374. 冬の山越え道中記
「なるほど……」
その光景を目にした流護は、納得の心境で唸っていた。
「これは……すごいわね……」
すぐ隣のベルグレッテも、半ば呆然とそれを見つめている。
場所は馬車で村を出てすぐの地点。
北西方面と頻繁な行き来があるためだろう、それなりの横幅が設けられた山道。それ自体も白雪で覆われているが、もはや固まっているためその上を通ることができる。
傘に似た形の針葉樹が道なりに群生していることもあって、思ったよりは積雪も少ない――というより、この樹木に沿った雪の少ない部分を通行路として利用している印象だった。
問題は馬車二台でも優にすれ違えるほどのその道――これから進もうとしている先の部分が、左側の斜面から押し寄せた雪によって完全に埋没している点だ。
雪塊の高さは一メートル前後。人間だけならば無理矢理突っ切って向こう側へ行けるかもしれないが、馬車にはもちろん不可能である。
「そら桜枝里が雪なめんなって言うわ……」
仮にこの雪崩が起きた瞬間に居合わせたなら、人間など瞬く間に飲み込まれて終わりに違いない。
大自然の脅威をしみじみ実感していると、歩み出てきたサベルが一行を振り返った。
「よーし。天候にも恵まれたし、とりあえずやるだけやってみようぜっ」
この場に集まったのは、北西へ行きたい冒険者や商人たち、総勢二十二名。うち実用的な規模で神詠術を扱える炎属性と水属性の術者は、およそ半数の十二名だった。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「おう、頼んだベル子さん」
出立前に決めた手筈通り、道を塞ぐ雪の前に炎と水の詠術士たちがズラリと並ぶ。
「サベル、がんばってー!」
流護の隣では、金髪美女ジュリーが自らの恋人に黄色い声援を送っていた。ちなみに彼女の属性は風だそうで、この作戦には参加できない。
(まあ風属性の使い手がいっぱいれば、熱風とかでもよかったみたいだけど……)
とりあえず炎は必須として、今回集まった者たちに水属性持ちが多かったというだけの話だ。
「さて、それじゃあ試してみるか。主役は水使いの皆さんだ、よろしく頼むぜ」
サベルの言葉を合図に、皆が一斉に詠唱を始めた。
まずそれぞれ、水属性の使い手たちが自らの周囲に渦巻く奔流を顕現、待機させる。すると直後、どよめきが起きた。
同じ水とはいえ、術者によって様々な形状や規模を見せる神詠術。その中でも、ベルグレッテが現界したそれに注目が集まっている。
「おお、あれはすごいな。いけるんじゃないか」
「ううむ、相当な使い手だぞ……! しかもすんげえ別嬪」
成り行きを見守る商人たちも驚きを隠せないようだった。
「へぇ~。ちょっとちょっと、なかなかやるじゃないの、彼女」
そんな風に囁きかけてくるジュリーに対し、
「そうでしょう、そうでしょう」
つい流護も自慢げになった。
ベルグレッテが喚び出したるは、白銀に輝く水の大蛇。彼女が誇る秘術のひとつ、アクアストーム。膨大な渦を巻くそれは、主の突撃命令を待って静かに佇んでいる。
「おう、話には聞いてたが立派なもんだ。こいつは温めるにも骨の折れそうな代物だな。俺がやろう。ちょいと待ってくれよ」
猛獣を撫でるみたいに、サベルがアクアストームに手を添えた。
ここで炎使いの出番となる。水の詠術士らが作り出した術に対し、熱を注ぎ込むのだ。
「ちぇっ、サベルめ。ちゃっかり自分があの嬢ちゃんを担当しやがって……」
「諦めろよコッラレ。あんな馬鹿でかい水の術、お前に何とかできる代物じゃないだろ。只者じゃないぞ、あの娘は。ほれ、お前はしっかり俺の水に火を通せ。ほれ、ちゃんと下の方も丁寧に……ほれ、いいぞほれ、もっと気持ちを込めて、ああ……」
「気色悪い声出すんじゃねぇ!」
そんなやり取りをしているコッラレたちを始め、火の術者らが施術を開始した。
一見すると、各々が水の塊に触れているだけの地味な光景。しかしやがて、透明の水流たちから湯気が上がり始める。それらはみるみる勢いを増していき、中にはボコボコと沸騰するものも見受けられるようになった。
(うへっ、あんなの引っ被ったら火傷じゃ済まなそうだな……)
ほどなくして、全ての水が白靄を滾らせる。明らかに場の温度が上昇し、少し暖かくすら感じるようになっていた。ベルグレッテのアクアストームなどは口部から煙を吐き出しているようにも見え、その威容はまさに小柄な竜とでも例えられそうだ。
「ようし、そんじゃ一丁やってみますか! よろしく頼んだぜ、ウィーテリヴィアの申し子さんがた!」
大きく手を振り下ろしたサベルの合図に従い、水の詠術士たちが一斉に術を撃ち放つ。
雪壁に次々と着弾したそれらが、辺り一帯に凄まじい爆音と蒸気を振り撒いた。
「おっわ……!」
瞬く間に視界が白へと染まり、完全に閉ざされる。次いで吹きつける熱風。離れて見守っていた商人たちからも、かすかな悲鳴が上がるほどだった。
「やだ、髪がシケっちゃう。わざわざ大人しく晴れるの待ってる必要もないわよね。……よっと!」
すぐ隣からそんな声が聞こえると同時、螺旋描く疾風が高々と舞い上がった。立ち込める生温い霧が即座に吹き払われ、
「……おお!」
「やりましたな!」
一同の喝采が場を沸き立たせる。
蒸気に包まれる前後で、誰の目にも明らかなその変化。
眼前に山積していた雪塊はものの見事に消え失せ、奥に延びる道がその姿を現していた。
山を越えて麓までは、普段なら三時間ほどの道のりだという。
七台の馬車に分乗した一行は、都合五時間ほどをかけて、ようやく山道を抜けようとしているところだった。
出発から間もなく、山頂付近はむしろ上から崩れ落ちてくる雪がないため、比較的平坦な道が続いた。
しかし下りに入ってから四度、今朝と同じく道に鎮座する雪の排除を余儀なくされた。
それでいてどうにか進めるとはいえ、基本的には雪の積もった悪路。馬は足を取られて思うように進まず、その分だけ体力も消耗する。
そして、
「ベル子、大丈夫か。ほれ、何か食うか」
「ん、ありがと。大丈夫……」
大がかりな除雪作業を何度もこなした炎と水の術者たちにも、明らかな疲れの色が見え始めていた。
神詠術ならば確かに、手作業より遥かに早く広範囲を一掃できる。が、使えば異世界人の活力源たる魂心力を消費する。個人差もあるが、ぐったりしている者も多い。
「サベル、疲れてない? なにかしてほしいことはない?」
「ん? そうだな。敢えて言うなら……ジュリー、お前がそばにいてくれればそれでいい。俺はそれだけで、永遠に闘い続けられるだろう――」
「きゃあぁ! もう、サベルったら! 嬉しい!」
流護たちの向かい席で、実に仲睦まじい男女が二人。四六時中この調子である。
「え、ええと……本当に仲がよろしいのですね、お二人は」
そう苦笑するベルグレッテの顔に浮かぶ疲れの色は、単に雪どけ作業によるものだけが原因ではなさそうだ。
「ふっふん。あたしとサベルの仲だもの、当然よー。そう言うそっちは? なんだか消極的よね。若いのに、もうお互い冷めかけた関係なの?」
思わぬ反撃が飛んできた。少年少女はつい顔を見合わせ、反発する磁石さながらに慌てて逸らす。
「いっ、い、いえっ、私とリューゴは、その……そ、そういう間柄ではっ」
少女の慌てぶりにくすぐったいような気持ちになりながら、考えてみればどういう関係なんだろう、と素朴な疑問が流護の脳裏に浮かぶ。
告白はした。互いの気持ちも確認済み。というより、一度だけではあるもののキスだってした。けれど、付き合っている訳ではない……。
「あらあらなるほど、色々と縛りがあって深く踏み込めない感じ? ふふふ。そういう、つかず離れずの関係もキライじゃないわ~。……でもね」
サベルの腕をぐっと抱いたジュリーが、やおら真面目な顔つきになる。
直後、馬車に備えつけられている伝声管から御者の声が流れてきた。
『おい、また雪が道を塞いでるぞ! すまんが頼む!』
「いい加減にしてほしいぜ……。しかもこいつは……」
コッラレのぼやきも致し方なしといったところか。
これで五度目。しかも、雪の量が今までで一番多い。
雪崩が起きた後でさらに降り積もったのか、二メートル近い絶壁が一行の前に立ちはだかっている。
桜枝里から雪の脅威について聞かされた当初は「ちょっと話盛ってるだろ」と思っていた流護だが、今や誇張でないことを身に染みて分からされた心地だった。
「ま、ここまで来たらやるしかないさ。すまんが頼むぜ~、水の方々っと」
サベル自身多少うんざりしたような口ぶりながら、除雪の準備に取りかかる。
「んっ、それじゃあ行ってくるわね」
生真面目というか、ベルグレッテは嫌な顔ひとつせず雪壁に向かっていく。
「おうっ。ベル子、夜はどっかで旨いモンたらふく食おうぜ。俺が奢るからさ」
「ふふ、ありがと」
重い腰を上げて並ぶ面々だが、五回目の作業となるだけあって動きは早い。要領を掴んできているのだ。
「ここさえ抜ければ、あとは平坦な地形だ。半刻も行けば、完全に山を抜け切るだろう」
「実質、道が塞がってるようなのはここで最後でしょうな」
無事の山越えが目前となったからか、休憩がてら馬車を降りてきた商人たちの顔にも安堵の気配が浮かんでいる。
「オシブの奴ぁ、三、四日ぐらい前に北へ向かったらしいよな。どっさり降られる直前にバダルノイス入りできて、羨ましいったらない。奴め、事前にキュアレネーの教会に祈りにでも行ったのか?」
「そんなガラじゃないだろう、あいつは。直前までディアレーの酒場で呑んだくれてたって聞いたよ。氷神キュアレネー様は気紛れだからな、たまたまさ」
(神様のこた知らんけど、そもそも真冬だからな……)
季節ごとの気候なんて、きっとこの異世界でも同じだと流護は思う。
山道全体が通れる状態でないほどの雪で覆われている可能性もあったし、途中で天候が急変して吹雪に見舞われる可能性もあった。
また、街道の魔除けは雪に積もられると効果が薄れるらしく、怨魔に襲われる懸念もあった。
季節柄、実に不安要素の多い道中だったのだ。
そんな山越えも終わりに差しかかったため、場にはやや弛緩した空気が生まれていた。
そうした雰囲気の中、水と火の詠術士らがずらりと横に整列し、これまで通り詠唱を始める。その他の属性を扱う者や商人たち、そして流護が後ろからその様子を見守る。
いざ水の使い手たちが術を発動して加熱に備えた、そのときだった。
「――ちょっと待って。なんだか変なニオイがするわ」
流護の隣で佇むジュリーがそう零した、次の瞬間。
道の端に立っていた水の詠術士――その一人が、弾け飛ぶ形でいきなり倒れ込んだ。頭から、盛大な血飛沫を舞わせながら。
「――――」
伏して呻く若い男性。周りの雪上に散った赤い斑点。そして、彼のそばに転がり落ちた小さな石ころ。
一拍遅れて、事態に気付いた商人たちから悲鳴が巻き起こる。
その光景を目の当たりにした流護は、突然のことに驚きながらもいち早く理解した。
(投石……!)
何者かが石を投げつけてきたのだ。
認識と同時、即座に首を巡らせる。
「……!」
そしてすぐさま、狙撃手の姿を発見した。
流護らの位置からは左斜め前方。
谷となっている道の両脇にそびえる雄大な斜面、その上方二十メートルほどの距離に佇む黒い影が四つ。
白雪の大地に黒々と目立つその存在は、流護にとって見覚えのある矮躯。背丈はせいぜい一メートル前後。野性動物としても、比較的小さめの部類に違いない。
しかし、知っている。その小さな肉体に、並ならぬ暴力が秘められていることを。その怪物は、人など容易に屠ってしまう恐るべき殺戮者であることを。
知っている。その化け物の名前を。
「ドラウトロー……!」
黒き怨魔が四体、斜面を猛然と駆け下りてきた。
 




