379. いつも通りの、その結果
「がは!」
壁に叩きつけられた最後の一人が、冷たい地面に力なくずり落ちた。
「ケッ、こんなモンかよ」
エドヴィンは腕を一振り、炎を消失させて、力尽きた三人の悪童を一瞥する。
さすがに昨日の今日。素手のみで突っかかる気にはならなかった。
服にこびりついた氷片をパンパンと払い落とす。直撃はなし。かすり傷が少々。三人相手となると無傷で楽勝とまでは言わないが、術を使えば順当な戦果である。
「く、そ……炎、使い……が……っ」
壁を背にした一人が、息も絶え絶えの声で呻く。
「それがどーかしたか? 珍しいモンでもねーだろ」
エドヴィンは眉をひそめる。
そもそも、少し奇妙な一戦だった。
まずケンカが始まり、エドヴィンが炎を発現させると、三人は「てめぇ、炎使いか!?」と目を剥いた。
炎は、最も使い手が多いとされる属性である。驚くようなものでもない。
それよりも逆にエドヴィンが妙に思ったのは、
「ったくよ……何だてめーら、同じ属性だけでツルみやがって。気持ちワリーな」
服のあちこちにへばりついた氷を叩き落としながらぼやく。
彼らは、三人全員が氷属性の使い手だった。
くだらない話だが、レインディールの不良たちの間では、同じ属性の者のみで派閥を作ることは忌避されている。
他の属性と協調できない奴、即ち器の小さい奴、という認識だ。
去年、流護たちに壊滅させられた『アウズィ』なる暗殺組織などは、人員が炎の術者のみで固められていたため、ディアレーの不良たちの間では『潰されて当然の小物』と評価されていた。もっとも、言うだけならば自由。悪ガキ仲間は皆、口だけは達者なのだ。
それはともかくとして、エドヴィンに見下ろされた少年は、異常なほどの憎悪をもって睨み上げてくる。
「ふざけんなよ……この、ネコ野郎が……」
これも奇妙な点。
彼らは再三に渡り、エドヴィンを『ネコ』と罵倒した。
『てめぇ、レインディール人か!』
『はァ? 当たり前だろ、何言ってやがんだ』
エドヴィンを炎使いと知って以降の、そんな会話の後から。
「だから何なんだよ、ネコってのはよ」
「うる、せぇ……見下ろしてんじゃねえ、ネコが……てめぇみてえなのにゼッテー負けっかよ! クソネコが!」
最後の力を振り絞ったか、その少年が立ち上がりながら決死の表情で殴りかかってくる。
「悪ィがよォ」
その拳を軽く防いでいなしたエドヴィンは、それはもう凶悪に笑った。
「――俺ぁネコじゃねぇ。『狂犬』なんだよ」
存外に粘った最後の一人を沈黙させて狭い路地から出たエドヴィンの下へ、
「あ、あの!」
先ほどの少女が駆け寄ってきた。
「あァ? 何だお前、まだいたのかよ」
とっくに逃げたものだと思っていた。どうやら、表通りから様子を窺っていたらしい。
「あ、ありがとうございました。助かりました」
「あぁ? イヤ、別にお前を助けたワケじゃねー」
照れ隠しではなく本心だった。エドヴィンとしては、絡まれたからしばき倒した、という認識でしかない。のだが、
「ああ、こんなにおケガをされて……」
「あ? イヤ、これは……」
身体中に満遍なく負ったそれは、昨夜の生傷だった。今のケンカによるものではない。
が、彼女はそんな事情など知るべくもない。
「あ、あの! うち、お母さんが癒しの術を使えるんです! お礼らしいお礼もできませんが、せめてケガの治療を……!」
弱々しく、健気に上着の裾を掴んでくる。
「あん? 別にそんなモン……」
「い、いえ! それぐらいはさせてください……!」
そのか細い腕を振りほどいて突っぱねてしまうのも躊躇われる気がして、結局は流されるまま歩き出す羽目になってしまった。
「そんなに遠くありませんから……!」
「オウ……」
気弱なのか強引なのかよく分からない少女である。
雑踏に入り込んで、例の馬車と宿が遠ざかり始めた。
道行く人々は、誰も彼も厚い上衣を着込んでいる。この寒さならば当然だろう。自分が薄着すぎるのだ。
と、見覚えのない雪の街を歩きながら、エドヴィンは今さらのように問いかけた。
「オイ。ここはどこなんだ?」
「えっ? もしかして、道に迷っていたんですか? ここはレグヌ三番通りです。ふたつ向こう側に行けば、アピシア聖堂がありますよ」
まるで聞いたことのない地名ばかりだった。
「イヤ、そーじゃねー。ここ、どこの街だ?」
先導していた少女が、さすがに驚き顔で振り返る。
自分が今歩いている街の名前すら知らないという状況は、よくよく考えてみればさすがに不審に違いない。
「あーイヤ、馬車ん中で寝てる間に、この街に着いちまってよ。降りはしたが、イマイチ場所も分かってねーって感じでよ」
詳しく説明するのも面倒だ。それに、丸っ切りの嘘でもない。
納得したのか触れないほうがいいと判断したのか、ともかく彼女は「そうなんですか」と頷きながら答えた。
「ここは、ハルシュヴァルトの街ですよ」
「……はァ?」
エドヴィンの思考が止まり、ついでに足も止まった。
「ハ、ハルシュヴァルトだとォ!?」
ついつい叫び、道行く人々の注目を集めてしまう。ハッとして声を潜めながら、
「オ、オイ。今日は何日だ……?」
「えっ……と、白曜の月の、十七日ですけど……」
「……何、だとぉ……」
「ど、どうかしましたか?」
「あっ、ああ……何でもねーよ、気にすんな」
ハルシュヴァルトは、レインディール北西部、その端に位置する中立地帯。王都周辺からであれば、普通は二日もかかる距離にある街だ。
(あの馬車、一日足らずでここまで来やがったのか……。どんだけスッ飛ばしてやがったんだ……?)
自分を荷台へ放り込んで、何をそんなに急いでいたのか。
その目的の分からなさが不気味に思え、遠ざかりつつある宿を恐る恐る振り仰いだ。
(も、もう……あの馬車のこたぁ、忘れた方がいいかもしれねーな……)
世の中、不可解な恐怖は案外身近に潜んでいるものである(『とても怖いゴーストロア』にかぶれているミア談)。
ちなみにハルシュヴァルトの名前だけは知っていたエドヴィンだが、こうして訪れたのは初めてだった。というより、王都周辺の街から外側に行った経験などなかった。
期せずして、十八年の人生の中で最も遠い地までやってきてしまったことになる。
「あ、あの……」
移動を再開してすぐ、少女が言いづらそうに切り出した。
「わ、私……あなたに謝らなきゃいけないことが……」
「あ? 何だよ?」
出会って十分かそこらの間柄で、何を謝るというのか。
物珍しい雪の街の景観を眺めながら軽く聞き返せば、一方の少女は懺悔するような面持ちで告げた。
「わ、私……最初、あなたを怖い人だと勘違いして……す、すみません」
そんな言葉を聞いて、エドヴィンは思わずブフッと吹き出してしまった。
「間違っちゃいねーよ。少なくとも『イイヤツ』は、こんなナリしてねーからな」
「で、でも、私を助けてくれました」
「言ったろ。結果としてそーなっただけだ。別に、お前を助けたワケじゃねーよ」
謙遜とでも思われているのか、彼女は曖昧に笑うに留める。
(おかしな女だな。んなモン、馬鹿正直に言うことでもねーだろーに)
さっさと逃げず、わざわざ待っていたこともそう。教誨師に罪を告白するかのような態度が、少しだけ気になった。
「あと、その……生ゴミのにおいがされますが……大丈夫ですか?」
「っと、悪ィな。夕べ、勢いでゴミ溜めに突っ込んじまってな」
そんな彼女は、普通なら言いづらいであろうことにも言及してくる。
(けどまー、これで納得いったぜ)
先ほどの三人との一戦についてだ。
『てめぇ、レインディール人か!』
(何言ってんのかと思ったが……奴ら、バダルノイス人だった、ってワケだ)
この中立地帯を挟んだ向こう側に存在する、バダルノイス神帝国。かの雪国に住まう人々のおよそ八割が、氷属性の使い手なのだという。他属性を扱う者は肩身の狭い思いをしており、また詠術士としての能力そのものも低いと聞く。
(つまりデカイ面してるヤツは大体が氷使い、ってこったな)
ちなみにこのハルシュヴァルトに住む者の割合は、バダルノイスとレインディールの人間が半々だったはず。
『てめぇ、炎使いか!?』
あれは勝手にエドヴィンを同国の人間と勘違いしていたがゆえの発言で、
『ふざけんなよ……この、ネコ野郎が……』
これは相手をレインディール人だと認識したがゆえの侮辱の言葉。
獅子に例えられるアルディア王が統治するレインディールは、そのまま『獅子の国』と呼ばれることがある。反感を抱く他国人は、その『獅子』を揶揄して『ネコ』と称するのだ。
(そーいやぁ昔、トリスのヤツがそんなこと言ってやがったっけな。すっかり忘れてたぜ)
「着きました! ここが私の家です」
あれこれ考えながら歩くうち、場所はいつしか街外れ。
古ぼけた木造家屋の前にたどり着いていた。二階のない、小さな平屋。木組みは色あせて劣化しており、見た目にも頼りない。隙間風も入り込みそうだ。
少女の服装から察しはついていたが、かなり貧しい暮らしをしているのだろう。
「……」
エドヴィンの家は貧乏でも裕福でもないが、少なくとも食うに困ったことはなかったし、不自由を感じたこともなかった。
「お母さん、ただいまー」
「おお、お帰り。……!?」
娘によく似た雰囲気の中年女性が玄関口へと顔を出して、すぐさまその表情を引きつらせた。
「ち、ちょっと……! そ、その人は……!?」
驚き顔が雄弁に語っている。娘が悪人を連れてきた、と。
「お、お母さん、違うの! この人は、街で私を助けてくれて……! そのせいで、ケガをしちゃって。あと、生ゴミのにおいも」
「ま、まあ! そうなのかい!?」
ここまできて「違う」などと言っても、話がこじれるだけである。
まァどーでもいーか、と『狂犬』は甘んじて厚意を受け入れることにした。




