386. 絶望の輪郭
たっぷり沈黙の間が満ちること数秒。
「……ん? いや……何で『ペンタ』が誘拐されてんの? レノーレに」
流護は間の抜けた声で問いかけざるを得ない。
確かにレノーレは優れた詠術士である。しかし、あの超常人類たる『ペンタ』――しかも北方最強、などと肩書きがつくような相手をどうにかできるか、となれば話は別だ。
「厄介なのはそこなんだ。メルティナとレノーレはな、主従の関係でありながら無二の親友同士だったんだよ。メルティナは元々誰とでも気兼ねなく接する気さくな娘だったが、レノーレにとってのメルティナは、母親以外で唯一といっていい心を開いてる相手だったんだと」
もちろん、流護にしてみれば初耳の話。
そして、
「――――」
ベルグレッテも同じだったのだろう。そんな話は聞いたことがない、と。言外に語るその表情。複雑そうな面持ちで、唇を横に引き結んでいた。
「つまりだ、レノーレ嬢がメルティナ嬢を連れて姿を消しちまった、って話かい」
サベルの要約に、ヒョドロは不承不承といった様子で頷く。
「えぇ……? でも、それってさーあ……」
そこで首を傾げるのはジュリーだ。
「大した話じゃねぇ、って言いてぇんだろ? 仲の良い娘二人が、ちょいと連れ立ってどっかに出掛けただけ……。攫った、なんて大げさな話じゃねえ。もちろん、全員がそう思ってたのさ。最初のうちはな」
宮廷詠術士を辞して異国の学生となったレノーレはともかく、メルティナはバダルノイス唯一の『ペンタ』。当然ながら多忙な身で、常日頃から国内を飛び回って活躍している。
そのメルティナが完全な音信不通となったのが、昨年末のこと。
「メルティナ氏は事前に、関係者へ報告していたそうです。取り掛かっている任務を終えた後、しばらくハルシュヴァルトにあるレノーレ氏の屋敷で過ごす予定だと」
ヘフネルがそう言い添えた。
「我々も詳しい事情までは知りません。ですが……」
元々メルティナは非常に多忙な身で、自分の邸宅や王宮にもほとんど留まることがなく、捕まえるのに極めて苦労するのだとか。
今回は、まるで連絡が取れなくなってしまったという。
「メルティナ・スノウは通信術を受けつけないよう『切断』する技能を持ってるらしくてな、連絡がつかんこと自体は珍しくないそうだ。が、次の任務が控えてんのに音信不通となったらしい。もちろん、こんなことは今までなかったと」
上からレノーレ捜索の通達が下ったのは、それからすぐのことだったという。
「俺たちも指令を受けて屋敷に足を運んだが、二人の姿はなかった。あのメイドも、何か知ってる様子はなかった」
ヒョドロがそう言ってかぶりを振る。
「でもあれっすよね。それだと、レノーレとそのメルティナさん? が二人の意思でバックレ――いなくなっただけかもしれんし。何でレノーレ一人だけが、とんでもねえ金額で賞金首になってんすか?」
メルティナを連れ出したのがレノーレで、そのために『ペンタ』の仕事が滞ったとしても、生死問わずの千五百万エスクなどという手配はやりすぎに思える。
そんな純粋な疑問をぶつけてみる流護だったが、
「……」
「……」
兵士二人は、苦虫を噛み潰したような顔で視線を交わし合った。
覚悟を決めた面持ちで、ヒョドロが語り始める。
「レノーレはな……『オルケスター』の一員だったんだ」
またも沈黙。
「何それ?」との思いでベルグレッテやエドヴィン、サベルたちの顔を見てみる流護だが、彼らも一様に否定の身振りを示した。
「やっぱり知らねぇか。これが絡むから、詳細を話したくなかったんだ。何せ、あまりに馬鹿げててな。まぁ俺も、詳しい話を聞くまで知らなかった。いや、嘘みてぇな胡散臭ぇ話さ――」
オルケスター。
社会の闇に蠢く犯罪組織で、その構成員は大陸各地に数多く存在する。人知れず暗躍し、強大な力を蓄えているという。
ヒョドロが語った概要はそんなところだった。
「くだらねぇ話だって思うだろ。でもな……いくつも見つかってんだよ、証拠がな。極めつけにやべぇのは、あの……死体だ」
「死、体?」
ベルグレッテもエドヴィンも、そして流護もさすがに動揺した。レノーレが、誰かを殺めてしまったのか。にわかに緊張が走る。
「レノーレを追ってた賞金稼ぎの一人が、考えられねぇような状態で発見された。四肢を切断されて、その切り取られた手足が腹から突き出す形で生えてたってんだぜ。まるで、悪趣味な鉢植えみてぇだったとよ。無理矢理縫い付けられたとか、ねじ込まれたとかじゃねぇ。最初からそうだったみてぇに、自然に生えてたんだと。肉と肉が融合してな」
「……ん? ……融合……?」
覚えのある単語を、流護はぽつりとなぞる。
ベルグレッテも、雷に打たれたように瞠目していた。
「ああ。何でも、オルケスターの中にいるらしい。『切り離して、くっつける』って珍妙な術を使える奴が。聞いた話だが、この術の真に恐ろしいところは……、いや、到底信じられんとは思うんだが……」
先を言い淀むヒョドロに、続けた。
流護が。
「……相手の神詠術を奪える、か?」
その場の、ベルグレッテ以外の全員が驚愕していた。
サベルたちはおそらく、「そんな馬鹿な」と。兵士たちはきっと、「なぜ知っている」と。そしてエドヴィンは、「それはまさか」と。
「おっ、お前……どうしてそれを」
極限まで目を見開くヒョドロに、少年は重く告げる。
「……レインディールで超高額の賞金首になってるんすよ、そいつ」
「! そりゃ、もしかして……」
ハッとしたサベルに頷く。もちろん覚えがあるはずだ。つい先日、彼自身が受け取ってきた手配書に乗っていた人物なのだから。
「どういうこった。知ってんのか、お前ら……!? そいつを……名前まで!?」
慌てるヒョドロに、流護は告げる。その怪人物の名を。
「キンゾル・グランシュア……」
兵士両名が弾かれたように顔を見合わせた。
「……待て、覚えがあるぞ、その名前……」
「あっ!」
上官のかすれた声に手を打ったヘフネルが、足元に置いた大きな鞄を漁り始める。ほどなくして、一枚の紙を取り出した。
「ヒョドロさん、こ、これです!」
「むっ……」
青年兵士が取り出したそれは、流護たちも見覚えのある手配書。
レインディール発行、千三百万エスクの超大物賞金首。一見すれば、取り立てて変わったところもない老人の似顔絵。
「レインディールで何かやらかしたらしい、とは聞いてたが……まさか、この老いぼれが……?」
「だ、だとしたら、これは進展ですよ! この男がオルケスターだったなんて!」
「まぁ待て。決めつけるのはまだ早ぇ。だが……」
ヒョドロの話に出てきた死体を作った犯人が、キンゾルだとは限らない。しかし、そんな真似のできる人間がそういるとも思えない。
だが流護としても、キンゾルの仕業と考えれば合点のいく部分は出てくる。たとえばレインディールで全く捕まらなかったのは、とっくに国外へ逃亡していたからなのだ、など。
「……で、でも待ってください。それだけで、レノーレとキンゾル……オルケスターなる組織に、関係があるとは……」
そう意見するベルグレッテに対し、ヒョドロが複雑そうな目を向ける。
「さっきも言ったろ、お嬢ちゃん。他にもいくつか、証拠が挙がってんだよ。事が起きる前に、レノーレが怪しい奴と会ってたって目撃証言がいくつも寄せられてる。屋敷からは、他のオルケスター構成員とやり取りをしてたらしい紙片まで見つかってんだ。むしろ、それでオルケスターっつう組織の存在が発覚した。繋がりがあることは、もう疑いようもねぇ」
「そ、んなっ……」
「……、……?」
ここで流護はちょっとした引っ掛かりを覚えたが、それ以上に明確な謎がまだ残っている。まずそちらを解決したくて、逸るように喋り出していた。
「いや、仮にレノーレがオル何とかのメンバーだとして……っすよ。何であいつが、親友のメルティナって人をさらうんすか。そんな、バダルノイスそのものを敵に回してまで」
提起すれば、老兵は意外そうな顔となった。あるいは、何をすっとぼけているのか、とでも言いたげな。流護としては心外な反応だ。
「お前ぇは……知ってんだろ? そのキンゾルって老いぼれの能力を。なら、答えなんて決まって……」
ヒョドロが言い終わるか終わらないかのうちに。
ガタン! とソファを跳ねのけるほどの勢いで、ベルグレッテが立ち上がっていた。その端正な顔を真っ青に染めて。
「……あり、えません」
声は、震えていた。
「それ以上……レノーレを、侮辱しないでくださいっ……!」
限界まで。爆発しそうな何かを、必死に押さえ込んでいる声音で。流護も、そこで察した。
「ア、アリウミ。どーゆーことだよ……?」
少女騎士の剣幕に圧されてか、エドヴィンがひそやかに尋ねてくる。
「……キンゾルの件で……オプトがどうなったか、エドヴィンも聞いてるだろ」
それで理解したのだろう。さしもの『狂犬』も驚愕露わに黙り込んだ。
つまりは去年の夏、王都テロの裏側で起きていた凶事と同じ。
オルケスターなる組織は――『ペンタ』メルティナ・スノウの神詠術や魂心力を……臓器を狙っている。
親友のレノーレが彼女をおびき出し、キンゾルが『融合』で奪う。
ヒョドロは暗にそう言い、ベルグレッテは断固否定したのだ。
サベルやジュリーは詳しく知らないだろうが、口を出すでもなく静かに成り行きを見守っている。
「レノーレを侮辱、か」
ヒョドロは疲れたように目頭を押さえつつ、ベルグレッテの言葉をなぞる。そして、
「じゃあ訊くがよ。お嬢ちゃんは、どれほど深く知ってるんだい。レノーレ・シュネ・グロースヴィッツのことを」
問われ、
「――――――」
少女騎士は沈黙した。その静けさこそが、答えであるように。
「で、だ。今しがた小僧も言ったが、まずおかしいと思うよな。レノーレとメルティナは親友同士だ。そんな真似をするはずがない……と、普通は考えるわな。じゃあ、なぜレノーレはそんな暴挙に出たのか。バダルノイスそのものを敵に回してまで。その答えだが……」
一同を見渡した老兵は、気が進まぬように続ける。
「まず、去年の秋……レノーレの母親のレニン殿が、記憶喪失になった。それは聞いてるか?」
一行は頷き、ヘフネルも「お話ししました」と添える。
「レノーレが宮廷詠術士になったのも、宮仕えを続けたのも……全ては、母親のレニン殿を喜ばせるためだったと聞いてる。レニン殿の存在は、レノーレにとっての全てだった、と言っても過言じゃねぇだろう」
ならば。
その母親が娘を……自分を忘れてしまったことで、レノーレはどれほどの衝撃を受けたのか。
(……、…………)
そんな彼女に対し、流護は安易に記憶喪失から回復したなどと語ってしまった。
レノーレ母の発症より流護のほうが先だった訳ではあるが、悪気のなかったこと……知らなかったこととはいえ、自責の念が湧いてくる。
「でな。メルティナ・スノウは遠距離戦特化の詠術士なんだが、同時に一級の治癒術士でもあるんだ。圧倒的な射撃能力ばかりが注目されがちだがな。その攻守の隙のなさこそが彼女の持ち味であり、普段からあちこちに駆り出されてる理由でもあるんだが……それはともかく」
老兵が、核心に触れた。
「優秀な元・宮廷詠術士の力と、北方随一の『ペンタ』の力。この両方が『一つに合わさった』らどうなる? 当然、攻撃術だけじゃねぇ……『回復術の効果も強化される』はずなんだ。どんな病魔だろうと……どんな症状だろうと治癒できるようになる、そんな可能性はあるんじゃねぇか?」
とさ、と力ない音が聞こえた。
先ほど憤激して立ち上がったベルグレッテが、人形のようにへたり込んだ音だった。
「…………、」
一方で、流護も悪夢を突きつけられたみたいに歯噛みする。その結論へ至る。
キンゾル・グランシュアの『融合』。
その底知れぬ力の片鱗は、身をもって体験している。
あるマフィアの頭領は、瞬間的とはいえ流護に匹敵するほどの筋力を発揮した。ある異国の詠術士は、複数の属性と無尽蔵の魂心力を獲得し、ガーティルード姉妹を苦しめた。
これらの事例ですら、礎となった者たちの技量は、オプトを除き決して高くはなかった。
ならば――レノーレとメルティナ、元々優れた両者の能力が合わさればどうなるか。
もちろん実際のところはやってみなければ分からないが、レノーレが予想した可能性は充分にある。
それだけの力を得られれば。
母の記憶喪失を治療できるかもしれない、と。
「……これに関しては、飽くまで推測の域を出ねぇ。今んとこは証拠もねぇしな。だが……通っちまうんだ。こう考えると、一応の筋が。見えちまうんだよ。この事件が起きるに至った輪郭がな」
レノーレがオルケスターと呼ばれる組織の一員であること。メルティナを連れ、姿を消したこと。そのオルケスターに、例のキンゾルもおそらくだが所属していること。
そして、母親の置かれている状況。
それらの事実から、おぼろげに浮かび上がってしまう。その仮定が。
さらには、この説によって先ほど流護が感じた疑問が氷解してしまう。レノーレが捕まらない理由。彼女はとっくにメルティナと『ひとつになり』、強大な力を得て行動している。だから、簡単には捕縛されない。
「けど……実際にできるのかしら? 記憶喪失を神詠術で治す、なんてこと……。ケガの処置とはワケが違うんじゃない?」
「そもそも、記憶喪失なんてモノ自体が珍しいからな。噂話でしかないと思ってたよ、俺は」
ジュリーとサベルがそんなやり取りを交わす。
この世界へやってきた当初、記憶喪失だと偽っていた流護だが、思えば術による治療を提案されたことはなかった。一般的な手法でないことは確かだろう。
だからこそ、レノーレは賭けたのかもしれない。小さくとも、その可能性に。神にも祈る気持ちで。
神の奇跡たる、神詠術の力に。
「とにかくだ……記憶喪失が術で治療できるもんなのかどうかってのはこの際、問題じゃない。そうだろ、兵長さん」
サベルに振られ、ヒョドロが頷く。
「ああ。治療の可否はともかく、レノーレは実際に行動を起こしちまった。憂慮すんのはそこだわな」
とそこで、流護の中にまた新たな疑問が生じる。
「いや……ちょっと待ってくれ。ってことは、レノーレとキンゾルは同じ組織の一員で、前から顔なじみだったのか……?」
レドラックファミリーとの抗争劇や王都テロの裏側で暗躍していたキンゾル。レノーレはそれらの件についても承知していたのだろうか。
「それはないわ」
座り込んだまま断言したのはベルグレッテだった。そのうえで、
「順序が逆よ」
「順序が……、あ!」
流護はハッとしてベルグレッテの顔を凝視した。
「レノーレはミア誘拐とか王都テロでキンゾルの能力を知って、今回……母ちゃんの件を解決するために、奴に接触した……?」
「私はまだ認めたわけじゃないけど……万にひとつ『黒』だとするなら、経緯はそうなると思う。……ただ」
「何だい。まだ納得いかねぇって顔だな、お嬢ちゃん」
「キンゾルは、レインディールの法の目を掻い潜って逃げおおせているような並々ならぬ曲者です。そのような相手に、レノーレが単独で接触を図れるとは……」
「ふむ……俺としちゃ逆の意見だ。あの『凍雪嵐』なら、それぐれぇやってのけてもおかしいとは思わん」
このあたりは、認識の相違だろうか。
レインディールの兵力と、学院生としてのレノーレを知るベルグレッテ。
片や、バダルノイス宮廷詠術士としての『凍雪嵐』を知るヒョドロ。
「あの悪趣味な死体を作り上げてたのがキンゾル……かもしれねぇってのは俺たちには新情報だったが、まあ大筋はこんなもんだ。お嬢ちゃんには悪いが、辻褄が合うからな」
老兵は重く言い結んだ。
「…………ツジツマ、ねぇ」
そこで吐き捨てるように呟いたのは、ずっと黙って聞いていたエドヴィンだった。
「あんでぇ、小僧」
「……イヤ。何でもねーよ」
ヒョドロに睨まれ、チッと舌を打ちながら答える。
何だかんだ情に厚いヤンキーとしては、気に食わないのかもしれない。自分たちの仲間を悪人だと断じようとするこの兵士長が。
しばし満ちた沈黙の後、重い腰を上げるようにヒョドロは切り出す。
「……バダルノイスは今、最悪の事態も想定して動いてる」
最悪って? とは、誰も聞き返さなかった。
そして老兵は問われずとも、続ける。
「この件が起きて以降……レノーレは幾度となく目撃されてるが、メルティナは一度も目撃されてねぇ」
だから、と老兵は重々しく繋ぐ。
「レニン殿は今、王宮で療養中だ。……っつう名目だが、実際は匿われてるってところだろう」
耳が痛くなるほどの沈黙。
(……なるほど……最悪の事態、か)
もしレノーレがメルティナの力を『手に入れた』なら、どうするか。
当然、母の記憶喪失を治療しようとするだろう。
だから――レノーレの最終目的である母親その人を、接触できぬように遠ざけた。
「……俺から話せるのはこんなとこだな。何だか疲れちまったよ。あとは、宮殿でオームゾルフ祀神長から直接聞いてくれ」
建前でもなく、ヒョドロの声には疲労が滲んでいた。
「……っと、まだきっちり確認してなかったが……行くんだよな? 明日」
今さらながら確認を取ってくる老兵に対し、ベルグレッテがうつむいたまま頷く。
「承知した。なら明日の朝、馬車を寄越す」
立ち上がった老兵が歩き始め、ヘフネルも一礼の後、慌てて彼についていく。
兵士二人が宿から出ていき、ロビーは静けさに包まれた。
 




