416. 原点への飛翔
わざと家から目を逸らしていたモノトラは、急速接近する熱源反応を感知した。
(おっと、来やしたねぇ~)
逃げず攻撃に出たか、と咄嗟に顔を庇いつつ振り向く。
「…………」
腕の隙間から油断なく窺うもしかし、自分目がけて火球が飛んできているようなことはなく。
ドサリ。
モノトラの意識を引いたのは、すぐ脇の木から雪が落ちた音だった。
「……」
反射的に目を向ける。
散った葉の代わりに枯れ木が宿すのは、こんもりとした多量の雪。積もりすぎたそれらが重みに耐えかねて落ちた――と、モノトラは考えなかった。
枝の一部より立ち上る、かすかな白煙を目にしたから。火の術が着弾した証に気付いたからだ。
「――」
すぐさま家へと顔を向けたモノトラが目にしたのは、
「――! フ、フフヒッ、お兄さん、馬鹿でやしょう!?」
裏口から飛び出し、一直線に突っ込んでくるエドヴィンの姿。
その両手で、薪割り用の斧を盛大に振りかぶって。
互いの距離、目測にして十マイレ弱。それなりにハンドショットの扱いに慣れた人間であれば、外すような間合いではない。
モノトラは構えた凶器の引き金を、極めて冷静に三度引いた。
乾いた砲声が寒空に木霊する。
三発、その全てが命中。どてっ腹、胸、そして顔――を覆う形で大きく振りかぶっていた斧持ちの右腕。
「――――」
そして即座に、モノトラは違和感に気付く。
二発着弾した胴体から、全く血が出ない。
右腕からは赤い飛沫が舞ったが、同時にそれとは別のものが撒き散らされた。
(! 木片――……!?)
千々に散る、砕けた木の切れ端。
(……そうか、薪、でやすか)
上着の袖の内側で腕を覆うように仕込み、即席の小手としたのだろう。
しかし、
(腹を括ったその思い切りは認めやすが……そいつは浅知恵でやすよ)
そんなもので、ハンドショットから放たれる弾丸は防げない。激しく飛び散った赤色がそれを証明している。
そしてそれは、一見して出血がない胴体についても同じこと。
「が、ふっ……!」
一直線に突っ込んでくる途中だったエドヴィンは、勢いを減じて千鳥足を踏んだ。唇から顎先を、一筋の鮮血が伝う。
直後、彼が羽織るこんもりした上着の隙間から、一枚の鉄板が雪上に落下した。
作業場か倉庫辺りから持ち出し、懐に忍ばせていたのだろう。仕切り板と思わしき銀色の長方形には、小さな窪みがふたつ。そして、転がり落ちる弾が同数。
「無駄、でやす」
確かにそれを胴に仕込んだことで、直接的な被弾こそ避けられたろう。
だが、衝撃は殺し切れない。
いかに硬い兜で頭部を覆ったとて、棍棒で脳天を殴られれば無事では済まない。それと同じ。
金属板を容易に凹ませる威力。その窪みが肉体を穿つ。
「がふっ……、は、は、」
しかし撃たれたエドヴィンは、
「ハァ――ッハハハハハハハァ!」
ふらつきながら、死に体になりながらも斧を携えて前進した。止まることなく特攻した。
その目に、狂喜と勝利への確信をたたえながら。
一点だけ、モノトラが想定すらしていないと思われること。
ベルグレッテなら、それを戦略へと組み込んで有利に立ち回るだろう。流護なら……そもそも、ハンドショットの弾すら避けてしまうかもしれない。
生憎エドヴィン・ガウルには、彼らのような頭脳も力もなかった。
だから、こうするしかなかった。
「~~~~ッ……!」
撃たれた。命中した。
右肘は粉砕。胸元、腹の感覚がおかしい。骨が折れたのかもしれない。衝撃などまるで緩和されなかった。否、されてこの激痛か。意識が明滅する。
――だが、勝ち取った。
(三、発……!)
撃たれた三箇所が軋みを上げる。
そう、間違いなく三箇所が。
ハンドショットの装弾数は三。
撃ち尽くしたなら、詰め直さなければならない。
だから、とにかく三発撃たせる。
どうにか凌いで突っ切る。
それが、エドヴィンの作戦だった。
否――作戦と呼ぶには粗末すぎる、自殺行為に等しい『何か』だった。
噂に聞いた謎の武器。その欠点ともいうべき部分。天轟闘宴で実際に目撃したベルグレッテや、実物をその手で押収した流護から聞いている。
加えて、エドヴィンは自分で目の当たりにしている。居間の窓から狙ってきたモノトラが、三発までしか撃ってこなかったことを。それ以上の追撃はなく、何やら武器をいじっていた。あれは弾を吐き出し尽くし、込め直していたのだ。
最初に二階のバルコニーで狙撃されたときも同じ。砲声は三度だった。
そして、モノトラは知らないはずだ。
ハンドショットは一度に三発までしか放てない。その欠点に、エドヴィンが気付いていることを。世間的に謎めいた武器のその特徴を、街の悪童程度が知っているなどと思うはずがない。
それを前提に突っ込んでくるなど、想像だにしないはずだった。
(殺ったぜ、コラァッ……!)
どうにか死なずに、倒れずに到達できた。完全に得物の間合い。ここまで迫れば、再装填の暇など与えない。そしていかに身体能力に秀でていようが、モノトラは少なくとも格闘術の達人ではない。向こうの素手より、斧のほうが長い。先に届く。
ほとんど倒れ込む勢いで肉薄したエドヴィンは、残る左手一本へと斧を持ち替え、横一閃する。
「……………………」
そこから先の光景が、エドヴィンにはやけにゆっくりと感じられた。
慮外。想定外。
そういった驚きの表情が、モノトラの顔に浮かぶ――――ことはなく。歪んだ面相をしたこの男は、まるで動じた様子もなくハンドショットを放り捨てた。
(――――な)
直後、ヴォンと空気を震わせる耳慣れない異音。
(何……だ、……!? こりゃあッ……!?)
エドヴィンはただ目を見開く。
モノトラの右手に、白く輝く光の剣が現れていた。
セプティウスに備わる基本兵装。
遠距離戦用のハンドショット、そして接近戦用のレーザーブレード。
モノトラは特に動じることもなく、適切な武器の使い分けを行った。
(おやぁ~? と、思ったんでやす)
その違和感は、ハンドショットを取り出して二階のバルコニーにいたエドヴィンを撃った瞬間のこと。
(反応が『良すぎた』んでやすよ、お兄さん)
視認不可能な速度で弾丸を撃ち出すハンドショット。遥か東国の高名な詠術士ですら、仲間を何人も倒され、なおかつ自分が撃たれるまで、その仕組みに気付けなかったという兵装。
しかし見るからに頭の鈍そうなこの青年は、ハンドショットの矛先を向けられた途端に身を屈めた。
(知ってやしたんでしょう? このハンドショットという武器を)
別段、不思議には思わない。
すでに型落ちの代物だが、結構な数を世にばら撒いている。今や、街の悪童が知っていてもおかしくはないほどに。かつてない強力な射撃を可能とする未知の得物。話題性は抜群だろう。
だからおかしくはない。
この悪童が性能を詳しく知っていたとしても。三発撃ったなら装填しなければならないことを知っていたとしても、何の不思議もないのだ。
(で、撃ち切った隙を突きたかったんでやしょうが――)
ヴォン、と無機的な風切り音。
(意図が読めていれば、驚きやしやせん)
重量の概念を持たない光の刃は、死に体の青年が片手で振り回そうとしている斧より遥かに速かった。
(度胸は見せやしたね。そこは褒めやしょう)
カッ、と乾いた響きを残し、斧が――木拵えの柄が半ばから難なく両断される。
驚愕に見開かれるエドヴィンの瞳。
一方のモノトラに感慨はない。
レーザーブレードは、ハンドショットと並んでオルケスターを代表する武装。薪割り用の貧相な斧など、干戈を交えることすら許さない。
「終わり、でやす」
バオン、と無機的な音を発した閃光。
脳天をかち割らんと迫る軌跡。剣術の心得がない非力なモノトラですら、人体を容易に裂くことができる光の刃。
「ぐ、う、オオオォォォォ――ッ……!」
咄嗟に身を翻すも、完全に避けることは叶わず。
その光尾が、エドヴィンの左肩から右脇腹へかけて真白の線を引いた。
斬った、とモノトラが確信し。
斬られた、とエドヴィンが認識した。
モノトラが読み勝ち、エドヴィンが読み負けた。
それがそのまま勝敗に繋がった――――はず、だった。
「……、……!?」
されど、その驚きは両者同時。
エドヴィンは倒れなかった。
光刃がなぞった肩口から腰にかけて、茶色の上着から白煙と焦げた臭いが吹き上がる。上衣の生地が断ち割られ、エドヴィンの肉体に確かな傷と痛みを刻む。
「――――ッ、……!?」
エドヴィンは間違いなく斬られた。バッサリと。
だが、
(お……俺……、生き、て……ッ!?)
光の軌跡に沿って焼けつく痛み。が、浅い。両断されていない。致命傷には程遠い。踏み止まることすらできた。
斬りつけ振り抜いたモノトラも、左右非対称の瞳に明らかな驚愕を浮かべている。
何が起こったのか。
両者ともに理解できないその瞬間。エドヴィンの脳裏に甦ったのは――、
『その服、バダルノイスでも北の方にしか住んでない熊の毛皮が使われてるそうで、ちょっとした鎧より頑丈なんだー、ってお父さんが言ってました』
『夫は仕事柄、遠出をすることも多かったですから……。防具としても扱える品を奮発して買ったんです』
「ウ、オ、アアアアアアァアァァッ!」
迸るは『狂犬』の咆哮。
今は、考えを巡らすべきときではない。命を奪い合う刹那の領域。舞い降りた機を拾えない者は死ぬだけ。
「――、ち!」
エドヴィンの左手に渦巻いた炎を目の当たりにしたモノトラは、戸惑いながらも追撃へ移行しかけていた動作を中断。両腕で顔を庇う。
その身体は平服の下に着込んだ防具で隈なく覆われており、唯一露出している頭部さえ防御してしまえば、深刻な損害を受けることはない。
「ウオラアアアァァッ!」
至近距離から放たれたエドヴィンの炎球が、がら空きとなったモノトラの腹部に命中した。
しかし、その成果といえば黒煙が派手に吹き荒れるのみ。
そもそも奥の手たるスキャッターボムですら無傷で弾かれる以上、エドヴィンに切り崩す術はない。
エドヴィン・ガウルには、モノトラに対して有効打を与える手段がないのだ。
「ゥルアッ……!」
――だから、躊躇なく実行する。
雪の大地を蹴り、全力で突っ込む。頭から、身体ごと。
目眩ましの煙幕を盾に、エドヴィンは体重を乗せた渾身の体当たりをぶちかました。
「な……ッ!?」
モノトラの口から漏れた呻きも無理からぬところだろう。
「こいつは何をしているのか」。そう思ったに違いない。
何しろ、二人の小競り合っている場所は丘の上の住宅地。その端の高台。眼下に皇都の街並みを望める、下まで二十マイレほどもある切り立った断崖。
モノトラの腰に取りついたエドヴィンは、そのまま押し切るように大地を蹴る。
腹までの高さしかない粗雑な柵をぶち破って、二人は中空へと放り出された。
手足がどこにもつかない浮遊感の中で、
「バッ……カかアァッ!? テメエェェ――――!」
これまでにないモノトラの表情と絶叫に対し、
「――あァ、よく言われるぜ……!」
『狂犬』は牙を剥き出し、ただ純粋に凶悪に笑った。
――自由落下。
仰向けのモノトラ、上からのしかかる形でエドヴィン。
崖から飛び出した二人がまとめて落下する。
「う、お、ぉぉおおぉぁ――……ッ!」
寒空に尾を引くモノトラの悲鳴、それこそが証明だろう。
この高さから地面に激突したなら、いかにこの防具を身につけていたとて無事には済まないのだと。そのうえ、露出した頭から落ちようものなら一巻の終わりだ。
「……ハ、ハッ」
一方のエドヴィンは、下から吹きつける烈風を浴びながら笑う。
――どうにか、達成することができた。
裏庭の崖からもろともに落ちて、敵を確実に地面へと叩きつける。追い込まれた家の中で固めた方針。これこそが狙いだった。
自分にこの男を倒す力はない。
なら、状況や環境を利用する。鈍い頭を必死に回し、悪知恵を働かせる。これまでにも散々やってきたこと。毎度毎度穴だらけな我流のケンカ殺法。とにかく勝つための作戦。あとのことは二の次。
……今回に至っては、自分の身の安全すら『二の次』に含まれてしまったが。
(やっぱ、なれねーよ……俺は)
地表へ吸い込まれていく加速を感じながら、つくづく思う。
卑怯だ。姑息だ。詠術士にふさわしくない。
それがどうした? 勝てばそれでいい。負けたら意味がない。
そんな風に考えるようになったのは、いつからだったろう。
努力を重ねていた『彼』がミディール学院の門を潜れなかったと知ったあのときか。品行方正で腕の立つ騎士が背後から怨魔に襲われ、無残な肉塊と化した場面を見た幼少時代か。
(イヤ……、)
関係ない。理由なんて求める意味もない。
エドヴィン・ガウルは、ガイセリウスや有海流護のようにはなれない。肉体ひとつ、拳ひとつで全てを蹴散らす英雄にはなれない。
その真実は、やはり覆らない。
だから、
(俺は――俺らしく! やらせてもらうぜぇッ!)
ただ、原点へ立ち帰る。
勝ちを渇望する、餓えた狂犬。無謀、卑怯、無茶苦茶。それでいい。他の何かになろうとする必要などなかったのだ。
速度を増す自由落下。あっという間に目前へと迫る、凍った石畳。
「この、離――っ……!」
下になったモノトラが身をよじり、
「言われんでもよ――離してやらぁッ!」
その腰に取りついていたエドヴィンが、突き放すように左手から火球を発射する。
――無人の住宅街に、石畳を粉砕する爆音と振動が響き渡った。
もし近隣の家々に人がいれば、何事かと一斉に飛び出してきたに違いない。
炸裂した火の球、その勢いに後押しされる形で背中から硬い地面に激突したモノトラ。
術を放った体勢のまま、左肩から石畳に叩きつけられたエドヴィン。
一瞬の大音声、その余韻が鳴り渡る中で舞い散る石の破片。
そして――、漂う土煙とともに横たわった男が二人。
……聖礼式によって誰の姿もない住宅街は、再び元の静寂を取り戻した。