387. 研ぎ澄ます藍色
流護は客室のベッドに横たわり、天井の木目を眺めていた。
下階に呼ばれる前まで就寝前のストレッチで身体をほぐしていたはずが、眠る気などまるで失せてしまっていた。
「…………」
思いもよらぬ、王宮からの招待。
出向けば状況が好転する、またとない機会――ではなかった。
最悪の仮定を突きつけられてしまった。
親友を犠牲にしてまで……外法の力や組織に頼ってまで、母親を治療しようとしているというレノーレ。
家族を、ただ一人の母を助けたい一心で。
もし自分が同じ立場に置かれたらどうするだろう、と少年は自問する。
(例えば……彩花が)
今も眠り続ける、あの少女が。仮に目を覚ましたとして、自分のことを覚えていなかったら。きれいさっぱり忘れていたら。
あの見慣れた顔。聞き慣れた声。互いを知り尽くしているはずの幼なじみに、言われるのだ。「あなたは誰?」と。
「…………、」
想像すらしたくない悪夢に、背筋が震えた。
「……よっと」
それらを振り払うように勢いをつけて、ガバリと起き上がる。
ベルグレッテは沈痛な面持ちで自室に戻っていった。今も塞ぎ込んでいることだろう。
「……うっし」
ちょっと話でもしにいこう、と部屋を出る。別に、何かいい考えがある訳ではない。ただ、彼女を少しでも元気づけたかった。
あの沈みようでは門前払いにされるかもしれないが、行くだけ行ってみよう、と前向きに考えて。
軋む板張りの廊下を少し歩いて、ベルグレッテの部屋の前に立つ。ドアの隙間からは明かりが漏れている。まだ起きているはずだ。
「えーと流護だけど。ベル子、いるかー」
こんこん、と控えめに戸を叩く。
反応なし、あるいは「今は一人にして」といった返事も想定していたところだったが、
「ああ、リューゴ? どうぞ」
中からは、落ち着き払った少女騎士の声が返ってきた。
「……、お、おう。お邪魔するぞ」
ちょっと意外に思いながらも、扉を開けて入室する。
「――――!」
と同時、流護は目を見張っていた。
窓際のベッドに腰掛けて、外の夜景を眺めるベルグレッテ。その表情が、現状を悲嘆する弱々しいものではなく――キリリと引き締まった、強さを感じさせる面持ちだったから。
「ベル子……」
「なあに?」
「えーと、いや……」
励ますつもりでやってきた少年としては、つい面食らってしまう。
「……ふふ。もっとがっくり落ち込んでると思った?」
「いや、まあ……うん」
見透かされている。彼女は変わらない顔のまま、自嘲気味に言う。
「もちろん、それはもう落ち込んでるわ。今の私は悪い夢を見てるんだー、って自分に言い聞かせたいぐらいにはね」
膝を抱き、体育座りになりながら。
「ね、リューゴ。私の頬をつねってみて」
「は、はぁ? 何言い出してんだよ、いきなり……」
「いいからっ。前にニホンに迷い込んだとき、リューゴも私に頼んだでしょ?」
「は、はあ……」
んっ、と顔を突き出してくる少女騎士にドギマギしながら近づき、その柔らかなほっぺをそっと摘まんでみる。ずっと触っていたい、すべすべした心地よさ。とても捻りを加える気にならず、かすかに上下させるのみに留めた。
「……ヒューホのゆひ、ふへひゃい」
「寒いからしゃーない」
彼女らしからぬ、ふにゃふにゃした喋りに心が和む。照れもあってすぐに離すと、
「……夢じゃ、ないのよね」
自分の頬をさすったベルグレッテが、小さく呟く。
「もう、驚きの連続よ。今まで知らなかったレノーレのことが、次から次へと明らかになって……」
「そうだな……」
流護は窓辺に寄って外を眺めた。
「……でも俺さ、皆に自分のこと話さなかったレノーレの気持ち、ちょっと分かる気がするんだよな」
ガラス越しの夜の街は、自分の部屋から見える景観とはまた異なっていた。立ち位置を変えれば、見える部分もガラリと変わる。どこか、今回のレノーレの件に通じる部分があるようにも思えた。
「俺もこの世界に来て……記憶喪失だって嘘ついてまで、皆にホントのことは話さなかった。そら事情が事情だったから、正直に話したって信じてもらえないとか、怪しまれるとかってのが理由の大半ではあったけど……。今にして思えばやっぱ、知られたくなかったってのもあったんだ。『有海流護』って人間を」
「……どういうこと?」
「リューゴ・アリウミじゃなくて、有海流護なのがミソな」
空手部のエースと目されて鳴り物入りでデビューするも、惨めに敗退。ふて腐れて、無気力な毎日を怠惰に過ごして。
そんなみっともない過去を、そんな人間だということを、ベルグレッテたちには知られたくなかった。
「レノーレも多分、バダルノイスの元・宮廷詠術士って過去を言いたくなかった。まぁ俺とは正反対で、むしろ立派な過去だと思うけど……色眼鏡で見られたくなかった。だから『ただのレノーレ』として、わざわざ遠いミディール学院に入った。気兼ねなしで、『学校に行ってみたかった』から」
これは昼間にも話した仮定。
そして、もうひとつ予測できることがある。自信を持って言えることがある。
「そんでさ。あいつにとって、いざ体験してみた学院生活は……想像してたより、ずっと楽しかったんだ。だって、学院辞めなかった訳だろ。一年、二年とずっと。レノーレはミディール学院卒業の証が欲しかった訳じゃねえだろうし、いざ実際に通ってみてつまんなかったなら、さっさと辞めちまってもよかったはずなんだ。しがみついてる理由なんてねえんだから」
今回の件とて、メイドのウェフォッシュがヒョドロに言われるまま退学届けを出してしまっただけだ。レノーレの意思ではない。
にっと笑いながら、流護は確証を持って言い放つ。
「あいつは楽しかったんだよ。ベル子たちとの生活が。なんつってもほら、故郷を出て『こっち』に永住を決めちまった俺が言うんだから間違いねえ」
「リューゴ……」
ベルグレッテは、驚いたように目を見開いて。
「……うん」
花のように、微笑んだ。
「気を遣ってくれてありがと、リューゴ。私は……大丈夫」
強い光が宿った瞳。強がりではないように見える。
「できることなら、私はレノーレを連れ戻したい。けれど」
覚悟を決めたように、わずかな間を置いて。
「もし……想定しうる、最悪の事態になるのなら。私は――」
もし、レノーレがすでに親友を手にかけ、引き返せない領域まで踏み込んでしまっているのなら。
「私は、迷わない」
騎士として、ひとりの親友として。
彼女に、立ち向かう。
強い光を宿す瞳は、そんな意志の表れだった。




