395. 包囲網
「ベンディスム・ゴートだ。ま、よろしく頼むよ」
いかにも歴然の兵といった骨太の風貌で、年齢は五十半ばを回ったところか。丸みを帯びた太めの体格は、ファンタジーものに出てくるドワーフを彷彿とさせる。縮れた白ひげをぼうぼうに生やしたその将軍は、ごつく近づきがたい外見とは裏腹、気さくに片手を上げて一行を迎えた。
場所はユーバスルラの街中も街中。
すぐ横を延びる大通りは馬車や人が行き交い、すぐ脇にそびえる工場の煙突からは黒煙がもくもくと吐き出されている。
そんな雑多な場には、ベンディスム将軍を筆頭に十名ほどの兵士たちが集まっていた。
「早速で恐縮ですが……レノーレが潜んでいる廃工場というのは?」
互いの自己紹介も手早く終えて、ベルグレッテが逸るように質問すると、
「あれだ」
歩道脇に寄ったベンディスムが、太い指で建物の隙間を指し示す。
その位置は見晴らしのいい高台となっており、下方に白く染まる街並みが見渡せた。
手前側には、屋根に雪を載せて寄り添う民家の数々。少し離れて、煙を吐き出し続ける工場群。そして奥にも同じような建物がいくつか立ち並んでいるが、こちらは煙突から何も出ておらず、外壁の塗装も色あせている。稼働していないのだ。
「一番こっち側の、動いてねぇ工場に対象は隠れてる。あんたら、遠見は使えるか」
流護もベルグレッテも「いえ」と短く否定すると、ベンディスムは双眼鏡を差し出してくる。
受け取って覗き込めば、数百メートルは先にあろう工場の窓や出入り口も間近に確認することができた。
これなら、廃工場の近くを通りかかる人の姿もはっきりと見えるはず。レノーレが出てくれば、その顔も間違いなく判別できるに違いない。
「……あの中に……レノーレが……」
隣で双眼鏡を握るベルグレッテの声は、かすかに震えていた。
ようやくここまで来た。手の届く距離まで迫ることができた。少女騎士のそんな思いが伝わってくるようだった。
「あそこが現状の隠れ家と考えて間違いない。部下の報告だと、レノーレは小一時間前にあの中に入ってったそうだ。それきり出て来んから、今も中にいるのは確かだな。おそらく夕刻ぐらいにはまた出てくるはずだ。周辺の店に聞き込みした感触だと、二日ぐらい前からこの街に滞在して、チョイチョイと食い物を買ってるようだからな。中々に大胆不敵なこった。ってな訳だから、そう遠くないうちに……人目を考えたなら暗くなる頃か。また姿を見せるはずだ」
鋭く廃工場を睨みながら、ベンディスムがそう推測した。皆も自然とその視線を追い、朽ちて佇む建物を見やる。
「チョイチョイと食い物を買ってる……って、何でまとめ買いしねーんだろ」
一気に買って引き篭もっていれば、外出する必要もない。無駄に目撃されることもないはずだ。そんな流護の疑問に、ベンディスムが答えた。
「この辺りは貧困層が多い。買い溜めするような人間はあまりいないからな。そんな中で多量に買い込む年端もいかねぇ娘っ子がいりゃ、どうしても目立って店員の印象に残る。それが普段見ない顔となりゃ尚更な。今回ヤツを発見できたのも、実は全くの偶然でな」
「はあ、なるほど……」
可能な限り群集に溶け込もうとしている、ということか。
それにレノーレのことだ。外の様子を探る意味も兼ねて、あえて危険を承知で出歩いているのかもしれない。
遥か遠くに佇む、その廃工場を見やる。
(なんか、刑事の張り込みみたいだな……)
むしろ、やっていることはまさにそれだ。
今やあの廃工場を、多数の兵士たちが円周状に包囲している。遠巻きに距離を保ちながら、内部にいるだろうレノーレの一挙一動に注目している。今この場所も、その円を描く線の一辺だ。
仮に彼女が異変に気付き逃走を図ったとして、否が応にも兵士とかち合う状況が出来上がっている。
そして、熟練の将軍は予言するように告げる。
「もしレノーレが逃げ出したなら……必ず目指すだろう場所がある」
「ほう。そいつはどこだい?」
サベルに問われ、ベンディスムは大通りの向こう側を親指で指し示した。
そこは民家や工場とは異なる、比較的大きな構えの施設。特筆すべきは、馬の姿が見え隠れしている点か。
「馬車組合さ。さっさと遠くへトンズラしたいなら、馬車を拾うしかないからな。ヤツも、そのつもりであそこを隠れ家に選んだんだろう。そんで今現在、部下の布陣も『そうなる』ように組んである。手薄な方へ逃げたら、自然とそこの馬車組合に……つまり、今俺たちがいるこの場所に行き着くようにな。もちろん、馬車屋には話を通してある。万が一ヤツが包囲網を潜り抜けても、馬車は拾えんように手配済みだ」
「抜かりない手際だなァ。おみそれするぜ」
そんなサベルの賛辞に答えたのは、傍らに控えるガミーハだった。
「当然ですよ。ベンディスム将軍っていったら、たった百人の新兵を指揮して五百人の反乱者どもを押し返した戦術家。バダルノイスは、メルティナ・スノウや『雪嵐白騎士隊』だけじゃないんですよ」
「おっと。そいつは勉強不足で失礼したな」
「止せ、ガミーハ。どんな武勲も、てめえで誇らしげ語ったら陳腐になっちまうもんだ」
ベンディスム当人が、溜息混じりに部下を窘めた。
「で、だ。心強い助っ人さん方も到着なすったところで、具体的な動き方を決めたい」
皆が熟練の将軍に注目する。
「今しがた話した通り、こっちとしてはある程度意図的にレノーレの動きを誘導できる状態だ。が、ヤツも音に聞こえた天才術士。絶対に捕まえられる――とは断言できん。そこであんたらの手を借りて、この下らん追いかけっこを終わりにしたい。何、やること自体は簡単だ」
ベンディスムの語る計画はこうだ。
兵士たちを使い、レノーレをこの馬車組合近辺へと誘導。流護たちが待ち伏せ、彼女を取り押さえる。
なるほど確かに、この上なく単純明快だった。
「それにつきまして……僭越ながら、ひとつ提案をよろしいでしょうか」
迷いなく進言するのはベルグレッテだ。
「何だい」
「厚かましいお願いとは存じますが……レノーレと対峙した際、まずは私に彼女を説得させていただきたいのです」
周囲の兵士たちがざわつく。
ベンディスム将軍も、少しばかり眉間に皺を寄せて渋面となった。
「説得……ねえ。言わせてもらうが、そんなもんでケリが着くなら、この件はここまで拗れちゃいないぞ」
「それは……」
「ちょいといいかい」
そこで思い出したように手を上げたのはサベルだった。
「説得、で思いついたんだが。レノーレ嬢の母親……レニン殿だったか? その御仁に、娘を説得させてみるって訳にはいかないのかい?」
「やだ、サベル! さすが!」
誰かさんの黄色い称賛からやや間を置いて、ベンディスムが自らの白ひげを撫でつけながら答える。
「……レニン殿の話は聞いてんだろ。母親としての記憶がない人間の説得じゃあ、逃亡中の娘を止めるには弱い。まして、レノーレはそんな状態の母をどうにかするためにこの事態を引き起こしてんだ。第一、迂闊にレニン殿を引っ張り出して、万一連れ去られでもしようもんなら……それでお仕舞いなんだ」
「ふむ、それもそうなのか……。しかしあんたら、随分とレノーレ嬢を警戒してるんだな。外の人間の俺たちをすんなり受け入れたり、母親が連れ去られることを想定したり」
「……なあに。知ったのさ」
ベンディスムの声は、低く厳かだった。
「『滅死の抱擁』によって裁かれて、『氷精狩り』によって蹂躙されて、内戦を味わって……ようやく骨身に沁みて理解したんだよ。誇りだとか信念だとか、そんなもんを振りかざしたところで何も成せん……何も守れんとな。俺らみたいな持たざる者は、手前の無能をはっきり認めて、何に縋ってでもやり遂げるべきなんだと」
ふ、と白ひげに覆われた口元を緩めながら。
「レノーレって才者に、あんたらって才者をぶつける。無能な俺がやるのはそれだけのこった」
「ベンディスム将軍……」
ガミーハが上官を呼ぶ声は、少し悲しげだった。
「っと、どうでもいい話に逸れちまったが……いいぞ、お嬢さん。わざわざ戦わずに済むなら、それに越したこたぁない。説得でも何でもやってみてくれ」
「は、はい……!」
表情を輝かせるベルグレッテに、ベンディスムは「但し」と釘を刺す。
「無理だ、と判断したなら、すぐさま制圧に移らせてもらうぞ」
「……、承知しました」
致し方ないところだろう。そもそも、レノーレが本当に一人かどうかも分からないのだ。悠長に対応している余裕はない。
そうしておおよその方針も定まり、皆それぞれ廃工場の監視に移る。
冷たい空気に晒されながらの見張りとなったが、人間の適応力とは大したもので、三十分も経つ頃にはこの寒さにも少しずつ慣れてきた感があった。
……と思う流護だったが、
「ささ、さ、さむ~~いっ……!」
ヘソと生脚が丸出しのジュリーはそうでもなかったらしい。
そんな身だしなみに妥協しない麗女は、サベルに寄り添ったり兵団が持ち込んだコーヒーをもらったりと忙しそうに動いている。……まあ、寒さを紛らわすためであろう。
「……レノーレがあの中にいるのは、たしかなのでしょうか……?」
双眼鏡から片時も目を離さないベルグレッテは、その声も硬く不安が垣間見える。
「ああ。ヤツが入って以降は四方からずっと監視してるからな、それは間違いない。そもそもあそこはただの工場、秘密の抜け道といった類のモンもありゃしないからな。出てきてない以上、中にいるのは確実さ。不安になるのも分かるが、そこは信用してもらっていいぞ」
すぐ後ろに佇むベンディスムが笑うと、
「あ、いえ、そのようなつもりでは」
兵士らの仕事ぶりを疑う発言をしてしまったと思ってか、少年騎士は慌てて恐縮した。
エドヴィンは先ほどまで流護の隣で街並みを眺めていたが、今は隅っこに移動してヤンキー座りで休憩している。
気を張り詰め続けていてももたないため、一部の見張りを残して休んでいる者も多い。
流護自身は何だかんだで、双眼鏡を通して廃工場やその周辺を眺め続けていた。
「ん……、」
ふっと影が差し、空が暗くなる。
かすかに覗いていた晴れ間が陰り、いつ降り出してもおかしくない天気になってきた。
時折、思い出したみたいに吹きつけていく北風の冷たさに身を震わせる。
レノーレが次に動きを見せるのは、夕方……暗くなってからと推測されているが、それも確証がある訳ではない。結局は、こうして警戒を続ける必要があるはずだ。
「そんなに肩肘張って監視してなくても大丈夫ですよ」
ずっと同じ体勢で双眼鏡を構え続ける流護に話しかけてきたのは、あまり勤勉そうに見えない兵士のガミーハだった。
「今は、百人体制であの工場を囲んで見張ってるんですから。何か動きがあれば、誰かしらが気付きますって」
「はあ……」
実際にはその通りだろう。
何も全員が全員、あの隠れ家を注視している必要はない。たとえばサベルとヘフネルなどは今、馬車組合の前で配給のコーヒーをすすっている。長丁場になる可能性も考えたなら、適度に力を抜いて臨むべきだろう。ただやはりレノーレの知人として、ついつい落ち着かず双眼鏡を向けてしまうのだ。
気のない返事をした流護の顔を、
「ふーむ」
ガミーハが無遠慮にじっと見つめてくる。
「? 何すか?」
「いや、何だか結構な規模の武闘祭を勝ち抜いた人だって聞いてたから、どんな詠術士かと思ってたんだけど……まさか、こんな少年だとは思わなくて」
「はあ、ども」
「歳はいくつで?」
「十六っすけど……」
「へぇ!? 俺より五つも下なのか! その若さですごいねー、やっぱり才能なのかな、詠術士ってやつは。いやはや、いやはや」
まいったね、と頭を掻きながら彼は笑う。別に流護は詠術士ではないのだが、言っても混乱の元になりそうなだけなので黙っておく。
「普段はレインディールの兵士なんだっけ?」
相手が遥か年下と知ったからか、ガミーハはこれまで以上に砕けた口ぶりになっていた。
「ええ……そうすね。遊撃兵やってます」
「遊撃、兵? よく分かんないけど、そこのキレイな彼女も相当な使い手なんでしょ? プレディレッケをぶった斬ったって聞いてるよ。いやはや凄い人材ばかりで羨ましいね、レインディールは」
少し離れた位置で双眼鏡を覗き続けるベルグレッテを見やりつつ、ガミーハはやや自嘲気味に微笑んだ。
「でも……バダルノイスだって」
それは独り言だったのかもしれない。
流護の目を見ておらず、声は雑踏の喧騒に紛れそうなほど小さかった。
「バダルノイスだって……これからなんだ」
(……この人……)
一見して軽薄そうな若者といった雰囲気のガミーハだが、兵士として――バダルノイス人として国を思う心根は確かなのかもしれない。
と、流護が思った矢先だった。
工場に目線や双眼鏡を向けている兵士たちがざわめく。
「!」
ベルグレッテもより前へと身を乗り出し、流護もそれで何が起きたかを察した。すぐさま双眼鏡を覗く。
「……!」
直線距離にして二百メートル弱、下方へ十数メートル程度。見下ろす廃工場から出てくる、一人の少女。
冒険者風の格好だった。黒系のベストやマントに身を包み、首には青いマフラーを巻いている。
短めの金髪は白いリボンで後ろへとまとめ上げられており、やっぱ女子は髪型ひとつで変わるな、などと少年は呑気に考えた。
一方で見覚えのある小さな顔と、それに比べて大きく感じるメガネ。眠たげな濃青の瞳。口元はマフラーで隠されており、表情は窺えない。
よくよく見たなら明らかな共通点こそあるものの、ともすれば別人にも思える。正直流護としては、街中ですれ違っても気付かずに見逃してしまいそうだった。
もっとも、まさにそのための変装なのだろう。
「……レノーレ……」
しかし――少し離れた位置で監視していたベルグレッテは、確かな声でその名を呟いた。
親友の姿を見間違えたりはしない、というように。




