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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
11. 白氷世界のヘクセンヤクト
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389. 雪の旅路

 まだ薄暗さも残る早朝。雪もすっかり止んだようで、出かけるならば頃合いだろう。

 出立の準備を済ませて宿の前で待っていると、やがて一台の馬車が到着する。その中から、見知った顔が降りてきた。


「どうも。おはようございます、皆さん」

「あれ……どしたんすか、ヘフネルさん」


 昨日からおなじみ柔和な若い兵士が、相変わらず低い物腰で頭を下げる。


「ええ、はい。実はその……ヒョドロさんに、皆さんの付き添いをしろと命じられまして……」


 今回の招聘は、ヘフネルが友人に流護たちの来訪を喋ったことがそもそもの発端。そのため、責任を持って送り届けてこい、と言われたそうだ。

 流護たちとしても、バダルノイスに関しては土地勘がない。地元の人間に案内してもらえるなら、それに越したことはない。ヘフネルが同行することに異論はなかった。


 かくして、バダルノイス神帝国は中心地、皇都イステンリッヒまでの長旅が始まった。


 本来であれば、レインディールからバダルノイスまでは馬車で滞りなく進んで一週間の距離。中立地帯であるハルシュヴァルトの街を発っても、到着までに五日の計算。代わり映えしない雪景色を眺めながらの、長い長い道中となる。

 大きめの乗車室に流護、ベルグレッテ、エドヴィン、サベル、ジュリーの五人と、随伴のヘフネルを合わせた計六人。来客用の車両とのことで、これだけの人数でもまだ余裕があり、狭苦しさは感じない。それなりの客、として扱われている証でもあろう。


 向かい合っての座席で、それぞれ思い思いに過ごす。


「なあ。サベル……つったな、アンタ。まだ、じっくり話したことなかったよな」


 大股でふんぞり返って睨みつけるような眼光で呼びかけるのは、ミディール学院の『狂犬』エドヴィン。本人にそのつもりはないのかもしれないが、因縁をつけようとしているようにしか見えないところが実にヤンキーである。


「何でもよー、アンタ……結構有名らしいじゃねーか」

「ん? そうでもないさ。そう訊いてくるお前さんは知らないみたいだしな。俺の知名度もまだまだってことだ」


 サベルのこなれた返答には、大人の余裕というものが漂っている。


「悪ィな。トレジャーハンターとかってのには興味がねーんだ。けど……」

「けど?」

「強いヤツには興味がある」


『狂犬』のぎらつく視線は、まさに野に生きる獣のよう。


「天轟闘宴にも出て、後半まで残ったって話じゃねーか。そんでアンタ……炎使いなんだろ?」

「まァな」


 そう言って、サベルは手のひらにかすかな火を喚び出してみせる。ゆらゆらと揺らめく力、その色彩は――


「! 紫の炎……だと」


 エドヴィンの驚きもやむなしか。先日のドラウトローとの闘いで流護も目撃したが、サベルのそれは、これまでのどの炎使いのものとも異なる色彩をしている。


「ヘンな色だろ?」


 やや自嘲気味に言うサベルに対し、


「いいや。色なんかどーでもいいぜ。大事なのは、強さだろ。その炎で、敵をブッ倒せるかどーか。そんだけだぜ」

「……エドヴィンだっけか。ちょっと気に入ったぜー、お前さんのこと」

「はァ? な、何だそりゃ」


 サベルの様子からして、人と違う自らの炎に思うところがあったのかもしれない。たとえば子供の頃であれば、いじめられる理由となるには充分だったのではなかろうか。


「す、すごい! 本当に紫色の炎だ! まさに『紫燐ウィステリード』、その証拠ですね!」


 やり取りに気付いたヘフネルも首を突っ込んできて、ミーハー丸出しで興奮している。


「おいおい何だお前ら、よせよ~」


 サベルはサベルで、満更でもないらしい。


「あ」


 とここで、ヘフネルから出た『証拠』という言葉を聞いた流護の脳裏に甦る話題があった。


「そだ、ヘフネルさん。ちょっと気になってたんすけど」

「ええ、はい。何でしょう?」

「レノーレの屋敷から、あいつがオルケスターとかってのとかかわってた証拠が色々と見つかった……とかって言ってましたよね」

「ええ、はい」

「昨日も、話の途中で思ったんですよ。ちょっとおかしくないすか? 何でレノーレは、そんな証拠を放置したのかって。いざ行動を起こしちまえば、屋敷が捜索されるのなんて目に見えてんのに。実際それで、あいつの目的とかオルケスターとの繋がりとかが判明した訳っすよね」


 そう聞いて、傍らのベルグレッテが思案顔となる。一方の問われたヘフネルは、


「ううーん……僕もその捜索に参加したわけではないので、詳しくは知らないんです……」


 何とも頼りない回答だ。


(証拠を片付ける暇がないぐらい急いでた……とか?)


 ここできっちり証拠隠滅をしておけば、未だに事件が明るみに出ていなかった可能性すら……すでに目的を達成していた可能性すらある。レノーレやオルケスター側としては、どう考えてもそちらのほうが動きやすい。どころか、手がかりをそのままにしたのは、致命的ミスとすら呼べる。


(タイミング的に、玄関の戸が変な壊れ方してたってのは関係なさそうだし……ただのミスなのか? それとも……証拠を放置しても構わないと思ったのか?)


 レノーレはその寡黙さから目立たないが、ベルグレッテに負けず劣らず頭が回る人物。もし意図的なものだったとしたら、その目的は?

 たまにこうした疑問や引っ掛かりを閃く流護だが、なかなかその核心に迫るまでには至らない。探偵役はこなせないのだ。それに相応しい人物といえば、


「ベル子、何か思い当たるか?」

「……ううん、現時点ではなんとも」

「情報が少ないか。やっぱとりあえず、王宮で話を聞いてからだな」


 彼女でも今の段階では分からないらしい。やはり今は、そう結論せざるを得なかった。


 とにもかくにも六人もの人間が集まっていることもあって、なかなかに会話の波が途切れることはない。


「そういやぁバダルノイスってのは、酒の方はどんな感じなんだい。何やら、とんでもなく強い逸品があるらしいって噂は聞いてるんだが」


 杯を傾ける仕草でヘフネルに質問するのはサベルだ。かなり『いけるクチ』のようで、思い返せば酒場や宿でも席に着けば飲んでいた印象がある。


「ええと……それはヴォルンクォートのことですね。とにかく寒い地方なので、身体を温めるために強い酒が重用されてます。あれ以上のものは、大陸中を探してもお目に掛かれないんじゃないかなと」

「ほう、そいつは楽しみだ」

「え~……? バダルノイスって、この辺りよりもっと寒いのー?」


 自分の肩を抱きながら嫌そうな顔をするのはジュリー。


「ええ。北へ行けば行くほど、冷え込みは厳しくなります」

「うぅ~、オシャレを愛する身としては、これ以上の厚着は避けたいのに~」


(これ以上の……厚、着……?)


 流護的には、丸出しのヘソやら生脚やら、改善する余地はいくらでもあるように見えるのだが、彼女にとっては違うらしい。雪国でも生脚が標準の女子高生みたいなものか。


「大丈夫だ、ジュリー。寒ければ、いつでも俺が暖めてやる」

「きゃあぁぁ! もう、サベルったら! 嬉しい!」


 そんな仲睦まじい男女を、「何だこいつら……」と言いたげな苦い顔で見やるエドヴィン。賑やかな雰囲気の中、ベルグレッテは窓の外に流れる銀世界を眺めていた。


「ベル子は、バダルノイスのお偉いさんとかに会ったことってあんのか?」

「ん……ううん。オームゾルフさまのお名前を聞いたことがあるくらいで……」

「ふむ、そうなんか」


 考えてもみれば当然か。

 両国の交流がもっと盛んだったなら、学院へ入ってきたレノーレの素性にベルグレッテが気付いていた可能性もある。

 そしてレノーレも、自分のことを知っているかもしれない人間がいる場所を留学先には選ばないだろう。


(雪の国バダルノイス、か)


 ロック博士から聞いた話でしか知らない、一度は滅びかけた不遇の国。

 今さらながらに、まだ見ぬ北国を夢想する流護だった。






 次第に雪が深まっていく景観の中、小さな村に寄ったり、街道外れの街で宿泊したりしながら、馬車に揺られること五日。

 昼下がりを迎えた頃、流護たち一行は長い中立領土を抜け、いよいよバダルノイスの国境付近へと到着した。

 白一色の街道、その先に多数の兵士たちが陣取っている。


(警察の検問みてーだな……)


 その物々しさに、流護は目を見張った。

 テントや焚き火、野外に設置された武器立てや大砲などもちらほらと見えており、厳戒態勢が敷かれているのは一目瞭然。

 前を走っていた馬車も停められ、御者や乗員があれこれと質問を受けているらしい。荷台も改められている。入国目的や持ち物の確認を念入りに行っているのだ。

 次は流護たちの番となるので順番待ち中だが、停車してかれこれ二十分以上は経っていた。


「随分と時間が掛かるこったなァ」

「事情が事情なので……。ただ皆さんの場合は、こちらが招いた形になりますから、すぐにお通しできるはずです」


 退屈そうなサベルの呟きには、ヘフネルがすまなそうに答えた。

 ようやくに前の馬車が終わり、一行の車両が進み出る。窓を開けて、ヘフネルが名乗りを上げた。


「ハルシュヴァルト駐在のヘフネル・アグストンです。オームゾルフ祀神長の命により、お客人をお連れしました」

「ん……ああ、例のお客人か。聞いてるよ。ええーと……お待ちしておりました」


 ハキハキ報告したヘフネルとは対照的、顔を覗かせた兵士にはあまりやる気が感じられない。名簿らしき紙を取り出し、照らし合わせるように読み上げる。


「念のために少し確認を。ええと……? リューゴ・アリウミ氏」

「あ、はい」

「ベルグレッテ・フィズ・ガーティルード氏」

「はい」

「サベル・アルハーノ氏」

「あいよ」


 そこで、兵士は訝しげに乗車室内へ――まだ呼んでいないジュリーとエドヴィンに視線を巡らせる。


「あとは……お連れの方が二名、でよろしいか?」

「ちょっとちょっとー!」


 髪をかき上げて抗議するのは、麗しきトレジャーハンターの女性だ。


「何よー、その雑な扱いは! どうしてそこでいきなり『その他二名』、みたいな扱いになっちゃうワケ!?」

「はあ……」


 抗議を受けた兵士の顔には、「そんなことを言われても」といった内心が如実に表れている。


「ほらほら、エドヴィンくんも何か言いなさいよ。オマケ扱いよ、あたしたち」

「あー? イヤ、俺ぁ別にどーでもいーんだけどよ……」

「ええい! あたしはジュリー・ミケウス! サベルの唯一無二の相棒なんだから! サベルとあたしは二人でひとつ! そこんとこよろしく頼むわよ!」


 胸を反らす彼女だが、当の兵士は「はあ」と気のない相槌を打つのみ。彼がついでのようにエドヴィンへチラリと目を向けたのも一瞬のこと、特に何か言うでもなく、名簿に書き込みを始めた。

 エドヴィンはエドヴィンで、ジュリーのように名乗りを上げたりしない。面倒くさそうに頬杖をついて、窓の外を眺めるのみ。そもそも、ファンタジー版ヤンキーの見本みたいな男である。つい先日まで捕まっていたこともあって、わざわざ公僕の人間と口をきこうとは思わないだろう。


 ヘフネルの予想通りにさほど時間もかからず許可が下り、いよいよ流護たちはバダルノイスへの入国を果たすこととなった。


「やっとここからバダルノイス本国、か……」


 窓ガラスの曇りを指の腹で拭いつつ外を眺める流護だが、景色は代わり映えしないな、と息をつく。まあ、国境を越えた途端に変わるものでもない。


「では着いて早速で申し訳ありませんが、このままバダルノイス王宮……氷輝宮殿パレーシェルオンへ向かいます。そこで、オームゾルフ祀神長と謁見していただくことになります」

「承知しました」


 力強く頷くのはベルグレッテだ。

 いきなりといえばいきなりだが、観光に来た訳ではない。兵士や賞金稼ぎに追われているレノーレの現状を考えたなら、一分一秒でも早いほうがいいはずだ。


「あっ。やだもー、また降ってきたわね」


 ジュリーの言葉に釣られて、皆が一斉に外へ目をやる。

 淀んでいた灰色の空から、泣き出すように小粒の雪が注ぎ始めていた。






 バダルノイス神帝国。

 大陸暦七八二年現在の人口は約三万六千名、大陸最北西部に位置する小国。

 中央に位置する『白の大渓谷』を境として、国土は北側と南側に大きく二分される。皇都イステンリッヒは南側に属す。


 北を白峰天山ブリケル・ピーク、東を北の地平線(ノース・グランダリア)、西をダンバード海、南を中立地帯に囲まれており、冬ともなれば非常に冷え込みが厳しくなる地で知られている。

 この寒さの一因として、北にそびえ立つ絶壁じみた山脈、白峰天山ブリケル・ピークから吹き込む地薙颪モトルヴィードが考えられるが、そういった理屈も全て『氷神キュアレネーが支配する地域だから』という一言に引っくるめられてしまうほど、この国ではかの氷の女神に対する信仰が深い。


 そんなキュアレネーが力を分け与えたとでもいわんばかりに、国民のおよそ八割が氷属性持ち。こうした偏りは他の地域や住人には確認されておらず、稀有な例として識者の興味を惹いている。

 人種の身体的特徴としては、色白な肌と儚げな美貌を併せ持つ者が多く、雪の妖精(スノーフェアリー)と評されるほど。


 しかしそれゆえに、『氷精狩り』と呼ばれる惨劇が起こってしまった過去があり、他国人や余所者を快く思わないバダルノイス人は多い。

 そんなバダルノイス神帝国、現統治者であるエマーヌ・ルベ・オームゾルフが自らの意思で流護たちを招いたというだけでも、今回の事件の特異さは推し量れようというものだった。


「……リューゴさん、聞いてますか?」

「おっ、おう。ええ、聞いてる聞いてる聞いてます」


 ヘフネルから簡単なバダルノイス史についての説明を受けていた不勉強な少年だったが、夢の世界への入場を辛うじて踏み止まった。


 バダルノイスの中心地にして最大の都市、皇都イステンリッヒ。人口は一万九千人。レインディールやレフェと比較しても、やはり街の大きさの割に人が少ない印象だ。国の総人口が三万六千であることを考えれば致し方ないところか。


 そうこうしているうちに、皇都に入って小一時間ほど。

 窓の外には、根深い雪に埋もれた白の街が広がっている。建物の外観はレインディールとそう変わらないが、やはり最大の違いにして問題は雪だ。

 外門を潜ってから宮殿までは本来であれば二十分ほどの距離だそうだが、今は一時間が経過してようやく折り返したところ。除雪作業により、道が渋滞しているのだった。今しばらくはこの状態が続きそうである。


「…………」


 しかし流護としては、それほど退屈はしていなかった。

 その舗道の除雪作業が少々興味深かったのだ。


 今現在通っている広い路面の両脇に大きな四角い穴が等間隔でいくつも開いており、住民たちがそこへ次々と雪を放り入れている。すぐ横の壁に金属製の重そうな板が立てかけられているが、大きさ的にもこれが穴の蓋なのだろう。大人の男が数人ががりでもないと持ち上がらなそうだ。


(……バカでかい側溝みたいだな)


 よくよく眺めると、舗道の両端はグレーチングによく似た網目の金属板で縁取られている。物珍しげにその様子を見つめる流護の視線を追ってか、ヘフネルが説明した。


「あれは流雪水路です。その名前の通り舗道の脇に水路があって、ああやって雪を落として流すんですよ。人工的に造られた川みたいなもので、街の外まで繋がっているんです」

「へえー」

「普段は蓋を閉めていますが、多量の雪を流すため結構な深さがあります。除雪中に道を歩くときは気をつけてくださいね。毎年、誤って落ちて流される人が出ますから」


 大陸各地を渡り歩いてきたサベルでも珍しいのか、身を乗り出すようにしてそれらをしげしげと眺める。


「なるほどなァ。水の出所はどうなってるんだ? 相当な量が必要だと思うが」

「皇都の西を流れるフィルメンティス川から汲み上げた水を利用しています。ここからは見えませんが、街の中央部の小高い丘に制御塔がありまして」

「そこで水を汲み上げて流す訳か」

「ええ、はい。この塔にはバダルノイスの最先端技術の結晶が詰まっていまして、雪の降り具合から自動的に判断して水を流す仕組みがあるんです」

「えぇ~……? つまり、雪が降ってきたらその制御塔が勝手に判断して水を流してくれるってこと? すごいわねえ」


 ジュリーの驚きに、ヘフネルは「はい」と少し自慢げに頷いた。


「雪の程度にもよりますが、午前と午後に一回ずつ……一日二回、数時間にわたって放水することが多いですね。もちろん雪が降らない時は水は流れませんし、夜はそもそも雪かきをしないので、どれだけ降っても起動しない仕組みとなっています」

「とにかく水が流れてきたら雪を入れてね、ってことなのね」

「そうですね。普段の流雪水路には、ほとんど水は流れていないんですよ」


(うーん、相変わらず変なとこですげーっつか、ところどころ現代地球の技術を上回ってそうな部分があるっていうか)


 降雪量によって、自動で水を流す装置。

 流護個人としては、レフェの黒水鏡に続く驚きの神詠術オラクル技術だ。


「ですが、この制御塔にもまだまだ課題が多く……日々、宮廷詠術士(メイジ)や職人の皆さんは頭を悩ませているようです」


 莫大な量の川の水を汲み上げるため、機構に少なくない負担がかかる。それゆえに放水は一日二回が限度。あまりにも雪が多い日には追いつかないらしい。

 夜は住民が雪かきをしない――というより暗くて危険なためできないということで、水を流しても意味がないので塔は起動しない。

 ここで厄介なのは、夜に雪が多く降り、翌朝晴れてしまった場合。

 夜間絶賛お休み中だった制御塔は翌朝の『積雪量』ではなく『降雪量』でしか判断しないため、雪がたくさん積もっていても水を流してくれないのだ。このような場合は緊急対応ということで手動で塔を動かすそうだが、これもどうにか改善していきたい部分だという。


(桜枝里も言ってたけど……雪の問題ってのは、簡単には解決しねえんだろうな)


 科学の発展した世界でも、魔法みたいな力が実現する世界でも、大自然の脅威の前には悩まされるということか。

 懸命に除雪作業に勤しむ都民たちの姿を車中から眺めつつ、流護は何の気なしに口にする。


「そいや、ハルシュヴァルトにはこういうのなかったっすね」

「ええ、はい。やはり向こうとここでは、雪の降る量がまるで違いますから……」


 こういう地域に住むのも大変だな、と思いつつ視線を横向けた流護の目に、それが映った。


「お……、何だあれ。でかっ」


 ゆっくりと道を行く、黒い毛長の牛に似た大きな動物だった。体長は四メートル前後もあるだろうか。牛のようにガッチリしていながらも、鹿みたいな立派な角を生やしている。この大きな獣に横幅のある『ヘラ』らしきものを引かせ、道路に堆積した雪を運ばせているのだ。


(パワフルすなぁ。除雪車の代わりってとこか)


「あれはカロヴァンと呼ばれる家畜です。見ての通り力持ちで、きちんとしつければあのように雪を運んでくれるんですよ」

「うまそう」

「いや、はい、ん? えぇ……? いえ、食用ではありません……よ……?」

「おっきな身体だけど、動きはのっそりしてて大人しそうねぇ」


 カロヴァンや除雪作業が珍しいのは流護だけではなく、感慨を漏らしたジュリーや他の面々も窓の外を興味深げに眺めている。


「ええ、はい。彼らは温和な性格ですが、とても力持ちで働き者なんです。昔からバダルノイスには欠かせない存在ですよ。近年になってオームゾルフ祀神長により多くのカロヴァンが確保され、雪どけの作業もかなり楽にはなっているんです。僕が子供の頃よりは、明らかに」


 ヘフネルは自分のことのように声を弾ませる。


「それだけではありません。オームゾルフ祀神長は、これまでなかったことに意欲的に挑戦されています。定期的に意見陳情会を開き、都民の声を直接聞き入れたりだとか。バダルノイスはこの厳しい気候から食べ物の実りも少ないので、その確保にも力を入れておられます。とにかく色々な新しい手法で、改革を進めようとしている方なんです」

「へー……。オームゾルフ……ししんちょう? ……様は、元々は宗教の偉い人? なんでしたっけ」


 エマーヌ・ルベ・オームゾルフ。

 五年前、若冠二十一歳で女性としては最高の地位を授かり、教団を実質まとめ上げていた人物……と、事前にロック博士から聞いている。


「ええ、はい。元はキュアレネー神教の女司祭を務められていたお方です。才気煥発で、見目麗しく……誰に対しても分け隔てなくお優しい、素敵な女性ですよ。詠術士メイジとしても高い能力を持ち、かつては教会附属の学院を首席で卒業されているんです」


 ヘフネルは自分のことのように誇らしげだ。

 サベルがやや言いづらそうに口を挟む。


「気を悪くしたらスマンが……『滅死の抱擁(グルスァンブルス)』と『氷精狩り』で主要な政治屋が軒並み下手打って消えちまって、やむなくオームゾルフ祀神長が担ぎ出された、って経緯らしいな」

「……これまでの我が国が優秀な為政者に恵まれなかったことは、事実だと思います……」


 バダルノイス国民の若兵は悔しそうに唇を噛む。


「ですが、これからは……エマーヌさま――オームゾルフ祀神長が、よりよい未来へと導いてくださるはずです!」


 そんな若兵の意気込みはともかくとして、流護は今の発言で気になった部分を率直に尋ねてみることにした。ほじくり返す、ともいう。


「今、エマーヌ様って言った後オームゾルフ祀神長って言い直しましたよね? 何でですか?」

「い!? いえっ! そ、そんなことはありません! ぼ、僕如きが、あの方を下のお名前で呼ぶだなんて……! 決してそのような大それたことは……!」


 昨夜のエドヴィンばりの自爆だった。サベルがくっくっといやらしく笑う。


「そういやあ、随分とおキレイな人らしいなァ。オームゾルフ祀神長は」

「そっ、そうですね。ひ、非常に清楚で、おくゆかしく……その、美しい女性と思います、はい、ええ」


 立場上否定もできず(するつもりもなさそうだが)、ヘフネルは顔を真っ赤にしてうつむいた。


「……『真言の聖女』、かあ」


 そこで呟いたのはベルグレッテだ。それは役職や二つ名とも異なる、もうひとつのオームゾルフの呼び名。


「ああ、それねー。いやいやー、いくら何でもありえないわよ~。『生まれてからこれまで、一回も嘘をついたことがない』だなんて」


 ジュリーの疑わしげな言葉通り。『真言の聖女』、その由来である。オームゾルフは命を授かって以来の二十数年の人生の中で、一度も嘘偽りの発言をしたことがないのだとか。


「それこそ嘘でしょ~」

「ほ、本当です! オームゾルフ祀神長は、世俗の常識では計りきれないお方なんです!」

「ほーん。で、ヘフネルくんは、そのオームゾルフ祀神長のことが女性として好きなワケよね?」

「なぁ!? なな、な、ぼっ、僕如きが、そのようなことっ、ゆ、許されるはずもなく……! あ、ありえません!」

「ほらっ。こーして、人は日常的にちょっとしたことで嘘をついたりするワケでーす。生まれてから一回も嘘をつかないなんて、絶対に無理無理無理無理」


 何とも説得力のある実例だった。


「それにぃ、嘘はオンナの武器でもあるんだから。より自分を謎めかせて、魅力を演出するのよ。使わないなんてもったいないわ」

「おっと、そいつは怖いな。ジュリーも、俺に何かウソついたりしてんのかい」

「やだ、あなただけは別よサベル! 愛する人にだけは、ありのまま本当の自分を見せるの! 心を許してる証でもあるんだから! 言わせないでよ、もうーっ」

「ああ、知ってたぜジュリー」

「もう、サベルったら~!」


 何なんだこいつら……とでも言いたげな苦い表情のエドヴィンの向かい席で、ベルグレッテは神妙な顔をしていた。


「難しいわよね。クレアは嫌うけど……嘘だから悪、と必ずしも断言することはできないわ。あえて嘘をつくことで、事態の悪化を防げることもあるし……」


 こちらは相変わらずの真面目さんである。


(……嘘、か)


 流護としては、言えることなど何もない。

 この世界へやってきたその直後から、記憶喪失を偽っていた身である。

 ともあれ本当に嘘をついたことがないのなら、嘘つき嫌いのクレアさんと気が合いそうだなあ、などと考える流護だった。


「あっ、つ、着きますよ! あれがバダルノイスの王宮……氷輝宮殿パレーシェルオンです!」


 ヘフネルの声に窓の外を眺めると、


「おお……!」


 流護を筆頭に、皆のざわめきが同調した。

 一時的に雪が降り止み、暮れなずんだ朱色の空の下。異常に大きな建造物が街並みの隙間から覗いている。

 特筆すべきは屋根の形状だろう。ボールの上半分のようなものが、城の上にデンと載っかっていた。


「すっげ! インドの宮殿みたいじゃん! タージマハル!」

「いんど? たーじ……? とは何です?」


 バダルノイスにおけるこれは、積雪を防ぐための構造らしい。

 神秘的な趣ある巨大建造物が、雪などものともしない力強さで街の奥に鎮座していた。

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