375. 黒のアバランシュ
「ド、ドラウトローだと!?」
「ひっ、ひいぃ! な、なんでこの真っ昼間に!? よ、四匹も!?」
当然といえば当然か、場は瞬く間に恐慌の渦に包まれた。
「落ち着け、闘えない奴は馬車の中に退避しろ! 腕に覚えのある奴は馬を死守、俺とジュリーで奴らを排――」
サベルが指示を飛ばそうとするも、新たに上がった悲鳴がこれをかき消してしまう。ドラウトローたちが、走りながら次々と石を放ってきたのだ。
「うわっ!」
「いってえぇ!」
礫を受けた人々の叫びが連続する。皆、身体をくの字に折りながら我先にと近くの馬車へ逃げ込んだ。
ドラウトローたちは地の利を得たとばかり、斜面の中ほどで足を止めて好き勝手に礫の雨を降らせた。
距離もある。厚い防寒着のため、威力も緩和される。当たりどころによっては先の男性のように昏倒しかねないが、殺傷能力は決して高くない。
しかし突然の襲撃を受けた一行は、完全な混乱状態に陥っていた。
「む、無理だ! ドラウトローなんざ冗談じゃねえっ! あんなバケモンと闘えるかよ!」
ひっくり返った悲鳴を上げるのはコッラレだ。
闘う力を持たない商人らはともかく、詠術士たちも及び腰になってしまっていた。
もっとも無理もない話で、ドラウトローはカテゴリーBに区分される怨魔。一体を相手取るにつき正規兵三人がかりが推奨される、正真正銘の強敵。それが四体。
今この場にいる詠術士全員で当たれば勝てることは勝てるだろうが、何人かは犠牲が出てしまう。そして誰もが、その不幸な当事者になどなりたくない。
大半の者がそう考え、逃げることを選択してしまったのはある意味当然だった。
ここにいるのは、命を預け合える結束固い兵団ではない。
偶然行き会っただけの、互いの素性も知らない旅人たち。一丸となって連係の取れた戦闘など、まともに望めるものではなかった。
そうして闘う以前に心の折れてしまった術者たちは、商人らと同じく馬車内へ退避することしかできなかった。
しかし乗車室に篭もったところで、一時凌ぎにしかならない。
前方は雪で進めず、道には七台の馬車が団子状態。すぐ引き返せるものではなく、またそれを悠長に待ってくれるドラウトローでもない。最悪、乗車室がそのまま共同の棺桶となってしまうのは時間の問題といえた。
「ちょ、ほとんど全員避難しちゃったんすけど」
流護は飛んできた石を小手で弾きながらぼやく。
外にいるのは、流護とベルグレッテ、サベルとジュリー、他に詠術士が二人――それも逃げ遅れちゃったと言わんばかりに顔をこわばらせている――の計六人だけだった。
「おいおい、いくら何でも少なすぎだろ……!」
サベルの悪態はもっともだ。
上を取られて位置的に不利、加えて馬や商人たちを守らなければいけない。
何のしがらみもなければ流護一人でどうにでもなる相手だが、如何せん条件が悪すぎる。
(せめて、何とか一匹ずつバラけさせられねーか……!?)
まとまった敵を散開させ、各個撃破へと持ち込む方法。
過去の経験や記憶を総動員し、流護は空手家としてその手段を脳内から検索する――
『流護ちゃんよ。お前さんに、どうしてもブチのめしたい奴がいたとする。何とかタイマンに持ち込みたいが、そやつはいっつも仲間とツルんでて一人にならない。さて、どう狙うかえ?』
脳裏に甦ったのは、年の割にはっちゃけた師の言葉だ。
『え? 全員倒しちゃえばいいじゃん』
『いきなり前提を踏み倒すでない。じゃあ、残りのメンツは蕪心太と剣斗じゃった。ホイ』
『何でオトナの事情で対戦が実現しなくてファンがヤキモキしてる別団体のエース同士がツルんでるんですかね……』
『ええから考えてみい』
『んなこと言ったってさ……ソイツが一人になるのをじっくり待ちたい、けど……つか、ならんでしょ。そんだけ頼りになるボディーガードが付いてんのに、自分から離れる訳がねえ』
『ところがどっこい、あるんじゃよ。強い奴、臆病な奴……何者でも例外なく、ほぼ確実に一人になる瞬間が。それ即ち――』
(そうだ、ある)
老いて益々精力的な師が告げたその手段は、
『便所に行く時、じゃ』
(……いや、ドラウトローが便所に行く訳ないだろ……)
ついでに、
『ツレションに行ったらどうすんの?』
『……ウ、ウンコならワンチャン』
会話のオチも思い出した。
流護の回想が無駄となっている間に、
「しょうがねぇジュリー、一気に仕掛けるぞ!」
「分かったわサベル!」
トレジャーハンター二人が寄り添い、ドラウトローたちへ向けて手をかざす。
「四匹全部とは言わん、せめて二匹、いやこの際一匹でもいい……ぶっ飛んでくれりゃあ……!」
照準を合わせるような挙動だった。
そしてそう認識したのは、怨魔も同じだったらしい。
「あ……! ちょっとサベル、あいつら……!」
「! えーい、野郎ッ……! 小癪だな!」
瞬間、ドラウトローたちは文字通り四方へと分散した。
少しだけ前へ出る一体、左右に別れる二体、そしてその場に留まる一体。
攻撃術で一網打尽とされることを警戒したか、示し合わせたようにばらけていく。そして足を止めた一体が、サベルたちに向かって鋭く投石を放つ。
「うお、危ねぇっ」
「ひゃっ」
左右に分かれて躱す男女だが、それによって放とうとしていた術は不発となった。
勢い余った石が乗車室に直撃し、驚いた馬が前脚を振り上げて嘶く。そのまま駆け出そうとするも、ガツンとつっかえて前進できない。定員を遥かに超える人数が乗車室へ逃げ込んだため、重くて引っ張れないのだ。
「えーいくそ、馬やられても終わりなんだぜ、こっちはよ……!」
そんなサベルのぼやき通り。
動けない馬をやられれば、乗車室はただの箱と化す。山越え目前とはいえ、それは馬車の移動力あっての話。ここから人里まで歩いて行くには無理がある。このままでは、怨魔を撃退したとしても雪山に取り残される形となってしまう。そのうえ、新たな敵が現れないとも限らない。
それが分かっていても、なかなか馬を死守するために自らの命を張る、とはいかないところか。
「まったく、イヤな状況だわ! 怨魔があれだけ連係してるのに、こっちは我が身可愛さで足引っ張り合ってるだなんて……!」
吐き捨てながらも、風の麗女が身構える。その細腕に見合わぬ、力強い乱気流が渦巻く。
「待てジュリー、撃つな!」
「どうして、サベル!?」
「俺も今気付いたが、ヘタにブッ放すと上の雪が崩れ落ちてくるかもしれねぇ……!」
「あ!」
彼の言葉通り、怨魔が陣取っているのは斜面の途上。
この遠距離から仕留めるならば強力な攻撃術を放つ必要があるが、それだけの一撃を叩きつけた場合、衝撃で雪が崩落してくる可能性があった。
何しろすぐ目の前に、まさしく雪で閉鎖された道があるのだ。今、皆が立つこの場所もそうならないとは限らない。
(向こうから勝手にバラけてくれたはいいけど……俺が狙うのも、正直厳しいか)
礫を投げ放つ『投撃』は、流護も得意とする武月流の一手。派手な神詠術と違い、さすがに投げたからといって雪崩が起きるようなことはない。普通であれば、命中精度もそれなりと自負している。
しかしドラウトローが上方に陣取っていること、距離が遠すぎることから、今の状況で当てるのは現実的でなかった。
向こうは高みから適当に放り投げて乗車室でも馬でも流護たちでも当て放題だが、こちらはあの矮躯を正確に射抜かなければならない。的の大きさが違う。
流護たちが反撃に窮したのをいいことに、四方へ散ったドラウトローたちは、離れた位置から好き勝手に投石を見舞った。
(次から次へと……! どんだけ石転がってんだよ……!)
近場には切り立った大きな岩なども見受けられる。それらの破片が山ほど落ちているのかもしれない。もし連中の周囲の地面が砂利みたいになっているようなら、とても弾切れは望めない。
固まっていた怨魔が離れたはいいが、反撃もできない状況が続く。
「馬守れ、馬!」
サベルの指示通りに動こうとする面々だが、そもそも馬車は七台。外に出ている流護たちは六人。守り切る人手すら足りていない。
「う、うわあぁぁ……!」
二人の詠術士も必死で防御術を展開するが、あまり得意ではないようだ。奇襲に動揺していることもあって、術の制御もひどく怪しい。
獲物を弱らせようとしているのか、近づかず石投げに徹するドラウトロー。よく見れば、その口元には醜悪な笑みすら浮かんでいる。
(あー、そうだった。このクソザル、こういうヤツらだったな……)
地球上でサメやピラニアが見せるような、狂乱索餌と呼ばれる行動に酷似した性質だとロック博士は指摘する。寄ってたかって標的を嬲り殺しにする残虐性。
飛んでくる石を防ぐ流護の脳裏に、とある少女の断末魔が甦る――より早く、
「一人一殺ッ!」
サベルの猛々しい怒号が響き渡った。
「埒が明かねぇ! 何が悲しくて、こんな猿公どもに『ラディム』の真似事されなきゃならんのよ! リューゴ、ベルグレッテ嬢! 頼んだぜ!」
返事も待たず、サベルとジュリーが動き始める。坂の中腹と手前で投石を続けるドラウトローへ向かって、強引に突っ込んでいく。
「そうは言ったって……!」
それぞれ接近して、一人が一体を仕留めろという判断。
流護としては問題ない。
だが。
振り返る。その少女騎士を。
反対側で投石を凌いでいるベルグレッテと、瞬間的に目が合った。
彼女は一度だけ、大きく頷いて。すぐに、自分の上方へ位置取っている黒き怨魔の一体を睨み据える。
「ベル子……!」
瞬きの間、流護はかける言葉に迷った。
脳裏に浮かんだのは、このグリムクロウズへやってきた当初の出来事。二人で森を行く道中、不意に遭遇したドラウトロー。その戦闘にて、ベルグレッテは為す術なく吹き飛ばされている。
当時の彼女は、何度も口にしていた。「勝てる相手ではない」「どうにか逃げるしかない」と。
あれからおよそ七ヶ月。
日々の研鑽に努め、幾度も死線を乗り越え、ついには亡き兄の仇を討ち果たして。
大きく成長を遂げた彼女は今、決意したのだ。かつて敵わなかったその相手に、一人で正面から立ち向かうことを。
「…………、」
サベルたちが対応しようとしている以外の二匹は、それぞれ離れた位置に居座っている。
流護が一体ずつ殴り倒しに行くことも不可能ではないだろうが、決して上策ではない。その分だけ時間がかかることになり、防御が手薄になった間に馬をやられてしまう懸念もある。
それに――
『これからベル子と一緒に、お互いに足りない部分は補い合いながら、助け合いながら、闘っていけたらなー、とか思うんだけどさ』
『共に戦う一人の戦士として……もう少しばかり「信頼」してやってはどうじゃ、と思うての』
かつての自分の決意。
そして、朴訥な友人の言葉が甦る。
「ベル子ッ!」
流護は自分の前方にいる一体を見据えたまま、声を張った。
「もう一匹の方、任せたぜ!」
その言葉に、迷いなき返事が飛んでくる。
「オーケイ、リューゴっ!」
かくして、それぞれの一対一が幕を開けた。




