396. 緊迫の鋼鉄都市
場に緊張が走る。
「落ち着いて監視を続けろ」
浮き足立った兵士たちへ一喝する形で、ベンディスム将軍が鋭く指示を飛ばした。
現在時刻は午後二時を回ったばかり。レノーレの外出は、早くとも暗くなってからと予想されていたが――
「はん、随分と気軽に出かけてくれちゃって。昼下がりのお茶会の準備でもするつもりか?」
ガミーハは遠見の術を使えるらしく、肉眼で廃工場を見やりながら毒づく。
「あっ……!」
ベルグレッテが双眼鏡を下げ、つま先立ちになる。レノーレの姿が建物の合間へと入り込んで、この高台からでは見えなくなったのだ。
「っと、深追いはするなよ。気付かれる。囲ってる他の連中に任せよう」
ベンディスムの言葉通り、迂闊な行動は厳禁。
こちらからレノーレの姿が見えるということは、逆も同様。向こうに感づかれる恐れもあるのだ。
「第一、ヤツがどうして出てきたのかも分からん。……この街に潜んで数日、そろそろ塒を移そうとしてる可能性もあるが……一先ずは待機だ」
レノーレの姿が見えなくなり、この場の者たちは落ち着かない心地で過ごすこととなった。
「見たかよ、アリウミ」
やや疲れ気味の顔でやってくるのはエドヴィンである。
「今更こんなこと言うのも何だけどよ……あのオトボケ女、本当に追われてやがんだな。いかにも別人です、みてーにメカシ込みやがってよ」
ただでさえ鋭い目をより細めて、白い息と一緒に吐き出す。
実感がなかったのだろう。
こうして、いざ彼女の姿を目にするまで。
同じ学び舎で過ごしていたレノーレという級友が、国を挙げて追われる立場となっていることに。
「……そうだな」
流護としても似たような気持ちだった。
何か、レノーレとバダルノイスの双方に誤解や齟齬があるのではないか。それさえ解消すれば、この件は丸く収まるのではないか。
心のどこかで、そんな風に思っている部分があった。あるいは、そうあってくれという願望だったのかもしれない。
しかし少なくともバダルノイスは、レノーレを明確な罪人と断定した上で追い立てている。レノーレもまたそれを知っており、姿を偽ってまで逃亡を続けている。
その構図を、こうして実際に目の当たりにすることとなってしまった。
「……、」
そんなレノーレの親友たる少女騎士はどんな気持ちでいるのか、と横に目を滑らせると、
「……ベル子? レノーレはもう見えないよな?」
彼女は先ほどと変わらず、双眼鏡を覗き続けていた。そのままで流護の呼びかけに答える。
「ええ。でも、本当にレノーレは一人なのかな、と思って」
「あ」
そうだ。いざ本人を目にしたショックで、完全にすっ飛んでしまっていた。彼女の近くには、オルケスターと呼ばれる組織の構成員や、同行したはずのメルティナ・スノウがいるかもしれないのだ。
(まあ、メルティナはもしかしたら既に……とか言われてるけど)
そこはあえて考えないようにしつつ、流護も今一度レンズ越しに廃工場を眺める。くすみが目立つ窓に人影はなし。周辺の石畳を通行人がちらほら歩いていたりはするが、
(怪しいヤツ、か。っても俺もベル子も、キンゾルとかメルティナとか実際に見たことねえからなあ……)
「どうかしたのか? お二人さん」
未だ熱心に廃工場近辺を見つめ続ける流護とベルグレッテに対し、ベンディスムが訝しげな声をかけてくる。
流護が振り返りつつ応じた。
「ああいや、レノーレが一人とは限らないじゃないっすか。メルティナって人も一緒かもだし、レノーレを追ってた賞金稼ぎがキンゾルに殺されてるっぽいし、もしかしたらオルケスターのヤツが隠れてるかもって思って」
「……ふむ。なるほど、その可能性も考えられるか」
顎に生い茂る白ひげを撫でつけたベンディスムが、意外そうな面持ちとなる。ベルグレッテも将軍の返答を気にかけてか、こちらを振り返った。
「で、キンゾル……ってのは、賞金首のキンゾル・グランシュアだよな。賞金稼ぎがキンゾルに殺された……ってのはどういうことだ? どうしてそんなことが分かる?」
ここで流護は自分の説明不足に気付く。
失念していた。先日のヒョドロやヘフネル、オームゾルフがそうだったように、バダルノイスの人々は知らないのだ。
キンゾル・グランシュアという老人が、レインディールでの事件を発端に高額の賞金首となっていること。
発見された賞金稼ぎの惨殺死体が、そのキンゾルによって悪趣味に飾り立てられたのではという仮説。そんな残忍極まりない怪老人が、オルケスターに所属しているらしいという推測。
「いや、そのキンゾルってジジイが、『融合』って術を使うんすよ。何でもくっつけちまうその術なら、例の変死体も簡単に作れる。んでこのジジイが、実はオルケスターの一人だって話で」
そこは説明下手を自覚する流護である。余計なことは言わず、まずは状況説明のためその二点についてのみ簡潔に話した。
「ふむ……なるほど、な。……だが、俺としては……今のレノーレは一人、ないしはメルティナと二人。このどちらかで行動してると考える」
遠い目で廃工場を見つめながら、老兵は自信に満ちた口調で言った。
「レノーレは今、国中の兵士と多数の賞金稼ぎに追われてる状況だ。八方塞がりってやつさ。そんな中でやたらと連れ立っても、戦力以上に足枷となる。人数が多けりゃ多いほど、足も鈍るし目立つからな。それに……『凍雪嵐』は元々、単独での任務を得意とする詠術士。一線から退いても、追われる立場になろうとも……その点は変わらんだろう」
なるほどな、と流護は唸る。
先日のヒョドロと同じ、視点の違い。
流護たちは、レノーレをミディール学院の生徒の一人として捉えている。一方でベンディスムを始めとしたバダルノイス兵たちは、元・宮廷詠術士の『凍雪嵐』として考えている。
これでは、意見もなかなか合致しないというものだ。
「事実、これまでそういった怪しい輩の姿も目撃されてないからな。……だが、」
白ひげを弄びながら、将軍は重く首肯した。
「その意見は参考にさせてもらおう。部下にも警戒を促しておく。何せ、キンゾルもメルティナと同じ『ペンタ』。注意し過ぎ、ってこともなかろうよ」
「あ、はい……」
流護は少し驚いた。ベルグレッテも目を見張っている。
一応は進言してみたものの、適当に流されると思っていたのだ。ここへやってくる前、ガミーハがそうしたように。
愛国心の強い兵は、外の戦士を軽んじる傾向がある。常々命を張って自国を守り続けているのだから、「余所者に何が分かる」と言いたくなるのはもっともだ。
とはいえ、そこで我を抑え柔軟かつ客観的に対応できてこその名将である。
(ベンディスム将軍、か)
頑固そうな外見に反し、優れた見識を持つ人物らしい。
『氷精狩り』の折、わずかな新兵を率いて多勢の暴徒を押し返した、という逸話は伊達ではないようだ。
「む……」
そんな老獪な将軍の耳元に、揺らめく通信の波紋が出現する。
「リーヴァー、こちらベンディスムだ」
即座に応答したその震える波から、
『リーヴァー、こちら第七班! 対象にこちらの動きを悟られた模様!』
「!」
その報告に皆が息を飲んだ。場に緊張が走る。
「了解だ。そのまま、当初の予定通りに動け」
歴戦の貫禄漂うベンディスムがまるで動じず指示を下し、向こうの兵も『了解!』と頼もしく応じる。音の波紋は、その短いやり取りのみを残してフッと消え去った。
「さて……気付かれちまったからには仕方なし。予定より随分と早いが、作戦開始だ。準備はいいか、お客さん方。駄目と言われても困るが」
「も、もちろん私たちは……!」
聞かれるまでもないと勢い込むベルグレッテに頷きながら、将軍は断言する。
「レノーレは、俺の部下たちが必ずここまで引っ張ってくる。ヤツとの接触の方、任せたぞ」
頷き、各自が行動を開始する。
「よし……」
流護も作戦に取りかかるべく、まず普段から両手両足に装着している黒牢石製のパワーリストを外しにかかり――
「……あ、あれ?」
外れない。留め具がガッチリと固まってしまっており、なぜか外れない。
と、そこで気付いた。
「! ちょーい! こ、これ……凍っちまってんのか……!」
付着した水分や雪が張りつき、凝固してしまっているのだ。
桜枝里から聞いている。寒い日は、車のドアが完全にくっついてしまうこともあるのだとか。流護の故郷ではそこまで冷え込むようなことがなかったので、半信半疑で聞いていたのだが――
「リューゴ、どうしたの? 行きましょう!」
次々に走っていく兵士たちの中、ベルグレッテがこちらを振り返っている。
「お、おう……!」
もっと早く外しておけばよかったと後悔しつつ、流護は慌てて彼女の後を追った。




