413. 寒空の下の無法
人の気配が感じられない雪の街中。
舗装された道の中央に立つ、季節感を無視した薄着の男。
一見すれば際立った外見的特徴もない、貧相な顔つきと身なりの人物。
オルケスターの構成員、モノトラと名乗ったその男と対峙したエドヴィンは、まず動揺を押さえ込むのに必死だった。
(お、落ち着けってんだよ。スキャッターボムが効かなかったのは、奴が下に着込んでる防具のせいだ……)
それにしても奇妙だった。
レインディールの兵士や騎士を見ても一目瞭然だが、普通は衣類の上に防具を宛てがう。当たり前だ。
しかしこのモノトラは、平服の下に何らかの防具を装着している。着膨れすることなく、それと感じさせることなく。スキャッターボムが直撃した腹部、破れた布の裂け目から覗く光沢を見れば、その点についてはまず間違いない。
しかし、そこまで薄く強靭な代物が存在するのか。
そんなエドヴィンの疑問は――直後、より大きな驚愕をもって塗り潰されることとなる。
「それじゃあ、今度はあっしの番でやすよぉ~」
歪に笑ったモノトラ、その姿が膨張した。
「なッ――!?」
膨張と錯覚するほどの接近速度だった。石畳に硬く張りついた積雪をものともせず、モノトラはおよそ十マイレほどの距離を瞬く間に駆け抜け、エドヴィンへと一挙肉薄した。
「――」
言葉を発する暇もない。
ただ、愕然とした。
まるで有海流護のような、馬鹿げた脚力。そしてかの遊撃兵を彷彿とさせたのは、その走りだけに留まらなかった。
モノトラが右の拳を大きく振りかぶる。まっすぐ打ち放つ。その一連の動作までもが、段違いの速度。
そんな一撃をエドヴィンが避けられるはずもなく、
「が、――!」
左頬に突き刺さる硬い衝撃。勢いのまま、『狂犬』は盛大に殴り飛ばされた。
「ぐ、ごはっ……!」
躍るように横回転しながら、雪で覆われた石畳へ大の字となって倒れ込む。
「一丁上がり、でやす~」
右腕を振り抜いたまま、歪んだ顔の男が見下ろしていた。
(なん、だ、コイ……ツ……)
ぐわんぐわんと揺れる頭で、エドヴィンはどうにか考えを巡らせる。
貧相な外見からは想像もできない速さ。力強さ。身体強化の術でも使っているのか。それともまさか、これが素の実力――
「トドメ、でやすよ」
無造作に歩み寄ってきたモノトラが右足を浮かす。平然と落とされた顔面への踏みつけを、
「ぬぁッ!」
エドヴィンは咄嗟に転がって回避した。
「おや~、まだ動けやすか」
足裏で石の地面をガギンと踏み叩いたモノトラが、意外そうながらも余裕綽々に笑う。
「はぁ、はッ……」
一方のエドヴィンは、頬にひりつく痛みを感じながら――口の中に広がる血の味を噛み締めながら、どうにか片膝立ちで起き上がった。
「おぉ~。しぶといでやすね、お兄さん」
「ヘッ……」
確かにモノトラの拳は、エドヴィンの身体能力で避けられるようなものではなかった。
だが、
(何だっけか……、テレフォンパンチ、とかって言ったか)
それは、流護から聞きかじった体術の知識。腕を引いて大きく振りかぶった状態から放たれる拳を、そのように呼ぶのだという。ちなみに以前、エドヴィン自身もそうなっていると指摘された。どうしてそんな名前なのか由来も聞きはしたが、いまいち理解できなかった。
殴るために振りかぶるなど当たり前のことだと思う『狂犬』だが、かの遊撃兵によれば違うらしい。とにかく隙が大きく、読まれやすいとのこと。
これまでの殴り合いで考えたことすらなかったが、その話を聞いて以降、エドヴィンも念のため意識するようにはなっていた。
(来る、ってのは分かった。どうにか『外せた』ぜ……)
圧倒的な速さで襲いかかってきたモノトラだったが、腕を大きく弓引いた時点で、拳が飛んでくると予測できた。本来であれば鼻っ柱に叩き込まれて終わっていたところを、辛うじて『頬で受ける』ことができた。
『そりゃどこ殴られたって痛いんだけど、特に鼻の辺りと顎は要注意な。最悪、それで終わっちまうから。どうしても避けられないって時は、額か頬。覚悟決めて顎引いて、何とか気合入れて受けるんだよ』
前者で受ければ、逆に相手の拳を破壊できる可能性もあるという。が、やはり意識的に目の近くで受けることは恐怖感が先立って難しい。自然と後者になった。
とにかくそんな遊撃兵の言葉を教訓に、こうして生き残ることができたといえる。しかし、
「お兄さん、ケンカ慣れしてそうでやすもんねぇ。でも、あと何発耐えられやすかね~?」
醜悪に笑うモノトラの言葉通りだ。
今の一撃はどうにか乗り切ったものの、もう一、二発もらえば終わりだろう。口の中は切れ、歯の根も怪しくなっている。次は命が砕けても何ら不思議はない。
「……ペッ」
赤の混じった唾を吐いたエドヴィンは、立ち上がりながら敵を睨んで笑った。
「あと何発耐えられる、だぁ?」
犬歯を剥き出して、凶悪に。
「当てられるつもりかよ、ナスビ野郎」
捻りもない挑発だったが、効果はあったらしい。モノトラの左右非対称な形の眼が、わずか不快げに歪む。
「……ったく、『あの小娘』といい、目上の人間をナスビ呼ばわり……育ちが悪いでやすねぇ……。ったく、分かりやせんねぇ~。今ので、お互いの実力差なんて理解できやしたでしょうに」
「あぁ、理解できたぜ」
ボッ、と右手に炎を灯し、
「俺の勝ちは動かねーってよォ!」
投げつけた。至近の間合い、赤い尾を引いて一直線に飛ぶ火球。その狙いはモノトラの顔面。
胴体は異常に薄く頑強な何かで守られている。そしておそらく、
(腕と足も、だ)
黒い手袋に包まれたモノトラの拳。実際に殴られて感じたが、硬い。硬すぎるのだ。鈍器のようだった。明らかに素手ではない。
そして躱した結果、石畳に落とされた踏みつけの音。ガギンと、妙に金属的な響きが混じっていた。一見して黒っぽい靴を履いているように見えるが、それはレガースのような武装だ。
このモノトラは、全身を隈なく金属質の防具で覆っている。
そんなにも薄く平服の下に装着できる代物があるのかと不可解に思うばかりだが、そう考える以外にない。
ならば狙うのは、唯一明確に露出しているその部分。
「おっとぉ」
モノトラが顔前で両腕を交差し、飛んできた炎の塊を防ぐ。一撃は派手に火の粉と黒煙を撒き散らし、虚空へと霧散する。
「……あっしこそ理解できやしたよ。お兄さんが、どうしようもないお馬鹿さんだってことがね――、って、あれぇ?」
火球の余韻が消え、モノトラが視線を戻したそこに。
つい今ほどまで対峙していたエドヴィンの姿は、影も形もなくなっていた。
「おやぁ~……? 逃げやしたか~」
無人となった道端で佇みながら、モノトラは嗤う。
「見事な退きっぷりと褒めるべきか、大口叩いておいて無様だと笑うべきか……。でもとにかく無駄でやすよ~、お兄さん」
モノトラが首筋に指先を宛がうと、「ピッ」と無機的な音がした。
「貴方は……絶対に、あっしから逃げられやせん~~」