426. 才媛二人
円形の屋根から滑り落ちた雪が、数秒の後に勢いよく地面へと激突する。
その音と衝撃は思った以上に凄まじく、離れた位置に立つ流護とベルグレッテの足元までわずかに響いてくるほどだった。
「相変わらず雪とは思えんヤバさっつーか、あんなの頭に当たったら絶対ぇ死ぬよな……落石みてーなもんじゃん……」
「そうね……」
氷輝宮殿に被さる丸屋根を呆然と見やる二人だが、建物の出入り口に佇む兵士たちはそれらの光景にまるで無関心。彼らにとっては、意識するまでもない日常の一場面にすぎないのだろう。確か以前のヘフネルの話では、今年は雪が少ないためこのように派手な音がするとのことだった。
――サベルとエドヴィンの件から一夜明けた翌日。
流護とベルグレッテの二人は、早速とばかりオームゾルフ祀神長に会うべく氷輝宮殿へとやってきていた。
目的は無論、昨日の移送決定に至る経緯の聞き込みと、その誘いを断ったことに関する詫び入れである。
「つーかさ、まじで大丈夫……なのか……?」
流護が懸念するのは、もちろんオルケスターの襲撃に関してだ。
ここへは流護とベルグレッテの二人だけでやってきたし、診療所には眠ったままのサベルとエドヴィン、そして付き添いのジュリーのみ。こうして二手に別れてしまっている。
「大丈夫よ」
ズバリと言い切るのはベルグレッテだ。しかし、
「確証はない、んだろ?」
「ええ」
少女騎士は清々しいほどあっさりと頷く。
「でも……敵の立場になったなら……私がオルケスターの人間だったなら、今……襲撃はしない」
敵の意図や狙いが正確に知れるなら苦労はない。こちらは予測することしかできない。
今現在明らかになっている情報から、敵の襲撃はないとベルグレッテは判じた。
昨夜、診療所にてその推測に至った理由を聞き、流護とジュリーも一応の納得はしている。しかしやはり、不安は尽きないところだ。
流護個人としては、刺客が襲ってきたならぶちのめすだけである。例えメルティナが相手でも、もう後れは取らないつもりだ。
問題は身動きの取れないサベルたちなのだが、
(もし、ベル子の考えが正しければ……)
襲撃は、ない。今しばらくの間は。
少なくとも、聡明な少女騎士はそう考えている。確証はなくとも、確信に近いものを抱いている。
いつ現れるかも知れぬ敵に怯え、皆で身を寄せ守り合うのもひとつの選択肢ではあろう。
しかし、それこそが相手の狙いだったなら。そうしてまんまと足止めを受けている間に、大事な何かを見逃してしまうかもしれない。
打って出るか、守りに入るか。とにかくどちらかを選ばねばならず、
(オルケスター……万倍返しにしてやっからな)
そして流護たちは、縮こまりに異国までやってきた訳ではない。
「うだうだ言ってても仕方ねえか。うし、行こう」
「ええ」
寒さにも負けぬ戦意、熱意を胸に、流護はベルグレッテとともに宮殿の門を潜っていった。
場所は広めの会議室。
「お二人とも、わざわざご足労いただき恐縮です」
バダルノイスの長にして聖女たるオームゾルフは、相変わらずの丁寧な物腰で流護たちを迎えた。負けず劣らずの姿勢で応じるのはベルグレッテである。
「とんでもございません、オームゾルフさま。本日は、昨日の非礼を詫びに参りました。せっかく移送のお誘いをいただいたにもかかわらず、こちらの一存にて無下にしてしまったこと、まことに申しわけございませんでした」
壮麗な美女二人のやり取りはいかにも優雅な貴族の社交界を垣間見ているようで、流護としては場違い感を覚えてしまう。
「そのようなこと、お気になさらないで。それよりも――」
そんな品格に溢れた挨拶もそこそこ、オームゾルフの眦が鋭くなった。
「――お二人は、今のご自分の立場を理解しておられますか?」
これまでにない、聖女の詰問じみた強い口調。答える間もなく、彼女自身が言葉を続ける。
「ベルグレッテさんならばお気付きでしょう。あなたがたは、オルケスターに狙われているのです。私などを気にしてやってきている場合ではございませんよ。いえ、もちろんご挨拶に来てくださったことは嬉しいのですが……」
その少し強い態度もしかし、こちらを案じてのことのようだ。
「怪我をなさったお二人にしても、それこそ移送が認められないほどにはひどい状態なのでしょう? ここで二手に別れてしまっていることは、得策とは思えません」
「お気遣い感謝いたします。ですがやはり、私どもはオームゾルフさまにお呼びいただいた身。ただ怯え、閉じこもっているわけにも参りません。まずは、早急にご報告をせねばと」
「……義理固いのですね、貴女は」
ぶれないベルグレッテに根負けしたように、聖女は儚く微笑んだ。
「ところでオームゾルフさま、ひとつお尋ねしたいことがございます」
早速、ベルグレッテが本題に切り込んでいく。
「その移送の件に関することなのですが……サベルさんとエドヴィンが重傷を負ったことにつきまして、オームゾルフさまはどのような経緯でお知りになったのですか?」
「? なぜ……そのようなことを?」
「いえ。お断りしてしまったとはいえ、迅速な対応をいただいたものですから。もしオームゾルフさまにお知らせした方がいらっしゃるのでしたら、是非にお礼を述べたいと思いまして……」
偽らぬという『真言の聖女』に対し、少女騎士はかすかな嘘を織り交ぜて話を進めていく。
この場合の『お礼』は『お礼参り』になるかもしれんけどな、と流護は心中で付け加えた。
「なるほど、そのようなご事情でしたか。昨日の件について私に一報を入れてきたのは、ゴルテル・ハドバールという名の兵士です。主に皇都やユーバスルラの警備を担当しており、昨日も美術館の一報を受けて真っ先に駆けつけています」
「ゴルテル・ハドバール……さん、ですね」
心に刻み込むようなベルグレッテの呟き。
(っし、これで名前が分かったな……)
流護も確かな情報の獲得を実感する。
この人物がサベルやエドヴィンを直接襲ったのかどうかは、まだ分からないところだ。二人が離れた場所でほぼ同時刻に……という点を考えれば、最低でももう一人実行犯がいることになる。
「ゴルテルに会うおつもりであれば、私のほうから彼に一報を入れておきましょうか?」
「あっ、いえ。オームゾルフさまにそこまでしていただくわけには。氏へのお礼その他については、我々のほうで一考いたしますのでお構いなく……」
「そうですか……」
「ところでオームゾルフさま。お話は変わりますが……美術館の被害のほうは……?」
これもまた地味に気になっていたことだった。おずおずとベルグレッテが尋ねる。
「ええ……西棟第一展示室が全壊してしまいましたが、現場にて対応に当たった者の話では、その規模の損害で済んで不幸中の幸いだったということです。今現在も、瓦礫の撤去作業が続いています」
聞けば、美術館の一角を包んでいた紫色の炎は水や氷の術をもってしても容易に消し止められず、鎮火に相当苦労したとのこと。
「サベル殿の炎の特性によるもの……なのでしょうね」
流護たちも昨日ジュリーから聞かされて知ったことだったが、サベルの紫炎には『万物炎上』、『完全制御』といった風変わりな能力が備わっているのだという。流護としては意味不明だったものの、ベルグレッテは驚愕していた。普通ではありえない力なのだろう。
「…………」
「……ベルグレッテさん?」
そこで押し黙る少女騎士に対し、オームゾルフが気遣うような声色で呼びかける。
「……いえ」
ベルグレッテはといえば、消え入るようにそう口にするのみだった。
(……? ベル子?)
彼女のことだ。自分たちが美術館への誘いを受けなければこんなことにならなかったのでは、と心を痛めているのかもしれない。
助け舟を出すべく、流護は口を開いた。
「つかオームゾルフ祀神長。昨日の一件で美術館が被害受けた訳ですし……これで兵士を使ってオルケスターの連中を追い込めます……よね」
先日ユーバスルラの街で出会ったガミーハのように、ここまで兵士たちはオルケスターを軽んじている傾向があった。そのような組織がある『らしい』、レノーレがそこに所属している『らしい』、と認識も曖昧だった。
しかしサベルの件で自国の美術館が明確な損害を受けた以上、法の番人たちが黙っている道理などないはず。
なのだが、
「……それについてなのですが……少々、難しいのです」
オームゾルフの返答は前向きなものではなかった。
「現時点では誰も襲撃者の姿をしかと目にしておらず、その特徴も不明……。追わせるには情報が乏しく、そのうえ美術館を包んでいたのはサベル殿の炎……。その、申し上げにくいのですが……彼に原因や過失があるのでは、と考える者もおり、兵たちの動きが鈍いのです」
「な……」
思わず言葉に詰まる流護だったが、そこでもう一方の件について言及する。
「なら、エドヴィンの方は? 地面が割れてたりとか、色々あったみたいすけど」
「そちらの件については、近くの民家などでも争った形跡が見つかっています。窓が割られ、壁や柱に小さな穴が穿たれていたと。庭には、斧や仕切り版、薪、その他に奇妙な小さい金属の欠片のようなものが落ちていたそうで……」
「? 奇妙な金属の欠片、すか?」
「ええ。……あっ、そうでした。ちょうど今朝、報告を受けた際にその実物を預かっていたのでした」
ハッとした顔で言ったオームゾルフが、自らの神官服の衣嚢をごそごそと探る。
「こちらです」
机上に出された包み紙を開いて、流護とベルグレッテは同時に息をのんだ。大きさは三センチ程度、縦長で黄金色をしたそれは――
「これ、薬莢じゃねーか……!」
「やっきょう?」
愕然とした流護の呟きを、オームゾルフがたどたどしく反芻する。
「間違いねえ……。エドヴィンをやった奴は……ハンドショットを使ってやがったんだ……!」
今更ながら、背筋がゾッとした。
エドヴィンは、『拳銃』を持った相手と対峙していたのだ。一命があっただけでも、奇跡に等しいのかもしれない……。
そして、問題はその相手。
流護が昨年末ジャックロートの街で対処に当たった折のように、どこからかハンドショットを入手したチンピラの可能性もある。
しかし、今の現状……サベルがオルケスターに襲われたであろうことを思えば、その組織謹製の武器を持った相手が何者であったのかは――
「これでハッキリしたろ。まず間違いなく、エドヴィンを狙った奴もオルケスター……これで本格的に捜査できるよな!?」
「いえ、難しいわ。リューゴ」
そこで差し込まれるのは、少女騎士の否定の言葉。
「え? 何でだよ、ベル子」
「オームゾルフさまは、ハンドショットについてご存じでしょうか?」
「ハンド、ショット? ですか? 聞いたことがあるような、ないような」
「オルケスターが扱う武器なのですが……」
「申し訳ございません、武器の類については不勉強でして……」
すまなそうに小首を傾げる聖女の面持ちを見て、ベルグレッテが流護へ向けて続ける。
「この『ヤッキョウ』は、『正体不明の物品』としてオームゾルフさまに提出されている。つまりバダルノイスでは、レインディールやレフェほどにハンドショットが認知されていないの。であれば、その危険性を説いて捜査に繋げることも難しい」
「いや、だってよ、ようは拳銃だぞ? やべーに決まってんじゃんか……!」
しかしきっと、ベルグレッテの言う通りだ。レインディールやレフェでは実際にハンドショットを用いた犯罪が起き、その危険度が認識され始めている。しかし何も知らない者からしてみれば、その脅威のほどは理解できないだろう。
流護はかつて、実際にそういった反応を目の当たりにしている。
『何だぁ? そんな玩具が何だってんだぁ!?』
去年、訪れたジャックロートの街角で現場に居合わせた住民たちのように。
そして、
『えーと、レオ。何回も言うようだけどさ……。あのハンドショットは危ねえ武器なんだ。今回はたまたま外れたからいいけど、もしまた遭遇した時は……』
『分かってる。大丈夫だ』
『本当に分かってんのかな……』
ハンドショットを構えた敵にまるで臆さず突っ込んでいった勇敢な青年、レオのように。
「…………、」
ここでオームゾルフに「とにかく危ない武器だから捜査をしてくれ」と頼み込むことも可能ではあるだろう。しかし、指令を下された兵士たちが真剣に取り組むかどうかはまた別の話だ。彼らはハンドショットを知らなければ、見てもいないのだから。
流護の渋面を見て思うところがあったのか、バダルノイスの指導者たる聖女は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ひとえに、私の力不足によるものです。私に、皆を率いるための断固たる力があれば……」
そう落ち込まれては、文句も言いづらい。というより、他国の王という立場の人間に下手に出られては、さすがに何も言えなくなってしまう。
王とは、絶対者なのだ。そんな存在が他者、それも遥か目下の余所者に頭を垂れるなど、本来ならば絶対にありえない。
流護も長い異世界生活を経て、そういったグリムクロウズ流の常識が身についてきたところだった。
だからこそ、
「……オームゾルフさま」
その直後に発せられた、ベルグレッテというこの異世界の住人であるはずの少女騎士の言葉は、
「無礼を承知で発言いたします」
あまりにも――
「私は……このバダルノイスの王宮内に、オルケスターと通じている者がいると踏んでいます」
ブッ飛んでいた。
『常識的』に、あまりにも。
あなたの国の中に、城の中に、犯罪者と繋がっている人間がいます。
こんな発言をする余所者など、大概の王はその場でひっ捕らえるだろう。
しかしベルグレッテは、全く怯まず堂々と言い放った。
「――――」
バダルノイスの指導者たるオームゾルフはといえば、顔を真白にして目を見開いていた。
当たり前だ。
おかしくはない。
ここでこの温和な聖女が激昂し、兵士たちを呼び、流護たちを拘束しようとしたとて、何らおかしくはない。そんなセリフだったのだ。
しかし、
「…………さすがはベルグレッテさん……、やはり、そこへ行き着きましたか……」
ふ、と表情の緩んだオームゾルフの口からは、そんな言葉が零れ落ちていた。
「……昨夜、私も思い至ったのです。あなたがたが移送を断ったことには、何か理由があるはず。であれば、もしや……と」
告げられたベルグレッテは、小さくコクリと頷くのみだった。分かっていた、とばかりに。
(……、なんつー……)
流護としては、高所の吊り橋でどうにか転落を免れた心境だった。
が、ベルグレッテは分かっていたのだ。自分たちが移送を断った理由を、オームゾルフならば察しているはずだと。両者ともに、「この相手ならばここまで考え至っているはず」。そうした前提を元にしたやり取りだった。
「……無礼極まる発言、失礼いたしました。ですが現状、そのように考えると筋が通るのです」
そう深々と頭を下げるベルグレッテに対し、聖女は肩書きに恥じぬ優しげな笑みを返す。
「いいえ。はっきりと仰ってくださって、むしろ胸のすく思いがいたしました。なにせ、私の方からは申し上げにくいことですから……」
それはそうだろう。薄々感づいていても、自分から切り出すには憚られる。自国の中に裏切り者がいるかもしれない――知っている誰かが敵かもしれない、など。
君主によっては、見て見ぬふりを通してもおかしくない案件だ。
「ベルグレッテさん。率直にお尋ねしますが……その者の目星はついておられますか?」
真剣そのものといった聖女の面持ち。核心ともいえる問いに、
「……いえ。さすがに、そこまでは」
答えた少女騎士の声には、悔しさが滲んでいるようだった。
「……そう、ですか」
オームゾルフの返答も静か。知っている誰かの名前が出ずに安堵したのか、裏切り者の正体が掴めず落胆したのか。そのどちらとも取れる、淡い表情。
しばし、気まずくなるような静寂が場を包む。
そんな空気を変えようとしたのだろう。
「……ところで、リューゴ殿。お話は変わってしまうのですが」
そこで少年は、オームゾルフの青銀色をした美しい瞳が自分をじっと見つめていることに気付く。
「そのお鼻は、どうされたのです?」
「あ、これは……」
言うまでもない、メルティナに鼻骨を曲げられたその名残である。迅速な治療術のおかげでほぼ回復しているが、まだ痛みも引いていないため、今もまだ綿紗を貼りつけたままだった。
軽くその辺りの事情を説明すると、
「! メルティナと遭遇したのですか!?」
オームゾルフは半ば腰を浮かし、これまでにないほどの驚き顔となる。
(あ、そっか)
考えてもみれば当然だ。流護自身、逃走中の彼女と遭遇して驚いた。しかも、そこにいた理由が『聖礼式に参加するため』である。国を挙げて追われている人間のやることとは思えない。
これらの話は昨夜、ミガシンティーアにもしていない。今この場で聞かされた聖女が驚愕するのも無理はなかった。
あらましを聞かされたオームゾルフが思案顔となる。
「あの子が……聖礼式に……。そうですか……アントロジ殿が何者かに襲われ、儀式を妨害されたとのことでしたが……彼女の仕業ですか」
「その……アントロジ殿という方は、どのような人物なのですか? なぜメルティナ氏は、儀式の妨害を?」
ベルグレッテの問いを受けたオームゾルフの表情が、わずかに曇る。
「……アントロジ殿は、五番街で行われた今回の聖礼式を執り仕切っていた司祭です。彼はかつて、前王の側近でした。メルティナは、先の王とその関係者を……ひどく嫌っていますから」
流護の脳裏に、昨日の『ペンタ』の言葉が甦る。
『けれどダメ。ダメよ、ダメ。許せない。よりにもよってアントロジなんかが進行を取り仕切ってるとはね。キュアレネーに対する冒涜だよ。どの面を下げて祝詞を語ってるんだか。我慢できずに、つい撃っちゃった』
かの白き『ペンタ』にしてみれば、先王とその取り巻きは幼い自分を戦場に駆り立てる切っ掛けとなった元凶。バダルノイス衰退の原因となった存在でもある。そんな連中の一人が神聖な儀式を取り仕切っていたとなれば、狙撃したくなるのもやむなし……なのだろうか。
「それで、そのアントロジ殿の容態は……?」
ベルグレッテの慎重な問いかけに、表情も晴れぬオームゾルフが答える。
「無事です。命になんら危険はありませんでした。本人自身、何が起きたのか理解できなかったと証言していたそうです。儀式の最中……不意に腹痛を覚え、そのまま倒れ込んでしまったと」
医務室に運び込まれ、診察を受けた結果、脇腹の一部が赤く腫れていたという。ここでようやく、何者かによる攻撃を受けたのではないか、との推測がなされたそうだ。
(ま、普通の人間にはまず見えんだろうしな、あの射撃……)
実際に対峙した流護としては納得するばかりだった。
「……それにしても……メルティナは、どのようにして皇都に……?」
美しい顔にかすかな皺を寄せながら、聖女は苦しげに呻く。
「俺が遭遇したときは、変装……っつか、一昨日とは違った格好してましたよ。実際、すぐにメルティナとは分からなかったし……レノーレもそうだったけど、ちょっと服装とか髪型変えられると普通に気付かんかも」
流護の言葉に対し、オームゾルフはかぶりを振る。
「通常の街中であればそうかもしれません。しかし今は厳戒態勢中。雪によって街道の行き来も制限され、各都市の出入り口では兵たちが検問を敷いております。やりすごして侵入することなど不可能なはず……」
自分で零した言葉を切っ掛けに、彼女はさらに深く考え込んでいったようで、
「……彼女は今も皇都に……? それとも、もう脱出している? そもそも、どうやって入り込んで……~~っ!」
そこでオームゾルフがやや乱暴に自分の髪を掻きむしったため、流護たちは少し驚いてしまった。
「……、失礼。……はしたないところを、お見せしてしまいましたね……」
取り繕うその笑顔は弱々しい。
「……昔から……そうでした。あの子には、振り回されっぱなしで……、いつだって、一枚も二枚も私の上を行く。私はただ、その背中を追うばかりで」
「……、あの子、とは……」
ベルグレッテの怪訝そうな問いに、聖女は淡い表情で微笑んだ。
「ああ、すみません。メルティナのことです」
「オームゾルフさまは、メルティナ氏とは古くからの……?」
「ええ。彼女はキュアレネー神教会にとっても重要な人物ですから。学生時代、寮の部屋でともに暮らしていたこともあるんですよ」
懐かしそうに目を細めた表情で分かる。その日々はさぞ楽しいものだったのだろう、と。
「あれほどの力と経歴を持ちながら、まるで驕らず……それどころか、いつになっても少し子供っぽいところがあって。……彼女は、私にないものを全て持っていました。詠術士としての力量、包容力、度量、洞察力、美しさ……。私が彼女に唯一勝っていたのは、座学の成績のみ。実生活では何ら役には立ちません。私は昔から、あの子のことが羨ましくて。でも」
胸に手を当てて、心からの微笑みで。
「妬ましいとは思わなかった。ただただ、憧れました。誇らしかった。彼女は対等な親友だと言ってくれたけれど、私はいつも彼女の背を追いかけて……。ふふ、今もこうして……一国の指導者として『追いかけて』おりますけど」
力ない告白とともに、聖女の可憐な唇から溜息が吐き出される。
そこで流護はふと気付いた。
「あれ? オームゾルフ祀神長……メルティナと友達なら、通信術で連絡を取ったりとかできないんですか?」
一国の王と、逃亡中の『ペンタ』が実は親友同士。そしてこの世界には、通信の術なる便利な能力もある。
「ふふ。ええ、もちろん試みましたよ。かれこれ百度以上は」
「あ、やっぱりそう……、ん? ……百度?」
笑顔とともにサラリと言われたので思わず聞き逃しそうになり、慌ててその部分を拾う。
「メルティナの失踪が発覚してから、百度以上は通信術を飛ばしています。けれど、一度たりとも応じてはくれませんでした。ふふ。『君が困っているときはいつでも助ける』なんて格好のいいことを言っていたのに。逆に、私を困らせるんですから。相変わらずのお転婆で、手を焼いてしまいます。……ふふ、ふふふ」
美しいはずの聖女の笑みには、なぜだか黒く恐ろしいものが感じられた。
「……、~~ッッ」
何やら見てはいけない一面を目撃したというか、地雷を踏んだ気分になってしまう流護であった。そんな少年の表情に気付いたのか、彼女はこれまでの清楚な笑顔に戻って。
「と、いうのはともかく。彼女は通信を『切断』していることも多く……そもそも遠方にいる場合、私の技量では届きません。……もっとも、このような状況です。近場にいたとしても、通信に応じるようなことはないでしょう……。雪撫燕、とはよく言ったものです……」
ふう、と聖女は大きな溜息をつく。
「……オームゾルフさま、疲れておいでではありませんか?」
遠慮がちなベルグレッテの言葉から、一拍の間を置いて。
「……はい。疲れております」
『真言の聖女』は、隠すことなくそう口にした。
「成さねばならぬことは山積みで……しかし、それらはどれ一つとして容易いものでなくて。王に就任して以降、己の力不足を噛み締める毎日です」
遠いものを見つめるような眼差しで。
「……レインディールのアルディア王は、民から絶大な支持を受けるお方と聞き及んでおります。きっと、人の見本たるような……素晴らしいお方なのでしょうね……」
消えてしまいそうなオームゾルフの顔を前にして、流護は考えるより先に喋り出していた。
「いや、そうでもないっすよ」
「え?」
「え?」
麗しき女性二人の視線と言葉は、全く同期して遊撃兵の少年へと向けられた。
「あの人結構適当だし、下ネタばっか言うし、ガサツなおっさんのテンプレ――見本って感じで。間違っても王の鑑、って感じじゃないです。まあでもなんつーか、皆をぐいぐい引っ張っていく強さっつーか、強引さっつーか……そういうのがある人なのは間違いないすね。俺はこうしたい! いやこうする! だからお前らもついて来い! みたいな。一言で言うと、雑なんすよ」
「リューゴっ」
まあ、考えるまでもなく無礼な物言いだったろう。レインディールで城のお堅い方々が聞けば、血相を変えるほどには。やはり窘めてくる生真面目な少女騎士であるが、
「でも、ベル子もぶっちゃけそう思うだろ?」
「…………、っ、おっ、思わないわよっ」
「とまあ、ベル子もそんな風に思ってる人なんですよ。アルディア王って」
んなっ、と眉を吊り上げるベルグレッテをよそにオームゾルフへ振ると、しばしポカンとしていた聖女はふふと顔を綻ばせた。
「……そう、ですか。ふふ。……強いお方、なのですね」
どこか、救われたような。何かが吹っ切れたような、それでいて儚げな笑顔だった。