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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
11. 白氷世界のヘクセンヤクト
397/668

397. 遠い雪国で

 細かな粉雪荒ぶ中、レノーレ・シュネ・グロースヴィッツは薄暗い路地を駆け抜ける。

 風を受けて激しくたなびくマフラーやマントが、緊迫した事態の度合いを示しているようでもあった。


「いたぞ!」

「こっちだ!」


 向かう先から次々と兵士たちが顔を覗かせ、進路変更を余儀なくされる。

 場所も狭く、数も多い。強行突破は無理だ。地面にのたくる配管を乗り越えて別の区画を目指すも、


「逃がさん!」


 即座に別の一隊がぞろぞろと現れ、また別の小路へ飛び込む羽目になる。まるで行く手を読まれているかのよう。


(……いや、実際に読まれてる)


 レノーレは足を止めず、思考もそれ以上に加速させる。


(手際がいい。よすぎるぐらい)


 この街は、張り巡らされた配管類や増築された建物郡によってひどく入り組んだ構造となっている。ゆえに意外な近道や隠れられる場所も多く、追手をやり過ごすには適した地形――のはずだった。

 しかし兵士たちは、行く先々であらかじめ待ち構えていたかのように現れる。


(これは多分……)


 廃工場を隠れ家としていたこと自体が、事前に悟られている。そのうえで逃がさぬよう、徹底的に固められている。

 こちらを発見しても、すぐさま捕縛にはかからなかった。動向を監視しながら、着実に包囲網を展開していったのだ。

 そしてつい先ほど、レノーレはチラリと見えた兵士の姿に反応して距離を取った。これが切っ掛けとなり、兵団は一挙動き出した。

 それはまるで、怒涛のごとく押し寄せる雪崩れさながらに。


(かなりのやり手が指揮を執ってる……。この街がユーバスルラであることを考えれば、やっぱり)


 相手をたかが小娘一人と侮らない。『凍雪嵐ヴェンティスカ』を知る者が対応に当たっている。おそらくは、あの歴戦の老兵――ベンディスム・ゴート将軍。


(……、厄介な相手ね……)


 かすかに唇を噛みながら狭い角を曲がり、


「! 止まれ! 罪人め!」


 一人の兵士とバッタリ鉢合わせる。


「――ふっ」


 埒が明かない。

 相手は一人。そしてまだ若い。レノーレはここで退かず、猛然と兵士に突っ込んだ。


「この、舐めるな!」


 怒りに染まった兵士の顔つきは若干の幼さを残しており、レノーレとそう変わらない。十六、七歳といったところか。となれば、まだ経験も浅い部類。つまり、現役時代の自分を――『凍雪嵐ヴェンティスカ』を知らない。


 その証拠に、彼はもう初動を誤っていた。

 三歩詰める間にそう判じたレノーレは、身構える若兵の目前へと肉薄。下方から掬い上げるように、冷風を纏わせた右腕を振るう。


「くっ!」


 大きくのけ反ってこれを躱した兵士だったが、


「この、……!?」


 反撃すべく腰の剣に手をかけ、そのまま愕然とした表情へ変わった。至近のレノーレはくすりと微笑み、


「……私を相手にするなら」


 右腕一閃。男の首筋に手刀を叩き込んだ。


「かはっ……!」


 短く呻いた彼は、長剣の柄に手をかけたまま崩れ落ちていく。


「……剣は、最初から抜いておいたほうがいい」


 先の一撃は、最初から相手を狙ったものではなかった。

 氷術によって固着した刃と鞘。瞬間的に抜剣できなくしたそれを眺めつつ、


「……失敬」


 倒れた彼を跨いで越えて、再び走り出す。


「!」


 と同時。路地の両脇にそびえる建物の隙間から、並走する兵士たちの姿がチラチラと垣間見えた。


(私がここを強行突破するのも想定内……ってことか。厄介)


 幸いにしてというべきか、この道は馬車組合のある方面へと繋がっている。

 もちろん多数の兵士たちに追われている中、馬鹿正直に御者と交渉して車両へ乗り込んでいる暇などありはしない。そんな悠長な真似をしていたら、追いつかれて取り押さえられるのが関の山だ。

 レノーレがこうして馬車組合へ向かうことも織り込み済みで、とっくに現場が押さえられている可能性もある。


(むしろこれだけの包囲網を展開する指揮官。その程度はやっているはず)


 意図的に誘導されているとなれば、手段は一つ。


(御者の人には、ちょっと申し訳ないけど……)


 一か八かの賭け。それが実行できる状況であることを願う。

 他に手立てもない。あとは川面を漂う流木のように、行ける先へ行き着くしかない。


(でも……『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』が待ち伏せてたら……いよいよこれまで、かな)


 憲兵の手を掻い潜り続けて、もう何日になるか。

 捕まらない小娘に業を煮やし、精鋭部隊を投入してもおかしくない頃合いだ。

 特にあの隊長にして腹違いの兄は、仮にも妹となる人間の現状にさぞ憤慨していることだろう。自分があの恥晒しに引導を渡す、と息巻いているかもしれない。


「……ふふ」


 思わず笑みが零れた。

 いっそ、それでいいかもしれないと。

 過去にも様々な苦境を経験してきたが、さすがにこれだけ大勢の人間に追いかけ回されるのは初めてだ。


(……ちょっと、疲れた。それに……)


 兵士たちの目は今、自分に向いている。ならば、きっと……。


「来たな小娘! 覚悟せえ!」


 狭い通路の角を曲がるや否や、剣を構えた一人の中年兵士が躍りかかってきた。


「!」


 横薙ぎの一撃を屈んで躱し、相手の顎を下から手のひらでかち上げる。よろめいた男の膝裏に足を引っかけ、肩と胸元を掴みながら押して突き飛ばす。


「ぐばっ」


 勢いのまま仰向けに倒れた兵士は、道端にこんもりと積もった雪塊の中に突っ込んだ。


(……っと、つい反射的に。危なかったな)


 少しヒヤリとした。

『戦果』ではなく、『相手』の話だ。


(普通の兵士だったみたい。『彼ら』が相手だったら、こうはいかなかった)


 バダルノイスには、かつての内戦を契機に所属した実戦派の兵士たちが存在する。

白士隊はくしたいと称される彼らと対峙したなら、こう易々と事は運ばない。

 その大半が内戦期以降の兵であることから、平均年齢はやや高め。装備での区別はつかないので、物腰や年齢、風貌で察するしかない。

 最初の兵は明らかに自分と同年代で『違う』と即座に判じることができたが、歳を重ねた兵が相手の場合は注意が必要だ。


「……、~~く~~!」


 ところで相手は重い鎧を着込んでいるため、存外に深く埋まったらしい。喚きながらじたばたする兵士を横目に、逃走を再開する。

 この相手はレノーレの技を知っていたのか、最初から剣を携えて挑みかかってきた。もっとも結果は変わらなかったが。

 包囲網を組んだ人物も、その手腕からして自分のこと……『凍雪嵐ヴェンティスカ』のことは熟知しているはず。

 となると――


(……よくよく考えたら変。どうせなら、それこそ『雪嵐白騎士隊グラッシェラ・デュエラ』や白士隊はくしたいを配置すればいい)


 そうすれば、小難しい作戦も駆け引きも必要ない。

 特にスヴォールンやミガシンティーア、ゲビといった上位騎士が出張ってきたなら、もはや詰みだ。

 逃げ道のない狭い場所で実力的に勝てない相手を宛てがわれたなら、レノーレはそこで終わりなのだ。

 にもかかわらず、それをしないのであれば――考えられる理由は一つ。


(彼らは、この場にいない)


 であれば、この布陣にも納得がいく。

 精鋭部隊が不在のため、数と作戦で攻めてきたのだ。となると自然、兵団がこちらを発見してからまだそれほど経っていない、という推測も成り立つ。急な展開で、彼らを呼び寄せるだけの時間がなかったのだ。


(だとするなら……)


 活路はある。かすかに光明が見えてきたか。

 考えながら足を急がせる。


 緩やかな坂を上がるとやがて馬車組合の屋根が視界に入り始め、残すはそこへ続く直線の道だけとなった。

 その長さは五十マイレ弱。ここを突っ切って大通りに出てさえしまえば、あとはどうにでもなる。


 しかし――そのただ一本の道が、運命を決定づける分岐点。


 建物と建物の間を割って延びる暗い小路。ここからでは見えないが、そこへはさらに同じような道がいくつも繋がっている。これ以上待ち伏せに適した場所もない。頭上には、太く頑丈な配管が何本も通って屋根のようになっている。これらを足場として伝えば、上からの奇襲も容易だ。むしろ、この環境で何も起きないはずがない。

 とはいえ、今のレノーレに退路などない。腹を括ってここを突破するしかない。


「……よし」


 術式や物理的な罠、そして刺客。

 考え得る全てを想定し、追われる身の少女は駆け出した。


 たとえスヴォールンが現れようとも突っ切ってやる、と前向きに覚悟を決める。やたらと誇り高くて能書きが長いあの異母兄のことだ。だらだらと前口上を垂れるその鼻っ柱に不意打ちをかまして、案外あっさり逃げおおせることもできるかもしれない。

 覚悟を決めて、走りにも勢いが乗る。大通りまであと三十マイレ。未だ奇襲はなし。

 行ける。何が来ようと足を止めず、突っ切る。



「その髪型も似合ってるわね、レノーレ」



 それは、想定していない声だった。

 しているはずがない、声だった。


「――――――」


 ありとあらゆる妨害や罠を覚悟していながら、それは完全に慮外の出来事だった。

 大股で地を蹴っていた足が、もつれるように止まる。自分の立場も忘れ、置かれている状況すら忘れ、レノーレはただ呆然とその場に立ち尽くした。


 行く手を遮る形で現れた、その人物を前にして。

 ここにいるはずがない。その先入観から一瞬、他人だと思った。思おうとした。


 けれど、間違いない。

 遠い北国へやってきたゆえだろう。寒さに弱い彼女は、見たことがないほどの厚着姿だった。そんな野暮ったい格好でありながら、損なわれる気配すらない美貌。

 薄氷色アイスブルーを宿す切れ長の瞳。腰まで届くほど伸ばされた、麗らかな藍色の髪。

 人違いでも見間違えでもない。

 そこにいるのは、二年間の学院生活をともにしてきた親友の一人――。


「……ベ、ル」


 その愛称を、レノーレは呆然と口にしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] もしかしたらレノーレはわざと追い込まれたフリをして何か仕掛けて来るのかと勘ぐってましたが、マジでガッツリ追い込まれてたんですね。もっと余裕があると思ってました。
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