、今ほどご説明したとおりです。それに……」
「そ、それに?」
一瞬伏し目がちになったベルグレッテだったが、すぐに顔を上げて強い瞳で言う。
「レノーレがオルケスターの一員だったとするならば、他にそのような者がいても不思議ではありません」
何も、潜んでいるオルケスターが一人だけとは限らない。複数人の刺客が紛れ込んでいる可能性は十二分にある。
「加えて……誰がオルケスターの人間であったとしても、不思議はない……。そう考えています」
静かにそう言い結んだベルグレッテ。その薄氷色の瞳が、じっとヘフネルの双眸を捉える。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
「ぼっ!? 僕は絶対に違いますよ! ありえません! 僕は! バダルノイスに、キュアレネーに、エマーヌ様に忠誠を誓った身! 本当に、創造神にかけて! 潔白です!」
「今、エマーヌ様って言いましたよね?」
「ぃぇぁ! オ、オームゾルフ祀神長に誓って!」
流護の追撃でより慌てるヘフネルを前にして、ベルグレッテが口元を綻ばせる。
「ふふっ、ヘフネルさんを疑ってはおりませんので」
「ほ、本当ですか……?」
「本当です。誰がオルケスターの人間であっても不思議はない、とは言いましたが……疑わしい人物に当てはまるであろう条件が、いくつか考えられます」
「条件……、ですか」
「はい。まず、オルケスターは徹底して情報の秘匿をやり遂げてきた集団です。当初、私たちはその存在すら知りませんでした」
大陸各地を渡り歩いてきたトレジャーハンターのサベルとジュリー、レインディールの裏社会事情に通じるエドヴィン、そして騎士見習いとして悪漢と対峙してきたことも多いだろうベルグレッテ。その誰もが、初めて聞く名だと口を揃えた。
しかし無法者としての過去を持つラルッツやガドガドは、かつてその闇組織と実際に接触していた。
連中は確かに実在する。そして――
「誰にも知られず、国家内部に潜り込んでいる。そんな実態に偽りがなければ、オルケスターに属する者たちは、堅固極まる秘匿能力を持っていることになります。しかし実際のところ、『自らが闇の住人である』という事実を隠し通しながら常人として振る舞い続けることは、非常に難しい所業ではないかと思うんです」
「ううん、なるほど……確かに、そうかもしれませんね」
野盗のような、好き勝手に本性を晒して生きる悪党ではない。表向きには市井の民としての顔を持ち、誰にも悟られないよう使い分けているのだ。
「ですから、口が堅いことはもちろん、立ち振る舞いにも気を使い……そしてなにより、怪しまれないだけの『立場』を備えている。『敵』は、そんな人物だと推察できます」
「むう……」
「そもそものオルケスターの目的も不明ですが、仮に国家の中枢に人員を紛れ込ませ自分たちの有利に働くよう暗躍させることを企図しているならば、やはり『力』を持っている人物でなければ務まりません」
この場合の『力』とは――財力、権力、これらを含めての影響力、そして有事の際の武力。ありとあらゆる意味での『力』。一般兵や平民では持ち得ないものだ。
例えば貴族、執政、士官、抱えの詠術士、上位騎士。こういった地位の者であれば、資金や武器の横流し、情報操作、王宮内情の密告といったことも行えるだろう。
(もちろん、認めたくはねえんだけど……)
レノーレは、この条件に当てはまる。貴族の名家出身、単独行動を得意とした宮廷詠術士。
(……今になって考えてみりゃ、『あいつ』も似たような立場の人間だった……)
オルケスターではないが、かつて流護やガーティルード姉妹と対峙したデトレフという男。
レインディール精鋭集団『銀黎部隊』に属しながら裏で暗殺者の顔を併せ持ったこの騎士もまた、真相を知った誰もが「まさか」と思う人物だった。
こうした観点から考えるなら、一般兵かつ地方都市勤務のヘフネルがオルケスターの刺客である可能性は極めて低い。皇都から遠く離れたハルシュヴァルトに勤めている身では工作も行えず、あまり意味がないだろう。
無論、可能性もゼロではない。人のよさそうな彼が実は――、という展開とてありえる。
しかしとにかく、今は推測を固めて足場としながら、それが確かなものと仮定しつつ進んでいくしかないのだ。
一応は自分が容疑から外れたと認識しただろうヘフネルだが、その表情は明るくなるどころかより暗く沈む。
「し、しかし……だとすれば、余計に……我が国の誰かが……それも要職に就いているどなたかが、オルケスターと通じて……? いえ、ベルグレッテさん。やはり、何かの間違いでは……?」
「……お気持ちはお察しいたします。『我が国に、そのような者がいるはずはない』と。そう考えるお気持ち、痛いほどに理解できます。しかし、ありうるのです」
恐る恐る異を唱えるバダルノイスの若き兵士に対し、少女騎士はまるで揺らがず告げる。
「信の置けるはずの誰かが、『敵』である可能性が。それを頭ごなしに否定してしまえば……見過ごしてしまえば、悲劇的な結末が訪れるかもしれません」
これは一例ですが、と彼女は前置きをして。
「……半年と少し前、レインディールの王都を騒がせたとある殺し屋がいました。友人がその毒牙にかかり、私も危ういところまで追い詰められました。次々と襲い来る刺客を退け、推測を巡らせて……ようやくに判明したその殺し屋の正体は、治安を守るはずの騎士でした。私にとっては、幼少時代からの知人で……敵として相見えることなど、思いもしない人物でした」
瞠目するヘフネルとは対照的。
まさにあのデトレフとの一件を、当事者たる彼女は淡々と語っていく。
「事前に、あの人を怪しめるだけの材料はあったのです。しかし、私の頭にこびりついた『そんなことはありえない』という前提が、目を曇らせた。より客観的な視点から物事を見通せていれば、悲劇を未然に防げたかもしれないのに」
失ったものがある。そしてそれらは、決して戻ってこない。今でもきれいさっぱりと踏ん切りをつけられた訳ではないのだろう。静かな語り口の中にも、未だ残る後悔が滲んでいた。
「ありとあらゆる可能性を想定し、俯瞰の目線から思索を巡らせていくべき……。私は、そう思います」
ベルグレッテが口を閉じうつむくと、流護たちしかいない食堂はシンと静まり返る。
そんな中、カシャンと甲高い反響が木霊した。ヘフネルがフォークを置いた音だった。
途中から完全に食事の手が止まっていたため、スープからは湯気も上がらなくなっている。
「……そうですね。ベルグレッテさんの言う通りなのかもしれません」
自分の罪を告白するかのように、この国の若兵は苦い顔を見せる。
「ご存知かもしれませんが……バダルノイスの先王は、優れた指導者ではありませんでした」
流護もロック博士から聞いている。未曾有の災害『滅死の抱擁』から立ち直るために安易な移民政策を掲げ、自らは節制せず民に負担を課し、『氷精狩り』の際には真っ先に逃げ出した人物であると。
「かの王の裏切りに失望しなかった民はいないでしょう。もちろん、僕もです」
面を上げたヘフネルの瞳には、強い光が灯っていた。
「バダルノイスの者は皆、身に染みて分かっているはずなんですよね。高貴な方が、必ずしも信頼に足る存在であるとは限らないと……。……ダメですね、同じ過ちを繰り返すところでした」
ぴしゃりと両手で自分の頬を叩いたヘフネルは、すっかり冷めていそうなスープを一気に飲み干した。
「ぷはっ……! あの、僕に何かできることはありませんか? バダルノイスのために……皆さんのために、少しでも力になれることがあれば……!」
覚悟を決めたような表情。いても立ってもいられなくなったのだろう。
頼りなさげな彼だが、ここぞという場面で滾る正義を秘めている。そんな情熱の持ち主ゆえ、こうした兵職に就いたのかもしれない。
「うーん、そうっすね……、あ、それなら」
そこでふと思い立った流護は、早速とばかりに尋ねてみることにした。
「ヘフネルさん。ゴルテル、って名前の人知らないっすか? ゴルテル・ハドバールだったかな。多分、この皇都で兵士やってる人だと思うんすけど」
「ゴルテル・ハドバールですか……? その人なら、僕の同期ですけど……」
「!」
意外な繋がりが露見し、流護たちは目を見張った。