402. 会議と、喜なる騎士
閑散とした広めの部屋だった。
室内の中央に大きな白の円卓、椅子の数はちょうど十。集まった皆が座り、空席は三つ。
流護とベルグレッテの他には、
「……眠ィな、ったくよ」
あくびを噛み殺している、ミディール学院の『狂犬』ことエドヴィン・ガウル。
パンチパーマ風の頭髪と、全方位にケンカを売って歩いているような剣呑極まりない面立ちはいつも通りだが、普段と異なるのはその身なりだ。
ミディール学院指定のブレザーではなく、ダウンジャケットに似た大人っぽい上着を羽織っている。ハルシュヴァルトで出会った際からずっと着ているものだ。流護としては彼が選びそうにないシックな一品と思えるが、あれこれ詮索することでもないだろう。
「まだ眠ーい。カラダも痛ーい。サベルに寄りかかってないとダメかもー」
「おっと。しょうがない奴だな、ジュリーは」
隣り合って座る、仲睦まじい男女。
短く逆立った臙脂色の髪と精悍な顔立ちが特徴的な青年、サベル・アルハーノ。
その恋人で長く波打つブロンドヘアとミニスカ生脚へそ出しレザー装備が目に眩しい美女、ジュリー・ミケウス。
各地を点々とするトレジャーハンターの両名だが、今は紆余曲折あってバダルノイスへやってくる直前から流護たちと行動をともにしている。
そして――
「皆さん、早朝からお集まりいただき感謝いたします」
ゆったりした白いローブに身を包み、権威に比例した最長の神官帽を被った美女が、集まった皆の顔を見渡し一礼する。
エマーヌ・ルベ・オームゾルフ。神々しささえ感じさせる銀色の聖女は、キュアレネー神教会の元高僧にしてバダルノイスの現統治者でもある。
以上六名は、昨日と同じ顔ぶれ。
そして今日はもう一人、初対面となる人物が同席していた。
白く華美な軽装鎧を纏った男性騎士で、年齢は二十代後半といったところか。寝癖のようにボサボサとハネた茶色の髪が特徴的な、座っていても背が高いと分かる青年だった。
雑な髪型のためか野暮ったい印象を受けるものの、目鼻立ちはすっきりとしており、少し身だしなみに気を遣えば相当な美男となるだろう。この場に現れて以降、その口元には一貫してかすかな笑みが浮かび続けていた。
「ミガシンティーア、皆様にご挨拶をお願いいたします」
隣に座るオームゾルフに促され、その優男が軽く頭を垂れる。
「……クク。どうも皆さん。私はミガシンティーア・エルト・マーティボルグ。『雪嵐白騎士隊』に所属しております。隊長の命でしてね、騎士として一応の顔出しといいますか、本日の会議には私が同席させていただきます、ククク」
「……『雪嵐白騎士隊』……」
思わず呟いた流護へ、ミガシンティーアが意味ありげな流し目を寄越す。
「クク。話は伺っておりますよ、リューゴ・アリウミ殿。……でしたな? 貴方が。ウチの隊長はあの通りですから、たまには貴方のように衝突する方が現れるのも良い刺激となるでしょう、クククククク」
騎士は長躯を丸めるようにして、小刻みに肩を揺らした。妙に卑屈そうなその笑い方が、どうにも恵まれた容姿に似合っていない。
「それでは早速ではございますが、昨日の件について皆さんからもお話をいただきたく存じます――」
切り出したオームゾルフに答える形で、流護たちはそれぞれ昨日の出来事を報告していく。
ようやくレノーレと接触、説得するも失敗。
逃げようとした彼女へ追いすがるも、突如現れたメルティナの妨害に遭い蹴散らされてしまった。
(……うーん、よくよく考えてみるとボロクソだな……)
わざわざ招聘を受けてまで助太刀した結果がこの有様である。期待していたであろうオームゾルフに対し、少し申し訳なくなってしまう流護だった。
眉根を寄せて思案顔となる女王に対し、横からミガシンティーアが差し込む。
「ククク……オームゾルフ祀神長としては、何とも複雑なお気持ちといったところですか。切り札のつもりで呼んだ助っ人方でもメルティナには及ばず、しかし一方で我が国の『ペンタ』がそれだけの力を有している証ともなった」
「ミガシンティーア。そのような言い方は……」
「クク、おっと失礼。ちなみに隊長は珍しく声を上げて笑っておりました。どこの馬の骨とも分からん連中にヤツが止められるはずなかろう――と。クク、プ、フフハハハッハハ」
そこでムッとしたらしいジュリーが、目を細めて食いつく。
「期待外れの馬の骨でごめんなさーい。やられたのは事実だもの、言い訳はしないわ。でもそれなら、最初からその隊長さんとやらが出張ればよかったんじゃないかしら?」
麗女の言を受けて、ミガシンティーアは「おっと」と肩を竦めた。
「ククッ、気分を害されたなら失礼。飽くまで隊長、我らが隊長であるスヴォールンの意見です。私はそのようなこと、微塵ほども思っておりませぬよ。おりませぬとも、ええ。クク」
「……ふーん。本当かしら……」
端々に奇妙な笑い声を挟むミガシンティーアの話しぶりに、ジュリーはどうにも疑わしさを隠せない様子だった。
流護としても「何だこの人……」といった心境であるものの、
「クク、本当ですとも。むしろ私としては貴女と同じ意見です。対応できるだけの力があるのですから、隊長がやればよい。……のですが、それは認められません。両者が衝突すれば、必ずどちらかが……最悪、双方ともが失われることは必定。それはバダルノイスにとって致命的な損失となります。ですな、オームゾルフ祀神長」
「……ええ」
同意を求められた聖女も、渋々といった面持ちで頷いた。
(スヴォールン……か)
レノーレの腹違いの兄にして『雪嵐白騎士隊』の長。
流護としては極めて居丈高で傲慢といった印象の人物だが、少なくともその実力は周囲が認めるものであるらしい。
「そうだ、オームゾルフ祀神長。昨日の件から、ちょっと気になってることがあるんですけど」
メルティナといえば、ひとつ見過ごせない仮説がある。流護は急くように身を乗り出した。
「あのメルティナって人、結局はああして生きてた訳っすよね。ってことは、レノーレの犯行動機って成り立たなくないですか?」
「……と、言いますと?」
「レノーレは、母ちゃんの記憶喪失を治すためにメルティナと『融合』するつもりなんじゃないかって考えられてましたよね。でも……実際にはメルティナはああして生きてた。『融合』してなかった」
「……なるほど。レノーレが『融合』によってレニン殿を治療しようとしている――という前提、そのものが間違っているのではないか、と仰るのですね」
「そうっす」
自信を持って頷く流護だったが、聖女の表情は晴れない。
「順序の問題、とも考えられます」
「順序……っすか?」
「『融合』とは、一度施したなら後戻り叶わぬ禁忌の技法。ゆえに、目的を達成する確証が得られぬうちは実行を控えている……といった可能性も考えられます。たとえば、レニン殿を奪取できるまで『融合』はしない――といったように」
「そう……なんすかね。でも、それだと……」
「?」
「いや、失敗しといてこんなこと言うのもアレなんすけど……昨日は、レノーレ捕まえるまであと一歩だったと思うんです。あそこでメルティナが乱入してこなきゃ、絶対に成功してた。レノーレにしてみりゃ、相当ヤバい状況だったはずなんです」
「確かにな」
と、そこで同意したのはサベルだ。
「あの路地で、リューゴとベルグレッテ嬢を前にしたレノーレ嬢は……確かに一瞬、観念したようにも見えたな」
もっともおそらく、レノーレのそばにはメルティナが絶えずついていた。あの入り組んだ街並み――建物の屋根や屋上を渡り歩き、遥か俯瞰から兵団の動向もろとも観察していたのだろう。
こちらがいつ捕縛にかかろうと、あの氷の『ペンタ』は女主人公さながらの絶妙なタイミングで親友を助けたに違いない。
ただ少なくとも部屋でベルグレッテと話したように、レノーレ自身はメルティナの救援を予期していなかったように思える。
この二人がどういった考えの下で行動しているのかは不明だが、ともかく流護はやはりどこか腑に落ちないとの思いで続ける。
「レノーレにしてみりゃ、母ちゃんを何とかするまで絶対に捕まる訳にはいかないはずなんだ。そんな状況なのに、『融合』を先送りにして昨日みたいに追い込まれるってのは、なんからしくないっていうか……」
兵団の――バダルノイスの目的は、メルティナの奪還にある。
レノーレがさっさと『融合』してしまえば、メルティナを取り戻すことは物理的に不可能となるのだ。そのうえレノーレは、生半可な追手など寄せつけない圧倒的な力を手にすることができる。
未だにそれをしていないということはつまり、
「そもそもレノーレの目的は、メルティナとの『融合』や母ちゃんの治療じゃない。……って可能性も、あり得るんじゃないかと俺は思うんです」
一瞬の静寂が部屋を包み込んだ。
「……ふむ」
神妙な面持ちとなるオームゾルフとは対照的に、ミガシンティーアが高い上背を屈めて含み笑う。
「クク、仮にそうだとするなら少しばかり面白いですな。前提からして考え直す必要が出てくる」
「では、ベルグレッテさん。あなたはどのようにお考えでしょうか?」
聖女の視線を受けた少女騎士は、難しそうに眉を寄せる。
「リューゴの見解にも一理あると思います……が、なにぶん情報が少なく、まだはっきりしたことは言えない段階であると愚考いたします」
現在のところは如何様にでも考えられる、と少女は主張する。
例えば昨日のような過ちを繰り返さぬよう、今頃は『融合』に踏み切っている。あるいはメルティナの命と引き換えになる外法に踏ん切りがつかず、施術を先送りにしている。あるいは流護の推測通り、実はレノーレの犯行動機からして的を外れている。
即ち、まだ誰も知らない何かがこの件の裏には潜んでいる。
そもそも『融合』自体、相性や適正がものを言う行為だったはずだ。レインディール王都テロを仕掛けてきたあのノルスタシオン、その一員で複数の属性を駆使したブランダルという男は、『成功例』だったという。
必ずしもレノーレがメルティナの臓器に適合するとは限らない。自分の代わりに適合する別の人間を探している、という可能性もありえるだろう。
ともかく現状では、いずれとも考えられるのだ。
「レノーレ嬢たちの行方については?」
「不明です。今のところ、手がかりもございません……」
サベルの問いに、オームゾルフは無念そうな顔でかぶりを振った。
「そうか、そいつは申し訳ない……。やはり昨日の時点で、俺たちが押さえられればよかったんだが」
「クク、気に病みなさるなお客人。相手は『ペンタ』、常人の手に負える存在ではないさ。昨日の作戦は、レノーレが単独であることを前提としたもの。メルティナが出てきたとなれば話は別。彼女に抗えるのは、スヴォールン……彼や一部のような……突き抜けた才を持つ者だけでしょう。クク、ク、クククク」
低く笑うミガシンティーア。それをサベルに対する侮辱と感じたか、またもジュリーが柳眉を吊り上げた。
「何よあなた。さっきから、何がそんなにおかしいわけ?」
「おっと失敬、気に障ったなら申し訳ない。私は、何事も笑ってしまう性質でしてね。弁明させていただくならば……我がマーティボルグ一族には、そういった業を宿す者が多いのです。言うなれば……『血』なのです。『血』ですから、どうにもならぬのです。どうかご容赦を。クク、クククククク」
まともに取り合うだけ無駄と判断したか、それ以上ジュリーが突っかかることはなかった。諦めたように肩を竦めるのみ。
「クク。このような際、いつも思いますな。グリフの奴めがおれば、事はこうまで拗れなかったろうに、と。ともにメルティナを制すことも、夢ではなかったでしょう」
本当に悲嘆しているのか疑わしいミガシンティーアに反応したのは、うんざりしたような顔のエドヴィンだった。
「ケッ。メルティナ・スノウがナンボのモンだってんだよ。あんなの、黒牢石外したアリウミだったら問題なかったろーよ」
その言葉を受けて、オームゾルフが怪訝そうに流護とエドヴィンを見やる。
「ああいや、何でもないっす」
慌てて言い繕ったのは流護だった。
「何だよ、アリウミ。枷さえ外せてりゃよ、お前だったら――」
「いや、結果としてダメだったんだし、言い訳にしかならんからさ」
実力を評価してくれることはもちろん嬉しい。
しかし実際にレノーレたちを確保することはできなかったのだから、何を言っても未練がましくなってしまうだけだ。
(それに……)
仮にパワーリストがなかったとしても……万全の状態だったとしても、勝てたとは限らない。流護自身はそう評する。
(あのメルティナって姉ちゃんは……)
あの場にいた数十人の急所を一瞬で射抜くという絶技。とんでもない使い手であることは疑いようもなかった。
「なァ、そのメルティナ・スノウについてなんだが」
そこでポツリと呟くのはサベル。
「彼女を罪人として手配はしないのですかい? オームゾルフ祀神長」
オームゾルフ、そしてミガシンティーアがにわかに目を剥いた。というか、流護も驚いた。サベルは当然とばかりに主張する。
「これまでは、彼女の姿が目撃されてなかった。『融合』の礎となった『被害者』だと思われていた。だが昨日の一件で生存していることが確認できたうえ、彼女は俺たちのみならず兵団を攻撃して蹴散らした。こいつは立派な反逆行為……と、考えられなくもない。それどころか、今は例のオルケスターに与してるってことになる」
「ク、クク。なるほど……フフフ! 面白い。これは一理ありますな」
身を屈めて笑うミガシンティーアとは対照的、オームゾルフは沈痛な顔となる。
「……彼女は英雄です。世間的にそう認識されている人物――それも我が国で唯一の『ペンタ』を賞金首として手配するなどという事態になれば、民は大いに混乱するでしょう。それに……仮に手配をかけたとして、彼女が死亡することなどは絶対に認められません。となれば『捕縛』の対象と認定することになりますが、彼女を『捕らえられる』人間がいるとは思えません」
生け捕りにも技術がいる。全力で殺すほうが、どちらかといえば楽なのだ。メルティナ相手に殺さぬよう『手加減』してかかるなど、およそ現実的ではない。
「……相手が『ペンタ』となれば、挑もうと思う者は少ないでしょうし……。それにメルティナは、殺めておりません。兵士たちも……あなたたちも」
(……殺してない、か)
流護はその言葉を脳内で反芻した。確かに、昨日の作戦で死者は出ていない。ケガ人らしいケガ人すら。
「甘い処置、とお思いになられるかもしれませんが……」
「う~ん、まぁ仕方ないわよね。『ペンタ』だもの」
ジュリーが降参、とでも言うように両手を上向けて首を竦めた。
『ペンタ』の特例措置というものは、どの国でもさして変わらなそうだ――と、流護も思わざるを得なかった。
「ミガシンティーア。スヴォールンはどうしておりますか」
「クク、部屋で書類整理をすると言っておりましたよ」
しばし思案顔で沈黙した聖女は、おもむろにパンと両手のひらを打ち合わせた。
「では皆様、本日のところは皇都の観光をお楽しみください!」
満面の笑顔となったオームゾルフを前に、皆が揃って沈黙する。
「オ、オームゾルフさま……?」
おずおずと名を呼ぶベルグレッテに対し、彼女は力強く首肯した。
「皆様も、まだ昨日の疲れが癒えておられぬでしょう。事態は振り出しへ戻ってしまいましたが、沈んでいても仕方がありません。ここは気分を一新する意味も兼ねて、皆様には我らが皇都の素晴らしさを知っていただきたいのです」
「は、はあ」
前のめり気味の目力に押され、流護もついのけ反りながら頷く。
聞けばバダルノイスには美しい街並みや観光名所、寒冷地特有の獣肉や魚を扱う食事処に大陸屈指の強い酒を置いている酒場などもあり、ようは自国のいいところをこの機に主張したいらしい。
(あ、熱い地元推し……?)
流護が戸惑ったのはもちろん、
「ク、ククク。これはまた例によって唐突ですな、オームゾルフ祀神長」
ミガシンティーアまでもが若干困惑気味だった。
「飲食店などには話を通しておきます。お代はこちらで持ちますので、是非」
「い、いえオームゾルフさま。そこまでしていただくわけには……」
「いえ。この度、皆様のご都合を考えずにお呼び立てしてしまいましたから……。ずっと張り詰めたままでいても息苦しくなってしまいますし、本日のところは是非に羽を伸ばしていただきたいと……!」
皆一様に、「は、はあ」といった面持ちでオームゾルフが熱弁を振るう様子を見守る。
「今日は聖礼式の日。外部の方が街を見て回るには適した日かと。バダルノイスは厳しい寒さに見舞われる地ではございますが、素晴らしい部分も多いのです。たとえば――」
結局は聖女の妙なバダルノイス推しにより承諾せざるを得ない空気が漂い、流護たちは皇都イステンリッヒへ繰り出すこととなったのだった。




