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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
11. 白氷世界のヘクセンヤクト
388/669

388. バダルノイス神帝国

「バダルノイス神帝国はね、一度滅びかけた国なんだ」


 いつもの咥えタバコ、大半が白くなったボサボサの髪、よれた白衣の三点セット。目の下に濃いクマを作ったロック博士が、遠い目でそう切り出した。


「そう……なんすか」


 出されたコーヒーを一口すすり、流護は何の気なしに相槌を打つ。


 それは、北方行きが決定したある日の昼下がり。

 研究の息抜きに、博士がバダルノイスについての文献や資料を探し色々と調べてくれたという。


 いつも通り、自室のようにソファでくつろぐ遊撃兵の少年だが、実は部屋の内装はかなり様変わりしている。例の魂心力プラルナ結晶の研究が始まってから、そこかしこによく分からない実験器具やら何やらが並べられていた。

 しかし研究の息抜きに調べものをしてくれるというあたり、やはり根っからの識者である。


「流護クンは、『移民政策』って聞いたことあるかい? 授業で習ったりしてないかな?」

「え? う、うーんと……聞いたことあるような、ないような」


『政策』などという難しそうな言葉が登場する時点で、残念ながら流護の脳味噌は考えることを放棄しようとしてしまう。


「ま、書いて字の如しだよ。余所の国から余所の人間を招き入れて定住させようって政策さ」

「はあ……、まあ、何となく言葉のイメージ通りっすよね」

「ちょうどボクがこの世界へやってくる前後かな……バダルノイスは、過去に類を見ないほどの大寒波に襲われたことがあったそうでね。実に一万八千人という規模の犠牲者が出てしまったんだ。当時の全人口が六万人ぐらいだったっていうから……およそ三十パーセントが失われたことになるね」


 短くなったタバコを灰皿へ押しつけながら、博士は古い語り部のように話し始めた。


 その大災害を通称、『滅死の抱擁(グルスァンブルス)』。


 氷神キュアレネーを怒らせてしまったがために起きた、大いなる裁きとされている。

 その猛威たるや凄まじく、激しい吹雪は昼夜の別がつかぬほどに天地を荒び、降り積もる雪は家々を破壊し埋め尽くし、かつてない暴風は通信術すら遮断したという。

 そんな寒冷地獄が、およそ一ヶ月もの間、バダルノイスのさる一地方を蹂躙し続けた。


「はー……、俺はあんま雪に馴染みないから、ちょっと想像つかないっすね……」


 日本は新潟県、それも豪雪地帯出身だという桜枝里なら、この災害の恐ろしさを実感できるのかもしれない。


「昔のバダルノイス地方はね、そもそも人が住めるような場所じゃなかったそうだよ。何百年もの時間をかけて、少しずつ厳しい気候が緩和されているって説もある。まぁ国の興りからして、ちょっと特殊な伝説を抱えてるしねえ」


 数百年の昔。

 ある流浪の民たちが、長旅の末に遥か北の地へとたどり着いた。彼らを迎えたのは、凍てつく寒さと視界を埋め尽くす猛吹雪。

 疲弊しきっていた一行にこの極寒の地を越えるだけの余力はなく、やむなく中途で倒れてしまう。再び立ち上がることも叶わず、いよいよこれまでと覚めることのない眠りにつこうとしたそのとき――


「現れたそうだよ」

「何がっすか?」

「氷神キュアレネーが」


 二本目のタバコを唇に挟み、白衣のポケットをあちこち改めながら博士が言った。マッチを探しつつ片手間で語る辺り、その伝説とやらを微塵も信じていないのだろう。『魔法』としか呼びようのない力を現実に目の当たりにし、あまつさえ研究対象としたこの変わり者は、しかし神の存在を肯定しない。


「キュアレネーから食料と住居を与えられ一命を取りとめた彼らは、その地に留まり、感謝の祈りを捧げ続けることにした。その人々が数を増やし、村と呼べる集落ができ、やがて街へと発展し、最終的には国が興った――というワケだね」

「はあ……大雑把っすね」


 大雑把に話したからね、とロック博士は笑う。


「それで本題に戻るけど、とにかく『滅死の抱擁(グルスァンブルス)』によって洒落にならない大打撃を受けたんだね、当時のバダルノイスは。で、さてどうやって国力を回復させようか、と思った王様は諸外国に向けて募集したワケだ。うちの国に移住しませんか。仕事も住む場所も提供しますよ、ってね」


 人民が減った。労働力も減った。

 なので他から補充します。


「これで元通りです。めでたしめでたし、というワケだ」


 博士は小馬鹿にしたような口調で締め括ってしまう。


「……え? いや、そんな単純な話……じゃ、ないっすよね?」


 流護はといえば、その怪しいハッピーエンドに速攻で異論を挟んでいた。


「ほう。じゃあ、何が問題かな?」

「いや、何がって……」


 表面上の人数としては、確かに元通りかもしれない。

 だが、


「いきなりヨソの国に移住したって、すんなり暮らせないっすよね。習慣とか食べ物とか違う訳だし」


 経験者は語る、である。まさに異世界へやってきた流護が、身をもって体感したことだ。


「しかもこの話の場合、人数が半端じゃねーし……」


 実に三割もの人間がバダルノイス外の者となる。世代が進んでいけば、現地人と他国人が交わり、『純血のバダルノイス人』は目に見えて減っていくだろう。


「そうなると、なんかもうそれってバダルノイスじゃなくなってね? っつーか……」


 上手く説明できないながらもそう主張すると、


「そうだね、出てきて然るべき懸念だ」


 うんうんと唸る様は偉い先生のようだ。実際に教師みたいな分類の人物ではあるのだが。


「もちろん、それが『未来のバダルノイスの姿だ』と皆が受け入れるのならそれもアリ。なんだけど……まあ……何となく察しはついたと思うけど、移民政策には色々と課題がつきまとう。この件ももちろん、例外じゃなかった」


 まず、流護が最初に思った疑問。自分でも味わった差異ギャップ。文化の違いである。

 バダルノイス人の常識が、他国人にとっても同じとは限らない。むしろ生まれ育ちが違うのだから、価値観も違って当たり前。

 思想、身なり、生活習慣、食事の内容や作法、信仰する宗教……細かく挙げればキリがない。

 たとえばレインディールと隣国レフェにおいても、神詠術オラクルの考え方からして正反対なのだ。アルディア王が積極的に介入するまで、両者は『遠い隣国』だった。


 それに一口で移民と呼んでも、その内訳は周辺や遠方、様々な土地から集まってくる人々。彼らは彼らでまた異邦人同士であり、それぞれの個性がある。決して一枚岩ではありえない。


「まあこの時の移民は、半数近くが東の隣国から集められた人たちだったって話だね。その頃、結構大きめの地震があったとかで、住む場所を失った人が続出したんだそうだよ」

「なるほど……でも、それにしたってあれですよね。そんなやばい災害があったバダルノイスに移住しよう、って思った人がよくそんなにいっぱいいたなっていうか」

「そこはホラ。今さっき、流護クンが言った通りさ」

「俺が? 何か言いましたっけ」

「『雪になじみがないから、想像がつかない』って。地域によっては、生まれてこのかた雪を見たことがない、って人もいる。自然の産物ではなく、氷属性の詠術士メイジが生み出すものだと思ってる人もいたりするんだよ」

「はー、まじで」


 死んだカブトムシを見た都会の子供が、「電池が切れた」と言った。どこかで聞いたそんな都市伝説が、流護の脳裏をよぎった。

 自分の中の『考えるまでもない常識』は、他人にとって同様とは限らない。


「そういう人々にしてみれば、吹雪なんて現象はおよそ理解の外にある怪異に違いない。それに、ごく一般の民衆は隣の国の事情まで知りはしないしね」

「なるほど……」


 レインディールとレフェなど、まさにそんな間柄だろう。この知識人たる博士ですら、レフェが昔の日本風な街並みであることを把握していなかったのだから。


「話を戻すけど……これが地球の移民問題なら、言語の違いなんかもネックになってくるね。ともかく――」


 何もかも、それこそ雪に関する知識すらも違う異国人同士。

 そうした根本的な部分の食い違いは、共存を困難にし、対立を容易にする。

 その規模が広がれば、やがて治安は悪化する。


「もちろん、必ずしもそうなるとは言わないよ。ただバダルノイスの場合、とにかく取り巻く事情に恵まれなかった」

「事情、すか」

「まず……そうだね。特に冬のバダルノイスに行ってきた研究者や商人に話を聞くとね、大概みんな口を揃えて言うんだよ」

「はあ。何て?」

「あんな寒くて雪ばっかりのところには、絶対に住みたくない……ってね」


 厚い雲に閉ざされた暗灰色の空。視界を奪う猛烈な吹雪。身体の芯が凍りつくような冷え込み。

 旅などでの一時的な滞在ならまだしも、これらと一生付き合っていくとなれば話は別。好待遇に惹かれてやってきた移民たちの最大の誤算は、想像を絶する寒さと雪だった。

 バダルノイス人にとっては生まれた頃から当たり前の環境。それらに対して備わっている知識。


 だが、余所の人間は違う。

 新たな労働力として見込まれるはずの移民の多くは、この過酷な環境に適応できず勤労意欲を削がれていった。


「慣れてるはずのバダルノイス人ですら、遭難したり、雪崩に巻き込まれたり、凍死したり、落雪に当たったり……。そんな具合で、毎年必ず死傷者が出るそうだからね」


 ちなみに死亡した場合、キュアレネーに選定され御許へ導かれたとバダルノイスの人々は受け取るそうだ。葬式では悲しみながらも祝う。そんな文化は、外からの人間にしてみれば異質で理解しがたいだろう。

 それでも彼ら移民は、居場所を失ってやってきた者たちである。もう帰る場所はない。次の宛てなしに出ていくこともできない。


「……で、働かなくても収入がなくても腹は減る。何とかしなけりゃ、生きていけない。それこそ、奪ってでも」


 そうして、国の治安は悪化の一途をたどる。

 典型的な移民政策の失敗例だね、と博士は気の毒そうに締めた。


「えぇ……でもそんな、なんつーかこう……簡単な話じゃねんだろな、とは思いますけど……そこまで上手くいかないモンなんすか?」

「さっきも言ったけど……その頃のバダルノイスは何もかも恵まれてなかったんだ。……優秀な為政者にもね」


 博士は言う。

 当時のバダルノイス王は、先述のような『環境の違い』を移民たちに事前説明しなかった。

 甘い報酬だけを提示し、都合の悪い部分は隠した。それに加え、移民の中には詐欺や騙し討ちのような形で連れてこられた者もいたという。


「えー……、いや、何でそういうすぐバレるよーなことするんすかね……」

「何とかなると思ってたのさ。とにかく移民たちをバダルノイスに連れてきて、報酬と住む場所さえ与えておけば、思い通りに彼らが働くと思ったんだ。まあ、ようは見込みが甘かったってことだね」


 当時の王はいわゆる世襲二世。

 その先代はとかく有能な統治者だったそうだが、唯一の欠点を挙げるとすれば『子に甘かったこと』で知られるという。

 何の不自由もなく親の庇護下で育った二世は、飢えや貧しさはもちろん、労働の過酷さも外の厳しい寒さすらも知らなかった。


「それで桁違いの財力だけは持っていて……、まあそれも先王の蓄えだろうけど、周りは周りでその金に目が眩んだイエスマンばっかりだったワケだね」


 そんな王でも、平和なうちは問題なかった。

 しかし『滅死の抱擁(グルスァンブルス)』に見舞われたことで、その力量のなさが――本性が浮き彫りとなる。


「この件で特に悪手だったのは……移民政策にかかる費用を、被災直後で苦しい民たちから増税という形で徴収したこと。それも、容赦なく多額に。国民の生活状況が全く理解できてなかったんだろうね。する気もなかったのかもしれないけど……とにかくこれで、バダルノイス国民は最初から移民によくない心証を持つことになってしまっていた」

「ん? その王様、金持ちだったんすよね」

「そうだよ。被災して苦しい状況だろうと、自分が贅沢するための金はビタ一文とて減らしたくない。だから、国民からガッポリ毟り取ったワケだ。本人は『皆で節制しこの苦しい状況を乗り越えよう』とか言ってたみたいだよ」

「皆でこの苦境を乗り越えよう(俺以外)ってか。絵に描いたみたいなクソ無能っすね……」


 アルディア王ならば、まず貴族や自分たちの生活を見直すところから始めるだろう。

 ちなみに過去のそうした節制の影響で、王の私室は驚くほど私物が少なくがらんとしている。初めて招かれた流護は、あまりの何もなさに空き部屋かと思ったほどだ。


「もちろん移民たちに罪はないワケだけど、『こいつらが来たせいで俺たちは苦しい思いをしてる』って考えるバダルノイス人が出てくるのもやむなしな状況さ。移民たちの仕事が長続きしなかった背景には、こうした地元民の反感からくる人間関係の軋轢もあったみたいだね」


 そうして、仕事を失い窃盗行為などで食い繋ぐ移民たち。

 苦しい思いをしてまで外の人間を受け入れたにもかかわらず、彼らに盗まれ奪われ、より不満を募らせるバダルノイス国民たち。


 両者の溝が、修復不能の亀裂へと拡大するのはもはや時間の問題だった。


「そんな中……移民たちの間で、とある異常な噂がまことしやかに囁かれるようになったんだ」

「異常な噂?」


「近頃この辺りにやってくる人買いが、バダルノイス人を高値で買い取ってくれる――ってね」


 沈黙。

 たっぷり十秒もの間を置いて、


「いやいやいや……いやいやいやいや」


 流護の口から漏れた連呼には、「そんな馬鹿な」「信じる奴いるのかよ」といった意味合いが多分に含まれていたが、


「街に充満する険悪な空気、過酷な寒さ、募る不満、食うに困る貧困……。案外、簡単だよ。追い詰められた人間が、禁断の一線を越えてしまうのは。まして、テレビや新聞、ネットなんてない世界だからね。情報っていうものは、思いもよらないものが思いもよらない形で広がっていく。正誤なんて関係なしに」

「…………、」

「人は苦しい状況にあれば、まともな判断もできなくなってしまうものさ」

「そら、そうかもっすけど……」

「バダルノイス人は元々、色白で髪もさらっとして、瞳もキレイで……雪の妖精(スノーフェアリー)なんて呼ばれたりもしてたんだ」


 そう言われ、レノーレの物静かで優雅な佇まいが流護の脳裏に思い浮かぶ。『雪の妖精(スノーフェアリー)』という呼称は、確かにピタリと当てはまる印象だ。


「元々、闇社会ではバダルノイス人の『そういった需要』も高かったみたいでね。後の状況を鑑みるに、裏で人買いの組織がこの状況を利用して移民を焚き付けていたセンが濃厚だ」


 抑圧されていた鬱屈も手伝い、移民たちは次々とバダルノイスの人々を襲うようになった。

 そしてもちろん、国民もやられっぱなしではない。反撃に転じ、各地で抗争や小競り合いが勃発するようになる。


「もうメチャクチャじゃないすか……で、例の王様は何してんすか」

「逃げたよ」

「は!?」

「より高貴な身分のバダルノイス人ほど金になるって噂が蔓延し始めて、真っ先にトンズラさ。これによって、事態はより混迷を極めることになる」

「殿堂入りのクソっぷりにコメントのしようがねえ……」


 主が不在となり、兵士や騎士たちは各々の判断で反乱の対処に当たることなって、統制も取れないまま苦戦を強いられた。


「で、この機に乗じて奴隷組織やら人さらいが本格的に現れ始めて、バダルノイス人を標的に好き放題やり始めた」

「火事場泥棒ですかね……」

「そうしてもう勢いがついて、止まらない状態へと膨れ上がっていくワケだね」


『氷精狩り』。

 この惨劇は、後にそう呼ばれることとなった。


「そして、バダルノイス全体の三割にも及ぶ移民の数。彼らの大半が本格的に反旗を翻したなら、それはもはや立派な――」


 内乱、である。

 こうして、国を大きく二分する規模の戦いが勃発してしまった。


「もう目も当てらんねえ……聞いてるのきつくなってきたぞ」

「しかしてここで、とあるバダルノイス人の少女が注目を集めることになる。その名をメルティナ・スノウ。当時、まだ十一歳だったそうだよ。貴族の令嬢だった彼女は当然『氷精狩り』のターゲットになったワケだけど、かの国が抱えているただ一人の『ペンタ』でもあった。移民からは獲物として、国民からは戦力として関心を集めたんだね」

「お、『ペンタ』ですか。にしても、十一歳って……俺らの常識で考えたらまだ小学生じゃないっすか」

「まあ地球上でも、紛争地域においては十歳にも満たない子が少年兵として駆り出されたりもするからね……。とはいえやはり、異世界ゆえと言うべきなのかな。メルティナ・スノウの能力は大人と比較してもまるで遜色ない……どころか、すでに最高位の詠術士メイジとして完成していたそうだよ」


 相も変わらず突飛にすぎる。過去に天轟闘宴を制したという『ペンタ』なども、当時十三歳だったと聞いている。何というか、年齢がまるで足枷にならない能力の高さはさすがと評すべきか。

『氷精狩り』、及び内乱は十二年前の話とのことなので、現在のメルティナは二十三歳ということになる。


「宮廷に仕える身でもあった彼女がこの事態に立ち上がり、本格的な反撃に打って出たんだ。……まあ年齢を考えると、担ぎ出された――と言う方が正しいのかもしれないけどね」


 踏んだり蹴ったりのバダルノイス暦程で流護もすっかり失念していたが、ここは剣と魔法のファンタジー世界。『ペンタ』と呼ばれる、常識を突き破った神詠術オラクルの使い手が存在する世界だ。

 普通の人間を優に凌駕する彼らならば、


(……正面からぶつかっても、二、三十人程度なら軽く蹴散らすだろな。ディノみたいな戦闘特化した奴なら、その倍でも余裕だろうし。ただ……)


 超越者も人の子。

 凄まじい神詠術オラクルを扱えようと、無尽蔵に等しい魂心力プラルナを持っていようと、こと体力には限りがある。睡眠や食事、休息なしに延々と闘い続けることはできない。

 たとえ彼らでも、大群と衝突したなら絶え間なく攻め立てられ続け、やがては力尽きることだろう。

 千人、万人からなる規模がぶつかり合う、戦争という舞台。いかに『ペンタ』であっても、単騎で戦局を変えることなど到底不可能。漫画やゲームではないのだ。

 まして当時のメルティナがまだ十一歳だったとすれば、精神も体力も続くはずはない。


(そいや前に、学院長は「千人だろうと相手にできる」とか言って笑ってたっけ……)


 誇りと自信に満ち溢れた、『ペンタ』らしい大口トラッシュトークといえる。本当にやってのけそうな雰囲気もまた、あの人物の恐ろしさ――


「一万四千」


 と、おもむろにロック博士が呟いた。


「?」


 その数字の意味が分からず眉根を寄せた流護へ、博士は結論から述べる。


「メルティナ・スノウがやっつけた移民の数さ。彼女はほぼ単独で、反乱した者たちの八割……およそ一万四千人をねじ伏せたんだ」


 またも一拍ほどの間を置いて。


「いやいやいやいや……いやいやいや」


 流護は、つい数分前と全く同じ反応にならざるを得なかった。


「一人で? 一万四千人を? いくら『ペンタ』つったって、十一歳が? ないっすよ。中学生の妄想じゃねぇんだから」


 盛るにも限度があるだろ、と流護がツッコむと、


「もちろん、一万四千の軍勢と真っ向から衝突したワケじゃないよ。戦乱のバダルノイス中を駆け回り、勃発する戦闘に飛び入っては鎮圧して……これを繰り返しに繰り返すこと、実に九ヶ月。この期間に彼女によって倒された移民の数が、総計で一万四千人。このメルティナ氏の活躍が肝となって、バダルノイスは内乱を治めることに成功したんだ」

「ああ、そういう……、いや、でもそれにしたってなぁ」


 北方の英雄、メルティナ・スノウ。

 逸話として脚色されている部分も多いのだろうが、凄まじい使い手であることに違いはないようだ。


(よっぽど対多数に向いた技を持ってるのか……、にしても)


 何より凄まじいのはその精神メンタルだ、と流護は戦慄する。

 わずか十一歳の少女が、九ヶ月もの長きに渡って、来る日も来る日も戦場を駆け巡る日々。並の人間であれば、心を病むことは確実だ。未だ人を殺すことを忌避し続けている流護には、正直及びもつかない。


「メルティナ氏は、非常に早熟した精神を持つ大人びた娘さんだったみたいだよ。人当たりもよくて男勝りで、仲間を鼓舞して先頭に立ち続けたそうでね。そういった面も、逸話を盛り上げる要素になってるんだろうね。もちろん、多少の脚色はあるんだろうけど」

「マジで? すげーな……。女主人公か何かかですかね……」


 凄まじい人物がいるものだ、と世界の広さを痛感する。


「こうして、どうにか内戦は収まったワケだけど……バダルノイスが抱える問題は山積みさ」


滅死の抱擁(グルスァンブルス)』で疲弊した国力を回復させるための案だった移民政策は失敗。それどころか内戦に発展し、より多くを失う羽目になってしまった。


 移民も無論、一人残らず全員が叛徒となった訳ではない。厳しい新天地で堅実に勤め上げている者たちもいたのだ。

 しかし今回の件で、そうした者たちも『忌々しい余所者』と一括りにされ、差別や迫害を受ける空気が生まれてしまった。


「結果論になっちゃうけど……この一連の出来事で、バダルノイスが得たものは何もなかった。ただひたすらに、多くのものを失っただけでね。ここで最初のセリフの状態になるんだ。バダルノイスは一度滅びかけた――とね。結果として、人口は三万人とちょっとまで減ったそうだよ」


 冗談のような凋落っぷり、としか言いようがない。


「災害前は六万人だったんすよね? ほとんど半分になっとるやんけ……。つか、三万人て……国としてやってけんすか、それ」


 流護も参加したレフェの天轟闘宴、その観客の数が三万だったはずだ。一国の人口がその範囲に収まってしまうという図は、現代日本の感覚が拭い切れていない流護には想像しがたい。何しろ、自分が住んでいた市の半数にも満たないのだ。

 しかし、博士は平然としていた。


「地球にも多いよ、人口の少ない国は。ミニ国家、果ては自称国家ミクロネーションなんて呼ばれるものも存在するからね。まあ確かに、ボクも都心に住んでた身として流護クンの言いたいことは理解できる」

「で、今のバダルノイスは……? 少しは持ち直したんすかね」


 恐る恐る尋ねた流護に対し、博士は首を横へ振る。処置なし、と告げる医者のようだった。


「一部の間で一夫多妻制を認めたりするようになったけど、成果が出るのはまだまだ先の話だし……主要な立場の人間が逃げるか殺されるかしちゃったから、国を動かす人間も足りてない。かといってずっと主導者不在ってワケにもいかないから、今はキュアレネー神教会の偉い人を引っ張ってきて、彼女をトップとして据えてる状態だよ」

「彼女? ってことは女の人なんすか」

「ああ、うん。名前はエマーヌ・ルベ・オームゾルフ。通称オームゾルフ祀神長。二つ名は『大霊讃華リエンキルフェント』、巷では『真言の聖女』とも呼ばれているそうだね。そもそも宗教団体の人で政治屋じゃないし、まだ二十代半ばぐらいの若い人だって話だけど、少し前の王族や貴族よりはよっぽど上手くやってるみたいだ。もちろん、当時からずっと苦しい状況が続いてることは違いないけど」

「はあ……。なんつーか、少しはよくなるといいっすね……」


 散々なバダルノイスの不遇っぷりに、思わずそんな感想が口を突いて出た。しかし、


「すぐには難しいだろうね」


 白衣の研究者は苦い表情を変えない。


「これは地球での例になるけど……六世紀の東ローマで黒死病ペストが猛威を振るった際には、人口のおよそ半数が失われて、国家が機能不全に陥ったそうだよ。この状況から立ち直るまでに、およそ三百年を要したとされているね。実に九世紀までかかったワケだ」

「……さ、三百年て……」

「まあ、規模こそ違えど同じく人口が半減したバダルノイスが再興するまでに、やはりとても長い年月が必要になることだけは間違いないと思うな」


 博士はタバコの紫煙を大きく吐き出しながら、そのように言葉を結んだ。


「はー。ぶっちゃけ俺にしてみりゃ他人事になっちまうけど、聞いてるだけでもしんどい話すね……」

「他人事かどうかは分からないけどね」

「え?」


 即座の返しに困惑し、流護は思わず博士を凝視する。


「もちろん、大きな声で言えることではないけど……今のレインディールは正直なところ、アルディア王ワンマンの国家だ。今もし陛下に何かあれば、この国も……」


 博士は、その先を明確な言葉にはしなかった。


(…………)


 流護自身、知った当初は驚いた覚えがある。

 明晰な頭脳と狡猾な智謀で政治を取り仕切り、圧倒的な武力にて強者の群れ『銀黎部隊シルヴァリオス』を束ねる、最高の為政者にして最強の戦士。まさしく全てにおける頂点。自分だけで何でもこなしてしまう、ミスターオールマイティ。それがアルディア・グレンスティール・レインディール。

 妻となる聖妃エリーザヴェッタは稀代の詠術士メイジにして準最高権力者という位置づけだが、後者については形だけのものだと聞いている。

「俺が全部やるから嫁に来てくれ」とプロポーズした王が、宣言通り全てを一手に引き受けているとのこと。


 実娘のリリアーヌ姫はまだ十五歳。彼女もまた才気に溢れ、人を惹きつけるカリスマ性にも恵まれている人物だが、父とは対極の心穏やかな性格で、裏を返せば押しが弱いとも表現できる。王に何かあった場合、すぐさま後を引き継げるかどうかはまた別の話だ。

 アルディア王自身は百五十歳まで生きるなどと豪語しており、もう二年もすればリリアーヌ姫も一人前(意味深)になると笑っているが、


(バダルノイスみたいに……いきなり、予想もしてない異常事態が起きたら……か)


 不吉な思考から意識を逸らす思いで、窓の外を見やる。

 冬の空は、よからぬ何かを暗示するかのように黒々と渦巻いていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やべえ、読んでてマジでしんどくなってきました。 無能な権力者とかもう災害と変わりませんね。怨魔よりタチが悪い。 それはそれとしてメルティナ凄まじいですね。9ヶ月で1万4千人って1ヶ月で約1…
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