400. ホワイト・アウト
それらの声を聞いて、流護も思考を持ち直す。
(そうか、この姉ちゃんが――)
バダルノイスに存在する、ただ一人の『ペンタ』。
窮地に陥ったレノーレを助けに現れたということか。
この包囲網の中でどこから出てきたのかと一瞬驚いたが、すぐに思い至る。上だ。
脇にそびえる工場、その屋上からここへ飛び降りてきたのだ。神詠術を駆使して空すら舞える『ペンタ』ならば、造作もない芸当だろう。
(ってことは、『融合』はしてなかったのか)
ともかく、やることは変わらない。二人ともここで押さえれば、結果は同じ。
このメルティナ・スノウがまだ生きていたことや突然現れたことには少なからず驚いたが、そういった部分はひとまず置いておく。
思考をまとめて一歩踏み込もうとした流護に、
「! おっと」
メルティナが目ざとく、素早く反応した。
「――ダメだよ、君。それ以上は」
いたずら小僧を窘める口調で、拒絶するように右手を前へ。その挙動に従い、彼女の美しい白髪がひらりと踊る。美しくも挑戦的な微笑み。自信があるのだろう。己の実力に。
「――」
粉雪が乱舞する中、刹那の領域で迫られる選択。
レノーレたちまでの距離、およそ七メートル。突っ込むか、それとも退くか。
相手は北方最強と謳われる『ペンタ』。かざされた右手のひらから、どんな術が放たれるかも分からない。
足元には数センチ程度の積雪。両手両足には、すぐ外せなかったので結局装着したままにしてきてしまったパワーリスト。
それら状況から、間合いを詰めるには二秒ほどを要するか。
『ひとつの知識として、頭の片隅にでも留め置きいただければと――』
そこでふと流護の脳裏に甦ったのは、
『メルティナが今も存命であればバダルノイスとしては喜ばしい次第ですが、同時に一つ懸念が生じます』
出立前に聞いた、オームゾルフからの忠言だった。
『彼女が無事であるにもかかわらず宮殿へ戻ってこないということは、つまり……ほぼ確実に、自らの意思でレノーレに協力しているということ』
そうだ。『レノーレがメルティナをさらった』などと言われてもいるが、そもそも
レノーレにメルティナを拘束するだけの力はない。
その状況でメルティナが生きていて帰ってこないというのであれば、彼女は自発的にレノーレと一緒にいることになる。
他のオルケスターのメンバーに監視されて戻れない可能性も否定できなくはないが、そもそも『ペンタ』にして北方の英雄とまで称される詠術士の自由を奪うことなど、そうできるものではないはず。
『そこで問題となるのは、詠術士としてのメルティナ……その能力についてです』
これまでも噂は聞いていたが、正確な情報を公式に伝えられるのはこれが初めてだった。
『彼女は、典型的な「解放」系統の使い手。しかし、その力があまりに群を抜いています。少なくとも私は、彼女以上の使い手を知りません――』
そうだ。相手は『解放』の術者。つまり飛び道具使い。退いたところで、遠距離から一方的に撃たれるだけ。逆に詰め切ってしまえば、完全に流護の支配域となる。どんな実力者だろうと、そうなれば勝負ありだ。
――つまり、今のこの状況。
あと七メートル。たった二秒で間に合う。下がってどうする。突っ込むべきだ。
行くと決断した流護は、重石の巻きついた足に力を込める。
『彼女の二つ名は「無刻」。対峙した相手に、時を刻む間すら与えない……そんな圧倒的戦果から生まれた渾名です』
その瞬間、流護は見た。
メルティナが着地した衝撃によって、ぶわりと舞い上がっていた粉雪。
それらが空中で寄せ固まり、一センチにも満たない球体を形作っていく。小ぶりの霰。もしくは、モデルガンの弾丸。そんな比喩が相応しい小粒の雪。それが十、数十、推定百――瞬きの間もなく、到底数え切れない規模へ膨れ上がっていく。
『もし仮に……彼女と、真っ向から相対してしまうことがあれば――』
『その時点で手遅れ、と考えてください』
――結論として、『真言の聖女』たるオームゾルフの忠言に偽りはなく。
七メートルはあまりに遠く、二秒はあまりに長すぎた。
「総員ッ、防――」
飛びかけたベンディスムの雄叫びをかき消し、異様な大音響が荒れ狂う。
それは、氷の弾丸が狭い路地を縦横無尽に跳ね回った音だった。
跳弾。
跳弾に次ぐ跳弾。跳弾に次ぐ跳弾に次ぐ跳弾に次ぐ跳弾。視界を埋め尽くす白い一閃の連続。その全てが、氷によって形作られた弾丸の軌跡――――
壁に、地面に、張り巡らされた配管類に、そして弾丸同士に。
撃ち放たれたおびただしい数の氷礫が反射を繰り返し、そこに存在する全てのものを利用し、速度を増す。
幾重にも束ねられた空裂く残像は、もはやその一角を白光に包み込む。
銀の尾を引くレーザービームとしか表現できないそれらが、最終的に全方位から流護の肉体へと叩き込まれていた。
「……、……ご…………、 げ はっ…………!?」
その現象に対し、何らかの思考が発生する猶予すらなく。
味わったことのない衝撃。全身へ隈なく抉り込まれる連射の嵐。
瞬間的に息が止まり、為す術なく身体が傾いていく。
「……、…………」
前のめりに、受け身も取れず。
冷たい雪の中へ飛び込む形で、流護はうつ伏せに倒れ込んだ。
格闘技に通じる者なら分かる。手をつくことすらままならない、すぐには起き上がれない。すなわち、『敗北』の倒れ方――。
(………………こ、の、……女……!?)
相手は『ペンタ』である。こういった凄まじい攻撃術も、全く想定していなかった訳ではない。
しかし何より流護が驚愕したのは、
(……ッ、間、違い……ねぇ、っ……)
撃たれた箇所。痛みを訴える部分。ズキズキと迸る衝撃。
こめかみ、額、鼻の下、耳の裏、顎先、喉、肩口、脇の下、鳩尾、太腿の外側、膝裏、脛の内側――撃ち抜かれたのは、『その全てが人体急所』。
特に、至近距離から顎部――下昆を強かに打たれたため、脳を揺さぶられた。立ち上がることすらままならない。
(こん、な……あり、……え……!)
これは、ただの物量に任せた飛び道具ではない。
凄まじい手数が正確に急所を狙い撃ってくるという、信じがたいほどの超絶精密射撃。
空手における正中線連撃すら凌駕する、恐るべき必殺の乱舞――。
(……これ、が…………)
メルティナ・スノウ。
北方最強、その実力。
しかし強力な技ゆえに、必ず隙ができるはず。
自分が囮となった間に、他の誰かが彼女たちを押さえられれば――
(……!?)
這ったままどうにか身じろぎして視線を巡らせた流護は、そこでさらに愕然とする。
自分だけではなかった。死屍累々。今の掃射によって、この場の全員が一人残らず倒れ伏していた。
「う、く……」
すぐ後ろで、ベルグレッテが。
「……ぐおっ……」
「か、は……うそ、でしょ……」
離れた位置で、サベルとジュリーが。
それよりさらに遠く、壁際にいたエドヴィンまで。
三十に迫る数だった銀鎧の兵士たちも例外なく横倒しとなっており、揃って雑魚寝でもしているかのような異常な光景が広がっている。
先ほど防御指示を飛ばそうとしていたベンディスムすらもが、巨体を仰向けて大の字となっていた。
「…………!」
メルティナとレノーレを除き、立っている者はただの一人としていない。
狙われたのは、流護だけではなかったのだ。メルティナの攻撃対象は、この場にいたレノーレ以外の全て。
信じられない惨状。認めざるを得ない。
いっそ清々しいまでの――全滅、だった。
「……メル、どうして来たの……!」
「どうしてもこうしてもないでしょ、レン。私が来なかったらどうなってたと思ってるんだ」
流護がどうにか震える肘に力を入れる最中、上から二人の会話が降ってくる。
「……だって……!」
「君の危険を見過ごすつもりはないよ……っと?」
そこでメルティナから驚きの吐息が発せられる。
「待って待って。どうして当たり前のように立ち上がろうとしてるのかな、この少年は」
辛うじて片膝立ちとなった流護を前に、北方最強の『ペンタ』は白銀の眼を見開いていた。
「……悪いな。まあまあ痛ぇし効いたけど、ウチの師匠の急所突きに比べたら屁でもねーんだわ」
ガクガクと笑う膝に力を注ぎながら、表情のうえでもニッと笑ってやる。負けず嫌いの強がりだ。
実際、威力はさほどでもない。意識外から急所を打たれたために効いたのだ。
「……この人は普通と違う。……いくらメルでも、いつもの力加減じゃ倒せない」
無表情で言うのは、メルティナの隣に立つレノーレだった。
「? レン、この少年のこと知ってるの?」
「友達よ」
訝しげに問う白の『ペンタ』に答えたのは、レノーレでも流護でもなかった。
「……ベル……!」
顔を驚愕に染めるレノーレが呼ぶ通り。
流護のすぐ後ろで倒れていたベルグレッテが、息も絶え絶えになりながら身を起こそうとしていた。
もちろん、流護と違い単純な肉体の頑丈さで耐え凌いだはずもない。レノーレとの激突のために備えていた術を咄嗟に発動し、跳弾の威力を軽減したのだろう。
「おっと、こっちの子まで……、しっかし目の覚めるような美人さんだ。いや、私も負けてないけど。君は咄嗟に攻撃術を防御に回して相殺したのか。ふむー、いい腕前だね。……って、あれ? 今、ベルって言った?」
「! も、もういい。……メル、行こう」
急かすように、話を打ち切るように、レノーレがメルティナの背中を押して歩き出す。
「待って!」
血を吐くような叫びだった。
膝をついたままのベルグレッテが、今にも泣きそうな顔で制止の声を絞り出す。
「待って、レノーレ……」
「……っ」
呼び止められた風雪の少女は、迷うように辺りへ視線を走らせる。
するとやはり、あの一斉掃射に抗おうとしたのは流護たちだけではなかったらしい。
「ぐおぉ……こいつぁ、やられたぜぇっ……」
「……この、あたしが……直撃、もらうなんて」
サベルやジュリー、
「ぐうっ……」
そしてベンディスムらを始め、幾人かの兵士たちがどうにか立ち上がろうともがいていた。
「……レインディールに、帰って。……それが……あなたたちのため」
結局、その言葉だけを残し。
レノーレは、メルティナの手を取って走り去っていく。
「……、ちょ、コラ待……」
追おうとした流護だったが、叶わず前のめりになり、冷たい雪に両手をついた。まだ足が言うことを聞かない。
「レノーレ……」
同じくベルグレッテも、立ち上がれないまま親友の名を呟く。遠ざかっていくその背中を為す術なく見送る羽目となり、力なくうつむいた。
(ベル子……)
果たしてどれほどの無念だろうか。
レノーレは、級友の……親友の少女騎士を前にしても止まることはなかった。それどころかこちらを「殺す」とまで宣言して対立。
力づくで取り押さえようとするも、あと一歩のところまで……目の前まで迫りながら、まんまと逃げられてしまった。
「……」
レノーレとメルティナの姿が街角に消えてしばらく。
「……やっと、かよ……あーくそっ」
立ち上がり、地に足がつくことを確認する。ようやくダメージが回復し、周囲の兵士たちも呻きながら身を起こし始めるようになった。
「……たたたた、もう~っ……、サベル、平気?」
「あー……朝まで寝ていたい気分だなァ……」
これだけの人数、全員が一瞬で倒されるという常軌を逸した出来事だったが、深刻なケガ人は出てはいないようだった。
(メルティナ・スノウ……)
この場の皆をむやみに傷つけることなく昏倒させた、その手腕。仮に彼女が『その気』だったなら。あの弾丸が、銃器と比べても遜色ない威力を持っていたなら。
「……」
ただただ、怖気立つしかない。
一万四千の叛徒を退けた英雄。北方最強。その看板に偽りなし、とでもいうべき実力か。
(えーいくっそ、パワーリスト……まじやっちまったな)
氷が張りついた、ごってりと重いそれらに視線を落とす。最悪、エドヴィンやサベルに頼めば炎で外してもらえそうだったが、それでも少し時間がかかりそうなほどガチガチとなっていたため、面倒くさがりの流護はそこまでしなかったのだ。レノーレを確保するだけだから、味方の数も多いから、という甘い考えがどこかにあったことは否定できない。鍛錬のために装着しているこれが、文字通りの足枷となってしまった。
(くそったれ……、あの姉ちゃんは絶対ぇいつかヒーヒー言わせてやる。それよか、今は……)
レノーレを目の前にしながら、みすみす逃してしまった。
落ち込んでいるだろうベルグレッテにどう声をかけたものか――とその横顔を窺う流護だったが、
「!」
驚きに目を見張った。
レノーレとメルティナが消えていった街角を見つめる少女騎士。その美しい薄氷色の瞳が、
「レノーレ……もう少しだけ待っていて」
何かを確信したかのように、強い光を帯びていたからである。
第十一部 完