415. 歪なる処刑者
幼少時代、暇さえあれば虫をいたぶり殺して遊んでいた。
最初の頃は楽しめていたが、それも繰り返せば飽きてくる。
次第に、より強い刺激を求めるようになっていった。小さな相手から、大きな相手へ。無抵抗な相手から、抗おうとする相手へ。虫が小動物へ、やがて大きな動物へ。
最終的にその対象が人間の弱者へと行き着くまでに、それほど時間はかからなかった。
(さしずめ……蝸牛、でやすかねぇ)
眼前の民家を眺めながら、モノトラは遠い昔を思い起こしていた。
蝶だの飛蝗だのといった虫を殺すのに飽きてきた頃、次の標的にしたのが蝸牛だった。
危険を感じたら、背負った殻に閉じ籠もる。それを殻ごと叩き潰してしまうのは無粋というものだ。いかにして引きずり出し、的確に痛めつけるか。その試行錯誤に夢中となった。
モノトラは今この状況に、そんな当時の光景を重ねていた。
(蝸牛……でやすよねぇ)
民家という殻に引っ込んだ、ひ弱な詠術士。
強引に、力で倒してしまうのは野暮の極致。恐怖に縮こまっているだろう相手を、外側から的確に射抜く。
これは戦闘ではない。あの頃と同じ処刑なのだ。
少年時代のようにのんびりと執行を楽しみたいところではあったが、あまり時間をかけてはいられない。
ミュッティを待たせているうえ、組織の迎えを待っている状況。
(あと五分ぐらいで終わらせたいでやすねぇ)
家の回りをぐるりと歩きながら、自分の中で制限時間を定める。
(~~っと、寒いでやすねぇ)
家々のすぐ裏手が崖際となっており、遮蔽物がないためか、凍えるような北風が容赦なく吹きつけてくる。寒い、というよりは顔が冷たい、と表現するのが正しいか。
(さすがに、セプティウス一式を着込んでで街を歩く訳にはいきやせんからねぇ。まさかこんな事態になるとも思いやせんし)
本来であればヘルムと呼ばれる兜まで含めてのセプティウスであるが、さすがに完全武装で街中を歩いては目立ってしまう。
(まぁ、そのための『簡易型』でやすがね……)
現在モノトラが身に纏っているのは、セプティウス・リーヒルトと呼ばれる簡易兵装だった。
極限まで薄く仕上がったそれは平服の下に装着することを前提としており、初期型のような腕部の格納庫も存在しない。ゆえに武器は別途用意する必要があり、防御能力や性能も最新型と比較したなら数段劣る。
飽くまで簡易型。能力より汎用性を重視した代物。
だが、そこはオルケスター製。
戦闘能力で劣る分、このセプティウス・リーヒルトには特殊な機能が内蔵されていた。
まず、温度調節機能。
暑さや寒さを寸断するため、このバダルノイスの環境下であっても、快適に外を歩くことができる。さすがに丸出しの顔や耳はジンジンと凍りつきそうだが、そこは致し方ないだろう。
そして何より特筆すべき点として、センサーと呼ばれる熱源感知機構が搭載されていた。
(でやすから……小細工を弄しても無駄なんでやすよ)
襟元のボタンを押し込むことで起動するそれによって、半径三十マイレにいる人間の大まかな位置を検知できる。任意の対象に絞り込むことも可能だ。近づくと、首回りの緩衝部が微細に振動する仕組みだった。
(この入り組んだ街並みを利用して、あっしの裏を掻こうとしてたみたいでやすが……丸分かりでやす)
待ち伏せようと回り込もうと、位置は全て筒抜け。そして今は、家の中から反応が検出され続けている。ブルブルと首回りの内装が震え続けている。確実にこの中にいる、と判別できるのだ。
(仮にあっしの目を盗んで家から脱出できたとしても、すぐにバレやす)
建物から反応が離れれば、即座に気付く。見つけ次第、ハンドショットを撃ち込んで終わりだ。
もっとも、相手は詠術士。向こうにも反撃の手段はある。特にあの、いきなりどてっ腹に叩き込まれた術――雪玉に紛れて投げ込まれ、右腕を弾かれた術。あれだけは要注意だ。頭にでも受ければ死にかねない。
(でやすが……あれがヤツの切り札。連発できないのは明らかでやす)
警戒すべきはあの技のみ。それも頭に食らわなければ問題はない。
もっともその程度は抗ってもらわなければ張り合いもない、とモノトラは考える。
(おやぁ~? さすがに、かなり警戒してるみたいでやすねぇ……)
反応は屋内から出続けている。次々に窓から屋内を覗き込んでいくが、相手の姿はない。先ほどの居間のように撃たれないためか、窓から見えない位置に移動したらしい。
(ク、ア、ハハハ。あんな見た目のくせに、根性なしでやすねぇ)
もう少し撃ち合ってくるかと考えていたモノトラとしては、やや拍子抜けだった。
(ま、そんなもんでやすよね~。大概の詠術士ってのは。自分が優位に立っているからこそ……己の安全が保障されているからこそ、相手を撃てるんでやす)
モノトラは詠術士ではない。
さしたる魂心力も授かることなく生まれた、いわば『持たざる者』である。
底辺を這う半生だった。術の才能に溢れた者から見下され、虐げられ。
貧しい家に生まれたこと、容姿に恵まれなかったことが、その境遇に拍車をかけた。
幼少時代、モノトラは毎日のようにいじめられていた。相手は同じ子供だが、詠術士の卵などと持ち上げられた連中。実力的にも立場的にも敵わない。
ある日、遊びで術をぶつける的にされ、顔に大ケガを負った。何日も生死の境をさまよい、どうにか一命を取りとめた。
しかし、当たりどころが悪かったのだろう。頬骨や鼻、唇、そして目元が歪んだまま、戻らなくなってしまった。
ただでさえ醜いと蔑まれていたモノトラは、より嫌悪や嘲笑の対象となった。
加害者は貴族の子息――それも宮廷詠術士の家系だったため、大した咎めを受けることすらなかった。
それは、世の摂理。
(弱い奴は、ただ潰されるだけ……強い奴は、何をやっても許されるんでやす)
強者が弱者を蹂躙する。自分も、その摂理に従っただけだ。
(そして、あの日から……あっしは)
それは人生の転機。
(なったんでやすよ……『強者』に)
こすい盗みを繰り返し、時には自分より弱い物乞いを殺して端金を奪い、日々の鬱憤を晴らして。
そのようにして各地を転々とし、どうにか食い繋いでいたある日。
『モノトラといったな。俺と行こう。お前のその渇望は、きっと未来を成す力になる――』
現オルケスター総団長補佐、デビアス・ラウド・モルガンティとの出会いが、掃き溜めに伏していた男の世界を一変させた。
紆余曲折を経て、扱うようになった。
セプティウスやハンドショットという、全ての先を行く超技術の産物を。
そして今や、並の詠術士など恐るるに足りぬ相手となった。
そのようにいざ『強者』となって、気付いたのだ。
詠術士が以前の自分を足蹴にしていたのは、反撃を恐れる必要がなかったから。確実に勝てる相手――危険のない相手だから、好き勝手な仕打ちができた。
オルケスター加入以降、直接的な荒事に立ち合うことも多かったモノトラだが、敵対した詠術士たちはことごとく同じ。勝ち目がないと悟るや否や、恥も外聞もなく無様に逃げ出す。許しを請う。
(あっしは……耐えてましたよぉ~)
逃げる場所も、抗う術もなく。顔をこんな風にされても、ひたすら耐え忍んだというのに。
(あっさりケツまくって……逃げてんじゃねえぇでやすよおぉ~根性なしどもがよおぉ~~)
殺した。
腰抜けの詠術士どもを、数え切れないほど殺した。
――そして、今日もまた一人。
いかにも悪ぶった風体の小僧。格下に対してのみ粋がるだろう真の弱者を、この手で処刑する。
(コソコソ惨めに隠れて……そんなに命が惜しいでやすかぁ~? 度胸を見せやしょうよ、度胸をよぉ~~)
一階部分の窓から内部を見て回ったが、相手の姿はない。
(怖がる必要なんてありやせんよ~。貴方も……皆も、このあっしも……最終的には同じ場所へ行き着くんでやす。彼女の下へと……)
センサーの反応は家の中から出続けている。細かな位置が特定できるようなものではない。振動の強さから、あくまで装着者が判断しなければならない。
(二階……? いや、その可能性は……なくもないでやすが、低いでやすね)
上に戻ったところで逃げ道はない。窓から出られないこともないだろうが、庭の積雪はほとんどバルコニー脇にかき集めたのか思ったより薄く、飛び下りるにはやや高い。
無人の団地は真夜中さながらに静かで、下りるためにガタガタやっていれば物音は避けられない。
機を見計らって、一階の戸口なり窓なりからこっそりと脱出する以外にないのだ。
仮にまだ戦意が挫かれていなかったとしても、
(……押しすぎるのも逆効果……さっさと片付けたいでやすし、延々と待ちの姿勢になられても面倒……ここは引いてみやしょうかね)
モノトラは壁回りから少し離れて、建物の全景が視界に収まる程度まで下がった。
何の変哲もない、二階建ての家屋。
とはいえ、モノトラが生まれ育ったあばら家とは比較にならないほど立派だ。城下町の中心地に住まうからには、それなりに裕福ということか。
(ま、そんなご立派な家も今は蝸牛の殻……ひいては墓場となりやすが)
家から距離を置き、大回りに外周を歩く。
断崖に面した裏庭から、遥か下の街並みを眺めた。
白雪にまぶされた異国の風景。空は常に曇天、風は身を切るように冷たい。一年の半分を雪に覆われる厳しい気候。一時的な滞在ならまだしも、永住など御免だ。
(ったく……面倒な仕事でやしたが)
幾度もの災厄に見舞われ、疲弊し切った北方の小国。そんな僻地で自分に課せられた大きな任務が、ようやく完結しようとしている。
(ちょいと時間は掛かりやしたが、これで――)
首の緩衝部に伝わる振動が、やや不規則に変わった。獲物が動きを見せた証だ。
(ほぅら、掛かりやしたよ)
モノトラはほくそ笑んだ。
押してダメなら引いてみる。
ハンドショットの矛先を突きつけながら家に張りかれたのでは、向こうも竦んでしまい動きづらかろう。
ならば、あえて自分から隙を見せる。
家から離れ、目を逸らし、油断していると思わせる。そうすれば何らかの動きを見せるはず、との思惑は、面白いほどピタリと的中した。
――して、考えられる相手の行動はふたつ。
この隙に玄関方面から逃げ出すか。それとも、窓辺から術を撃って反撃に転じるか。
(さぁて、どっちでやすかねぇ~?)
後者であれば、愚かな選択ながらも見上げた根性と評してやるべきだろう――
(……?)
と、いつでも撃てるようハンドショットの引き金に指をかけたまま家を振り仰いだモノトラは、訝しんで眉根を寄せた。
(……妙、でやすねぇ)
誰の姿もなかった。しかし依然として、建物内から検出され続ける信号。
逃げる気配はない。かといって、攻撃術が飛んでくるでもない。
確証はないが、センサーの反応からして家の中で何やら動いている。
(怖じ気付いて外に出られないでやすか? ……いや……)
相手がいかに有象無象だろうと、油断は禁物。
裏社会では慢心した者から死んでいく。この点、暗い過去を持つモノトラは誰より慎重といえた。
(……奴は、『知っている』……とすれば)
ここまでの対峙にて、モノトラはとある確信を抱いていた。
(何か策がある、ということでやすかね)
左右非対称に歪む眼を細めながら、冷静にそう結論した。
(さて……準備完了だぜ……)
珍しく頭を使った。
そして、かつてないほど冴えている。
一階の裏口、その扉の陰に隠れながら、エドヴィンは自身を褒め称えていた。
考えは見事的中した。この家をくまなく探索した結果、思った通りのものが見つかった。馬鹿の汚名返上だ、と自画自賛せずにいられない。
(後は……)
確かに冴えている。しかし同時に、震えるほどの緊張が身体を這い上がってくる。
あとは、ぶちかますだけ。
「……、」
戸口をわずかに開き、隙間から外を窺う。
エドヴィンのいる位置からは直線距離で十五マイレ程度か。
白く染まった裏庭に、ぶらぶらと佇むモノトラの姿。
(野郎、どーいうつもりだ……?)
なぜ家から離れ、わざわざ見通しのいい場所に突っ立っているのか。
(そーやってこれ見よがしに離れりゃ、俺が逃げ出すとでも思ったか? それとも……攻撃してこい、ってか?)
どちらにせよ、完全に舐められている。
実際のところ、彼我の戦力差は明らかだ。が、
(……俺が『何も知らない』と思ってんだろ? ナスビ野郎……。『知ってんだ』ぜ、俺はよ)
エドヴィンは偶然ながら、この戦局を左右し得るある知識を備えている。さすがにモノトラは気付いていないはずだ。
(さーて……始めっかよ……!)
自らを鼓舞すべく息を吸い、エドヴィン・ガウルは勝負に打って出た。