40. もやもや昼休み
何だかミアさんはご立腹らしい。
前回の件でのゴタゴタの後、ベルグレッテが予定より前倒しで王都へ戻ることになってしまったが、それについて彼女は何も話を聞かされていない、というのが理由のようだった。
水過の月、五日。そんなこんなの昼休み。
やたら久々な気もする中庭のベンチでの昼食にて、ミアは親の仇のようにパンをもしゃもしゃと食べているのであった。
そんな彼女に、流護は恐る恐る声をかける。
「ミア先生」
「なんですか!」
「どうか、お気を静めてくださいますよう……」
「べつに普通だし! 全然、怒ってなんてないし! リューゴくんだけベルちゃんとお別れして、ふんだ! なんて思ってないし!」
ぷんぷんという擬音が聞こえてきそうだった。
「……ミア、落ち着いて」
レノーレが無表情のまま言う。その声にはあまり感情が篭っておらず、とりあえず言ってみただけみたいな感じですらあった。割といつものことなのかもしれない。
ああ、何気に昼食では初登場。レノーレさんです。今日はこの二人と一緒の流護だった。
「そりゃあさ。リューゴくんは『アウズィ』ぼこぼこにした主役だし、ベルちゃんがリューゴくんにだけ報告していくのは当然なのかもしれないけどさ」
「いやほら……クレアリアもいきなり入院しちまったし、ベル子も忙しそうだったぞ。それにほら、俺は神詠術とか使えないから、通信で連絡もできねえじゃん? だから俺には直接言いに来たんだって」
ついベル子を抱きしめてしまったことをうっかり喋ったらどうなるんだろう……と思いつつ、必死でミアのご機嫌を取ろうとする流護だったが、
「……ミアのところに挨拶に行くと、ミアがくっついたりして時間がかかるから行かなかったんだと思う」
レノーレはどこまでも冷静だった。
「ッ……、そ、それってつまり……あたし、うっとおしい……?」
口に手を当て、驚愕の表情を浮かべるミア。流護は雑誌とかに乗っている年収の広告を思い出した。
「……は、はは……、こんな世界、滅びてしまえばいい」
パタリ。
ミアは芝生に寝転んで、とんでもないことを言い出す。
「アホか。んなことで世界終わってたまるかっての」
そこへやってきたのはエドヴィンだった。
「なんだー! 貴様ー!」
ミアがガバリと跳ね起きる。何だかんだで元気だなこの子。
「よ、アリウミ。おめーさんの黒牢石のアレ、借りてもいいか?」
「ん? おう」
身体を鍛え始めているというエドヴィンは、こうして流護のトレーニングアイテムを借りにくるようになっていた。……ちなみに、片手用のバーベルを何とか両手で持ち上げられるぐらいらしい。ベルグレッテが持ち上げようとしてもビクともしなかったあたり、やはり男の腕力といったところだろう。
「はーん。またシュギョーですか、エドヴィンどの。無駄な努力だと思うけどなー。それよりもっと、神詠術の勉強したらー?」
「うるせー。女には分かんねーんだよ」
そう言い残して去ろうとするエドヴィンだったが、思い出したように足を止めた。
「そーいやよォ、アリウミ」
「ん?」
「こないだの休みに、王都の方に行ったんだけどよ……昼間、ちらっと酒場でメシ食ったんだわ」
「ああ……ゲーテンドールか? もしかして」
暗殺者の件で、クレアリアの後をつけたときに行った酒場の名前だ。
「おう。よく知ってんな。そんで……アリウミ。お前、かなり話題になってんぜ。ファーヴナールを倒したってのは話が話だけにウソくせー感じもあったんだろうが、『銀黎部隊』で暗殺者でもあったデトレフを簡単にやっちまったってんで、一気に広まった感じだ」
「うんうん」
なぜかミアが満足そうに頷いている。なんで「ワシが育てた」みたいな顔してんだ。
そんな少女の様子を見て、エドヴィンが続ける。
「有名になっていいことばっかじゃねーんだぞ、ミア公。名前が知れるってことは……つまり敵が増える、ってことでもあんだからよ」
「ふうーん。みんながみんな、エドヴィンみたいに『こいつを倒せば俺の名が上がるぜヒャッハー!』みたいなのばっかじゃないと思うけどー?」
「ま、そーだけどよ。ただ……」
珍しく、エドヴィンが言い淀むような様子を見せた。
「……アイツの耳に入ったりして、面倒なことにならなきゃいーんだけど……な」
ぴくりと。ミアとレノーレが、かすかに反応した――ような気がした。
「んじゃな。つーわけでちっと借りるぜ。黒牢石のアレ」
そう言い残して、炎の『狂犬』は今度こそ去っていった。
「アイツって誰だ?」
もやもやした謎を残す気のない流護は早速とばかりに訊いてみる。
「……んー……」
ミアは歯切れが悪い。
そこで何となく予測はついたが、レノーレが流護の疑問に答えた。
「……ミディール学院、五人の『ペンタ』のうちの一人。ディノ・ゲイルローエンだと思う」
何度となく耳にした、『ペンタ』という存在。
具体的な名前を聞くのは、これが初めてだ。
「……ミディール学院の四位。『獄炎双牙』の二つ名を持つ、学院最高の炎使い。性格は極めて傲慢、好戦的。自分こそが最強だと豪語してやまない自信家。確かにその実力は本物で、カテゴリーSの怨魔、ジランティー・オドを単騎で撃破した功績を持つ。将来のレインディールの武力を担う財産として、期待されている人物でもある」
その説明を聞いていたミアが、ふんっと鼻を鳴らした。
「天才さまは違うよねー、ほんと」
「へー。強そうじゃねえか」
そんな流護の笑みを見たレノーレは、即答する。
「……間違いなく強い。……もしかすると、あなたよりも」
む、と少年は眉を吊り上げる。
「なんでえなんでえ。そいつはファーヴナールも倒せんのか?」
自分でも幼稚だと思ったが、流護はつい対抗心からそんなことを言ってしまう。
レノーレはまたも即答する。
「……多分、倒せると思う」
おそらくは誇張でも何でもなく。淡々と述べたレノーレに、流護は言葉を失った。
「……学院に怨魔たちがやってきた、あの日。……そもそも『ペンタ』がいれば、話はそこで何の問題もなく終わっていた」
「レノーレ。あのとき『ペンタ』は実際にはいなかったんだし、それにいたとして、あんな人たちがあたしたちのために闘ってくれるとも思えない。実際にあたしたちを守ってくれたのは、リューゴくんだよ」
珍しく、ミアが抗議めいた口調でそう零した。レノーレも珍しく、はっとしたような表情を見せる。
「……、ごめんなさい。……あなたを否定するつもりはない」
「あ、ああ。分かってるよ。……しかし、そんなに強えのか。つうか、何なんだ? 『ペンタ』ってのは」
「……現在、世界でも総数百人に満たないといわれる、天賦の才を持った人間。生まれつき高度な神詠術を扱うことができ、国に所属する『ペンタ』の数がそのまま武力に直結するとまでいわれている。現在、学院には五人の『ペンタ』が生徒として在籍している」
続けて、ミアが苦々しく言い添えた。
「元々……二百年ぐらい前? だったかな。神詠術の学院っていうのはね、当初は『ペンタ』のために作られたものだったんだってさ。国のために、優秀な人材を確保しておくための場所だったの。でも『ペンタ』の絶対数があまりに少ないから、次第にこういう学び舎みたいな感じになっていったってことみたい。所詮あたしたちはオマケってことですよ! ふんだ!」
多数の生徒の中に希少な『ペンタ』がいるのではなく、『ペンタ』を確保・保有していた施設が、次第に学院へ姿を変えていったということか。
「まあ……べつになんでもいいけどね。あたしはフツーに国専属の詠術師になって、フツーにそれなりの仕事につければ……」
何だかミアらしくない、疲れきった現代日本人みたいなセリフだなと流護は思ってしまう。
「ミアって意外と現実派なんだな」
「意外とってなんだーっ。まあ、早く家族にも楽させてあげたいしね」
「家族に楽? ……貧乏なのか?」
「び、貧乏とかいうなー! いやまあ貧乏なんだけど……。うちって七人姉弟でね。あたしが一番上で、ただの田舎の農家でしかない我が家の家計は、それはもう火の車ってやつなのよ……。それでもダメもとで受けてみた神詠術検査の結果が意外と悪くなくて、よーしじゃあお姉ちゃんがんばってプロの詠術師目指しちゃうぞ! って思っていま現在にいたるのであった」
ミアさん、その半生であった。
なるほどな、と流護は思う。
ミアはこうして学院に入学し、努力を重ねた結果、全体で三十七位という成績を獲得するまでになったのだろう。
ファーヴナールに一矢報いたあの雷撃だって、決して容易に会得したものではないはずだ。
そこへ『ペンタ』などという生れつきの天才が現れ、自動的に上位へと位置付けられたうえに、国の財産として将来も約束されているとなれば、ミアがいい感情を持つはずがない。
仕方ないことなのかもしれないが……中々、納得はできないだろう。
「そーいえばリューゴくん、『アウズィ』の件でまた報奨金もらったんでしょ? この短期間で五百万エスクも稼いじゃうなんてステキ! あたしと結婚してみませんか!」
「え? い、いや何言ってんだよ」
冗談と分かっていても動揺して目を逸らしてしまう少年である。
「……へへ、そうだよね……貧乏な田舎娘と結婚しても、いいことなんてなにもないもんね……そうさ……あたしには……なにもない……」
「いやいや、ミアもいいとこいっぱいあるだろ。まずほら、元気だしさ。あと……」
「う、うんうん。あとは?」
「……えー、……」
さすがに、本人を前にして「可愛い」とは言えない流護だった。仮に言えるだけのスケコマシスキルがあったとしても、ミア調子乗りそうだし。
「元気だし……あと、ほら……あれだ……元気だし……」
「…………」
「…………」
ミアはまたもパタリと芝生の上に倒れる。
「もういいよ……あたしってば所詮、ベルちゃんにもわずらわしく思われてたうえに、リューゴくんにも気を使われるだけの存在だったのだわ……」
少女はごろりと横を向いてふて寝を始めてしまった。
うわあ……どうしよう……と困っていると、ちょうど倒れたミアのすぐ上に波紋が発生した。流護も最近は見れば分かるようになってきた。通信の神詠術だ。
「……ミア、通信きてる」
黙ってもくもくとパンを食べていたレノーレが、気付いていないミアに教える。
「んー……? こんなあたしなんかに誰が用事だってのさ……はーいリーヴァーミアちゃんですけどー」
やる気のない声で通信に出た彼女に答えたのは、
『リーヴァー、ベルグレッテだけど。やっぱりそこにいたわね』
ベルグレッテだった。ミアが勢いよく飛び起きる。
「べ、ベルちゃん? え、どうしてあたしの位置が」
そういえばベルグレッテはあまり通信が得意ではなかったはずだ、と流護は思い出した。
実際、どこにいるか分からないはずのミアをピンポイントで捕まえたのはかなり珍しいことのようで、彼女もやたら驚いている。
「どうしてあたしがここにいるって分かったの? ……え、なに? 愛?」
『ふふ。今日は天気いいから、中庭のいつもの場所だろうなって思って』
「そ、そなんだ。……そ、それで? こんなあたしになにか用なのっ」
『? なに、「こんなあたし」って……』
やはり学院を離れる際に何も言われなかったことを気にしているようで、ミアは少し拗ねたような口調で唇を尖らせていた。
『とりあえずこっちもようやく落ち着いたから。連絡遅くなってごめんね』
「……うん。でも、こないだの夜、リューゴくんのとこには行ったんでしょ? だったらこう、あたしにも言いにきてくれたって……」
『……いや、ミアのとこ行くと抱きつかれたりして時間かかるから』
その言葉に、レノーレがこくりと頷いた。
「……私、大正解」
「うるせーよちくしょー! 創造神よ、これがアナタの望んだ世界なのか!」
『あ、レノーレもいるの? こんにちは。レノーレもごめんね。共同研究、途中だったのに』
「……こんにちは。大丈夫、気にしないで」
ベルグレッテとレノーレが会話を始めたので、ミアが本格的に拗ね始めた。「あたしは不要な存在なのですか神よ」「オゥ、ソノヨウナ世界ナド滅ボシテシマェ」などと声を切り替えて一人芝居を始めている。演技うまずぎて怖えぞ。
『ミア? 聞いてる? だからお詫びに、今度モンティレーヌのケーキ持っていくからね。楽しみにしててね』
「……モンティレーヌ?」
その単語にミアがぴくりと反応した。
流護も『アウズィ』の件のときに知った、王室ご用達でもある菓子屋の名前だ。
「……そ、そんなんで釣ろうとしてもだめだもん」
いやそれで釣られておけばいいじゃん、と突っ込みたくなるほど葛藤に満ちた表情でミアが答える。
『もー、じゃあどうしたら許してくれるの?』
「……許してほしい?」
『うん。許してほしいな』
「あたしのこと大事?」
『うんうん』
「そ、それじゃーしょうがないなぁ。もう、しょうがないなー。じゃあ、おっぱ」
『あ、ごめん呼ばれてる。切るね』
「ウワー!」
そうして無慈悲に昼休みは終わっていくのだった。




