403. 計らい
場所は、オームゾルフに推薦された高級料理店の一角。
おそらくは本来、それなりの身分の者たちが利用する場所なのだろう。
雑多で賑やかな酒場や大衆食堂などとは一線を画す、静かで洒落た気品が満ちる店内。普段であれば、流護にはまるで縁のなさそうな店だった。
「わー、いい香りだわ~」
ジュリーが満面の笑みで机上の料理たちを眺めた。
特に絶品なのはスープパスタだそうで、彩り豊かなそれらがテーブルに所狭しと並んでいる。そして、
「こちら、バダルノイスに伝わる白雪冷茶となります」
女性店員が丁寧な手つきで、皆の目前にそれを並べていく。
すでに豪勢な料理は運ばれてきていたが、ここで食前に出されたその飲み物に流護たちは注目した。
透明で小さなグラス。流護なら二、三口で飲み干してしまえるだろう。そこに注がれているのは、
「すご、キレイに真っ白……。これがお茶なの?」
ジュリーの問いに、品のよさげな店員は「左様です」と落ち着き払った口調で答える。
「当店では食前に一杯、この白雪冷茶をお飲みいただくことをお願いしております。体内に溜まった澱を浄化するとともに、料理をより美味しくいただける効能がございます」
「へー……」
先のジュリーではないが、見事なまでに純粋な乳白色。平凡な感覚を持つ流護としては牛乳にしか思えないところだ。
「以上となります。ごゆっくりどうぞ」
慣れた所作で一礼した店員が、音もなく去っていく。
「では、いただきましょうか」
このような高級店に慣れているのだろう。店員の言に従うべく、ベルグレッテが白雪冷茶の入ったグラスを掲げ、最初に一杯――
「って、ちょっとエドヴィン……!」
「あ?」
眉を吊り上げる少女騎士と、顔を上げる不良学生。
「どうして先に食べちゃってるのよっ」
そう。皆が白雪冷茶の入ったグラスを片手にする中、エドヴィンだけはさっさと食事を開始してしまっていた。
「茶なんざ後でいーだろ。俺ぁ腹減ったんだよ」
「もうっ、こういう場ではちゃんとしなさいっ」
苦笑しつつ、流護とジュリーは白雪冷茶を口へ運ぶ。
「!」
そして二人は期せず、同時にカッと目を見開いた。
「冷てえ! そしてうめえ!」
「ほんっと……! おいし~い!」
すっきりと冴え渡る味わい。そして、氷が入っていないにもかかわらずキリリとした冷たさ。
「……! ん、ほんと。おいしい……!」
遅れてグラスに口をつけたベルグレッテも、驚いたように瞬きを連続させる。
これなら料理も多いに期待できる。
その予想は外れることなく、一行はそれぞれ多種多様なフルコースに舌鼓を打つのだった。
「いやー、タダでこれだけおいしいものご馳走になれるなんて~。こんな豪華なお食事、コーディアルメタルを売り払ったとき以来よね!」
王宮に似た荘厳さすら感じさせる内装を見渡しながら、ジュリーがご満悦な笑顔で
サベルに微笑みかける。
「うーん……よかったのかしら、ほんとに……」
真面目さんのベルグレッテは申し訳なさそうに紅茶をすすり、
「ウマいっちゃウマかったけどよ、お上品すぎて俺にはちょいと合わなかったな」
開幕から食事作法も無視して遠慮なしに食べまくったエドヴィンがぬけぬけとそんなことをのたまい、
(うん。旨かったけど、ぶっちゃけ少なかった……つか中途半端に食ったら余計に腹減ったぞ……)
この世界では規格外の大食らいに分類される流護は、物足りなさに腹をさする。
ともあれ五人はそれぞれ、食後の弛緩した空気に浸っていた。
「んー、それにしても……このお茶おいしいわ~」
ジュリーが自分のカップにポットの中身を注ぐ。
それは食前にまず一杯飲むことを推奨された白雪冷茶だ(エドヴィンは無視したが)。
「ウマいすよね、これ」
流護も空腹を紛らわすため、先ほどからずっと胃に注ぎ込んでいる。
食前の一杯以降は好きなようにもらって構わないので、折を見て適当に飲み続けていた。のだが、
「ベル子は飲まんの?」
少女騎士は先ほどから、いつもと変わらず温かい紅茶ばかりいただいている。
「え? うん、まあ。そのお茶もおいしいんだけど、その……冷たいから、身体が冷えちゃって……」
冷え性な彼女は、自らの肩を抱くようにして苦笑した。ちなみに、最初の一杯しか飲んでいない。
「うう……夏だったら、遠慮なしにいただくんだけど……」
「おう、そういやベル子はそうだったな……。ってことは、サベルも実は冷え性なのか?」
「ん? 俺かい?」
ベルグレッテだけではなく、彼もこのお茶には手をつけていなかった。
実は食前の一杯も作法を守るべく口元まで持って行ってはいたが、すぐに戻している。おそらく飲んでいない。
「いんや、俺は単純にニオイがな……。材料にエンメリーフが入ってるって聞いて納得したんだ。実は、個人的に苦手でな」
身体によさげな薬効成分がどうのこうの、といったものが色々入っているそうだが、サベルの場合その中のひとつがどうにも受けつけず飲めないらしい。
「んー、残念よね。エンメリーフがダメな人って、サベル以外に見たことないのよ~」
「そーなんすか」
サベルは匂いが苦手だというが、そもそも流護としては全く何の香りもしないように思える。
「たしかに驚きましたけど、好き嫌いはそういうものですよね」
ベルグレッテの反応からしても、かなり珍しいことであるらしい。
そして――白雪冷茶を最後まで飲まなかった人物が、もう一人。
「エドヴィンは……まあ……」
「あぁー?」
そしてふんぞり返って腹をさする『狂犬』である。
彼の場合は腹が減ったと最初からドカ食いしたため、飲み物が入らなくなったのだ。
「いや、このお茶うめえよって話」
「腹ァ膨れたしよ、茶なんざいーや別に」
いつも通りの傍若無人である。
「まったくもうっ……」
生真面目なベルグレッテ委員長はおかんむりだ。
「さァて、これからどうするかね?」
サベルが肩肘をつきながら一同の顔を見渡す。
「せっかくもらったんだしー、これ行きましょーよ」
白い冷茶をすすったジュリーが懐から取り出してひらひらさせるのは、バダルノイス王立美術館の無料招待券だ。オームゾルフから各自がそれぞれ一枚ずつ渡されている。
ちなみに美術館は、ここから徒歩で十分ほどの距離。この店で食事を堪能し、腹ごなしがてら歩いて向かう、というのが富豪の嗜みなのだとか。
オームゾルフは学生時代、級友たちとよく訪れたらしい。
「美術館ねぇ……。俺ぁてんで興味ねーんだが、太っ腹なこった。このメシにしろ、何でここまですんのかね。向こうにしてみりゃ、俺らは仕事しくじったヨソ者だろーによ」
理解できないとばかりに肩をそびやかすエドヴィンに、
「印象の問題だろうな」
サベルがおかわりの水をグラスへ注ぎながら答える。
「エドヴィンの坊やが言う通り、俺らは余所者だ。だからこそ、期待通りの結果が出なかったからって『用済みだからお帰りください』と無下に追い出しちゃあ心証が悪い。国家として小さく力も弱いバダルノイスにしてみりゃ、無用な悪評は避けたいんだ。ましてベルグレッテ嬢なんて、大国レインディールのロイヤルガードだからな。下手に扱おうもんなら、国家間の関係にも軋轢を生みかねん」
「だから客として招いた以上は、それなりにお持て成ししておこうーってことね」
むくれたジュリーに頷きつつ、サベルは少し寂しげな顔となる。
「あとは……純粋に、バダルノイスの健在を主張したいって気持ちもあるんだろう」
「健在を主張? どういう意味っすか?」
ややピンとこない言い回しに感じた流護が尋ねると、
「今の話とも通じるが、バダルノイスってのは『滅死の抱擁』やら氷精狩りやら、何かと危難に見舞われてきた国だ。それでもどうにか踏ん張って、ギリギリのところでこうして長らえてる。その辺りの事情は外の人間も知ってるからな、下手に同情されたくないんだろう。バダルノイスはまだまだ健在、元気一杯だって言いたいのさ。実際に俺らを街に送り出して、この国の良いところを見せたかったんじゃないか――と、俺は思うぜ」
「はあ、なるほど……」
災害によって甚大な被害を被った地域が、復興に注力しかつての姿を取り戻そうとしている。そういった活動と同じなのだろう。
「随分と知った風に言うじゃねーか、サベルの旦那よ」
エドヴィンがからかうように言うと、
「いやな、俺たちの故郷も似たようなもんだったのさ。もちろんバダルノイスとは違って、最初から何もねえ寂れる一方のド辺境だったんだが、少しでも人を呼ぼうって領主が色々やり始めてな。結果としてそれなりに人は集まったが、何もやってくるのが善人だけとは限らない。手頃な獲物を探す悪党に目を付けられることにも繋がった」
「あたしたちの住んでた村は、それで山賊に襲われてなくなっちゃったー、ってワケね」
苦笑するジュリーとは裏腹、さしもの『狂犬』も彼らの思わぬ過去に触れることになってしまったと後悔したか、
「イヤ、そいつぁ悪かったな……」
とすまなそうに謝った。
「なァに、昔の話さ。あの事件がなけりゃ、名うてのトレジャーハンター『紫燐』と『蒼躍蝶』は生まれなかった――って、こないだも話したっけか。さぁて、それより美術館だ美術館。ちなみに、俺はワリと興味がある。トレジャーハンターとしちゃ、思いもよらんお宝が見られるかもしれんからな」
「そうね。それにサベルと一緒に美術館だなんて、久しぶりでステキだし~」
相も変わらず仲睦まじい二人を前に、レインディール組三人の少年少女は顔を見合わせる。
レノーレの件が振り出しに戻ってしまったのだ。正直なところ、のんびり観光を楽しむような気分でもない。
……と考えたのは、やはり生真面目な少女騎士も同じだったのかもしれない。
「申し訳ありません。私は少し、別行動を取らせてください」
ベルグレッテが控えめに、それでいてはっきりとそう主張した。
「おっと、そいつは残念だ」
サベルが肩を竦めるが、
「いえ、後ほど合流しますので、ひとまずお先に向かっていただければと。私はせっかく首都へやってきたので、この機に少しでも情報を集めておきたいと思いまして……。幸いこの近くに兵舎があるようですから、少々そちらに立ち寄ってから向かおうと考えています」
「ふむ、成程な。何なら俺たちも付き合うが?」
「お気遣い感謝いたします。ですが兵舎は美術館と逆方向みたいですから、やはり一足先にお向かいください」
「そうか、分かった。それなら遠慮なく」
レノーレに関する情報を集めつつ、オームゾルフからの厚意も無駄にはしない。サベルたちにも負担をかけない。ある意味ベルグレッテらしい、律儀な選択といえるかもしれなかった。
「そいじゃ、少年らはどうするよい」
「うーん、美術館なあ……」
流護としてはエドヴィンと同じく、正直あまり興味がない。もちろん、現代日本でも修学旅行以外で行ったことはない。
改めてチケットを取り出し、まじまじと眺めてみる。
時間は朝の十一時から夜の八時まで、バダルノイス歴史展が開催中、と記載されていた。まだまだ時間にも余裕がある。
「そっすね、俺は――」
ベル子に付き合うっす、と続けるより早く、ぐぎゅるるる~、と珍妙な異音が轟いた。
当人の意向すら遮って響き渡ったそれは、盛大な腹の虫。格調高いラインナップだけでは到底満足できなかった少年の胃が、更なる食糧を求めて渇望の叫びを上げていた。
「す、すっごい音だったけど……大丈夫? お茶飲みすぎたんじゃない?」
腹を壊したとでも思ったのか、ジュリーが心配そうに尋ねてくるほどだった。
「いや、その、なんつーか……腹が減りましたね……」
「おいおい、俺たちが今どこで何をしたばかりだと思ってんだ」
サベルの苦笑はもっともで、流護は「いやあお恥ずかしい」と腹をさする。ともあれ、足りないものは仕方がない。
これ以上食べるつもりなら自腹となる。が、ここは高級料理店。そもそも、上品なセレブが皿にちょこんと盛られた希少な一品を摘んで意識の高そうな会話を楽しむような場所だ。おかわりを要求する店ではないし、そんなことをしたらどれだけ高くつくかも分からない。
そんな訳で、ここは予定変更せざるを得なかった。
「あー……、すんません。俺、その辺でもうちょい何か食ってから合流するっす」
そうして流護もやむなく別行動を申し出ると、
「そんじゃ、俺も一旦適当にブラついてくらぁ。ヨソの国なんて、そうそう来れるもんじゃねーしな。ま、後で適当に落ち合えばいーんじゃねーか」
エドヴィンも手をひらひらと振りながらそう答えた。美術館に興味がないことに加え、サベルとジュリーの恋人コンビに一人だけついていくとなると気まずいところだろう。
一時間後に美術館前で集合と決めて、各自それぞれに別れるのだった。




